「久しぶりだね。会ってくれて、ありがとう…」
リュミエールの前で殊勝なことを言っているのは、すっぴんの夢の守護聖殿だった。
 
例の降って湧いたような妊娠騒動、それから10日後。
落ち着きを取り戻したリュミエールは、見舞いに訪れる仲間達と時折あって話ができるほどに
復調していた。
もっとも、つわりがあるのは相変わらずなので、オリヴィエは今日は化粧もなにも無し匂いのあるものは一切身につけず――というわけで、他の守護聖達が帰ったあと、こっそりと訪ねてきたのである。
 
「…ご心配をおかけしました。お見舞いにいらしてくださっていたのが判っていたのに、ご挨拶ひとつせず、
本当に申し訳ないと思っております…」
穏やかに言ったリュミエールが、少し憂いげな笑みで頭を下げる。
「ああ、そんな事気にしなくていいの。一番大変なのはリュミちゃんだって、みんな知ってるんだから」
慌ててオリヴィエが手をふっていうと、リュミエールはやはり憂いげに困ったような顔で笑った。
 
そんな表情に、オリヴィエも相手への思いが全開のような優しい笑顔をみせる。
「私達の事なんて心配する必要ないからね。リュミちゃんは、自分の身体のことだけ考えていればいいの。
ところで、――あのバカ、ちゃんとやってる?」
最後の部分を身を乗り出すようにして小声で言ったオリヴィエに、リュミエールは小さく肩を竦めると笑った。
「…そろそろ顔を見せると思いますよ…、ほら…」
言ったとたんである。
「リュミエール!こんなところで何をしている!!」
この無神経男にしては、神経質そうな足取りで、オスカーがずかずかと近づいてきた。
 
「こんな所って何さ。のんびり夕焼けをみながら、お茶を楽しんでいたんじゃない」
そうなのである。他の客が帰った夕暮れ、夕焼けに染まる庭のテーブルで二人はお茶を飲んでいたのだが。
「何を言っている!夕方の風はリュミエールの体に悪いんだ!知らないのか?」
いうなり持ってきたショールをリュミエールの身体に巻き付けると、さっさと立ち上がらせた。
「身体が冷えると駄目だと、言われているだろう!中に入るんだ」
 
気を使ってるんだか、拉致しようとしてるんだか判らない動作で、オスカーがリュミエールを室内に連れて行く。
オリヴィエが椅子からなかば腰を浮かした状態で、呆気にとられていると、
リュミエールが肩越しに苦笑気味な顔で振り向いた。
「あ、は〜〜ん、なるほど」
1人取り残されたオリヴィエは、腕組みして納得の顔で頷いていた。
 
 
◆◆
 
 
「ちょっと意外だったけど、ちゃんと世話してるんだね」
夕食を水館で呼ばれたあと、オリヴィエはオスカーの部屋を訪れていた。
食事中もオスカーはかいがいしく…、と言っていいのかどうか、ひたすらリュミエールを気にしていた。
彼の分はやはり食べやすいさっぱり系の特別メニュー。
彼に会わせ、オスカーは自分の食事も一緒にとるときは、あまり匂いのきつくないメニューにさせているらしい。
 
そして自分が食べる傍ら、やれ「もう一口スープを飲まなきゃ駄目だ」とかやれ「ヨーグルトのソースはベリーとアプリコットとどっちがいい」だの、細かいことを言っている。
はっきり言って、一緒に食べる方は食欲が失せてしまうほどの、忙しない。
それでもまあ、気遣いするのはよい事なのだろうが…。
 
「当たり前だ。この本を見ろ!」
オスカーはオリヴィエの言葉に胸を張って机の上に積まれた本の山を叩いた。
「ありゃ、あんた、随分集めたもんだね。なになに、『マタニティブルーを乗り切る』『つわりを和らげる100の方』『妊娠期、これだけは食べたい栄養素(簡単料理レシピ付き)』『た○ごクラブ』過去一年間のバックナンバー…」
「それはだな、読者の投稿コーナーが参考になるんだ。実際の体験談はかなり重みがあるぞ」
偉そうに胸を張ってオスカーが物知り自慢する。
いや、確かにこれだけ勉強したのは、自慢しても良いのだろうが…。
 
「『心穏やかな出産を迎えるために』『妊娠の仕組み』『妊娠から出産まで。特別付録、妊娠中の夫婦生活』
この変態〜〜〜〜〜〜!!!!」
オリヴィエは本の頁をめくって見つけたものに、激怒のあまり持っていたハードカバー500頁の本を
オスカーめがけて投げつけた。
狙い違わず、長身の赤い頭に見事にヒットする。
 
「痛い!なんだ、極楽鳥!俺になんの文句があるって言うんだ!!!」
ものの見事に角でもぶつかったのか、オスカーが頭を抑えてわめき散らした。
「なんの文句だって?この変態!あの苦しんでるリュミちゃん相手になに考えてたの!!!」
オリヴィエは落ちていた本を拾うと、ある頁を突きつけた。
オスカーが目を丸くしてそれを凝視する。
要するにそれは――ご夫婦が妊娠中に「赤ちゃんと母体に負担をかけずに仲良くする体位」なんてものを
特集したコーナーだったのである。
 
今度はオスカーが激怒する番だ。
「バカか、お前!!普通、こういう本を編集するやつのいったい誰が、『男が妊娠している』なんてものを
前提にしている!!!これは普通の真っ当な夫婦向けのやつじゃないか!」
「…ああ、それもそうだね」
けろりと悪びれもせずにオリヴィエが言う。
オスカーはたんこぶをさすりながら唸った。
 
「お前なぁ。もともと、俺とあいつはなんの関係もないんだぞ。こんな記事まで俺に当てはめるな」
「早とちりだったねぇ、悪かった。ま、これだけ熱心に調べてるなら、いつでもいいパパになれるね」
「ふ、当然だ。俺は今回調べてみて、いっそう女性のデリケートにして、かつ偉大なる性に敬意を覚えたぞ」
再び胸を張って言うオスカーに、なんか違うような気がするオリヴィエだった。
 
 
「ところでさぁ、例のリュミちゃんの赤ちゃん。育ってるのかなぁ、なんか聞いてる?」
「そんなの判るわけがないだろう、研究院で調べても、胎児となるものがいる訳じゃないってのが判ってるだけなんだ」
「だから、リュミちゃんはそれを感じてるんでしょ?リュミちゃんはなんて言ってるの?」
「さあ?聞いたことがない」
オスカーのその返事に、オリヴィエは眉を逆立てた。
 
「――聞いたことがない?」
「ああ、別にそんな必要は…」
再び、オリヴィエが本を振り上げた。特大版の『育児博士の辞典』である。
 
「お前、落ち着け!!そんな物、人に向かって投げつけるな!!!」
慌ててオスカーが後ずさる。
「この大バカ!!なんのための付き添いさんよ!細々と世話を焼く暇があったら、そういうことを聞いて
力付けてあげるのがあんたの役目じゃないのさ!!!」
「…な、俺はきちんとあいつが体調が悪くならないようにいろいろと…」
オリヴィエの剣幕にソファの陰に思わず隠れてしまったオスカーが言い訳がましく言う。
 
「そういう日常的な気配りなんかは、執事にだってできるでしょ!!!あんたは、この一件の当事者になるうる人として、もっとリュミちゃんに親身になって話を聞いたり、励ましたりしてやるべきじゃないの!!」
そう言ってから、オリヴィエは本をおろして真面目な顔になった。
 
「今日見てて、すごく気になってたんだけど、あんたリュミちゃんにあれこれといろいろ先回りで世話を焼いてるけど、ちっともリュミちゃんと話してないんだよね。ああしろ、こうしろって言いつけるだけで。
あんた、やり方がちょっと違うと思うよ」
その言葉に、オスカーは情けなさそうに眉を寄せて考え込んでしまった。
 
 
◆◆
 
「体調はいかがですか?ああ〜顔色は良くなってきたようですね」
モニター越しでルヴァが笑っている。
彼は殆ど毎日のように水館にやってくるが、何かの用で来られないときは、必ずテレビ電話で連絡を入れる。
「今日は一日あなたのデータを調べてたのですが、なんとも結果がでそうもなくて…」
「申し訳ありません、お手数をおかけしてしまって…」
リュミエールがそう言うと、ルヴァは画面の向こう側で笑いながら手を振った。
 
「あ〜あなたはなにも気にする必要なはいですからね。ところで何か変化はありますか?
あいにく、データとしてなにも計測されないので、あなたの体内の何かがどうなってるか、
見当が付かなくて」
リュミエール自身の体質、体調が変化したことは、数値として出ているが、その原因となる「体内の何か」
に関しては、文字通り何かがいる、以上のことは判らない。
それだからこその、ルヴァの質問である。
リュミエールは困ったように首を傾げ、ゆっくりと考えながら答える。
 
「…時折、エネルギーが強く膨らんでゆくような感じがします。…でも、それは一時で、まるで水が抜けたように
すぐに乾いたようになってしまったり…」
「そういう変化がどういうときに現れるのか、判りますか?」
リュミエールはまた首を傾げた。
「…よく、わかりません」
その困った顔に、ルヴァは今日の通信を終わりにした。
 
暗くなったモニターを前に、リュミエールは改めて考えてみる。
 
…乾いたように感じるときは、…何か不安になったり、独りぼっちのような疎外感を感じたりした時…
表面上はともかく、やはり自分の体調の変化が今一つ受け入れられずにいるリュミエールなのである。
 
そして暖かく膨らんでゆくときは…。
リュミエールは1つため息を付いた。
 
オスカーがおそらくぶっきらぼうにではあっても、彼を気遣い、優しくしてくれるとき。
自分がホッと安心した瞬間。