「あ…」と小さく呟いたあと狼狽えた風になるリュミエールに、つられたわけでもないがオスカーも狼狽えた。
「おい、俺が何かどうかしたのか?」
何を聞きたいのかもよく判らない質問に、リュミエールは恥じ入るように口ごもる。
「……申し訳ありません、あの、…あなたがわたくしに向かい、謝罪の言葉を仰るなどと思っていなかったものですから」
「はあ?」
思わず大きな声が出る。
「お前、俺が侘びの一つも言えないような男だと思っていたのか?」
「いえ、その様なことは…ですが、その…」
自分に向かっては言わないだろう――そう勝手に思い込んでいたことに気がつき、リュミエールは赤面する。
「申し訳ありません、己の不明を恥じるばかりです…」
そう言って深々と頭を下げる水の守護聖の白い面は透き通るような顔色。言葉通りに真実恥じて、そのために血の気が失せてしまった顔に狼狽えたオスカーは、咄嗟に肩に手を掛けてリュミエールの顔を上げさせた。
身体に触れられた事に驚いたのか、リュミエールがぴくんと身体を強ばらせる。
白い顔のまま、困り切った顔で自分を見上げるリュミエールに、オスカーは手を放すかどうか一瞬悩み、結局放さないことに決めた。リュミエールは驚いて居心地悪そうにしているが、手を放したらまたどこかに逃げていってしまいそうだ。それはもうごめんこうむる、とオスカーは覚悟を決める。
とにかく、ちゃんと言おう。ちゃんと、怒っていないから頭を下げる必要はないと言おう。そう考えて、オスカーはふと思い出した。
自分はリュミエールに文句を言うために探していたんじゃないか。でも、もう何を言いたかったのかなんてさっぱり覚えていない。怒って苛ついていた気分は、青ざめたリュミエールの顔を見た瞬間、どこかに飛んで行ってしまった。

――そうだ、俺は怒りたかったわけじゃないんだ。

オスカーは改めて思う。いつも、ちゃんと話したかったんだ。最初に勘違いで傷つけたことをいつまでも謝れずにいて、傷つけることをずっと繰り返してきた。
これが最後のチャンスかも知れないんだ、間違えるな。オスカーは自分にそう言い聞かせる。オスカーはがっしりとリュミエールの肩を掴んだまま、自分自身に言い聞かせるよう、一言一言考え考えしながら口にする。
勢いで口を滑らせることだけは絶対にしてはいけないんだ、落ち着けオスカー、と自分で自分を諫める。
かなりな努力が必要だったが、なんとかオスカーは上手くやり遂げた。
出来るだけ穏やかに、優しく。
オスカーはリュミエールを怯えさせないよう、今まで言いたくて言えなくて嫌みの底に追いやられていた言葉を全て表に出すことが出来た。

「……お前が、俺に悪感情を持つのは当然のことだ。おれは、それだけのことをしていた。自分でかってに勘違いをしたのが始まりなのに、まともに認めることも出来ずに最低の照れ隠しの方法を選んでばかりいた。お前が、俺のことを『女たらしで調子が良くて信用できない口先の達者な暴力男』と思い込んだとしても、それは全て俺自身が招いたことだ」
「……いえ……そこまでひどく考えたことなどはありませんでしたが…」

率直すぎるほど率直に自分の非を認める言葉を口にするオスカーに、毒気を抜かれたリュミエールはついでに肩の力も抜けきった表情でそう答えた。
「むしろ……行動的で、男として尊敬に値する方だと思っておりました…。ただ、わたくしには到底真似の出来ない事も判っていましたので……」
「真似なんかする必要はないだろう!」
だんだん言葉小さく俯くリュミエールに、オスカーは慌てて言った。自分を真似たリュミエールなど、それはもうリュミエールではない。
「お前は俺と正反対だ。だから、俺達は正反対の力を司っている…真似する必要など無い」
オスカーにしてみれば、必死の本音の言葉だった。リュミエールがリュミエールであるからこそ、こんなにも拘っていたのだ。

正論だ――とリュミエールはその言葉自体は素直に認めた。オスカーとリュミエールは正反対の性質を持っているからこそ、正反対の力を司っている。それは判っているが、なんとなく憧れていたのは自分だけだったのかと、リュミエールは恥ずかしく思うのと同時に切なくなった。
それは当然でしょう、とも思う。若くて健康な男なら、オスカーのように颯爽とした男になりたいとは思っても、リュミエールのようになりたいとは思わないだろう。聖地の警備兵達の様子を見ていてもよく分かる。オスカーには称賛の目を、そしてリュミエールには、まるで貴婦人に対するような目を向ける。丁寧に、まるで壊れ物を扱うように。
リュミエールの中の意地っ張りな部分が、またむくむくと頭をもたげる。
自分に余裕があるから、こんな事が言えるのだ、と思った。リュミールには絶対にオスカーの真似は出来ない、男達が憧れるような屈強な男にはけっしてなれない男。それが水の守護聖――リュミエールだ。

頼りなげな表情を見せていたリュミエールが、いつのまにやら眉根を寄せてむっつりとなっている。オスカーはまた気に障ることを言ったのかと、冷や汗を流しながらリュミエールが何か言うのを待って押し黙った。
ややあってリュミエールはつんけんとした顔で言い放った。
「それはそうでしょう。あなたから見れば、わたくしがあなたの真似をするなど愚考だと思うでしょう。あなたがわたくしをどう思っているかなど、よく知っておりますから」

「よく知っている」という最後の言葉だけに反応してオスカーはどきんとした。――俺がリュミエールをどう思っているか知っている――では、気が付いていたのだろうか、俺がリュミエールを――そうだ、俺がリュミエールに…惚れていたという事を。

気付かれていた、と思った瞬間、オスカーも自分の気持ちを自覚した。かっと顔が熱くなるのを感じ、思わずリュミエールの肩を掴む手に力がこもる。その力を感じて怯えを覗かせたリュミエールを気遣う余裕もなく、オスカーは思わず叫んでいた。
「知っていたならはぐらかすな!この根性悪!俺が――俺がお前に惚れていたと知っていたなら、それなりにやりようがあっただろうが!」

「は?」
突然の告白に、リュミエールはきょとんとした声を上げた。それを聞いてオスカーも我に返る。目の前のリュミエールは心底驚いて理解不能と言いたげに目を見開いたまま、まじまじとオスカーの顔を凝視している。
オスカーは自分が勘違いで告白したことに気が付いた。先程までよりも顔が熱くなり、思わずへたり込む。

(……こ、このオスカー様が……何をやってるんだ…。
信じられない恥さらしだ、リュミエールはたんに嫌みで言っただけじゃないか…おれはまたリュミエールの神経を逆なでするようなことを言って、逆襲された……それだけだ……)
誤魔化しの台詞さえ思い浮かばず、オスカーは顔を押さえる。さらりと衣擦れの音が近くで聞こえたが、顔を上げることも出来ない。顔を隠すオスカーの骨張った大きな手に、柔らかな指が触れる。放っておいてくれ、と言いたげにオスカーは僅かに頭をふった。それでも細い指先はオスカーの手から放れず、それどころか指を掴んで下ろさせようとしている。
笑いものにしたいんだろうか、この根性悪は。そんな考えが頭に浮かび、オスカーはいっそ睨み付けてやろうかと顔を上げた。
すぐ目の前に、困惑げなリュミエールの顔がある。同じ男とは思えないほどきめの細かい肌は、化粧を施した女の肌とも違って見惚れる以外無い。睨むことも出来ず生真面目な顔つきになったオスカーに、リュミエールは躊躇うような怯えるような、はっきりとしない逡巡の様子を見せた後、思いがけない行動に出た。

抱きついたのだ。
オスカーに。

決意の表情で自分にしがみつくリュミエールに、オスカーは自分が恥さらしどころかストレートど真ん中に命中させたことを理解した。
惚れていたのは――相手が気になって気になってどうしようもなくて子供じみた意地を張っていたのは――自分だけではなかったのだ。

オスカーは2、3度手を握ったり開いたりして気合いを入れた後、自分に抱きついているリュミエールをしっかりと抱きしめた。
ほっとしたのか悲壮に強ばっていたリュミエールの身体から力が抜け、細くて華奢な本来の手触りに戻る。
ここで何か決め台詞を言うべきだ、と思いながら、オスカーは結局何も言えなかった。
前からそうだった。リュミエールの前では、計算した言葉なんて何一つ言えた例しがなかった。
何かひどく楽しくて懐かしい思い出のように、そんな事をオスカーは思い返していた。