鳥が飛んでゆく夢を見た。
ただ、それだけの事だったのだけど。
 
 
日の曜日、リュミエールは1人で小高い丘にいた。
ここは彼が聖地にきて依頼、よくスケッチに訪れる場所だった。
足下には一年中丈の低い花々が咲き、少し青みがかった草が白い花びらの色を浮き上がらせる。
 
『遠くから見ると、まるでお前の髪の色のようだな』
そう、オスカーに言われたことがある。
風が吹くと、一斉に波打つ花と草の色が混じり合い、遠くからだと光沢のある水色に見えるのだそうだ。
いまはリュミエールは1人である。
オスカーと共に過ごす時間は楽しいけれど、時には1人で静かに風や花の香りを楽しみたくなる時があるのだ。
心が通じ合った当初はそれを不満げに拗ねたりしていたオスカーだが、今は仕方がない、と諦めたのか
苦笑しながら手を振って送り出すのが、恒例になった。
 
自分は甘えているのだろうな…とリュミエールは思う。
自覚はしていなくても、何かのおりにふっと『彼がいてくれたら』と思うことがある。
そんな風に思える相手に出会えたことはとても幸運だと思うし、幸福なのは間違いないのだが――。
 
鳥が飛ぶ夢を見たのだ。
たった1羽で、大きく羽を広げ風を捕まえ、どこまでも飛んでゆく。
それを見た瞬間に、1人になりたくなった。
誰もいない、誰の声も聞こえない場所で、たった1人、自分と会話してみたくなった。
ただ、それだけだった。
 
 
聖地に来る前、リュミエールは家族と友にいた。
皆を愛し、愛され、幸福だった。
ずっと一緒にいると思っていた。
それを自分で『甘え』と感じていなかったのは、自分の幼さのせいだろうか。
いずれ人は独り立ちする。どんなに幸福な家族であっても、永遠にべったりとしてはいられないのだと、
その頃は気づきもしなかった。
 
思い知らされたのは、聖地からの迎えが来たとき。
半身をもぎ取られたような思いがしたけど、その辛さは、ここで1人の人と出会えたことで癒された。
それを判っているから、自分は臆病になっている。
あの人がいないと、ひどく不安になって。
まるで、迷子の雛のように、親を求めるように、あの人の姿を探してしまう。
そんな自分が時に悲しくなって、リュミエールは1人の時間を欲するようになった。
1人で、――自分を確かめるために。
 
 
穏やかな風が周囲を吹き抜ける。
ひっそりと誰もいない場所で、遠くから小鳥の声がきこえる。
1人であっても1人ではない、風が運ぶ生き物の気配。
私は何をしているのだろう?とふと考えた。
 
自分を確かめたいのに、生き物の気配を負っている。
一人でも生きていける、そう自分に言い聞かせようと思ってここにいるのに、自分以外の気配を
いつのまにか全身で感じようとしている。
そしてその気配に包まれ、安堵している自分がいる。
ほんの小さな蟻や、蝶や、種を抱く草にまで、その存在を確認してほっとするのはなぜだろう。
この儚い存在にまで自分は頼っているのかと、なんとなく情けなくなる。
鳥はたった1羽であの広大な空に飛び立つのに。
 
いつのまにかリュミエールは眠っていた。
かぐわしい花と草の海に身を横たえて。
そして夢を見ていた。
鳥になった夢を。
 
夢の中で鳥になったリュミエールは空を飛んでいた。
周囲には自分と同じような鳥が何羽も飛んでいる。
群で渡りをしているのだと、リュミエールは気が付いた。
長い旅をしているのだろう。
ひどく疲れている。
 
少し後ろを飛んでいた鳥が、急に高度を下げた――いや、落ちていった。
力つきたのだろう、長い長い旅路の終わり。
それを追うこともせずに、鳥になったリュミエールは羽ばたき続けていた。
 
なぜ、こんなに辛い思いをしてまで、自分達は飛ぶのだろう。
長い旅をしているのだろう。
目的があるのかどうか、それが見つかるかどうかも判らないのに、なぜ飛び続けるのだろう。
 
あえぐように考えたリュミエールの視界が変わった。
雲を抜け、そこは一面の緑の森。
そして、自分はその一点を目指している。
 
何を求めて、「私」はここにいるのだろう?
そう思ったとき、その答えが目の前に現れた。
一点を目指し続ける鳥の前に、樹上で羽を休める自分と同じ姿の鳥の群。
そして、さらに引き寄せられるように向かうその中のたった一個の存在。
 
それが、こちらを見て呼ぶような鳴き声を上げた。
 
鳥は、『つがいとなる物』をさがし、飛び立ったのだ。
 
 
リュミエールはひっそりと顔を上げた。
太陽の位置が殆ど変わっていないので、眠っていたのがほんのわずかな時間だったのだと判った。
草の上に手を付いて上半身を起こすと、眠り込む前と同じように、周囲の小さな生き物たちは、せっせと
動き続けている。
葉っぱの切れっ端をせっせと運び続ける蟻の行列に、リュミエールは思わず顔をほころばせた。
さっきまでと風が変わったような気がした。
 
『…このままでいても、いいのでしょうか?』
ふっと肩の力が抜けたように、リュミエールは考えた。
1人でいるのを恐れる自分が情けなく感じていたけど、それでもいいのでしょうか?
 
1人になることを恐れる自分は弱いけど、でも、それは忌避すべき事なのでしょうか?
命を懸けて渡りを行う強い翼を持つ鳥も、求めていたのは、つがいとなる相手。
誰かと共にあることを望むのは、捨て去らねばならない弱さとは違うのだろうと、なんとなくそう感じた。
 
いずれ別れが訪れる人であっても、その最後の瞬間まで共にありたい。
出会えたこと、それ自体が奇跡なのでしょう。
旅の途中で力つきた鳥は、最後までつがいとなる相手を夢見ていたのでしょう。
その思いは、生き続ける仲間達全てが受け継いでいくのでしょう。
 
帰ろう――そう思ってリュミエールは立ち上がった。
無性にオスカーに会いたかった。
自分の弱さを笑い飛ばしてくれる、活力にあふれた人に。
甘える自分は弱いと、それは知っているけれど、それ以上に強くなりたいと願った。
 
自分の弱さを認め、それから逃げ出さないように。
自分と、そして愛した人の思いを、寂しさも辛さも悲しさも、全てひっくるめて、抱きしめていけるように。