憤怒の顔つきでオスカーは歩き回っていた。
もちろん、感情を抑えきれずにイライラをまき散らしている今の顔を女性達に見られぬよう、警備兵達が使う連絡通路を選んでのことではあるが。

詰め所から各所へと伸びる通路の入り口の辺りでうっかりその姿を目撃した兵が見ない振りで戻っていく。それを迫力ある視線でギロリと睨み、また前方を見る。

(理不尽だ)
オスカーはそう思う。
こっちはリュミエールと話し合おうとかなり気を遣ってやってたつもりなのに、はたと気が付くと子供達には敵意を持たれるは、物をぶつけられそうになったのはこっちなのに強奪犯呼ばわりされるは、さんざんな扱いだ。
それもこれも、外見だけはしおらしげな水の守護聖のせい。
そうオスカーは決めつけ、怒り顔のまま歩き続ける。
こうなったら話し合いなんてもういい、どうあっても捕まえて、せめてランディ達への誤解だけでもといてもらわねば割に合わない、と思う。

(あいつに関わるとろくな事がない。人前では被害者面するくせに、一対一だと加害者だ。俺の方がよほど弄ばれている。あいつの言動で一喜一憂――)

オスカーはアンプを投げつけたあと、リュミエールがショックを受けたらしい表情を思い出した。実際にぶつかりそうになったオスカー本人よりもよほど青い顔をしていた。
オスカーは複雑な顔で立ち止まり考え込む。
(まるで俺があいつに何かしたような気分だ――あいつを傷つけてしまったような、そんな罪悪感に捕らわれる――それもこれも…)
「やっぱりあいつが悪いんじゃないか!」
被害者の自分が罪悪感を覚えるなど、それもこれも全部リュミエールの所為だと新たな怒りがわき起こり、オスカーは水のサクリアを探りながら大股で歩き出した。


◆◆◆


(本当にもう――わたくしは何をやっているのでしょう)
森の中で1人リュミエールは苦悩していた。
オスカーの皮肉な言葉に神経質になってたとはいえ、重い機材を思いっきり投げつけてしまった。彼が無事だったのは、彼の反射神経が良かったからだ。もしも自分のように咄嗟に動けない人間だったら、大けがをさせていたかも知れない。
考えるときの癖で水辺にしゃがみ込み、水面に映る自分の顔をぼんやり眺める。
頬杖をついてぼんやりとため息を付く、男性的というにはほど遠い顔がそこに映っている。

(いいえ、わたくしの容貌が女性的だから嫌われる、という事ではないのでしょう。現に化粧をするオリヴィエとはだいぶ気が合うようですから。――オリヴィエは外見と違って性格的には女々しいところのない人ですし、オスカーと気が合うのも頷けます。でも、わたくしは――)

どうあっても嫌われるタイプなのだろうと、虚ろに思う。
しかも自分でだめ押しをしてしまった。オスカーが自分には乱暴しないだろうという事を見越して――意識していたわけではないが、殴り返されない確信はなぜかあった――攻撃的な行動をとったのだ。軽蔑されても仕方がない。

そもそも、なぜこんな追いかけっこのような状況になってしまったのだろう。
元を正せばわたくしがオリヴィエの前でオスカーに嫌みを言って、それで彼がまたわたくしに対して皮肉を返すために追いかけてきて――。
リュミエールは今日一日の自分の態度の子供っぽさに頭痛を覚えた。
指を眉間に当て、顔を顰める。
(軽く受け流せばそれですんだことなのに。嫌みを言われることなど馴れているのに――)
リュミエールは渋い顔をしながらすらりと立ち上がった。
きっかけはどうであれ、乱暴を働いてしまったのは事実。
きちんと謝ろう、そして――うっかり押しつけてしまったハープも返して貰おう。
もっとも返してもらう前にどんな嫌みを言われることか。それを考えるとかなり悲観的な気分になるが、ほったらかしにするわけにはいかない。自分の蒔いた種だ。
リュミエールは意を決して表情を引き締めると、炎のサクリアを探った。

――近付いてくる。

それを感じてリュミエールはさっと身体を強ばらせた。
まだわたくしを捜しているのだ。なんて執念深いのだろう。咄嗟にそう考え、オスカーに対しては常に悪感情が立つことに我ながら嫌悪感を覚えた。

(こういうわたくしの意識が、かえってオスカーを苛つかせてしまうのでしょう。気をつけなければ)

リュミエールはドキドキする鼓動を抑えつつ、炎のサクリアに向かって歩き出した。


◆◆◆


水のサクリアが自分に向かって移動してくる。それを感じてオスカーは顔を強ばらせた。リュミエールが自ら自分の方に来るとは、どんな理由で?
それを考えると結論は一つしかない。ハープだ。
リュミエールはさっき押しつけたハープを取り戻そうと、そう考えて自分を捜していたのだろう。そこまで考えてオスカーは顔を青ざめさせた。
ハープは手元にない。ルヴァと子供達に持って行かれてしまった。
そんな事先刻承知だったくせに、いざ、リュミエールと顔を合わせる段になってオスカーは慌ててしまった。ひょっとして俺が持っていないと判って怒り出さないだろうか。さっきのガキどものように、俺がハープを無造作に扱ってどこかにやってしまったと誤解しないだろうか。リュミエールが普段どれだけ大事にハープを扱っているか――こっそりのつもりがなぜかじっくりと、その行動を目で追っているオスカーはよく知っている。逃げようか?一瞬踵を返しかけて、なんとかオスカーはその場に留まった。

「逃げたところで良いことはない。それよりも、俺はあいつに言いたいことがあるじゃないか」
だが狼狽えたところで完全に腰が引けてしまったオスカーは、リュミエールに文句を言う気がだいぶ失せてしまっていた。

(そもそも、俺はなんでこんなに躍起にリュミエールを追いかけているんだ。放っておけばいいものを――)
今日で何回目か、そもそも初めて出会ってから何度目になるのか、繰り返し繰り返し自分に問いかける【なぜ俺はリュミエールに構いつけるのか】の答えは、いつも同様、判らない。

かさりと木が揺れて、硬い顔つきのリュミエールが姿を現した。
こちらに近付いてくる。オスカーはぎこちなく足を踏み出した。
(いつもいつも、なぜ俺はこんなに緊張するんだ?)
オスカーはそんな自分を腹立たしいと思う。いつも意識して、普段と違う自分の言いように嫌気を感じて、それでも繰り返し同じ事をしている。まるで女の子の関心を引きたくて髪を引っ張って泣かせる悪童のようだ。

オスカーはぴたりと足を止めた。
リュミエールは表情を崩さないまま近付いてくる。強ばって笑顔の消えた綺麗な顔に、オスカーは胸の奥がうずくのを感じる。
いつも顔を合わせると失われる平常心。別れたあとに感じる罪悪感。強がれば強がるほどその気持ちは強くなる。
いい加減に怒り疲れていた所為もあったのか、オスカーは急に考えることが面倒くさくなった。目の前に立つリュミエールが一度視線を地に落とし、それから顔を上げる。
まっすぐに合った視線に、オスカーはその時一番強く頭に浮かんでいた言葉をそのまま口にした。

「すまん、ハープは今手元にない」
「申し訳ありませんでした。貴方を傷つけるところでした」

ほぼ同時に交わされた謝罪の言葉。お互い、開口一番に侘びを聞くなどとは思っていなかったためか、思わず同じ表情で相手を見返す。
目を丸くし、いかにも驚いていますと、そう判る顔つきだ。

「……あ…」

嫌みも何もないオスカーの顔つきに、リュミエールは小さく声を漏らすと、不意に頬を赤くした。