染みこんでくる炎と水のサクリア。
「それ」は満ち足りた息をついた。
力強く後押し、時には焼き尽くしてしまいそうな程に激しい創世の炎。
優しく育み潤いを与えてくれる慈悲の水。
相反するはずのそれらの力が、無理なく馴染み、「それ」の中に注ぎ込まれてゆく。
形を持たなかったはずの「それ」は、貪欲にそれらを吸い込み、自らの糧としてゆく。
 
「それ」は時が満ちたことを知った。
この幸福な場所から旅立つ時が来たのだ。
 
 
リュミエールは不意に目を覚ました。
時計を見ると、まだ深夜ともいえる時間。
奇妙なほどに感じる胸騒ぎに、リュミエールはそっとベランダに通じるドアを開け、庭に出た。
月が雲に隠れ、星の灯りだけがやけにまぶしく見える。
何かに誘われるようにリュミエールは庭を横切り、屋敷の敷地の外へと歩き出した。
そして同時刻。
オスカーも不意に目が覚める。
目覚めがよいのはいつもだが、だからといって何もないのに夜中に起きることは殆ど無い。
何か癇に障ることが起きている、そう思ってオスカーは起きあがるとカーテンを開けて外を見た。
ふわふわと動く水色の髪が庭を横切っていくのが見える。
「…リュミエール…何やってんだ」
急いでオスカーは部屋を飛び出した。
飛び出すついでにガウンを手に持ったのは、リュミエールに着せるため。
世話を焼くことがすでに無意識レベルの習性になってしまったようで、オスカーは自分が持っているガウンをみて
苦笑する。
大股で走るオスカーはあっという間にリュミエールに追いついた。
「おい!」
いきなり肩を掴むと、リュミエールはほやんとした顔つきで振り返る。
「…おや、オスカー。どうしたのですか?こんな時間に」
そののんびりした口調に、「それはこっちのセリフだ…」とオスカーは脱力気味に言う。
「寝ぼけて月光浴か?」
「月は隠れていますが?」
呆れたせいか嫌みが口をつくが、ポヤンとした顔つきのままのリュミエールはそれに気が付かなかったようだ。
「月はこの際どうでも言い。身体を冷やすぞ、早く屋敷に戻れ」
ガウンを肩に掛けてやりながらそう言うと、リュミエールの目が急にしゃんとなる。
「駄目です、…いかなくては」
「?こんな時間にどこへ行く」
やはり寝ぼけていたかと、オスカーは目をすがめた。
「どこでしょう…広いところです。そして、空に近い場所…ご存じありませんか?」
「ご存じありませんかって…お前なあ。夜中にむっくり起きて人に聞くことか?」
「ご存じないなら、自分で探します」
あっさり言って背を向けるリュミエールを、オスカーは慌てて引き留めた。
「ちょっと待て!だから、なんで急に広い所なんだ」
「…この子が、行きたがっているようで…」
リュミエールが腹部を押さえるのを見て、オスカーは眉根を寄せる。
「腹のそれか?」
「はい」
何か変化があるのだろうかと、オスカーは思案下になる。
「わかった、心当たりはあるから、少し待て。馬を引いてくる。お前に歩かせたら、夜が明けるからな」
ぼんやりした表情のリュミエールは皮肉とは取らなかったらしく、相変わらずどこか気の抜けた風に頷く。
オスカーはリュミエールを馬に乗せると、普段の遠乗りコースになっているお気に入りの高台へ馬を走らせた。
坂道を上り、聖地を一望に出来る崖の上。
夜の森を眼下に見下ろすと、星明かりが落ちたように僅かに発光しているように見える。
いつもと違う聖地の夜。
オスカーは思わず警戒の色を浮かべてリュミエールを引き寄せた。
「どうかしたのですか?」
こちらは相変わらず緊張の欠片もない水の守護聖。
顔を強ばらせているオスカーに気の抜けた声をかける。
「どうかしたって…なんだか今夜は様子がおかしいぞ。何もかも」
「そうですか?わたくしは何やらとても心地が好くて…」
うっとりと目を閉じるリュミールの身体も、白く輝いている。
月も星も、今夜はまるで地に降りてきたようなそんな不可思議な空気に、オスカーは背筋が冷えるのを感じた。
「おい、リュミエール!屋敷に帰るぞ!」
「…大丈夫ですよ…」
夢見るようにリュミエールが答える。目を閉じ、顔を上に上げ、それこそ透けて消えそうなほどに白く輝いている
身体。
「おい!」
苛立ちが頂点に達し、オスカーは乱暴にリュミエールの腕を掴んだ。
その瞬間リュミエールの身体を包み光が強くなり、弾けるような瞬きをみせたあと瞬時に消え去った。
リュミエールの身体が仰向けに倒れてくる。
慌ててオスカーはその身体を抱き留めた。
「おい、リュミエール」
別に失神したわけではないらしく、リュミエールは腕の中でぼんやりとではあるが目を開けている。
空中の一点から離れない視線に、オスカーもその方向に目をやり、ぎょっと目を見張った。
そこにリュミエールの髪の色にも似た色合いのぼんやりとした光に包まれた何かが浮かんでいる。
大きさはごく小さく、握り拳くらいだろうか。光の中で時折生き物のように影が動く。
何者かと警戒の態勢を取りかけたオスカーの頭の中に声が響いた。
 
『必要なものは3つ。一つは命を生み出す創世の炎。もう一つは命を育む慈悲の水。
そして、最後の一つはその二つの力を結びつける心……違う性を持つ物をを結びつけ理解し合おうとする心』
 
リュミエールは自分の腹部を押さえ、それからその光に声をかけた。
「貴方は、わたくしの中にいたものですね」
「お前、一体、なんなんだ…」
オスカーが問う。あまりにも非現実的すぎて、警戒する気は失せてしまったらしい。
 
『私はかつて宇宙として存在していたものの落とし子。そして、これから新たな宇宙の元となるもの』
 
 
★★
 
 
「あ…」
女王アンジェリークはベランダから夜空を眺め、小さな声を上げた。
「陛下、どうなされましたの?」
「そういうロザリアこそこんな時間にどうしたの?眠れないの?」
そうっと背後から声をかけたロザリアを振り返り、女王は密やかに微笑む。
「なぜか目がさえてしまって」
「うふふ、ロザリアもやっぱり感じたのね。あそこに浮かんでいる光が見える?」
アンジェリークが指指す方向には、本当に豆粒ほどに小さいのにくっきりと目に焼き付くような水色の光。
「あれはね、…宇宙の卵よ。滅んでしまった宇宙が生み出した新しい宇宙…」
ロザリアは女王の顔を見る。
「僅かな種火程度の力しかなかった卵は、リュミエールの中でそのサクリアを受けてゆっくりと力を蓄え、
そしてオスカーの力を受けて新しく何かを生み出すほどの力を得たの。そして旅立ちの時が来たのよ」
「最初からご存じだったのですか?リュミエールが宿したものがなんだったのか」
少しロザリアは呆れたように訊ねた。
 
「うふ、別に面白がって黙っていたわけじゃないわ。あの二人が自分達から進んで交流し、お互いを思いやる気持ちを持たなければ、あの卵は育つことが出来なかったの。
水の優しさは傷を癒し休息を与えるけど、それは過ぎれば永遠のまどろみに繋がる。
そして炎の強さは、思いやりを忘れれば全てを焼き尽くすだけの凶暴な力になる。
それぞれが望んでそれぞれの力を受け入れようと思わなければ…あの卵も力を得ることが出来なかったのよ」
アンジェリークの瞳が遠くを見透かすような光に輝く。
 
「あの卵は旅立つだけの力をあの二人から得て、そして行くのよ。
いつかこの新しい宇宙のように、聖獣と共に旅立ったあの子たちの宇宙のように、どこか遙か遠くの場所、
もしくは遙かな未来で、新しい命を産みだし抱く世界の基礎となるために」
微笑むアンジェリークの隣に立ち、ロザリアは女王と同じ微笑みを浮かべた。
 
「あの二人の力を受けた…あの二人の子供ともいうべき宇宙が、いつかどこかで誕生するのですね」
「そうね…」
『二人の子供』という言葉に、女王はくすりと笑う。
「きっと生き生きとして、そして優しい子供が育つのでしょうね」
 
 
★★
 
 
宇宙の卵。
自然と心の中に流れ込んできたそのイメージに、オスカーとリュミエールは自分達が育てていたのがなんだったのか、ようやく知ることになった。
リュミエールは改めて自分の腹部に手を当てる。
そこには、ついさっきまで感じていた存在はもうない。
 
小さく光る「卵」は、別れを惜しむように何度も何度も点滅した。
点滅し――やがて、光の尾を引き、夜空の彼方へと消えていった。
残された二人は崖の上で、少し惚けたように光の消えた夜空を見上げる。
あっけなく、そして衝撃を受けた別れ。
自分達のサクリアで育った宇宙の卵。
いつかどこかで、自分達の水と炎のサクリアを持った宇宙が生まれる。
あまりに壮大すぎて想像するのも難しいが、それは予感でもなんでもない確かなことなのだ。
 
オスカーは隣に立って空を見ているリュミエールに目を向けた。
……もう、隣にいて、世話をやく必要はない……
リュミエールもそれを感じたのか、静かにオスカーを見る。
唐突に始まり、そしてバタバタと過ぎ去った数カ月は終わった。
もう、一緒の館に住む理由も、共に行動する理由もない。
 
(ご自分の元の生活に戻ってしまわれるのでしょうね…きっと…)
なぜ自分がそれを寂しく思うのか、リュミエールは説明できないまま俯いてしまった。
そのリュミエールに、オスカーは手を差し出す。
「…もう、手を貸してくださる必要はないのですよ…」
低く言ったまま動かずにいると、オスカーはその手を強引に掴んだ。
「これは手をかす、とは言わない。手を繋ぐ、と言うんだ」
「…え?」
引っ張られてリュミエールは驚く。
ごく間近でオスカーはリュミエールを見下ろしている。
面白がっているような、そして少し残念そうな複雑な色合いのアイスブルーの瞳。
「どうやらお前には、手を繋ぐ新しい理由が必要らしいな。ちゃんと告白しなきゃ駄目か?」
リュミエールはきょとんとする。
「子供が先で、プロポーズが後ってのも、面白いかもしれんな」
笑うオスカーがリュミエールに口付ける。
それが本当に当たり前で自然なことに感じられ、リュミエールはごく当たり前にその口付けを受け入れていた。