リュミエールは、今日は朝から1人だった。
と言っても、別に聖地の住人が全員失踪したとかいうわけではない。
館の中には、忠実な使用人が何人もいるし、外に行けば、たくさんの聖地の住人が日の曜日を
思い思いに楽しんでいる。
でもリュミエールは1人だった。
気分的に、ひとりぼっちだった。
 
館に仕える者のうちで、とくに気を許せる友人とも思っている執事と側仕えの少女は、
今朝は早朝から用事で出かけてしまった。
 
お茶友達のルヴァは昨日届いた大量の本に埋もれているはずだし、
オリヴィエは今日は朝から一日エステのフルコースらしい。
弟とも思っているマルセルは、ランディ、ゼフェルと共に、何かやっているらしく、
そんなところへ押し掛けていくのは気が引ける。
 
普段であれば、その傍らでゆったりとした時間を過ごさせてくれるクラヴィスは、ジュリアスと共に、
主星で行われる儀式に出席のため出かけている。
 
そして、オスカーは――数日前から、惑星視察のために、やはり聖地から出かけていたのだ。
 
と、いうわけで、リュミエールは一日ぽっかりと空白になったような日の曜日、どう過ごそうかともてあましていた。
 
◆◆
 
 
…写生にでも、行ってみましょうか?
 
そう思って外を見ると、どんよりと沈んだような曇り空。
これではお気に入りの美しい湖も、きっと気が重くなるような灰色に染まっていることでしょうと、
リュミエールは諦めた。
 
それでは、公園でハープを奏でてみましょうか。
ところが湿気のせいか、思うような澄んだ音が出ない。
人には判らないかもしれないが、ほんのわずかな音の違いが、リュミエールを落ち込ませた。
憂い顔の水の守護聖。
人々は遠巻きに心配そうに見ているものの、意を決して声をかけてくる者は居ない。
リュミエールは、どんよりとした気分のまま、そうそうに館に戻ってきてしまった。
 
 
◆◆
 
1人でいるのは、嫌いではないはずだった。1人でハープを弾いたり、絵を描いたり。
それだけで、十分に有意義な一日を過ごせていたはずだったのに。
どうして、それができなくなってしまったのでしょう。
 
まったく頭に入っていかない本を膝の上に広げたまま、リュミエールはぼんやり外を眺めながら考えている。
 
…いえ、考えるまでもありませんね。二人で笑いながら過ごす、休日の楽しさを覚えてしまったから…。
とくに何をするでもなく、一緒にいて、同じ部屋で、違うことをしながらも、相手の存在を確かめながら一日を過ごす、そんなやり方を覚えてしまったから。
今こんな風に、独りぼっちになってしまったような気がするのです。
 
あなたの気配が、たった1つの気配が感じられない。
それだけで、世界中の人が消えてしまったような、寂しさを感じるのです。
 
気が付くと、リュミエールはぼんやりと時計の針を眺めている。
早く時間が過ぎないかなと、祈りながら。
 
明日になれば、また宮殿で友人達とあえる。寂しさを紛らわすような、たわいのない話をしながら
お茶を飲み、クラヴィス様の隣で、ゆったりとハープを聴いて貰い、そうして時間が過ぎるのを待つことができる。
でも、今日は駄目。
時計の針は、止まってしまったようになかなか動かない。
 
本当は時間はちゃんといつも通りに進んでいて、いつも時間に、家人がお茶の用意をして、
食事の用意をして、ちゃんと一日は過ぎていく。
それでも給仕をしてくれる顔がいつもと違ったり、失敗してはきゃーきゃーと声を上げる賑やかな少女がいなかったりと、そんな些細なことが不思議なほどに違和感を強くして、いつものように微笑んでいても、
なんとなく心の内は波打っていたりする。
 
 
◆◆
 
 
…もう、休んでしまいましょうか…。
 
日が暮れるのを見て、リュミエールは早々とそう決めた。
泣き出しそうだった曇り空は、夕方からじっとりとした霧のような雨になった。
晴れの日であれば聖地をあでやかに染める夕焼けも、規則正しく降り注ぐ雨の音も、今日は何もない。
ただ視界が灰色の幕に覆われてしまっただけ。
 
 
さっさと夜着に着替え、灯りを消してベッドに潜り込む。
早く明日になって欲しいと念じながら、目を閉じる。
でもそんな願いと裏腹に、早く寝よう寝ようと思えば思うほど、睡魔は遠ざかっていくようで、
目を閉じていても穏やかな眠りはちっとも訪れてくれない。
何度も何度も寝返りを打って、ついに諦めてリュミエールはサイドテーブルの小さな明かりをつけた。
 
時計を見ると、今日が終わるまであと数時間。
ベッドに入ってからもう一日経ってしまったほど、長く感じられたのに、とリュミエールはほんの少しやつあたり気味に、時計のガラスを指で弾いた。
チンと澄んだ音に、なんだかとても子供っぽいことをしたような気がして、また気が滅入ってくる。
 
 
◆◆
 
…今日は、誰かとお話をしたのでしょうか?
したと思うが、頭に残ってない。
聞き慣れた友人達の声が、一度も聴かれなかったから?
それだけでないような気もするが、今度は自分がとてつもなく薄情な人間のようがして、
もっともっと気が滅入ってくる。
 
時計の針は、相変わらず嫌みなほどゆっくりと時間を刻んでいる。
 
「わたくしに対する、嫌がらせですか?」
思わず時計に向かって不満を言ってしまい、リュミエールは他に誰もいないのに口を押さえた。
長い長いため息を付きながら、リュミエールは恨めしそうに時計を抱えて横になる。
 
早く明日になってくれればいいのに。
そう思うと、時間はなかなか進まない。
このまま時間が止まってくれればいいのに。
そんな時は、悲しいくらいにあっという間に時間は過ぎていってしまう。
 
時間の進み方が逆になればいいのに。
楽しいときはゆっくりと、つまらないときは早々に、そうなってくれればいいのに、と
リュミエールは彼らしくないほどに、駄々っ子めいたことを考えている。
 
明日になれば。
日が昇り、宮殿に出仕し、友人達とあうまで。
出かけてしまった執事と側仕えの少女が聖地に戻ってくるまで、あとどれだけ待てばいいのでしょうか。
一番会いたい人がわたくしの元へ戻ってきてくれるまで、それこそ、どれほど待てばいいのでしょうか。
考えるだけで、気が遠くなりそう。
 
ちっとも眠くならないリュミエールは、催眠術にかかったように秒針だけを見つめている。
規則正しく刻まれていく1秒1秒が、1時間もかかっているようにもどかしく感じる。
 
早く明日になってくれればいいのに。
はっと気が付くと、かなり長い間見つめていたような気がするのに、まだ「今日」は終わっていない。
 
 
◆◆
 
なんとなく悔しくなって、リュミエールはまた体を起こした。
ベッドの上に座り込み、両手で時計を目の前に掲げて睨み付ける。
だからといって、時間の進み方が早くなるわけでもない。
泣きたくなるほど、自分が心許ないように感じられた。
 
そんな時。
微かにガラスを叩く音がした。
 
天蓋の幕を上げ、そっと寝室を見渡すと、ベランダに続くガラス戸の向こうに、何やらぼーっとした影が浮かんで見える。
一瞬どきんと身構えたリュミエールの耳に、またとんとんというノックの音。
雨にけぶるベランダに、誰か人が立っている。
 
リュミエールはまたどきんとした。こんな夜更けに、しかもこのじっとりとした霧雨の中、ベランダに立つような
酔狂な人間は、一人しか居ない。
 
急いで掛け金を外し、ドアを開けると、想像通りの人が、濡れそぼったマントを身体から滑り落としながら、
にやりと笑っていた。
 
「お前の顔が見たくなって、急いで視察を終えてきたんだぜ」
 
暗闇の中でも目立つ赤い髪に、冷たいアイスブルーの瞳を今は暖かく和ませて、
誰よりもリュミエールが会いたかった人が、目の前に立っている。
 
「お帰りなさい、を言ってくれないのか?」
 
そう言って笑いながら両手を広げる人を前に、リュミエールは今日始めての晴れやかな笑顔を見せた。