水館にルヴァとオスカーが到着すると、すでに連絡が行っていたものか、執事が玄関先で出迎えていた。
 
馬車から下りたルヴァが、いそいそと執事に声をかける。
「あ〜、リュミエールの様子はいかがですか?何か食べれましたか?」
そうやって何やらぽそぽそと話し合っていると、オスカーがようやくのそっと馬車から下りてくる。
当然かもしれないが、むちゃくちゃ気が重そうな顔である。
宮殿からここへ来るときも、さんざん嫌がって後延ばししようとなんやかやと言い訳するのを、
「あんたね!そんな事言ってると、万が一自分が『つわり』になったとき、誰も介抱してくれないよ?
それとも、あんたに熱い視線を送ってるお嬢さん達に、背中さすってもらう?つわりの!!!!」
とオリヴィエに脅かされ、渋々やってきたのだった。
 
馬車から下りたまま、鬱蒼とした顔つきでオスカーが佇んでいると、こっちは別の意味で鬱そうとしたルヴァが
小走りで近づいて来る。
「あ〜リュミエールは相変わらず物が食べられないそうですね。お茶を少し口にしただけで、
もうぼんやりしてるだけだそうです。当然ですね…心構えの出来ていた女性でも、情緒不安定に
なったりするそうです。ましてや、ねぇ…」
相槌を求めてルヴァがオスカーを見る。
そう言われたところで、オスカーは妊娠した女性と知り合ったことはないし、当然自分が妊娠したことも
ない。
結局曖昧な顔で言葉を濁していると、勝手に納得した顔でルヴァは中にはいることを促した。
 
「あなたが、これから水館で彼の介護に付くことは、またリュミエールには言ってないんですよね」
いつものきびきびした動きとは天と地もあるほどの、面倒くさそうな動作で、オスカーはルヴァの後を追って
無言で廊下を歩いている。
「ショックを受けなければいいですけどねぇ…」
ため息を付きつつ言われてしまうと、「だったら、このまま帰ってもいい」と、思わず言ってしまいそうになる
オスカーである。
忍の一字で、扉を開ける執事の後についてリュミエールの私室へはいる。
 
白と水色で統一された、涼やかな部屋であった。
そこから奥の寝室の扉をそうっと開け、執事が声を潜めるようにして主に声をかけた。
「…リュミエール様、ルヴァ様とオスカー様がお出でです」
中から、何やら取り乱しているようなリュミエールの声がする。とぎれとぎれに聞こえるのは、「入っていただいて…」だの「お断りして…」だの、完全に混乱しているような言葉だった。
ルヴァがオスカーの腕をぐいぐい引っぱり、執事の肩を叩く。
「あ〜、この先は私達で説明しますから」
おっとりと一見どっしり落ち着いた風に言われ、内心でやはりかなり動揺しているらしい執事は、
あからさまにほっとした様子で下がっていった。
「リュミエール、入りますよ」
オスカーもルヴァに引きずられて、リュミエールの寝室へ足を踏み入れた。
 
「オスカー…、ルヴァ様…」
ベッドの上に悄然と座っていたリュミエールが、同僚の顔を認めて顔を引きつらせ、ルヴァの顔を見て、ほっと
安心した様子をみせる。
いつもであれば、ここまではっきり表情に出されることなどないので、オスカーはなんとなくむっとしたきり、寝室の入り口で立ち止まった。
「大丈夫ですか?ああ、すっかりやつれてしまって」
心配げなルヴァの言うとおり、リュミエールはげっそりと面変わりし、何度も戻したせいか、涙目で目の縁が
微かに赤くなっていた。
布でずっと口のあたりを抑えている。
 
「何か、食べられそうですか?」
そういうと、リュミエールは辛そうに首を振った。
「…喉を痛めてしまって…息をするのも痛くて…」
言っているうちにもひくっと喉を鳴らし、リュミエールの目にじわっと涙がにじむ。
相当苦しいらしい。
「ああ、大丈夫ですよ。なんとか、気分が少しでも良くなるように、いろいろ調べてますしね。幸い、私の館に勤めている女官の1人が、以前妊娠したときにつわりで苦しんで、いろいろ対処法を知っていると言いますから、
そちらからもさりげな〜く、情報を集めてきますから…」
 
『つわり』の言葉に、リュミエールは自分の体調が情けなくなったのか、またじわっと涙を滲ませた。
確かに男の自分がつわりで苦しむなど、想像のしようもなかった出来事なので、正直認めたくもない。
悲しそうに俯いてしまったリュミエールをどう思ったのか、ルヴァはおろおろとまた慰めだした。
「ああ、そんなに心配しないでください。大丈夫です、通常であれば、安定期に入ればつわりは治まる
筈ですし、とにかく落ち着くことが一番ですよ」
 
「安定期」という生々しい言葉に、リュミエールはくらっとしてきた。
どうして、どういう理由で自分が妊娠など…、と思えば、当然の反応である。
気が付かずに、どつぼにはまりそうな発言を繰り返すルヴァは悪気がないだけ、リュミエールは切なくなってくる。
『女王陛下…、わたくしは何か罪でも犯したのでしょうか…』
と思わず懺悔したくなる心境にまで、落ち込んでしまった。
 
 
◆◆
 
 
…何をやってるんだか…。
後ろで腕組みしながら二人の様子を眺めていたオスカーは、3文芝居のようだと辛辣に考えていた。
すると、話題に困ったらしいルヴァが唐突にオスカーの方を振り向く。
「それでですね、女王陛下のご命令で、オスカーが水館に泊まり込みで、あなたの世話をすることになったのです。仕事のこととかも、急ぎのものは彼を通じて連絡しますので、遠慮なく頼ってくださいね」
 
「勝手に頼らすな」というオスカーの内心の声が聞こえたのかどうか、リュミエールの方も彼に向ける目には
くっきりと「この人には頼りたくない」という意志が見える。
憮然としたオスカーに、ルヴァは気が付かないのか、手招きをした。
「そんな所にいないで、こちらにいらっしゃい」
渋々、オスカーが寝台の上のリュミエールに近付いてくる…が、彼がある程度近付いたとき、
リュミエールが引きつった声で制止した。
 
「…オスカー、それ以上近付かないでください!」
その声があまりにもせっぱ詰まった様子だったので、感情を逆撫でされたオスカーは逆に大股で
近づき、間近で怒鳴った。
「俺だって、好きで来てるわけじゃない!近付くなとは、どう言うことだ!!」
「ああ、落ち着いて、今のリュミエールは情緒不安定気味なんです。寛容に接してください〜〜」
宥めるルヴァに、リュミエールは違う、と蚊の泣くような声で呟き、頭をふった。
 
「においが…、オスカーのにおいが、気持ち悪くて…」
涙まで浮かべてのこの暴言に、オスカーは怒髪天をついた。
 
「気…、気持ち悪いだと?俺のにおいが???」
大声を出して詰め寄ったオスカーに、逆にルヴァは合点がいったのか、はっとしてオスカーの腕を掴んで、
リュミエールから引き剥がした。
そしてくんくんと鼻を鳴らし、オスカーに「何か、コロンとか使ってますか?」と聞く。
興奮していたオスカーは乱暴に答えた。
「別に人に不快感を与えるような、そんな使い方はしていない!」
「ああ、そうですね。確かに、そんなにおう、というほど、強い香りではないですね…」
そう言ってルヴァがちらっとリュミエールの方を見ると、彼はまだ口を布で押さえたまま、頭をふる。
 
ルヴァはオスカーにゆっくりと説明した。
「え〜とですね、妊娠すると、香りに非常に敏感になる人がいます。リュミエールはどうも、あなたのそのわずかな
香料の香りが、我慢できないようです。仕方ありませんね、シャワーでにおいを落としてください。
今後は、コロンなどの類のものは、一切止めてください」
ぐぐぐっと、オスカーは何か言い返したくなるのをこらえた。
リュミエールは口元を抑えたまま、眉を辛そうに寄せて、何か病原菌を見るような目でオスカーを見ている。
こうなると、オスカーの負けず嫌いな部分がむくむくと頭をもたげてきた。
 
「よし、判った。二度と文句など言わせないようにしてやる!覚悟しておけよ!」
怒鳴ると同時に、オスカーは乱暴に寝室のドアを開けて出て行ってしまった。
後に残されたルヴァは、心細げなリュミエールに、慰めるように優しく言った。
「あれで責任感の強い人です。安心して、頼ってくださいね」
それ以前に側にいられると、落ち着いて休めません〜と泣き言を言いたくなるのを、
リュミエールはぐっとこらえた。
『女王陛下、これも試練なのでしょうか…』
なんとなく恨めしくなってしまうリュミエールだったのだ。
 
 
◆◆
 
オスカーが廊下に出ると、水館の執事が待ちかまえていて、隣室に案内する。
間取りはリュミエールの私室とほぼ同じ、二間続きの部屋である。
「…部屋まで隣か」
オスカーがわずかばかりの嫌みを込めて言うと、執事は慇懃な口調で切り返した。
「リュミエール様に万が一のことがあった場合、隣にいらして頂いた方が、何かと便利でございます。
リュミエール様の体調につきましては、水館のものには詳しいことをもうしておりません。
ただ、我々には理解できない理由による、体調不良とだけもうしておりますので、大事にならないためにも
身の回りの世話は私と、オスカー様での2人でさせていただくことになります」
オスカーが、げげっという顔つきになった。
 
執事はかまわずに続ける。
「身の回りのもので、足りないもの、お入り用なものがありましたら、何なりと仰ってください。
それと、リュミエール様のお部屋と直通のインターホンを、寝室のサイドテーブルと、こちらの机の上に
設置させていただきましたので」
オスカーの意志などまったくお構いなしに、執事はオスカーにリュミエールの「付き添いさん」の役割を
ふってしまったようである。
そしてその目には、相手は守護聖であるにも関わらず
「リュミエール様に万が一のことがあったら、」ただではおきませんよ」
というような決意が、ありありと見えた。
 
こうして、なんとなく気合い負けした形で、オスカーの水館での「付き添いさん」生活はスタートしたのだった。