飛空都市の公園は、そこに住まう人々で賑わっていた。
森を抜けたリュミエールは噴水の辺に腰を掛け、息を付く。
(オスカーになど、関わるのではなかった…)
我しらず愚痴めいた思いがリュミエールの胸を満たし、水の守護聖は白い顔を憂いげに曇らせる。
そんなリュミエールを心配したのか、遊んでいた子供達が周りに集まってきた。
 
「リュミエール様、お疲れなの?」
「リュミエール様、どこか痛いの?」
口々にそう心配しながら自分の顔を見上げる子供達に、リュミエールはほんのりと微笑んだ。
「いいえ、なんでもありませんよ」
事実子供達の顔を見ていると、リュミエールはささくれだった心が穏やかになるのを感じる。
そしてまた子供達が嬉しそうにさざめきあうのをみて、ますます気持ちが華やいでくるのである。
「リュミエール様、リュミエール様を苛める人がいたら、僕がやっつけてあげるね」
4,5才くらいの男の子がそう言って自分の胸をどんと叩く。
「ありがとう、頼もしいのですね」
そう礼を言われ、少年は照れくさそうに笑った。
(本当になんという優しい心根を持った少年なのでしょう…子供達のこの天使のような優しさを、あの人も少し見習ってくださればいいのに…)
そんな事をしみじみ思うリュミエールだが、実は彼はとんでもない思い違いをしている。
 
子供というのは、天使であると同時に、普通は悪魔でもあるのだ。
とくに喧嘩したり駄々をこねたりするときに子供が発する強情さや甲高い叫び声などは、時に屈強な人さえ参らせるほどの破壊力を秘めている。
ただ、幼い子供というのは本能に忠実な分だけ影響を受けやすい。
リュミエールの近くに来ると、水の守護聖が生まれながらに持ち合わせ、かつ守護聖となって磨きのかかった
人の心を穏やかにさせる癒しの波動のようなものを存分に受け入れ、そして皆「穏やかないい子」状態になってしまうのである。
リュミエールは昔から子供好きで、子供にも好かれた。
子供達はリュミエールを慕ってよく言うことをきき、赤ん坊でさえ夜泣きもせずにぐっすり眠った。
もしも保育園を開いたら優良保育所に間違いなく認可されるだろうと言うくらい、子供達は仲良くリュミエールのいう事を聞く。
結果、リュミエールは「子供達はみな天使」という誤解をしたままずっと過ごし、今までは悪魔の実態を目の当たりにしたことがなかったのだ。
だが。
 
 
リュミエールの後を追いかけてきたオスカーは、その相手が噴水の辺で子供達に囲まれ、まるで聖母のような
慈愛に満ちた笑みを浮かべているのをみて憮然とした。
(あのヤロウ…俺の前ではひたすら根性悪のくせに…)
リュミエールがオスカーの前で根性悪になる理由の半分はオスカーにあるので、これははっきり言って
言いがかりみたいなものである。
それでもオスカーは無性に腹が立った。ある意味子供達に対するヤキモチみたいなものだ。
なんとなくそれを自覚しているだけにオスカーは腹が立った。何か一言言ってやりたい気持ちがわき上がり、
言ったらさらに泥沼化するのは承知していても、どうしても抑えきれなかった。
結局、オスカーはそれを実行してしまったのである。
 
 
つかつかと噴水に近付き、オスカーは傲然と腰に手を当てて見下ろし視線で同僚と子供達を睨め付けた。
オスカーの目つきが甘いのは年頃の女性限定で、それ以外の場合は「鋭い」と評されるのが殆どである。
普通であれば、この場にいる将来レディになるはずの幼い少女達に対してもかなり愛想良く振る舞うオスカーではあるが、今回はリュミエールに対する鬱憤のとばっちりで少女達もその鋭い視線に曝されてしまった。
その結果、当然ではあるが怯えた少女達は、オスカーが口を開きかけた瞬間、火が点いたように泣きだした。
 
「わーん、オスカー様が怒るーー!!」
「コワイイいい!!!」
泣きながらリュミエールの後ろに隠れる少女、怖いながらも精一杯虚勢を張って睨み返す少年達。
一瞬にして荒んだ状況に、オスカーの方が慌ててしまった。
しつこいようだが、幼い子供というのは影響を受けやすい。
ただでも強さや軍事を司る荒々しい炎のサクリアの持ち主であるオスカーが、苛ついて荒んだ感情を隠す気もなく姿を現したのである。
幼い少年少女達はその波動を受け取ったのはいいが水のサクリアとは違って受け入れきれず、パニックを起こしたのだった。
 
ひーひーと超音波のような金切り声を上げて泣き続ける幼女。
泣きながらオスカーに小さな拳を振り上げる少年達。
急いでリュミエールが宥めるもパニックを起こした少年達は簡単におさまらない。
驚いた子供達の母親達が駆けつけ、それでも守護聖二人が居るためにそれ以上近づけずに不安げに青ざめる。その母親達以上に、オスカーは青ざめた。
 
 
(な、なんでこんな大騒ぎになるんだ…俺はただリュミエールに話があっただけなのに…)
そのリュミエールは柳眉をつり上げ、子供達を守るように両手にしっかりと抱え、きっとオスカーを睨み付けている。文字通り非難囂々の眼差しだ。怯えた子供達が居なければ、オスカーに向かってエレキハープアタックをかましていたかも知れない。
リュミエールは声を荒立てないようにするために、相当努力をしたらしい。
僅かに震える声音で、オスカーに向かいきっぱりと言い切った。
「あなたは時と場合という言葉をご存じないようですね。わたくしに言いたいことがあれば、聖殿で仰ればよいものを、このような場所で子供達まで巻き込んで。見損ないました!」
 
オスカーは大ショックである。自分の目つきが悪かったのは認めるし、失敗したとは思うが、オスカーはまだ一言も言っていないのだ。
別にまだリュミエールに喧嘩も売っていないし、当然子供達を脅かした覚えもない。
だが「子供達は穏やかで健やかに笑う天使」と信じ切っているリュミエールにとり、この超音波のような金切り声や好戦的に掴みかかっていく子供達の異常な様子は、文字通り「オスカーのせい」にしか見えなかったのだ。
子供というのは、普段から些細なことで大騒ぎをする、という事実をリュミエールは知らなかったのだ……幸いなことに。だがそれはオスカーにとっての不幸だった。
今のリュミエールにとっては、「赤ん坊が夜泣きをするのも、子供同士がオモチャの取り合いで喧嘩するのも
オスカーのせい」という心境だったのだろう。
 
半分罪悪感と半分ショックの狭間でオスカーが立ちすくんでいるうちにリュミエールは立ち上がると、まだ半べそで喚いている子供達を促し、母親達の元へ連れて行った。
そして何やら謝っているようである。母親達が訳も分からず守護聖に頭を下げられ焦っている。
その様子を背後から眺め、オスカーは意気消沈した面もちで下を向いた。
(あいつに頭を下げさせるつもりはなかった……ただ、俺は…)
何を言いたかったのかはもう思い出せない。
ただ「見損ないました!」と言いきったリュミエールの声だけが頭の中をぐるぐる回る。
 
(見損なったという事は、…それなりに俺を認めていた部分もあったという事か?これまでは。…そして、今はもうその認めていた部分もすべてボロボロと…)
何やら打ちひしがれた様子でオスカーは立ちすくむ。
その様子を見ていた少女達――10代半ばほどの愛らしい娘達が駆け寄ってきた。
「オスカー様、お気落としなさらないで」
「オスカー様、オスカー様は悪くありませんわ、元気を出してください」
5,6人の今が若さ全開花盛りといった愛らしい娘達が、必死でオスカーを力付けようと口々に励ます。
幼い子供達についで思春期の少年少女も影響を受けやすい。
今の彼女たちはがっくり肩を落としているオスカーを「なんとか私の力で元気付けなくては!」という妙な使命感に燃えている。
だから、それこそ慎みすら忘れ、争うようにオスカーの身体に自分達の身体をすりよせ潤んだ目を向ける。
そうなるとオスカーも沈んだ顔をいつまでもしているわけにはいかず、ついいつもの軽口が口をつく。
 
「ありがとう、お嬢ちゃん達…お嬢ちゃん達のその優しい目と声を聞くだけで、俺の心は羽が生えたように軽くなっていくぜ…」
キャーッと少女達が歓声を上げる。
その華やかさにオスカーがなんとか調子を取り戻しかけたところで、ふっとリュミエールと目があった。
 
 
リュミエールは母親達に子供達を返し終えた時点で、何やらオスカーに言い過ぎたと後悔し始めた。
確かにオスカーがリュミエールに喧嘩を売りに来たのは間違いないだろうが、子供達にどうこうしようとしたわけではない。リュミエールははじめて大騒ぎをしている子供達に接し、自分自身もかなり狼狽していたことを認めない訳にはいかなかった。
(狼狽えて、すべてをオスカーのせいにしてしまった…ような気がします…)
こうなるとリュミエールも強い罪悪感を感じてしまう。
謝った方がいいかとオスカーの方を見た瞬間目に飛び込んできたのは、娘達に囲まれてやに下がっている
オスカーの顔である。
そこにはついさっきまでリュミエールの後ろで意気消沈していた面影は微塵もない。
後悔していただけ、その鼻の下を伸ばしたオスカーの顔はリュミエールの癇に障った。
 
 
(この人を傷つけたかも知れないなどと、思ったわたくしがバカでした)
穏やかなリュミエールの顔に怒りの表情が浮かぶ。
オスカーが見たのは、ちょうどこの怒りを露わに自分を見ているリュミエールの顔だったのだ。
「お、おい、リュミエール!」
咄嗟に声を掛けるが、リュミエールはさっと背を向けると公園から立ち去ってしまった。
後を追おうにも「オスカー様の心を和らげるのは私!」という使命感に燃えた娘達はオスカーにまとわりついたまま離れようとせず、またそれをふりほどけるオスカーでもない。
(ああ……いっちまった…)
娘達に囲まれながら、オスカーは内心で落胆のため息を深く深くつくのだった…。
 
渡る飛空都市は邪魔者だらけ、である。