Happy Happy Year
 
 
新年を告げる荘厳な鐘の音が、聖地に響き渡った。
その音に紛れ、誰も気が付かなかったと思う。
 
オスカーは微かに赤くなった左頬にそっと手を当てた。
目の前では、自分のしたことに自分で唖然としたらしいリュミエールの、
今にも泣き出しそうなほどに大きく目を見開いてる顔。
唇が何かを言いたげに震えたが、結局言葉にならず、彼は逃げるようにその場から駆け去っていってしまった。
 
 
残されたオスカーは、やっぱり呆然ともう一度左頬をさする。
今さっき、恋人から思いっきりひっぱたかれた頬。
耳元で響いた自分の頬をはたかれる小気味いい音は、幸い、室内の誰にも聞かれた様子はなかった。
 
 
現場は宮殿内の広間。
新年を迎えるために、守護聖一同が集い、ささやかなパーティーが催されていた。
とはいえ、未成年である女王や補佐官はそうそうに部屋に戻り、
ジュリアスは年が変わる瞬間をいつも一人星の間で過ごす習慣のため、少し前から退出していた。
マルセルは広間の隅ですうすう寝息を立て、クラヴィスはいつのまにか消えており、
残りはほろ酔い加減のランディ、ゼフェル、オリヴィエにルヴァ、そしてオスカーとリュミエールというメンツ。
 
なんとなく無礼講、の雰囲気になってきたのも無理はないかも知れない。
オスカーもいつになく浮かれた気分になっていた。
実は彼は1つ計画があったのである。
本来であれば恋人と2人きりで過ごしたかったこの特別な日である。
時刻が変わる瞬間の鐘の音にあわせて口づけ、誰よりも最初に共に新年を祝う
言葉を交わし、そしてこっそりこの場を抜け出してやろうかと、
もう一人の当事者、リュミエールには内緒で考えていた。
そして、その瞬間の時間を待つ間に、どんどんテンションが上がり、
だからついうっかり、最近ではけしてしなくなっていた行動をとってしまったのである。
 
彼の元に酒のお代わりを運んできた女官は、まだ若く少女の面影を残していた。
その女官がくすくすと笑いながら彼に言ったのである。
「もうじき新年ですね。実は私、1月1日生まれなんです。だから、世界中の人から
お祝いされてる気分になるんですよ」と。
その言い方があまりに子供っぽかったので、ついオスカーは妹にでも接している気分になった。
そして、やってしまったのである。
「それはめでたい」と言って、頬にちゅっと
真っ赤になった女官を見て、室内にいた他の女官達も彼のまわりに集まってきたのである。
「私も実は1月1日生まれなんです」
「実は私も!」
まともに考えれば、そんな事があるわけがない。
だが、テンションが上がってた彼は、ついついそう言ってきた全ての女官の頬に、
お祝いのキスを送ってしまった。
その数、少なくとも10人近くは行っていたのではないだろうか?
普段リュミエールは、嫉妬といった様子を全く見せたことがなかった。
だから油断していたのかも知れない。
 
やがて、新年をあと数分後に控え、その先触れの軽い鈴の音がなり始めた。
オスカーはその場で女官達をあとにし、居住まいを正して恋人の元へ近寄った。
新年最初のキスと、言葉を恋人と交わすために。
そして、待ちに待った新年の鐘の音。
窓際にひっそりと立っていた恋人の肩に手をかけ、唇を寄せたオスカーは
思いっきりリュミエールの細い手でひっぱたかれた、というわけだ。
 
パタパタと取り乱した様子でリュミエールが広間から駆け去っていく。
瞬間、オスカーは自分の状態が理解できなかった。
間抜け顔でその姿が完全に消えるのを見届けたあと、改めてしびれている頬に手をやり誰にともなく呟いた。
 
何がどうなっているんだ
答えたのは地獄耳を持つ極楽鳥。ただ一人、この窓際の喜劇を目撃していた人物。
「当たり前でしょ。わたしだって、ひっぱたくよ。この浮気者」
胡散くさげな半眼でそう言いきったオリヴィエの言葉を反芻し、
オスカーがようやく自分のしたことに気が付いたのは、それからさらに数分が経ってからだった。
 
 
 
急いでリュミエールの部屋に行く。当たり前のように鍵はかかって天の岩戸状態。
付近の廊下に人がいないのを良いことに、オスカーはドアを音を立てて叩くと、大きな声で恋人の名前を呼んだ。
当然、返事のないことは予想済み。さらに声を張り上げようとした瞬間、
いきなりドアが開いて恋人が顔を出す。
そして――。
「私はこの厳粛な夜を、一人で祈りを捧げながら過ごすつもりです!
次に声を上げたら、警備の兵を呼びます!」
言うなり目の前で閉まるドア。オスカーは呆然としてドアをじっと見つめた。
リュミエールが彼にたいして、こんな乱暴な態度をとったことが、未だかつてあっただろうか。
 
――合ったかも知れない。
オスカーは、情けなくその場にしゃがみ込んで思い返してみる。
見た目、いつも穏やかでニコニコと優柔不断に見えるが、(よく騙されるんだ、見た目で)
実はかなりの頑固者できついのがリュミエールだ。
昔はよく白々とした目で睨まれていた筈なのに。
うっかり忘れてしまっていたのは、最近のオスカーがリュミエールに対し、ろくでもない事をしなくなったから。
好きで好きでどうしようもなくて、優しくして欲しいのが見え見えだから。
だからリュミエールもオスカーに対し、優しくしたいというのを隠さない。
甘えたい、甘やかされたい、はずかしそうにそう態度でねだるリュミエールはむちゃくちゃ可愛らしくて、
逆らうなんて思いもつかない。
 
リュミエールのその表情を思い出したオスカーの顔がにへら、とゆるむ。
一人で廊下にしゃがんでニタニタしてたら、変態じゃないかと、慌てて、顔を引き締めた。
そしてあることに思い至り、またもや顔がニヘラとゆるむ。
(これは、ひょっとして、ヤキモチという奴じゃないか)
新年早々、リュミエールにヤキモチを焼いてもらえるなんて、俺はなんて果報者なんだ〜〜!!と
一人で感動したところで、やっぱりこのままではただの馬鹿じゃないかと、冷静に戻った。
 
なんとしても、この新年最初の朝日が昇る瞬間を、リュミエールと一緒に迎えたい!
オスカーは一度拒まれたくらいで、引き下がる気は全くなかった。
 
 
 
オスカーを追い返し、リュミエールは彼にしては乱暴な足取りでソファーに行くと、
ボフッと、これもまた彼にしては乱暴な動作で座った。
そしてドアの外の気配に耳を澄まし、慌てて首を振る。
(自分で一人で過ごすって言っておいて
自分で追い返しておいて、一人で座っていると妙に身体が寒い。
室内の温度は快適に保たれているのに、空っぽの傍らが寂しくて寒い。
(だって、あの人が悪いのです)
自分のした事を正当化するように、自分に言い聞かせる。
「あの人が悪いのです」
口にした瞬間、それが嘘臭く聞こえた。
 
しゅんとリュミエールは沈み込む。
頬にキスしたくらい、大目に見れば良かった。
だってあの人は新年に変わる瞬間、私の所に来てくれたのに。
あれはただのご愛敬、そんなのオスカーも相手の女性達もみんな知ってて、
それを自分だけが大げさに受け取って。
 
でも、そう思うと、今度は逆に
「やっぱり、あの人が無神経にあんな行動をとるから!」
意地っ張りな部分がそんなふうに思う。
 
「あの人が悪い」
「自分が悪い」
そう思うふたつの気持ちがぶつかって、そして理性よりも素直な身体は
全身の神経をドアの外の気配に集中させて。
混乱したリュミエールはそっと手を腹部に当てる。緊張しすぎて、胃がキリキリ。
 
 
 
本日の日の出は午前6時。
外の時間と違う聖地の新年。特別めでたいとも感じないが、オスカーはタイムリミットがあと6時間だと決めた。
絶対にリュミエールに許して貰って、その瞬間、一緒の過ごさねば。
 
うろうろと自分の部屋で考えて、結局オスカーは無難なところから試すことにした。
リュミエールの部屋の前で、声をかける。
 
「よう、リュミエール!お茶でも一緒に飲まないか?」
「飲みません!」
間髪入れずに拒絶の言葉が返る。
負けるな、自分!
オスカーはがっくりしながらも自分を鼓舞するが、得てして、こういう時は思考停止状態に陥っているものである。
「リュミエール!酒でもどうだ」
「いりません!」
「リュミエール!飯でもどうだ!」(深夜だってば)
「食べません!」
「夜駆けでも」
バシッとリュミエールの部屋のドアの内側に何かがブチ当たる音がする。
何の工夫もない誘いの言葉についに切れたリュミエールがクッションでもぶつけたらしい。
 
オスカーは自分の間抜けさ加減を自覚し、手で顔を覆った。
「もう少し動け、脳ミソ
 
 
 
室内のリュミエールはクッションをドアに投げつけた格好のままで、荒く息をついでいた。
「何が食事ですか!何が嬉しくて、夜中に馬に乗らなくてはいけないんですか!」
そう文句をいいながら、口元がなんとなく嬉しそうな笑みの形になっている。
いつも女性達にたいしては余裕を失わず、常に自分のペースで気取った言葉で誘いをかける人が。
自分に対しては、何の飾りもなくせっぱ詰まった様子で、捻りもない言葉で呼びかけてくる。
 
これはやはり、私が彼にとって特別だから?
そう感じられて、リュミエールは思わず涙がこぼれそうになる。
意地を張るのを止めて、ドアを開けて、一言言えばいい。
「中へどうぞ」と。
そうすれば、あとは何も考えなくてもいい。
オスカーに全て任せておけば、2人っきりで、この新しい年の最初の夜を迎えられる。
そうとろけるように考えたところで、自分の意地っ張りな部分がまた口を出す。
 
『いつもそうやって甘やかすから、オスカーは平気であんな事をするのです』
一緒にいたい、一緒にいたくない。
張りつめた神経は相変わらず廊下に向かい、
わずかに響く靴音にさえ、心臓が飛び出そうなほどに激しく反応する。
頭痛に、胃痛。視界がぐらぐら。
リュミエールは、自分が何をしたいと思っていたのか、うまく考えられない。
 
 
 
廊下でうろうろと考え、オスカーは短絡思考ながら、前向きな決定をした。
「外に回って、窓から入ってやる!」
開けてくれなければ、ガラスをぶち破ってでも突入してやる。
謝り倒すのは、顔を直接合わせてから。
オスカーは廊下を走りだした。
固いブーツが、誰もいない静まりかえった廊下に、高い音を響かせた。
 
 
リュミエールは靴音に反応して伏せていた顔を上げた。
廊下に響く音はだんだんに遠くなり、完全に聞こえなくなった。
慌ててドアを細く開け、廊下を伺う。
誰もいない。
耳が痛くなりそうなくらいに、人気の失せた静かな廊下。
 
リュミエールはドアを閉めると、ふらふらと部屋の中央に戻り、ぺたんと座り込んだ。
 
いなくなってしまいました」
私がいつまでも意地を張っているから?
呆れていってしまった?
私を一人置いて――。
ほろりと涙が頬を伝い落ちる。
 
なぜ泣いているのでしょう
あの人が言ってしまったくらいで、子供のように。
そう思いながら、涙は止まらない。
あの人が怒って行ってしまったと思うと、大きな石に押しつぶされているように、胸が痛くて痛くて。
涙が止まらなくて、頭が痛くて、目が回って、吐き気もする。
涙をこらえる気力もなくて、リュミエールはお腹を抱えるようにして、床の上に突っ伏してしまった。
 
オスカーは庭を回って、リュミエールの部屋の窓の所へ来た。
鍵が開いているところがないかと、こそ泥のように窓から中を覗き込み、
ほんのりとした灯りのともる室内に、リュミエールが床の上に突っ伏しているのを見つけた。
「リュミエール!」
叫んで外から窓をぶち破る勢いで大きく開け、室内に飛び込む。
「鍵が開いていて良かった」と思ったのは、実は相当後になってから。
この瞬間は、本当にガラスを壊していても、気が付かなかったと思う。
リュミエールの元へ走り寄り、両肩に手を回して抱え起こす。
 
うつろに顔を上げたリュミエールの両目が、苦しそうに潤んでいた。
「リュミエール、リュミエール!苦しいのか?どうしたんだ!!」
答えない人を抱きかかえ、ソファーに自分の膝を枕に寝かしてやる。
「大丈夫か?」
とおろおろと言ったオスカーの声にようやく反応したリュミエールが、膝の上から涙目で睨み、小さく言った。
あなたが悪いんです」
 
大人しく膝の上に頭を載せているリュミエールの身体に自分のマントを掛け、
オスカーは水色の髪を丁寧に丁寧になでてやる。
具合はどうだ?」
と聞くと、ぽつんと決まり文句のように「あなたが悪いんです」と答えが返る。
薬を貰ってこようか」
「いりません」
意地を張ってリュミエールはオスカーの膝の上に顔を伏せ、動かない。
なんとなく悔しかった。
まさか自分が熱があって、それで感情がコントロールできなくなっていたなんて。
頭痛も胃痛も吐き気も全部、風邪で熱があった所為なんて。
具合が良くない八つ当たりをオスカーにしてしまったようでもあり、気恥ずかしくて顔が見れない。
 
「このところ、新年の気分をだそうなんて言って、気温が低かったから体調が付いていかなかったんだろうな」
返事がないのも気にせず、オスカーは柔らかい声で語りかけながら、リュミエールの髪をなで続けている。
「朝になったら、薬を用意させて、何か温かいものを食べて、ゆっくり休めば、すぐに体調も戻るから」
「館に戻ったら、すぐに花を用意させる。気持ちが落ち着くような、香りも色も優しい奴を。
寝室中を温室みたいにして眠れば気分も和らぐ」
「リュミエール、眠ったのか?」
「眠っていません」
リュミエールがようやく少しだけ顔を上げ、オスカーを見た。
 
殆ど真上にあるオスカーの表情は優しい。
まるで子供を見守る大人のようだ。
どうしてこんなに優しい顔をしているのだろう。
あんなに駄々をこねて困らせたのに。
意地っ張りな部分はすっかりどこかに消えてしまい、謝らなくては、という気持ちだけが膨らんでいく。
涙目のまま、リュミエールは小さく頼りない声でいった。
 
「あなたの所為にして申し訳ありません、オスカー
聞こえなかったフリでオスカーはリュミエールの肩をぽんぽんと叩く。
もう一度リュミエールが謝罪の言葉を口にすると、オスカーはわざとらしく困った風に眉をしかめた。
「謝られると困る」
??どういう意味だろうと、不思議に思いながら、リュミエールはなおも言い募った。
「私が自分の体調に気が付かずに、不快なのをあなたの所為にして八つ当たりをして
「だから、八つ当たりでは困る。俺はお前にヤキモチを焼いて貰ったと思って喜んでたんだ。
そうじゃないとしたら、喜んでた俺が馬鹿みたいだ。
だから、お前は俺の軽はずみな行動を見てヤキモチを焼いて、拗ねて駄々をこねた。
そういう事にしておいてくれ」
な、と屈み込んで、膝上から見上げるリュミエールとごく間近で、茶目っ気のある視線を合わせる。
「だから、もう謝るな」
と、オスカーは柔らかく笑った。
真下から自分を見上げるリュミエールは、少しうろたえた風な眼差しで、もう可愛くて可愛くて仕方がない。
ますます嬉しそうなオスカーに、リュミエールは自分がうじうじ考えているのも、馬鹿らしくなってきた。
リュミエールは力を抜いて、ことんとオスカーの膝を枕代わりに目を閉じた。
すかさず髪をなでるオスカーの手は、大きくて温かい。
たくましい太股の感触は、枕にしては固いが、しっかりと自分を受け止めてくれるようで、
安心して全てを任せられるような気がして、そう思うと、急速に眠気が襲ってくる。
「もう少し、こうしていてくださいますか?」
そう言うと、目を細くして笑ったオスカーが、リュミエールの髪をまたゆっくりとなでた。
 
ふっとあることに気が付いたオスカーは、窓の方に目を向けた。
いつのまに時間が経ったのか、空が白み始めている。
新しい年の最初の朝、ふたりっきりで。
とりあえず当初の目的は果たせたな、と小さく笑ったオスカーが、膝上に乗っている白い顔を覗き込むと、
リュミエールはすうすうと穏やかな寝息を立てている。
信頼しきったような幼い寝顔。
オスカーは、ずれてしまったマントをリュミエールの肩まで引き上げてやると、そっと身をかがめて眠っている頬に口づけた。
 
「最高の年の始まりだな」
うれしさにゆるんだ顔をオスカーは隠すつもりもなく、差し込んでくる朝日に向かい、そう呟いていた。
 
 
 
 
はなこ様!お題だけはクリアしました!(泣)砂を吐くようなゲロ甘を目指したはずなのに完全挫折です。
申し訳ありません〜〜、がさつ女にはこれが精一杯です〜〜!(逃亡)