リュミエールの腹――何かが宿っているらしいその部分に手が触れた瞬間、オスカーはまるで何かに弾かれたように意識が飛ぶのを感じた。
最初は真っ白な光の洪水。
それがオスカーの周りを高速で駆け抜け、その向こう側に違う物が見える。
否――見えるのではなく、感じる。
何かが脈打つような荘厳な神聖さを感じさせる何か。
 
いままでまったく感じたこともない筈の感覚なのに、奇妙な懐かしさすら感じる。
 
(もっと知りたい――この先をみたい)
切実なほどにそう感じる。
視界が眩むほどの白さの向こうに、間違いなくある何か。
それを掴もうとオスカーは手を伸ばした。
そしてオスカーは唐突に現実へと引き戻されたのである。
 
 
リュミエールが目を見開いたまま、凍り付いたような顔つきで自分を見ている。
オスカーはなぜ自分の目の前、というか鼻先にリュミエールの顔があるのか判らなかった。
判らないが、さっきの不思議な感覚の余韻で惚けた頭は、
(綺麗な顔だな)なんて脳天気なことを考えている。
そんなオスカーとは裏腹にリュミエールの方は、これまた現在の状況に頭が真っ白になり
身動きが出来なかった。
 
さっきのオスカーが感じたもの。
それは間違いなくリュミエールも感じていた。
彼の方はこれが始めて、というわけではなく、普段からこれに近い感覚を味わっていたのである。
ただ、これほどまでに強烈で、視覚的に見えたのは初めてだ。
いままではずっと遠い距離を置いて感じていたものが、突然目の前で展開された――そんな感じである。
 
(一体、どうして…何が原因で…)
恐れおののくようにして考えるリュミエールの脳裏に、ふっと蘇った言葉がある。
あの日――彼の体が変調をおこした日に聞こえた言葉。
『必要な鍵は三つ、水と炎と――』
こういうことだったのか――なんとなく感覚的に判ったような気になったところで、
急に目の前で自分の両肩に手をかけたまま動かなくなったオスカーの視線が気になりだした。
 
 
◆◆
 
 
惚けたようにリュミエールの顔に見入っていたオスカーの前で、彼のうすい形のいい唇が動く。
そこから何か言葉がこぼれる。
 
いいんですよ――
 
夢の中で聞こえたような気がした。
もう一度、今度ははっきりと声として認識した。
 
「…いいんですよ、オスカー……しても…」
その声がやたらめったらと色っぽく誘ってるように聞こえたのは、単なるオスカーの勘違いだろう。
思わず顔を寄せたところで、慌てふためいたリュミエールが両手でオスカーの顔面を思いっきり押し返した。
 
細く見えても男の力。ようやく我に返ったオスカーがぱっとリュミエールから離れた。
 
「な…なんだったんだ、いまの妙な雰囲気は!」
全宇宙の女性の恋人を自認する自分にあるまじき行為だと、血の気の引く思いでオスカーは唸った。
「…妙な雰囲気を作ったのはあなただけです…」
リュミエールが額を押させるようにしてそう呟く。
そういう彼の頬も微妙に上気していて、妙な雰囲気に負けそうだったのはオスカーだけではなかった、
という事を示しているのだが、慌てているオスカーはそれには気が付かなかった。
 
「…お前が、『いいんですよ』、なんて妙なことを言い出すから」
思わず責任転嫁するようなことを言うオスカーに、リュミエールはため息を付いた。
 
「女性のところにいらしてもいいんですよ、とそう申し上げたのです。何やら、欲求がたまっておいでのようでしたので!」
溜まりすぎたのか、思わず身の危険を感じた、という事までは言及しなかったものの、
さっきのオスカーの表情はまるで今すぐ誰かをくどき倒したい!とそう言ってるように見えたのである。
その「今すぐ誰かを」の「誰か」が、自分に対してのようだった、と感じたことも、リュミエールは無理矢理
気が付かなかったことにした。
 
――こんな風に感じること自体、おかしいのです。オスカーは確かに今度のことに何かしらの関係が
あるのでしょうけれど、それとこれは別です。オスカーは…自他共に認める女性好きで、同性に対して
そんな感情を感じるはずがなく、わたくしだってそうなのですから――
 
一生懸命に自分で自分に言い聞かせているリュミエールの前で、オスカーはあまりな露骨な言い様に、
すっと顔を引きつらせた。
何か辛辣なことを言い返してやろうとオスカーの瞳の色がすっと冷たく光る。
だがその光は急に薄れ、オスカーは拗ねたようにそっぽを向いた。
「そうか、ではお許しを頂いたところで、しばし会えなかった愛しい小鳥たちのさえずりを聴きに行くとしよう」
 
その素っ気ない口調に、リュミエールは顔を上げた。
さっさと部屋を出てゆくオスカーに、声もかけられなかったリュミエールは1人になってから
酷い自己嫌悪に泣き出したくなった。
 
(せっかく、うまく行きかけていたのに――何もかも、上手くいくような気がしていたのに…)
所在なげに両手を膝の上に投げ出し、ぼんやりと考える。
さっきあれほど強烈に感じた体内の「何か」も、心なしか小さくなってしまったような気がする。
 
リュミエールは改めて、自分の中でオスカーの存在が大きくなっていたことを実感させられた。
単純に、この事態の収束に必要な存在、というだけではなく、リュミエール個人にとっても、
とても大きな存在――だが、それがどういった形なのかまでは、正直そこまで考えたくない、というのも
まず偽りのない気持ちだったのである。
 
◆◆
 
 
リュミエールに捨てぜりふを吐いて部屋を出たものの、結局オスカーは外には出かけず、
水館の自分の部屋へと戻っていった。
部屋の鍵をかけ、大きくため息を付いてベッドに腰を下ろす。
 
オスカーはできるだけ冷静にさっきの出来事をまとめてみようと努力した。
リュミエールに触れたときの不思議な感覚。
あれはいったい何だったのだろうか、ルヴァか王立研究院に報告して、調査分析させるべきだろうか。
そう考えているうちにも、思いは別の方に行ってしまう。
 
なぜ、リュミエールに触れたいと思ったのだろう。
 
唐突に彼は自分の髪をかき回した。
どうやら恋愛経験豊富な彼は、否応なしに自覚してしまったようなのである。
そしてその自覚した内容は――おそらく、リュミエールが無意識に考える事をさけてしまった思いと
同じなのだろう。
もっともそんな事は知らないオスカーは、自覚してしまった自分の想いに納得しきれず、
唸りながら何度もため息を付くのだった。