森の奥深くをオスカーは歩いている。
目的はもちろん、言いたいことだけ言って去ってしまった天敵の水の守護聖探し。
エレキハープを大音量で奏でてしまい、ジュリアスから叱責を受けたらしいことを知り、オスカーは意地悪く思う。(ざまあみろ、だ。ゼフェルなんかの修理したハープを嬉しそうに、しかもクラヴィス様の部屋で真っ先に奏でるような真似をするからだ)
何やら嫉妬くさいことを考えて悦に入り、その事に気が付いたオスカーは嘲笑う形に広がった口のまま、情けなさそうなため息を付く。
 
(この俺が…なんでこんな器の小さいこと考えて喜んでるんだ…馬鹿か、俺は)
ゼフェルが修理が得意なのも、リュミエールがクラヴィスの部屋でハープを弾くのが好きなのもいつものことなのに、まったく自分が介在しないところでリュミエールが機嫌良く笑っていると思うと、やたらと腹が立ってくる。
 
(どうせ俺はハープ修理なんてちまちましたことは苦手だし、黙って座って延々音楽鑑賞は苦手だし…第一あいつは俺が音楽を楽しむなんて思ってやしないんだ。俺だって実はかなりの音楽通だ――あいつと好みが違うだけで…)
それも天と地ほど違うことを熟知されているので、あいつはよほど機嫌が良くなければ自分の前でハープを弾くことがない。
俺だっていつもいつもあいつの選曲に難癖つける訳じゃないんだ、と主張したいところだが、今のところ9割の確率でけなしている覚えがあるので、オスカーは結局主張できない。
(俺だって…あいつがハープを無心に弾いている姿を見るのは好きなんだ…ただ…)
「そうだ、元を正せば、あいつが俺に芸術は判らないんだと思い込んでいることが問題なんだ!」
オスカーは握り拳で結論を出すと、またリュミエールを探して歩き出す。
今現在の状況からはずれた結論だという事には、オスカーはまったく気が付いていなかった。
 
 
 
リュミエールはハープを抱えたままぽつんと水際に座っていた。
ポンと弦を弾き、苦笑いを浮かべる。
「……このハープはもう宮殿には持ってこない方がよいようですね。自室でこっそりと楽しませていただきましょう」
実はリュミエールはかなりの機械音痴。取扱説明書を読んでも、アンプの調整の仕方など今一つ判っていなかった。クラヴィスの耳元で大音量で奏でてしまい、隣室のジュリアスまで耳鳴りの被害を与えてしまった。
一番近くで音を聞いたはずのリュミエールがなんともないのは、やっぱり「大きな音」になれていたからだろう。
自邸では防音のしっかりとした部屋で大音量のディスクを聴くことがままある。
音の波に浸っているのが、元々好きなのだ。
ゆったりとした楽器の音に身を委ね、目を閉じていると本当に波に揺られているようで心地よい。
どれだけ大きな音であっても、それが見事な演奏であれば騒音には聞こえない。
騒がしいと言えば…リュミエールはオスカーのブーツが立てる足音の方が、よほどうるさく聞こえる。
廊下を蹴る固い音ほど、耳障りな物はない。
リュミエールは思い出して憮然となった。
(1人でいるときまで、なにもあの人のことを思いだして不愉快になることはないのに)
 
リュミエールが1人でハープを奏でていると、なぜかオスカーはよく現れる。
そして、人の顔を見ては暗いだの辛気くさいだの嫌みを言うのだ。
演奏を止めれば止めたで、また嫌みを言う。
どうせ好みではないくせに、なぜいちいち近付いてくるのだろう。
放っておいてくれれば一番いいのに。
リュミエールは弦をまた弾いた。
聴きたくないのなら、話したくないのなら、顔を見れば嫌みを言いたくなるほどわたくしを嫌いだというのなら、
放っておいてくれればいいのに。
 
「それもこれも、すべてはあの人の性格が歪んでいるから。どうせまた、わたくしの顔を見たら鬼の首でも取ったように言ってくるのでしょう。大きな音で失敗したことを」
 
ただしい予想だが理由は違う。だが理由の違いはリュミエールの完全視野の外。
 
 
 
静かに水の流れる音に耳を澄ませていたリュミエールは、違う音が混じったことに細い眉を顰めた。
この川岸に敷かれた遊歩道の石畳を蹴立てる無粋な音は、紛れもないオスカーのブーツの音。
顔を合わせるのも嫌なのでリュミエールは場所を変えようと立ち上がる。
だがそれよりはやく、聞き慣れた声が自分の名を呼ぶ。意地悪い響きを伴って。
 
「よう、水の守護聖殿。こんな所で自発的に謹慎中か?ジュリアス様の耳を痛めておいて、いい身分だな」
開口一番の嫌みにリュミエールは、つんと固い殻を被った。
 
 
強ばったリュミエールの表情に、オスカーは自分の口を呪った。
こんな事を言いたかったわけではないのに。どちらかと言えば――落ち込んでるリュミエールを励ませたらいいなぁなどと、ちょっとばかり考えていたのだが。
口を開けばいきなり嫌みという、対リュミエールの習慣にオスカーは我ながらげんなりする。
言い訳しようにもリュミエールは無表情にこちらを睨め付けている。
それを見ながら口をついて出るのはやっぱり嫌み。ひょっとして自分はものすごく不器用な人間だったのじゃないかと、オスカーが自分を疑う一瞬だ。
 
「ゼフェルが修理した物を試しもせずに人前で披露するってのが、そもそも不注意だ。あいつは確かに器用で
いろんな物をつくるが、ろくでもない物だって多いって事くらい知っているだろう。
それとも、お優しい水の守護聖殿は、もらった物はなんでも一度は使ってみるという信念をお持ちなのかな。
自分でそう決めているのはけっこうだが、人前でそれをやられると、こっちが迷惑するって事をいい加減学ぶ気はないのか?」
 
ああ、もう止めろ、自分の口。なんでこんな嫌みだけ滑らかに出てくるんだ、とオスカーは内心で冷や汗を掻きながら思う。
案の定、強ばった顔つきのリュミエールは向こうを向いてしゃがみ込み、肩を振るわせている。
ひょっとして泣かせてしまったか?そんなに簡単に泣くほどか弱い神経じゃないはずなのに、と焦りつつも
へたに口を開けばまたろくでもない事を言い出しそうで、オスカーは押し黙った。
リュミエールはきゅっと唇をかんだ顔でこちらに向き直ると、ハープを抱えて立ち上がった。
 
いっそハープで殴られてしまおうか…それでこいつの気が済むのなら。
口で言い訳しようがないので、オスカーは覚悟を決めてじっと黙っている。
リュミエールはハープに手をかけると、弦をかき鳴らした。それも鼓膜を直撃するほどの大音量で。
思わず耳をふさぐオスカーにリュミエールが何か言っているが、耳鳴りが酷くて聞き取れない。
 
 
「確かに試さなかったのはわたくしの不注意です!だからといって、こわれたハープを直そうとしてくれたゼフェルの優しさまで貶めるようなことは仰らないでください!」
激高しているリュミエールに、オスカーは耳を押さえたままなにも言わない。
「言うだけ言って、わたくしの言葉は無視するのですか?」
無視もなにもオスカーはいま耳鳴りでリュミエールの声さえ聞こえていないのだが、興奮してきたリュミエールはそれに思い至らなかった。
「確かにゼフェルは多少乱暴なところはありますが、こわれた物を修復しようと考える素直な心を持っています。壊すだけ壊して置いて知らんぷりのあなたとは根本的に違います!」
(人をいつも傷つけるようなことだけ言って…あなたはわたくしの言った言葉には耳を傾けてくれることすら
してくれない…)
相変わらずどこかポカンとしたままのオスカーにリュミエールは悔しさよりも悲しさを感じた。
(わたくしの言葉は…結局この人の胸にはなにも届かない…)
リュミエールはハープとアンプを律儀に手に持ち、オスカーを置いたままそこから立ち去っていった。
オスカーは耳の奥に響き続ける音に半ば麻痺しており、リュミエールが怒って立ち去ったのも何か一枚幕の向こうの出来事のようで、現実的に捉えてはいない。
 
耳鳴りが治まったあと、オスカーは置き去りにされた自分に気が付いて呆然とし、それから急に腹が立ってきた。
 
「ちょっと待て、リュミエール!不意打ちで人を麻痺させておいて、置き去りとはどういう了見だ!」
 
一声吠えて、後を追う。
リュミエールは木立の向こうにとっくに消え、オスカーは唸った。
「このままではおかんからな!リュミエール!」
 
 
二人のすれ違いの幅は、宇宙に浮かぶ星の間より広かったかも知れない。