ここではあり得ない雪の一片。
あの人に届けるには、どうすればいいのでしょうか?
 
 
12月21日。
はっきりとした四季の存在しない聖地では、12月は夏でも冬でもない。
でも、オスカーの生まれた場所では、12月は冬だった。
厳冬期を目前にした、冷たい雪の舞う季節。
その身の引き締まるような冷たさすら、独特の国柄のせいか心地よく感じていた。
 
もっとも、実際に過ぎた年齢分以上の年月をここで暮らしているオスカーにしてみれば、
ほのぼのとした陽射しを受けるのにも慣れ、小春日和の誕生日も悪くない物である。
 
とくに現在は、側にいるのが柔らかな木漏れ日にも似た雰囲気の恋人となれば、
ぬるい気候オッケー!な気分である。
去年の冬は、仲間達とその恋人の計らいで、雪を眺めながら誕生日を過ごすことができたが、
今年はどうやらそうはいかないらしい。
朝から二人で顔をつきあわせ、書類整理の真っ最中である。
 
 
★★
 
 
「オスカー…この星の調査は、完了しているのですね」
「ああ、提出された書類がどこかに…ああ、あった」
「それでは、これとこれは、終了ですね。オスカー、あなたもサインをいれて下さい」
「分かった…これで完了っと」
処理済みの箱に書類を放り込んでは、また次の書類に向かう。
 
何故こんなに忙しいかといえば、職務の鬼ジュリアスが視察のため、別の地に赴いているからだろう。
それ以前に彼が命令を出していた、各惑星や、宙域の調査資料と書類が何故か一斉に回ってきてしまい、
ジュリアスが帰ってくるまでに目を通し、完全に終了したものは、決済をすませなければならない。
ジュリアスが率いる優秀な事務官の一団も彼に同行してしまったため、
書類の整理だけで一苦労である。
 
朝からオスカーの執務室にリュミエールと共にこもっているが、次から次と運ばれてくる書類の束に、
いい加減投げ出したくなってくる。
「ジュリアス様はこの激務を日常的にこなして居られたのですね」
リュミエールがしみじみと感心したように言った。
「まあ、ジュリアス様の場合は、ご自分の使い勝手が良いように配していたからな…かってが分からない俺達よりは、スムーズにこなしておられたのだろう…」
話ながらも、二人の手は止まらない。
 
ちらりとオスカーは書類を見る振りをして、リュミエールの顔を見つめた。
俯き加減のその顔は、長い睫がくっきりと影を落とし、その繊細さがより際だって見える。
真剣な表情の方が色っぽく見えると言うことを、本人は知っているのだろうか?
なんとなく触れてみたくなってオスカーは手を伸ばした。
なめらかな髪に触れられる感触に、リュミエールは非難するように細い眉を顰める。
 
「悪戯をしている暇はありませんよ」
「悪戯じゃないさ。仕事に疲れた心をリフレッシュさせるための儀式だ」
のうのうと言って、オスカーはしつこく髪を弄んでくる。
ちょっと呆れかけたリュミエールが、うすい笑みを浮かべた。
「お疲れでしたか。それでは、お茶でも差し上げましょうね」
するりと立ち上がったリュミエールの髪が流れ、オスカーの手からこぼれ落ちる。
 
「お茶より、こっちの方が元気が出るんだがなあ」
「わたくしの髪は、栄養ドリンクではありません」
名残惜しげにまだ手を振っているオスカーに、おかしくなったリュミエールはくすりと笑った。
 
 
書類だらけの執務室からベランダのテーブルに移り、オスカーはリュミエールが煎れるお茶の芳香を楽しんだ。
普段はコーヒーを好むオスカーだが、リュミエールが煎れるお茶なら、不気味な色合いのハーブティーでも飲めてしまうのが、現金なところである。
ゆっくりと並んでお茶を飲み始めたところで、ふと気が付いたようにリュミエールが空を見た。
 
「…もうじき、日が暮れてしまいそうですね」
「以外と手間取った物だな。明日明後日のうちに終わればいいが」
どっさりとある書類を思い浮かべ、オスカーは渋面を作った。
 
「いえ、書類ではなく…」
「書類のことが心配なんじゃないのか?」
面映ゆげなリュミエールに、オスカーは聞き返した。
「いえ…今日は、あなたのお誕生日ですよね」
「ああ、そういえば、そうだったか!」
オスカーは始めて気が付いたように、ぽんと手を叩いた。
 
「ここ数日、忙しくて忘れていたな」
「ご自分のお誕生日なのに…」
あっさりと言ったオスカーに、リュミエールは驚いたような顔をした。
彼の館は、今頃誕生日プレゼントで埋まっているとばかり思っていたのだ。
「宮殿に泊まり込んでいたしな。それに…」
にやりと笑うと、オスカーはリュミエールを引き寄せた。
 
「オスカー、場所をわきまえてください」
慌てて身体を引こうとするリュミエールに、オスカーは面白そうに、引き寄せる力を強くした。
「誰も来ないさ。それに、今現在の俺は、ただ一人の人からの祝いの言葉以外、耳に入らないからな。
たとえ聖地中の人間が俺の誕生を祝う言葉を叫んだとしても、お前から聞かされないうちは、気が付かないさ」
「また、そう言うことを…」
呆れて何かを言いかけたリュミエールが、申し訳なさそうに口をつぐんだ。
「ん、どうした?」
優しく言って顔を覗き込むオスカーに、リュミエールはますます所在なげに悲しそうになってしまう。
「実は…あなたのお誕生日にあわせて、また、雪のある場所を探させていたのですが、この忙しさで
結局は…」
「予定がおじゃん、か?」
「申し訳ありません…プレゼントの方は、後ほどお持ちしますけど…」
消え入るような声で言うリュミエールに、オスカーは少しの間、思案顔になった。
 
「いや、手配して貰ったところで、忙しいのは俺も同様だ。…それよりも…」
「はい?」
リュミエールがおどおどと顔を上げると、オスカーは安心させるように笑った。
「とりあえず、今日のノルマを片付けてしまおうぜ。それから、俺につき合ってくれ」
 
 
★★
 
 
殆ど突貫工事のような勢いで仕事を進めた数時間後。
次の日の分のノルマまで消化してしまったオスカーの手際に、リュミエールは称賛半分の
呆れ半分で、なんとも言えない表情をしていた。
「ここまで遣ってしまうこともなかったのでは…?」
「ここまで済ませてしまわないと、明日はゆっくりと休暇が取れないからな」
こともなげに言うオスカーに、リュミエールはきょとんとした。
 
「明日、休暇を取るのですか?とってどうなさるのですか?」
その質問に、意味ありげな笑みで答えたあと、
「さて、仕事は終わった。つきあってくれ」
オスカーはいぶかしげなリュミエールの手を引いて、すっかり人気の無くなった廊下へとでた。
 
 
一度オスカーの館へと寄り、軽く食事をとったあと、リュミエールはまたオスカーに促されて馬に乗った。
後ろに座ったオスカーは機嫌の良い顔で手綱を操っている。
「オスカー、出てきてよろしかったのですか?館の方々が、あなたの誕生を祝う用意をしていらしたのでは?」
「大丈夫だ」
「ですが、これから、お祝いを述べるお客様方がいらっしゃるかも…」
「今日も宮殿に泊まり込むつもりだったんだ。誰も来やしないさ」
「ですが…」
「なんだ?そんなに俺と二人きりでいるのが、いやなのか?」
わざとらしく怒った風のオスカーに、リュミエールは慌てて首を振る。
「いえ、そんな事はありません!ですが、以前のあなたでしたら、賑やかにお祝いをすることを好まれていたように思いましたので…」
 
急にオスカーが馬を止めたので、リュミエールは怒らせたのかと、不安になったようだ。
身体を軽くよじると、背後のオスカーの顔を心配そうに見上げる。
すると、目に映ったのは、驚くほど優しい顔をしたオスカーの顔。
不安げな表情のリュミエールに、諭すように柔らかく言った。
 
「確かに以前は賑やかに祝われるのが、楽しかったな。今も賑やかなのは嫌いじゃない。
だが、ただ一人の人とだけ過ごしたい、と思える日が俺にもあるし、そう思う相手もいる――」
それが今だから――と、囁く声に、リュミエールの頬が薄くほんのりとした色合いに染まった。
 
再びオスカーが、ゆったりとした歩調で馬を走らせた。
日の暮れた森の中を、まるで慣れた道のように危なげなく走らせるオスカーの手綱捌き。
視界を流れてゆく景色に、リュミエールはまるで違う世界を訪れたような気分になった。
 
ふっと木々が途切れた。
そして現れた真っ白な場所。
「…雪…」
思わずリュミエールは呟いた。
闇の中にぼんやりと浮かぶ白い木々が、まるで雪化粧をしているように見えたのだ。
馬から下り、辺りを見回すと、白い一片が風に乗って、はらりとリュミエールの髪に落ちる。
 
「前に来たことがあっただろ?忘れたのか?」
「…え…?」
「これは、『雪柳』という木だと、お前が教えてくれたんだろ?花が咲くと、真っ白で雪のように見えるのだと」
一瞬ぽかんとしたあと、急にリュミエールは思い出した。
確かに、以前にも、オスカーにこの場所に連れてきて貰ったことがあった。昼と夜の違いで、まるで別の場所の
ように思えていたのだが。
その時、たくさんの堅い蕾を付けたこの木を見つけ、花が咲いたら雪のように見えるはず――と話したのだった。
 
 
「覚えていてくださったのですか?このような他愛のないことまで」
「他愛なくはないさ。あの時、待ち遠しそうな顔をしていたじゃないか、この花が咲くのを。
見たかったんだろ?雪のような、この景色を――」
驚くリュミエールに、オスカーはこともなげに答える。
嬉しい反面、なんとなくリュミエールはがっかりした気分になった。
 
――今日は、わたくしが見せてもらうのではなくて、わたくしがオスカーに雪景色を見せたかったのに――。
 
「なんだ、どうした。気に入らなかったか?」
落ち込んでしまったリュミエールに、オスカーは慌てたようだ。
「そうではありません――いつも、あなたは、わたくしが喜ぶことをしてくださいます。…でも、わたくしは、
それにお応えすることが満足に出来ません。今日は、本当ならば、わたくしの方があなたのために、何かするべきなのに」
「ちゃんと計画してくれてただろう?」
「でも、結局は何もして差し上げられませんでした」
 
拗ねたような口調で、自分を見上げるリュミエールの顔に、オスカーはなんとなく微笑ましくなった。
その気持ちが伝わったのか、リュミエールがまた拗ねた風に言う。
「…まるでわたくしは、父親に守られている子供のようです。もらうばかりで、何も返せない」
「それは誤解だ。子供は、その存在そのもので、親の恩に返している。そしてお前だって…」
そうっとその滑らかな頬に手を添えると、オスカーはリュミエールの瞳を間近に覗き込んだ。
 
「お前がそこにいる。それこそが俺への最大のプレゼントだと、いい加減気が付いて欲しいな」
 
リュミエールは目を見張った。
その幼げな表情に、嬉しそうなオスカーが、普段女性の前でも見せたことがないような顔で笑う。
 
「ほら、こうしているだけでも、お前は俺にたくさんのプレゼントをくれている。
お前だけが、俺にこれほどの喜びを与えてくれるんだ」
 
不安にふさがれそうになっていたリュミエールの中に、暖かい物が広がった。
夜風に白い花びらが踊るように舞う。
星空の下で浮かび上がる、幻想的な白銀の花びらに夢心地になりながら、リュミエールは今、この瞬間、
オスカーと共にいることに、心からの感謝を捧げた。
 
オスカー、あなたが生まれてきたこの日に、限りない感謝を――
 
HAPPY BIRTHDAY