静かな小川のせせらぎに混じって聞こえたハープの音に、オスカーは耳を欹てた。
広い草原育ちのオスカーは、視力はもちろん聴力も発達している。
賑やかな場所ならともかく、この程度の静かな場所なら、自然が奏でる音とハープの音ぐらい、聞き間違えたりはしない。
オスカーは川に沿って音が聞こえた方へと歩き出した。
 
 
なぜこんなにムキになってリュミエールを探し回っているのだろう。
理由ももうはっきりしない。とにかくリュミエールを見つける、それだけが目的になっている事に自分でも複雑な気分で、オスカーはリュミエールを探し回っている。
 
最初の出会いが悪かった。その後の行動も悪かった。
どうやったって性格の違いはいかんともしがたく、それならいっそ、出来るだけ構わずに放っておけばいいのかも知れない。
あのジュリアス様とクラヴィス様の間も、そんなところがある。
ジュリアス様はクラヴィス様の怠惰ぶりを憤慨しながらも、特別な用がない限り放っておく。へたに構って腹を立てたりするよりは、その方が合理的だからだ。
自分もそうすればいい。それが大人の配慮というものだ。
そう思いつつも、放っておけないのだから、もうどうしようもないではないか。
 
(何をやってるんだ、俺は…)
 
苛ただしく思いながら、オスカーはリュミエールの姿を探して歩き回った。
唐突にリュミエールを探す理由を思い出す。
(俺は、あいつに文句を言って謝らせようと思ってたんじゃないか)
オリヴィエの前で嫌みを言ったあげくに、エレキハープの大音響で自分の耳を麻痺させてくれたリュミエールに文句を言う。
正当と思われる理由を思い出し、オスカーは意気をあげた。
自分がリュミエールを探すのには理由がある、だから、ムキになって探して当然なんだ。
それがどれだけ子供じみた動機かと言うことは判ってはいたが、理由は理由。
そうオスカーはむりやり結論付けた。
 
 
◆◆
 
 
 
無意識のうちにハープをつま弾いていたことに気が付き、リュミエールはもどかしげに指を弦から放す。
……あの人が気が付いてしまったかも知れない。
ハープを抱えて立ち上がり、リュミエールはため息を付いた。
あの人は、まだわたくしを捜しているのでしょうか?だとしたら、随分としつこいこと…どちらかというと、細かいことにはこだわらないと思っていたけれど…。
もっとも本当にこだわらないのであれば、自分の顔を見る度に嫌みを言ったりして絡んでは来ないでしょう、と思い直し、リュミエールは困ったように前に落ちてきた髪を後ろに払った。
 
(こだわらないように見えるのは外見だけ…本当はかなり細かく気遣いをする人なのでしょうね…でなければ、あれほど勤勉に女性達に声を掛けたり、贈り物をしたり出来るはずがないから…)
女性の名前は一度で覚える、一度でもデートをしたら誕生日などには贈り物をする、その場のすべての女性に平等に声を掛ける――まめでなくては、あれだけ女性に人気があるはずはありませんから…。女性に関しては本当にまめなのです、女性に関しては…。
 
意識がループしだしたことに気が付き、リュミエールは頭をふる。
リュミエール自身は仲間の誕生日や、その他の細かい好みなどは全部把握しているつもりだ。
お祝いの品もかかさないし、もてなすときは相手の好みに合わせた物を準備する。
でもオスカーはリュミエールにもてなされることを好まない。
当然、リュミエールが誕生日を他の人にお祝いされているときも、気が付かなかったそぶりで知らん顔。
別に自分を祝ってくれ、とは思わないが、こちらが祝いをするときぐらい、受け取る振りをしてもバチは当たらないと思う。
 
……わたくしの選んだ物は、とことんお気に召さないご様子だし…
やはり思考がループを始める。そんな事は初めて顔を合わせた時にすべて承知している。
オスカーは自分が「男」である、というそれ自体気に入らないのだ。
リュミエールは別に女性になりたいわけではないし、そこまで嫌われるのならもう仕方がない、と半ば諦めている。
諦めながらも、――どこかで期待している――オリヴィエやランディ達のように、普通に話をして笑いあえる関係になれないかと。
 
(都合が良すぎますね。あの人とわたくしは違いすぎる。お互い共通点がないのに、話をしても楽しくなれるはずがない…)
楽しくないどころか――。
 
リュミエールはオスカーのある一言を思い出し、楽しいどころか腹が立ってきた。
 
『本当に好きな相手が出来たら、立場なんて関係ない』
 
関係ない、そんな事を言えるほどたやすい立場ではないことなど、誰よりも判っているくせにそんな事をぬけぬけと言う。
当てつけのためとはいえ、守護聖として言ってはならない言葉でしょうに。
リュミエールはむかむかしてきた。
 
(わたくしは何を馬鹿なことを考えようとしていたのでしょう。
あの人と仲良く話をしようなどと、愚の骨頂。
あの人はわたくしをやりこめるためなら、どんな事でも言ってのける人なのだから。
わたくしが反発を感じるような事なら、いくらでも思いつく人なのだから)
さっと草に絡む長い裾を払い、リュミエールはハープとアンプを抱えたまま歩き出した。
 
「…うっかりしてましたが、ずっと持ち歩いているとやはり重いものですね」
宮殿からずっと律儀に持ち歩いていたエレキハープの重さが徐々にこたえてくる。ハープだけならともかく、付属の機械がけっこう重い。
これはもう自室に据え置きにした方がいいかも知れませんね――そう思いながらリュミエールは両腕に抱え直した。
音は悪くないが音量の調整が微妙だし両手に持っていると身動きがとれない。
(自室において、親しい友人達にだけ聞いていただくことにしましょう。そう……次のお茶会の時にでも……)
不意に招待してもきっと来ないだろう人の顔が頭に浮かぶ。ジュリアスはこの音に嫌悪を抱いているかも知れないし、ジュリアスがそうならきっとオスカーも。
(尊敬できる方相手ならば、オスカーは誰よりも忠実になれるのですね…)
そう思った事になぜか自分でも驚くほど寂しさを感じながら顔を上げると、森の向こうか現れたオスカーと出会い頭にぶつかりそうになった。
リュミエールは突然どこからか湧いてきた男に驚き、瞳を見開いた。
 
 
突然のことに素の表情を見せたリュミエールに、一瞬オスカーは見惚れそうになった。
慌ただしく瞬きを繰り返す綺麗な蒼の瞳。目を見開いているので普段より幼く、――そうちょうど初めてあった頃を思い起こさせる。
文句を言ってやろうと意気込んでいた気合いが抜け、オスカーは開きかけた口を閉ざして唾を飲み込んだ。
(まずい…言うつもりだったことを全部忘れちまった)
自分も目を見開いたままリュミエールを凝視していることにオスカーは気が付かない。
リュミエールは目の前で自分を眼光鋭く睨みつけ、いましも怒鳴り声を上げようと息を飲み込んだオスカーの姿にうろたえると、咄嗟の行動で手にしてたものを投げつけた。
つまり――アンプを。
 
「おい…って、うわ!」
正気に戻って間一髪体を反らしたオスカーの頭の脇を通り過ぎ、アンプは地面に重々しい音を立ててめり込む。
「おい!俺を殺す気か!」
オスカーの怒鳴り声に、リュミエールはびくりと我に返った。
そして自分がやったことに気がつくと、ぱっと頬に血の色を上らせた。
 
(わたくしはなんということを…いくらオスカーとはいえ、あれが頭に当たったらまずいに決まっているでしょうに…それよりも、ゼフェルがせっかく作ってくれたものを乱暴に扱うなど……)
やはり混乱しているのか変な方に罪悪感を感じたリュミエールは、忙しげに何度か首を振るとなぜかエレキハープをオスカーに押しつけた。
「って、おい」
訳も分からず押しつけられたものを受け取り、またもや毒気を抜かれた感でオスカーはリュミエールへの文句を言いそびれてしまう。
口をぱくぱくさせるオスカーに、リュミエールは今度は血の気の引いた青い顔を向けると勢いよく頭を下げた。
 
「申し訳ありません!わたくしは――守護聖失格です!あなたの言動を責める資格などありません」
言うだけ言って走り去るリュミエールを、ハープを抱えたままのオスカーはポカンとした顔で見送る。
「…なんだこれは…それよりも」
オスカーはしみじみとハープを見た後、急に怒りが湧いてきた。
「文句を言いたいのはこっちの方だ!おい、お前が俺の何を責めるって言うんだ!」
だがその時はリュミエールの姿は完全にオスカーの前から消えていたのである。