炎の守護聖は身体自慢である。
骨格のしっかりとした長身。
引き締まった実用的な筋肉。
当然その身体にみあうように、反射神経運動神経共に優れている。
あまりに自分の身体に自身があるので時に無茶をすることがある。
恋人である水の守護聖はそれをいつも心配しているのだが、自分の鍛え方に自信があるオスカーはいつも「考えすぎだ」と笑って取り合うことがなかった。
その結果、ついに来てしまったのだ、その瞬間が。

「ぶはははははははは!ぎっくり腰だって?」
「誰がぎっくり腰だ!打撲とあとは少し捻った程度だ!」
「うっそーーーー!目撃証言が多数あるんだよ?あんたの腰が『グキグキグキ』って音したって!」
「それは大げさに言ってるだけだ!」
ベッドの上で目をつり上げるオスカーをからかい倒すオリヴィエ。残念ながら今のオスカーには力尽くでオリヴィエを黙らせることが出来ない。
腰と背中を痛め、少し動くのにも細心の注意を払わないと恐ろしいことになるのだ。
リュミエールは傍らに付き添いつつため息を付く。と、部屋の扉がノックされる。リュミエールが扉を開けると、神妙な顔つきの年少組が揃って立っていた。お見舞いの花束を出迎えてくれたリュミエールに渡すと、3人揃って――ゼフェルすらも――一斉ににオスカーに頭を下げた。

「申し訳ありません!」

オスカーが腰を痛めた原因は、この年少組だったのだ。


★★★★★★★★★


それは前の日の、日の曜日。夕焼けが目に眩しい時刻だった。 その日、リュミエールとオスカーはのんびりと森の湖付近にピクニックとしゃれ込んでいた。
静かな森の中。手作りの料理とワイン。薫り高い新鮮なフルーツ。
草と水の香を胸一杯に吸い込み、オスカーは日頃のストレスを解消しようとゆったり座り込み、ついでに人前では絶対出来ない類の悪戯を傍らのリュミエールにしかけてはやんわりと叱られるという楽しみを満喫していた。
だがその鼻の下の伸びきったオスカーの耳に飛び込んできた物がある。
悲鳴だ。それも聞き覚えのある子供の。
急いでその声のする場所に駆けつけてみると、案の定、マルセルがいた。大木の、枝の先にコアラのようにぶら下がったまま戻れなくなり、恐怖の悲鳴を上げ続けていたのだ。
オスカーはその真下に立つと、両手を広げて「受け止めてやるから、手を放せ!」を叫んだ。日頃鍛えたオスカーの腕力で言ったら、華奢な少年1人を受け止めることなど、造作もないことだった。
そして無事に落ちてきたマルセルを両手に抱き留めてやった。引きつった顔の少年にオスカーは余裕のある笑みを見せる。格好良く決めたはずだった……のだが。
その数瞬後、ばきばきという枝の折れる派手な音がした。
急いで顔を上げるオスカーとマルセルの真上から、手を振り回した少年2人が声を上げながら落ちてくる。
咄嗟にオスカーはマルセルを地面に落とすと、その少年2人を受け止めようと両手を広げた。だが、今度の少年は2人、それもマルセルよりも各自体重は重く、さらに高いところからの落下である。
オスカーはそれでも2人を受け止めた。少年達は擦り傷程度で地面に立つことが出来た。しかしオスカーは2人を腕で受け止めた衝撃で肩から背中、そして腰を痛めてしまったのだった。
とくに腰の痛みはひどく、オスカーは体勢を変えるのも困難な状態でベッドに縛り付けられることに相成ったのである。


★★★★★★★★★


「あんまり気にしなくて良いって。ギックリ腰ったって少し休めば良くなるんだから」
「誰がギックリだ、誰が。お前が勝手に仕切るな」
当事者面で年少組を慰めるオリヴィエに、オスカーがツッコミを入れるがさすがに精彩に欠ける。
なお申し訳なさそうに俯くマルセルとランディの傍らで、ゼフェルがぶつぶつと言う。
「別に俺達が助けてって言ったわけじゃないのに」
「お前!助けてもらったくせに、言うに事欠いてなんだその言い方は!」
平身低頭の勢いで申し訳なく思っていたランディがいつもより乱暴に掴みかかる。
「おいおい」
呆れたオスカーの声に、困ったように微笑んだリュミエールが止めに入った。
「ランディ、もういいのですよ。あなた方にケガがなかったのですから、何よりです。それに…」
リュミエールはぶっきらぼうに口を尖らせているゼフェルに、小首を傾げて問うように言った。
「ゼフェルも、オスカーが動けないほどのひどいケガをしていたのではないかと、心配してきてくださったのですね」
「…別に、オレは…」
図星だったのか、ゼフェルは口ごもった。ベッドから動けないと聞いてひどく動揺してきてみたら、等のオスカーは意外と元気だった。ただ腰を動かすのが辛いだけで。
心配していた分気が抜けて、あのような憎まれ口になったのだろう。
「ぎっくり腰なんて、じじぃのする病気だと思ってたぜ、オレは!」
ゼフェルはリュミエールの顔から視線を背けるようにして、手に持ってきた物を押しつけた。包みを開けてみると、マグカップくらいの大きさのビンに、何か茶色の物が詰まっている。
リュミエールが「これは何か?」と問うような目をすると、ゼフェルは喧嘩腰の口調で口早に言った。
「ルヴァに渡されたんだ。なんか夕べ徹夜で作ったとかって」
包みの中にあった紙をオリヴィエが見つけ、中を読んで吹きだした。

「ぶははははは!ぎっくり腰によく効く膏薬だってさ!」
「だから、ぎっくり腰じゃないと言っているだろう!」
「なんだよ、ルヴァのヤツ、最初からぎっくり腰だって知ってたのか?だったら大げさに言わないではっきり教えてくれればよかったのに!」
「何を言うんだ、ゼフェル!ぎっくり腰だろうとなんだろうと、俺達のせいでオスカー様が怪我をしたのには変わりないだろう!」
「そうだよ、ゼフェル!それとも、オスカー様がぎっくり腰だって知ってたら、お見舞いに来なかったとでもいうの?そんなの酷すぎるよ!」
「お前等!ギックリギックリと連呼するな!」
笑い声と怒り声で大騒ぎしている恋人達を横目に、リュミエールはルヴァへの心からの感謝の気持ちでビンの蓋に手を掛けた。
(ルヴァ様、ありがとうございます)
繊細な手が、きゅっとビンの蓋を開ける。
途端に室内に満ちあふれた臭いに、喚いていた声がぴたりと止まり、次にまったく同じ調子の悲鳴が起きた。

「な、なにこの臭い!」
「窓開けろ、空調を最強にしろ!」
「く、くさい〜〜〜〜ランディ、僕死にそう」
「マルセル、しっかりしろ!」
開け放した窓から半身をのりだし、涙目になったオリヴィエが喚く。
「何、この、レバーとニンニク食べすぎた二日酔いの親父のゲロみたいな臭いは!」
窓際に逃げ出すことも出来ずに青くなったオスカーは、ビンを持ったまま呆然としているリュミエールの手元に目をやった。
「……それが大元か?」
「その様です…」
言い終えた途端、最短距離でもろに臭いを嗅いでしまったリュミエールがはたりと倒れた。
「あああ、リュミエール!」
助け起こそうと身体をおこしかけたオスカーが、腰の痛みと臭いの強烈さに悶絶する。
臭いは決死の覚悟のゼフェルがビンの蓋を閉めた後も、部屋に充満し続けていた。



「で、どうする?」
「どうしましょうか…」
腰を押さえながらオスカーが寝室を変えたところで、ようやく6人は落ち着いて顔を見合わせた。
「ルヴァに文句言ってやらなきゃ、何、この、毒ガス並みの臭さは」
オリヴィエがぷりぷりするが、リュミエールはじっとルヴァが入れてくれた使用注意書きを読んでいる。
そして絶望的な顔で首を振った。
「……臭いはアレですが、これは筋肉や筋を痛めた肉体への特効薬なのだそうです。鎮痛、消炎、その他、肉体の機能が回復するのを早める薬草がふんだんに使われているとか…」
「いくら効いたって、臭いを嗅いで倒れるヤツがいるくらいなんだから、使えねえだろ?」
もっともらしくゼフェルが言う。珍しくランディとマルセルも同時に頷いた。
「ですが…オスカーの腰は少し身動いただけでひどく痛むのです。これが、その痛みを和らげてくれるというのなら…」
ひどく思い詰めたような顔のリュミエールに、オスカーはおそるおそると言った風に言った。
「いや、リュミエール。お前が心配してくれるのはよく分かるが…それを使う場合、被害を被るのは俺だけじゃない。手当をしてくれる館の者を苦しめるわけにはいかん」
「被害だの苦しめるだの…ご厚意でこれを用意してくださったルヴァ様に失礼ですよ」
リュミエールはいかめしく言った。
「それに、ルヴァ様だって、このお薬を調合してくださる間、この臭いに耐えられたのです。オスカーの腰のために…」
リュミエールは覚悟を決めてオスカーを見た。
「これを使いましょう!オスカー!手当はわたくしがいたします!」
オリヴィエと年少組の3人が一斉に窓際に逃げた。今すぐ、臭いが襲ってくると言わんばかりの恐怖の形相で。逃げようのないオスカーはさーっと青ざめる。
「ちょっと待て、リュミエール…お前、さっき、その臭いを嗅いで失神したんだぞ!とてもそれを使えるはずが…」
「いいえ、オスカー!ルヴァ様が耐えられたのです!このわたくしが耐えられない筈はありません!」
リュミエールはベッドの端に座ると、オスカーの両手を取って訴えるように言った。
「オスカー…誰よりもあなたの心配をしているわたくしが、あなたの痛みを癒してくれる薬の臭いを我慢できないはずがありません…」
恋人のその苦行に耐えるような必死の表情がまさに自分のためだと思うと、オスカーの中に感動がわき上がった。
「リュミエール、そこまで俺の身体を心配してくれるのか…ならばこの炎のオスカーもお前と共に臭いに耐えよう…一緒に、この苦難を乗り越えよう!」
「オスカー、判ってくださったのですね!」
リュミエールが嬉しそうに微笑む。完全に自分の世界にはまってしまった2人に、見舞いに来ていた4人は目を背けて早々に立ち去っていった。


★★★★★★★★★★★


「何が苦難だよ、膏薬よりもあの台詞の方が、くっせーってんだよ」
「なんだか、僕、顔が赤くなっちゃった…」
「2人で勝手にゲロ臭いまみれになってればいいんだよ、まったく」
ゼフェル、マルセル、オリヴィエの呆れかえった文句を聞きながら、ランディがボソッと言う。
「……でもさ、本当にあの臭い、よほどの覚悟がないと耐えられないよ。リュミエール様はオスカー様のために我慢すると仰ったんだ。やっぱり凄いと思うよ」
それを聞いて文句を言っていた3人も殊勝な顔になる。
「確かにね…私だったら、あんな薬、自分のためでも使いたくないよ」
「あんな臭いを身体にくっつけるくらいなら、痛いの我慢した方がマシだよな」
「……あれも…きっと愛の力なんだね…」
マルセルが心の底から感動したように言った。
そこにかかるルヴァの声。
「おや、皆さん、オスカーのお見舞いの帰りですか」
「あ、ルヴァ」
オリヴィエが手を振ると、ニコニコしながら近付いてきた。ゼフェルの顔を見て、「あー、あの薬、届けて貰えましたか?自分でいけば一番良かったんですが、ちょっと徹夜続きだったもんで、さすがに調合直後は限界だったんですよ」と言う。
「届けてきたぜ、喜んでた」
まんざらウソでもないので、ゼフェルはそう答える。ルヴァは相好を崩した。
「あれは本当に良く効く筈ですよ。私の一族の秘伝の薬草を合わせたんですから」
「そりゃ、効きそうだねぇ」
「もちろん」
「でもさ、あの臭いはひどいよ。なんかもう少し何とかならなかったのかい?」
「臭い?ありましたか?」
屈託のないルヴァの一言に、4人は顔を見合わせた。
「……臭いに気が付かなかったって?」
「えーと、国で嗅いだときは、少し鼻につくかなーといった程度だったんですが。実際の調合中時は徹夜続きで疲れていたのと、古い調合書を引っぱりだすときの埃で鼻が詰まってたのか、臭いが殆ど判らなかったんですよ」

――ルヴァは知らなかったのだ。彼の故郷で使われていた薬草の中に、乾燥した大気の中では臭いを発しなくても、この緑豊かでしっとりした聖地の大気の中ではとんでもない悪臭を放つ物があったことを。そして、完全真空パックで保存されていたため、今までその臭いに気が付かなかったことを――。

悪気のないルヴァの笑顔に、誰もそれ以上ツッコミをすることは出来なかった。
あの気分が悪くなりそうな薬の臭いにルヴァが耐えたと信じたからこそ、リュミエールもその気持ちを受け取ってあの薬を使用することにしたのだということを、とても告げることは出来なかった。…感動して覚悟を決めたリュミエールの心情が哀れすぎて。
「…オスカー休んでるから、今からのお見舞いなら止めたほうがいいよ…」
「本当、そうした方がいいです、ルヴァ様…」
4人に連行されるようにして館に戻ったルヴァが、自分の調合した薬の悪臭に気が付くことはなかった。

だが、とにもかくも彼の調合した薬は本当に良く効いた。
翌日にはオスカーは職務に復帰していた。
もっとも、それが本当に薬のおかげだったのか、リュミエールの愛の力だったのか、それともあの臭いに我慢できなかったオスカーの根性の結果だったのか、真実は誰にも判らなかったのだが。