あの瞬間、彼が振り向いたときの顔が忘れられない。
人形のように凍り付いた、ガラスのような瞳。
彼はあの時、自分に何が言いたかったのだろうか?
そんな事を考えているうちに、炎の守護聖の意識は、暗闇に飲み込まれていった。
 
柔らかな午後の日差しが目蓋を通して感じられる。
ああ、自分は気を失っていたのかとオスカ−は目を開けた。
緑の美しい庭園の風景が最初に目に入る。
彼は大きな木にもたれ、座るような格好でそれを眺めていた。
木は大きく枝を張り、豊かに緑の葉が陽の光を透かして光っている。
聞こえるのどかな小鳥の声。
 
俺は出口を間違えただけか。
次元回廊から直接庭園に出てしまったんだな、とオスカ−はぼんやりと考えた。
惑星視察の帰り道、突然不安定になった次元回廊の中、どこかとんでもない所へ
飛ばされたのではないかと思っていた。
そう思ってオスカ−はふっと笑みをもらす。 
(いや、十分とんでもないな、出口が別な場所に開くなんて。今頃管理人が
慌てているだろう
そしておそらく心配性の恋人も。
聖地の人々には内緒の、秘密の恋人関係。
自分が行って安心をさせてやらなければ、恋人はいつまでも心配をしている。
外に出ては何かしでかすやんちゃな恋人を。
 
だがそんな事をのんきに考えてたオスカーは、次の瞬間、自分の勘違いを
悟った。
少し離れた場所で、じっとこちらを眺めている少女がいる。
年の頃は7つか8つ?幼く見えるにしても、10才にはなっていないだろう。
金色の巻き毛を肩に垂らし、一枚布を巻き付けたような古風な衣裳を身にまとっている。
側には少女を守るような一頭の大きな犬。
いかにも不審者発見といった体で、犬はオスカーに向かって唸っていた。
誰だ?この少女は
声をかけようと体を起こすのを見た少女は、ぱっと後を向いて駆けだして
しまった。甲高い声で誰かを呼んでいる。
ここは聖地ではない、聖地なら俺を知らない人間はいない。
自惚れでもなく、オスカーはそう思いながら立ち上がった。
遠ざかりつつあった少女の声音がかわり、またこちらに近付いてきた。
低い男の話し声。
父親でも呼んできたのかと、オスカーは気を引き締める。
さっきの少女の服装からいって、あまり文明が進んでいるとは思えない。
オスカーの着ている服は視察にいっていた星の服だが、それでもかなり現代的で
さっきの少女の服がこの星の一般的な服装ならば、まったくの異質だ。
 
植込の向こうから、かなり長身の男の姿が見えた。
肌の色は褐色。南方系の特徴がある。黒の巻き毛に黒い瞳。
堂々とした、軍人のようながっしりとした体だ。
ジュリアスの衣裳をもっと簡素化したような、トーガを纏っている。
男は厳しい表情でこちらに近付いてきた。
犬の吠え声がうるさい。
目の前にきた男の後から、さっきの少女が不安そうに覗いている。
オスカーは男の出方をうかがった。
自分は剣を持っているが、男も長い槍を持っている。
その立ち姿から、相手も相当の鍛練を積んでいるとふんだオスカーは、油断なく
相手の目を見つめた。
不意に、男が槍を高々と掲げた。
オスカーが剣のつかに手を掛ける。
それを見てもまったく頓着せずに男は大地に膝を着くと、
槍をゆっくりと自分の後ろへ置いた。
そして大きく両手を揚げ、そのまま地面に額をつけ拝礼の姿勢をとった。
「何処の神かは存じませんが、ようこそ、わが庭に降臨してくださいました。
どうか細やかではありますが、接遇を受けてくださいますよう、お願い申し上げます」
隣で少女がちょこんと座り、やはり同じようにオスカーに向かって頭を下げていた。
 
何がなにやらわからないままに、オスカーは男の屋敷に招き入れられ、
有無を言わさずに始まった宴の上座で注がれるまま、酒の杯をあけていた。
 
少し下座にさっきの男。
入れ替わり立ち代り肌もあらわな女性達が料理や酒を運びこみ、
色とりどりに着飾った踊り子達が、くるくると踊りまわっている。
椅子やテーブルはなく、床の上に置かれた寝椅子に半ば横たわり、
料理はカーペットの上の銀盆に置かれている。
芸術的ではあるが、あまり文明が進んでいるとは言いがたい。
辺境の星か、それとも下手をすれば別の宇宙か。
聞きたい、話したい、情報が欲しい。
無言ではあるが、ぴりぴりした感情はアイスブルーの瞳に
強烈な輝きを与える。
女たちがおびえ出したのを察したのか、男は女をすべて下がらせた。
「お気に召さなかったようで、申し訳ございませぬ。私でかなえられるもので
ありましたら、何なりとおいい付けくださいませ」
男は慇懃に言って、オスカーの足元に平伏した。
もてなしが欲しいわけではない。
「酒も食べ物も女も要らない。俺が欲しいのは情報だ。答えられるか」
「なんなりと」
男は動じた気配もなく、平伏したまま答えた。
度胸は対したものだ。
オスカーは、まず男に顔を上げさせた。
 
「何故おまえは俺を『神』と呼んだ」
「あなたのすべては人と違う輝きを伴っておいでです。
かの帝国の尊き皇帝すらお呼びもつかぬほどの強さ。それを目の当たりにして、
神と思わぬものはおりません」
「俺にそんな輝きが見えたか」
「はい」
男は淡々と答えた。この地においては、神とは遠くもあり近しい存在なのだろう。
恐らく優れた武人と思われる男はオスカーのつかさどる炎の強さを肌で感じ、
それが常人の持ちうるものではないと感じたのだ。
「異郷の神と何故思った」
「我々に伝えられる神とはお姿が違います。それゆえです」
「おまえ達の神は姿を人前に現すのか」
「神官のみがお声を聞く事を許されます。しかしその似姿は像としてすべての神殿に
安置されております」
「強さをつかさどるのは、いかような神だ」
「大神の頭より生まれ出る女神でございます」
オスカーは息をついた。いずれにしてもこの人々は「守護聖」も「聖地」の存在も、
まったく預かり知らぬという事だ。
とすれば当然王立研究員もなければ、近くの宇宙に探査用の飛空都市もない。
聖地で気づいてくれねば、オスカーの方からは連絡の取り様がない。
顎に手を当てて考え込んだオスカーの前で、男は身動ぎ一つせずに次の言葉を待っている。
ウォンと犬のほえ声がした。
 
オスカーははっと我に返り、その方に目をやる。
案の定、庭側の柱の影から、先ほどの少女がこちらを見ている。
「姫
男はオスカーの前で席を立とうかどうしようか悩んだようだ。
動じない男の慌てぶりはどこか微笑ましい。
「かまわない。こちらに招いたらどうだ」
オスカーの言葉に、男はさらに迷ったようだが、その前に少女がタタタっと
駆け寄ってきて、男の膝にポスンと座る。
座ってその広い胸元に顔をこすり付けている。眠いようだ。
「おまえが寝かしつけているのか?」
からかうようにいうと、男はうろたえた様に何度も唇をなめる。
「父親っこか。可愛くてしょうがないのだろう」
その言葉に、男は奇妙な顔をした。
「姫は娘ではありません。私の婚約者です」
平然とした言葉に、オスカーの方が驚く。
「婚約者?子供じゃないか」
「はい。姫が15になったら、正式な妻に致します」
「15まで何年あるんだ。気の長い話だ。この国には、妙齢の美女はいないのか?」
オスカーにしてみれば当然の問いだが、男はますます奇妙な顔をする。
さては政略結婚かなにかと思ったとき、男はオスカーの機嫌を損ねないようにか、
慎重に言葉をつむいた。
「神々の世界では妻はどのように選ばれるのか存じませぬが
男が妻を娶るのは、一人前に地位と財産を築いてからになります。
女は無垢なるうちに嫁ぎます。大人になって後、一人身である女は未亡人か
遊び女か、奴隷のみです」
男の言う条件は、いわゆる上流階級の常識である。
下層では少年のうちに妻を取るものも、一生一人で暮らす女も当然いる。
しかしこの世界の常識自体を知らないオスカーにしてみれば、男の言葉だけが
判断基準だ。
「要するに、大人の男が少女を妻にするのか。犯罪だな
ぽつんと言った言葉に、眠そうにしていた少女が反応した。
「姫は将軍の妻になります!なりたいとそう決めているのです!」
思いがけないほどの力強さだった。
男の首にしがみついて畏れ下もなく眦をつり上げてオスカーをにらむ
少女の目は、幼くはあっても間違いなくの目だ。
「姫
男があわてて少女を諫めようとする。
それをオスカーは笑って止めた。
「いや、これは俺の認識不足だ。恋する気持ちに歳も性も関係ない。
姫が将軍殿に恋する気持ちを、俺がどうこう言う筋合いは全くない」
 そう言い放ったとき、何かがちくりと胸の奥に痛みを呼んだ。
 
『恋スル気持チヲ誰モ止メラレナイ
 
 ふっと目の前がぼやける。
何が起きたか分からないうちにオスカーの視界は水面に映る影のように
揺らぎ、彼は暗闇の中に吸い込まれていった。