Blue flare
 
 
 
…この数日、不思議なほどに鮮明に思い浮かぶ。
新月の夜の、ある惑星の海。
暗い海面に輝く青い炎。
 
 
 
じきに水の守護聖の誕生日が来る。
炎の守護聖は浮かれていた。
 
『―――当日はまず白い百合の花束。部屋を埋め尽くすほどにたくさんに。
それから、彼お気に入りの白ワイン、見た目も味も吟味し尽くした料理の数々。
香油を練り混んだキャンドルを、これまたとびきりの細工の燭台にたて……』
 
最愛の恋人の誕生を祝う計画を、山ほどたてていた炎の守護聖殿だったが、
残念ながらその予定は全て立ち消えとなった。
他ならぬ、愛しの恋人殿の一言によって。
 
「…一緒に行っていただきたい場所があるのです」
 
控えめな彼らしく、こちらの都合をうかがうような口調ではあったが、オスカーの返事次第では
1人で行ってしまいそうなほどに、断固とした瞳だった。
「どこに行きたいんだ?お前の行きたい場所なら、どこまででも…」
夜風に揺れる水色の長い髪をそうっと撫でながら、そうオスカーは恋人の耳元で囁いた。
水の館の美しい庭が、ガス灯の暖かな色合いの光の中で幻想的に見える。
そこに舞い降りた月の精の風情で、リュミエールは細い人差し指を柔らかい仕草で自分の口元に当てた。
茶目っ気のある視線をオスカーに投げかけ、可愛らしく一言。
「今は、まだ内緒です」
 
オスカーはにやりと笑ってリュミエールを抱き寄せた。
「まあ、いい。二人でいられるのなら、どこだって天国だからな」
その言葉に、リュミエールは控えめに、でも本当に嬉しそうに微笑む。
そんな彼に連れてこられたのは、発展途上の海の多い惑星。
素朴な人々が住み、いまだ電気も十分に行き渡ってないような村だった。
 
★★
 
 
「こちらです。足下にお気をつけくださいね」
珍しく、リュミエールが積極的にオスカーを案内している。
片手に高くカンテラを捧げ、片手でオスカーの手を引いて。
いつもとは逆の立場を、オスカーは面白そうに楽しんでいた。
 
「あ…」
「ほら、お前の方こそ、ちゃんと足元を見ないと」
暗い夜道に石にでも躓いたのか、リュミエールがよろけるのをオスカーは支えてやった。
空には月も出ていない。
新月の夜、村の人々の家々からは灯りがとうに消え、振り返って見えるのは彼等が泊まっている
宿の灯りだけだ。
辺りを照らすのは、微かな星明かり。
散歩を楽しむには不向きな夜だと思うが、リュミエールは嬉しそうに浜辺に向かい歩いてゆく。
 
村はずれは、木の柵で浜辺と隔てられている。
と言っても岩場が多く、おそらく海水浴にもあまり適してないのだろう。砂浜も小さい。
オスカーだったら遊んでもあまり面白くもない場所だと思うが、リュミエールはこの静けさが好きなのだろうか?
暗闇でそんなオスカーの表情が見えるわけもないのだが、リュミエールは傍らでくすりと可笑しそうに笑った。
 
「なぜ、こんな場所にわざわざ来たのか…、そう仰りたげですね」
「いや、べつに、つまらん場所とか、そう思ってるわけでは」
慌てて言い訳しようとするオスカーに、くすくす笑ったままのリュミエールは足下から小石を1つ拾い上げた。
「これを海に向かって投げてください」
オスカーの掌に、小石が1つ落とされる。
「????」
リュミエールは柵の向こう側に広がる海の方へ、カンテラを向けた。
「投げてください。はやく」
催促しながら、彼はニコニコしている。
オスカーは首を傾げながらも、大きく腕を振って小石を海に投げ込んだ。
 
綺麗な弧を描いた小石が、海に落ちて水しぶきを上げ―――。
そこでオスカーは目を見開いた。
 
石の大きさに見合った、小さな水しぶき。
それはまるで星の粒を散らしたような、微細な光に縁取られている。
きらきらとした輝きを一瞬だけ見せて、海はまたもとの暗さに戻ってしまった。
 
「――青い炎――そう呼ばれています」
リュミエールがひっそりと言った。
「あなたと、どうしても見たかったのです」
オスカーの手が、再びリュミエールの細い手に取られる。
柵を回り砂浜に下りると、リュミエールはにっこりしながらオスカーを振り向いた。
「…こんな現象は、初めてみたな」
少しくすぐったそうな笑い方でオスカーがそう言うと、リュミエールがわずかに首を傾げる。
「この微かな光は、海にすむ小さな生物がもたらすものなのだそうです。月明かりにも薄れてしまうほどの、
小さな繊細な光――新月の夜だけ、このように輝いてみせるのです」
 
リュミエールはカンテラを足下に置くと、ごく当たり前の仕草で着ていた物を脱ぎ捨てた。
白い長衣が、夜の暗闇の中で、ふわりと生き物のように地に落ちる。
一瞬だけ呆気にとられたオスカーが、次には慌てふためいてその衣装を拾い上げた。
「おい!外で服を脱ぐなんて」
誰かに覗かれたらどーするんだ!と続く言葉は、面白がってるようなリュミエールの声に遮られた。
「ここには、他に誰もいません。二人きりです…、それに誰かがいたとしても、この暗さでは何も見えませんよ」
くすくす笑いながら、リュミエールは海の中に足を進めたようだ。
小さく先ほどと同じ青い輝きが、しぶきの形を取る。
 
確かにリュミエールに言われたとおり、カンテラの小さな灯りでは、これだけ近くにいても顔すらも
はっきり見えない。
波打ち際までやってきたオスカーの気配を感じたのか、つま先で波と戯れていたリュミエールが
すうっと海の中に滑り込んだ。
わずかばかり見えていた人の輪郭が消え、オスカーは慌てて膝まで海に浸かって辺りを見回す。
 
少し離れた場所で、青い光が弾けたように見えた。
輝く水が生き物のように盛り上がり、水の滴をちらした人の輪郭を取る。
暗闇に揺れる、小さな青い光をまとわせた人の姿。
それが再び海中に没したと思うと、海面に長く軌跡を輝かせる。
 
まるで泳ぐ人魚を見つけたようだ。
オスカーは我知らずうっとりとした笑顔でそれを見つめていた。
時折ひょっこっと水面から細い光の柱が立ち、左右に振られる。
手を振っているのだろうか。
大きく手を振り返すオスカーの姿は、向こうから見えているのだろうか。
 
やがて優雅な光を裳裾のように引いた、彼の人魚が砂浜に戻ってきた。
海から上がったリュミエールの身体の線は、こぼれ落ちる青い輝きに縁取られていた。
「…あなたは泳がないのですか?」
リュミエールが小首を傾げながらそうオスカーに問う。
首を動かした弾みで、髪に残る水滴がまた青く輝きながら流れ落ちる。
不思議な光景だった。
まるでリュミエール自身が光っているよう、にオスカーには見えた。
 
「お前から目を離すわずかな時間も惜しくて…、気が付かなかったな」
笑いながら、オスカーはリュミエールの肩にふわりと衣装を掛けた。
「お気に召さなかったのかと、心配しておりました…」
ちらりとリュミエールが上目遣いにオスカーを見上げる。
そうすると、長いまつげもまた青い光に包まれた。
 
「これほどすばらしい光景を見せられて、気に入らなかったりしたら、俺は自分の美意識を疑うだろうぜ。
…ありがとう、リュミエール」
オスカーはリュミエールの額にそっと口づけた。
「こうしていると、全くなんの変哲もない、ただの夜の海なのに。これほどまでに繊細で美しい光を隠しているとはな。宇宙の奇跡と美を全て集めたような聖地でも、この光景は見ることが出来ない」
感嘆したようにオスカーは言う。
「…また来よう。この海を見るために」
 
リュミエールは微かに笑った。
「オスカー、見えますか?いえ、今は見えないでしょう。この浜の向こう側…、近代的な都市が建設中です。
数年と経たないうちに、この海岸沿いは人々の住まう灯りで照らされるのでしょう」
オスカーはリュミエールが指差す方を見た。
確かに今は向こう側の風景は闇の中で何も見えない。
「ほう、ここもいよいよ近代化か。この美しい海が、より多くの人の目を楽しませてくれるというわけだ」
何気なく言ったオスカーに、リュミエールは小さく首を振る。
「…いいえ、この輝きは月の光の前にも薄れてしまうほどに、儚いものです。新月の夜の闇が人工の灯りに
追いやられてしまったあとは、この輝きも力を失い、いつかは消えてしまうのでしょう。
次にこの海を訪れたとき、この海はもうこの輝きを無くした後かもしれないのです…」
 
リュミエールはそうっと波打ち際に歩み寄ると、しゃがみ込んで手で水をすくった。
白い繊細な手の中で、ゆらりと青い炎が踊っている。
 
「人々のためには仕方のないことなのかも知れません。でも私は覚えていたかったのです。
この海がどれほどに美しい、そして儚くもろい輝きをたたえていたのか」
オスカーがリュミエールの傍らに膝をつき、海水に手を浸した。
彼の手が動くと、それにつられて青い光が踊る。
 
「…これが最後になるかも知れません。あなたと一緒にこの光景を見ることが出来たことを、嬉しく思います」
さらりと髪を揺らして、リュミエールが傍らのオスカーに向き直った。
優しい空気が辺りを包む。
オスカーは黙ってリュミエールを引き寄せた。
「そんなに悲観的に考えるものじゃないさ」
可笑しそうな声の響きに、リュミエールは軽く目を見開く。
「この海は人工の灯りの前に沈黙するかもしれない。だが宇宙は広い。他にもこんな美しい海を
隠してる惑星が無いとも限らないだろ?」
リュミエールはきょとんとしたまま、応えた。
「…そうかも知れませんね…」
「まかせとけ!必ず、ここと同様の海を俺が探してやるから」
 
俺からの誕生日プレゼントはそれだな、とオスカーは胸を張っていう。
リュミエールはまたまたきょとんとした。
「…あ、そう言えば、今日は私の誕生日でしたね」
「…おい」
オスカーは吹き出すのをこらえてる。
「相変わらず呑気だな。俺はお前の誕生日祝いの旅行のつもりだったのに」
「…すみません」
とりあえず謝ってしまうリュミエールに、オスカーはついに吹き出した。
リュミエールをしっかり抱きしめたまま笑い続けるオスカーに、つられたリュミエールも小さく吹き出す。
肩を揺らして笑いながら、リュミエールは緩やかに寄せては返す波に手を触れた。
細かな宝石の粉をまき散らしたような小さな光が波間に起こる。
その儚げな程の繊細な輝きが目の前にいる恋人のイメージと重なり、オスカーは目を細める。
 
リュミエールが夜の静けさを壊さぬように、そう気遣うような小さな声で囁いた。
「…だとしたら、誕生日のプレゼントはもう頂きました」
今度はオスカーがきょとんとする。見開かれた瞳は、輝くような青い炎。
――たとえ全ての星の海が沈黙したとしても、この青い炎が薄れることはないのでしょうね――
 
「あなたは私にもっとも必要な物、『前向きに物を見るための力、希望』をいつもくださいます」
 
リュミエールはオスカーの頬に口付けると、心から嬉しそうに微笑んだ。