さてさて、こういう時はどうすれば良かったのだろう。
オリヴィエが帰ってしまったあと、オスカーは椅子に座って考え込んだきり動かない。
通常であれば、妊娠はめでたいというのだろう。
めでたくない妊娠というなら、………そんな経験は持ってないし…。
 
要するに、「話を聞いて元気付けてやれ」と言われたところで、なんと言って元気付けてやればいいのか、
オスカーには見当が付かないのだ。
というか、今までそういうことを考えること自体、避けていたと言っていいのかもしれない。
日常的にすることをしていた方が、はっきり言って気が楽だった。
(だいたい、リュミエールとは雑談だって今までろくにしたことがないんだ…、急にそんな突っ込んだ話をしろと言われても、どうやって話を持っていけばいいのやら…)
 
額に手を当て、うむむむむと唸っていると、セットしておいたアラームがなった。
リュミエールに就寝前の「ミルク」を持っていく時間だ。
よくよく考えれば、なんで自分がこんなおかーさんかおとーさんみたいなマネをしてるのかと、なんとなく
馬鹿らしくもなってくるのだが、付き添いさん生活に妙に燃え始めた頃に自分で決めたスケジュールなのである。
一度自分で決めた事は、なかなか破ることも出来ない律儀なオスカーだった。
厨房で程良い温度に温めたミルクを貰い、リュミエールの寝室にはいると(すでにノックもしなくなってる)
リュミエールは部屋着姿のままでモニターの前でぼんやり座っている。
彼の方も、ルヴァとの通信のあとそのまま考え込んでいたらしい。
とはいえ、オスカーはその事情は知らない。
何をしているのかと思いながら、軽くその肩を叩いた。
我に返ったらしいリュミエールが、オスカーの顔を見たとたんに慌てて立ち上がった。
 
「あ…もうそんな時間でしたか…申し訳ありません、まだ着替えもしていませんで…」
そういってパタパタと動き出す。
小走りのリュミエールに仰天したオスカーが、急いで止めた。
「お、おい、ちょっと待て!焦るな、転びでもしたらどうするんだ!」
ぴたりとリュミエールが止まる。
なんとなく気まずそうな顔でこっちを見ているリュミエールに、オスカーは呆れ顔をした。
 
「落ち着いたらどうだ、なんでそんなに慌てるんだ」
そう言うと、今度は困り顔をするリュミエールだった。
「…ですが…、この時間になっても休む用意をしていないと、怒るではありませんか…」
 
はい?
オスカーは聞き間違いかと思った。
俺がいつも怒ってる?
 
「…俺は怒っていたか?」
そうオスカーが聞くと、怪訝そうにリュミエールが呟くように答える。
「…はい、…いつまでも起きていると、体に悪いと、凄い剣幕で…」
凄い剣幕。
その言葉にオスカーはがっくりと項垂れてしまった。
 
◆◆
 
「あの、オスカー?」
項垂れてしまったオスカーに、リュミエールがおそるおそると言った風に声をかけてきた。
「…ひょっとして、俺はよく怒っていたか?…その、お前に対し…」
顔を下げたままの質問に、リュミエールは戸惑っているようだった。
「遠慮しなくていい。はっきり答えてくれ」
重ねて問われ、困り顔のリュミエールがぽつぽつと答えだす。
 
「あの…窓を開けてうたた寝していると、ベッドで寝ろと起こされます…、それから、雨を見ていると、
身体が冷えると窓もカーテンも閉められますし…、ゆっくりとお風呂に浸かっていると、長風呂すると貧血が起きやすいと言って呼びに来ますし…、それとお茶を飲んでいると、ミルクの方が栄養がある、と変えられますし、
それから…」
「わ、判った、もういい!」
自分で聞いておきながら、最後まで答えを聞く事が出来ず、オスカーは遮ってしまった。
自己嫌悪で床に埋まりたくなってしまう。
リュミエールの身体を心配しているつもりで、これじゃただただ命令していただけじゃないか…。
 
どっぷりとおどろ線を背負ってしまったようなオスカーに、リュミエールはひどく狼狽えたようで
「あの…、オスカー??」
慰めるように、遠慮がちに声をかけてきた。
 
「あの…、あなたが仰っていたことは、全てわたくしの身体を心配して下さった上で、だという事は、
わたくしも十分承知しております…。ですから…怒ったなどと、わたくしの言い方が悪かったのです。
どうぞ、お気になさらないで…」
「慰めてくれなくてもいい。オリヴィエにも言われた。俺は指図ばかりしている、やり方が違うと。
あいつの言ったことは正しかったんだ」
壁の方にめり込みそうなくらい重苦しい言葉に、リュミエールは急いでそれを否定した。
 
「いえ、あなたがわたくしのためにいろいろと勉強して、その上で仰ってくださったのだという事は、
本当によく分かっております。お陰で、わたくしも最近はあまりひどく具合が悪くなることはありません。
あなたが言われていることは正しいのですよ」
ようやくオスカーが顔を上げる。
 
彼のすぐ横でリュミエールの目は彼への気遣いをいっぱいに湛え、オスカーをじっと見つめていた。
「あなたには降って湧いたような災難だったと思います…、急にわたくしの館に住み込みで、わたくしの面倒を見るようにと言いつけられて…。
それなのに、これほどまでよくしてくださって…本当に感謝しているのですよ…」
 
降って湧いた災難。
それをいうなら、自分の方がふさわしいだろうに。
今まで偽善的だとさえ思っていたリュミエールのお人好しぶりに、オスカーはなんとなく脱力した気分だった。
 
「…お前、こんな時にまで、人に気を使うことはないのに…」
そう言うと、リュミエールは困ったような笑みを浮かべ、「でも、本当のことです」と答えた。
「…俺は、お前の助けになっていたか?」
リュミエールの困り顔の笑顔につられたオスカーが、同じような顔つきでそんな事を言う。
オスカーにしては珍しい、その気弱げな顔に、リュミエールは慈愛のこもった声で答えた。
「はい、とても助けていただいております」
 
不思議な感じがした。
10日も一緒にいて、朝から晩までべったりとへばりついていて、こんな他愛のない会話すら
交わしたことがなかった。
 
不意にオスカーが低く笑い出した。
リュミエールがきょとんとする。
「あの…、何か?」
「いや、なんでもない」
そう言いながら、まだオスカーは笑っている。
ますますきょとんとしているリュミエールに、オスカーはやっぱりくっくっくと笑いながら答えた。
「いや、10日も一緒にいて、こんな風にしゃべったのは初めてだったかと思ったら、なんだか笑えてきてな」
 
「あ」
その言葉に、リュミエールも目をまん丸くして合点がいったように手を打った。
「そう言えば、そうでしたね」
そのあまりにも素直な答えに、オスカーはまた声を上げて笑いだした。