◆花の降る谷を越え◆
 
その風景を目にしたのはほんの一瞬。
エルズからアミラルに向かう船が、港にはいるために船の方向をわずかに変えたその時、一瞬だけ崖の向こうに垣間見えた場所。
何度もこの航路を行き来したはずなのに、どうして今まで気が付かなかったのだろう。
リュミエは遠い記憶を呼び覚まされ、もう見えなくなった風景にいつまでも目を凝らしていた。
 
港町アミラル。
船で一緒になった商人に誘われ、ルルアンタはここの酒場で10日ほど踊る事になっていた。
「それじゃ、2週間、休暇って言うか自由行動っていうことで!」
そのリュミエの言葉で、一同はその間、完全別行動をとることにする。
てんでに宿屋に部屋を取り、思い思いに予定を立てる。
ゼネテスは久しぶりにゆっくり酒場に入り浸る傍ら、近場で簡単な依頼とか暇つぶしに引き受けようかと、ギルドへと顔を出した。
 
「お」
「あれ」
丁度カウンターで何かを受け取ったリュミエと鉢合わせをする。
「なんだ、お前さんも仕事か?真面目だな」
「…違うって。ちょっとした個人的な調べ物」
珍しく言葉を濁すリュミエに、ゼネテスは彼女が持っている物に目をやった。
「それは?届け物じゃないのか?」
「違うって、とにかく仕事じゃないから!ゼネテスは気にしないで!」
思いっきり気になる仕草で忙しなく首を振ると、リュミエは小走りでギルドを出ていく。
 
ゼネテスはカウンターの前に行くと、中にいる主人に質問した。
「おい、うちのパーティリーダー。何を調べていったんだ?」
大陸屈指の冒険者の連続の訪れに、まいあがった主人が妙に丁寧に答える。
「何をって、近辺の古い地図ですが」
「古い地図?」
「というか、最近は誰も行かなくなったんで、新しい地図がない場所なんです」
主が示した最新の地図によると、そこは海に面した崖沿いのただの森。
「この森を抜けたところに、昔は何かの遺跡があったらしいんですが、今じゃもう噂にもならないんで、多分、行っても面白いものは何も残ってないと思うんですがねぇ」
主はそう言って、首を傾げた。
 
翌朝早く、リュミエは1人で簡単な旅支度を整え、宿を後にした。
殆ど人気のない広場を抜け、門をくぐり――そこで見つけた人影に、リュミエは目を丸くする。
「あれ、ゼネテス…、どうしたの?どっか行くの?」
「よう」
飄々と手を挙げるゼネテスも、リュミエ同様、簡単な旅支度をしていた。
「どこに行くの?」
そう首を傾げて聞き直すリュミエに、ゼネテスは目を細める。
「それはこっちが聞きたいね。お前さんこそ1人でどこへ行くんだ?」
「どこって…」
リュミエはあからさまに狼狽えたようだ。わざとらしくそっぽを向く。
「私のかってでしょ」
素っ気なくいって、大男の傍らをすり抜けようとした、そのとたん。
「嫌だぁ、何するの!」
リュミエは思わず叫んだ。ゼネテスが突然彼女の腰を掴むと、肩に担ぎ上げたからだ。
 
「何するのよ!朝から酔っぱらってるの?下ろしてってば!」
ポカポカと頭やら背中やら叩いて暴れるリュミエに、ゼネテスは平然と、かつ少しきつめの声を出す。
「お前さんが答えれば、おろしてやる。どこへ行くんだ?」
「私の勝手でしょっ…って、どこに行くのよ」
ゼネテスは町の中に戻ると、ずんずんと大股で港まで行く。
そして湾岸ぎりぎりまで来ると。
 
「答えないと、海に放り込むぞ!答えろ!」
いきなり傾いたリュミエの視界に、逆しまに海面が迫ってくる。
「止めてよぉぉぉぉ!私、泳ぐの苦手なんだってばぁぁぁ」
なんだか分からないが本気で怒ってるらしいゼネテスに、リュミエはついに泣きを入れた…。
 
 
ようやく地面におろされたリュミエは、港の隅に積んである箱に座りしきりにしゃくり上げていた。
その前でゼネテスがばつが悪そうに頭をかいている。
「まさかそんなに水が苦手だったとはなぁ。いい加減に泣きやめよ」
「…誰のせいだと思ってるのよぉ…」
こすりすぎて真っ赤になってる鼻をリュミエはまた乱暴にこすった。
「一体全体、なんだってのよぉ…。自由行動だっていったじゃない…、何でこんな事、するのよ…」
「ああ、悪かった、悪かった。俺がやりすぎた。だから泣きやめって」
 
通りすがりの船乗り達が、じろじろと2人を見ていく。
その目に浮かんでるのは文字通り、「あんなに女の子を泣かせて、このろくでなし」というゼネテスに対する非難の色だ。
弁解のしようもないので、しきりにご機嫌をとるような口調でゼネテスはリュミエを宥める。
「謝るから、泣きやんでくれってば」
ゼネテスに渡されたハンカチで思いっきり鼻をかんだリュミエが、上目遣いでうさんくさそうにゼネテスを見る。
とりあえず、涙は落ち着いたらしい。
 
「一体、なんなのよ」
まだ真っ赤な鼻と目のままで、リュミエがそう咎める。
ゼネテスは頭をかきながら、それでも真面目な顔つきでリュミエを覗き込んだ。
「その前に答えろよ。どこに行く気だったんだ?」
「しつこいってば」
「しつこくても何でも、答えろ。俺に隠し事はするな」
 
どうやら答えない限り、ゼネテスは自分を解放してくれる気はないらしい。何でこんなに強引なんだと不満にも思うが、いい加減に逆らう気力もつきかけ、リュミエはぽそっと答えた。
「…お墓まいり」
「え?」
「だから!母さんのお墓まいりに行くの!個人的なことだから、1人で行くって、それだけなんだってば!」
ゼネテスは腑に落ちないような顔をした。
「墓参りに行くのに、旅支度がいるのか?どこの墓地だ?」
「墓地じゃないの。…遺体がないから、形見だけ、母さんの好きだった場所に埋めたの」
「遺体がないって?」
「海難事故。母さん、船に乗ってて嵐にあって、海に落ちて…、それっきり」
またリュミエがしゃくり上げた。
 
「あ…、そういう事か。…マジで悪かったな、海に放り込むなんて脅しをかけちまって」
本気ですまなそうに謝るゼネテスを睨み、リュミエはもう一度借り物のハンカチで鼻をかんだ。
「本当だよ。私、本気で怖かったんだから!」
文句を言いながら、自分の荷物を持ち直す。
「もういいでしょ。じゃ、私、行くから!」
立ち上がってゼネテスに背を向ける。すると、後ろから伸びた手が、いきなり荷物を奪っていく。
彼女の荷物もかつぎ、さっさと先を歩いていくゼネテスを、リュミエは慌てて追いかけた。
 
「ちょっと、なんの真似よ」
「泣かせた詫びに護衛について行ってやる。料金は只だ。遠慮するな」
「遠慮するなって、1人で行けるって!」
大股でずんずん先を行くゼネテスにあわせ、早足で歩きながらリュミエはその顔を見上げた。
「シェーヌの森を抜けた先だろ?護衛付きの方が楽だって」
リュミエが驚いて足を止める。
「何で知ってるの?」
「道々話そうぜ?遅くなるから、早く来い」
そう言って、大男はまたどんどん先に行ってしまう。
「遅くなるからって、誰が遅くしたのよ!」
怒鳴りながらも、急いで後を追うリュミエだった。
 
 
アミラルの町を出て西に広がる森。
そこに行くまでも、徒歩ではほぼ丸一日かかる。
途中まではとにかく黙々と歩いていた2人だったが、日暮れ近く森の入り口付近の小屋に到着した。
ここは薬草集めや狩りなどのために森を訪れたものが使うための、小さな丸太小屋である。
とはいえ、小さいながらも竈完備で、薪もある。床は土間だが辺りの農民の好意か、新しい藁もふんだんに置いてあるので、一泊くらいなら不便はない。
海沿いの森は日が暮れると海風で急に寒くなる。
竈に火を入れるた後、リュミエは小屋の隅に麻袋に藁を詰めた簡易クッションのような物を見つけた。
「あ、ラッキー!」
そう言ってクッションを竈の前に運び、リュミエはいきなり楽な格好で座り込む。
「おいおい、飯の準備は?」
ゼネテスは、持参の鍋で湯を沸かしながら呆れた声を出した。
「護衛君にお願いします!私、そういえば護衛される側になったの始めて!」
調子よくいってリュミエは荷物の中から、乾し肉やら乾パンを嬉しそうにとりだし、ゼネテスに渡す。
「ま、準備ったって、せいぜい茶の用意をするくらいだしな」
ゼネテスが渡された茶葉を鍋に入れ、湯の中で葉が開くのをリュミエはうきうきしながら見守っている。
「カップぐらい出せよ」
その子供のような顔に可笑しそうにゼネテスが言うと、リュミエはニコニコしながらカップを二つ差しだした。
 
完全に日が暮れ、ゼネテスは暖をとるために竈に薪をくべた。
リュミエは膝を抱くように据わり、じっと火を見つめている。
「眠いんなら、ねろや」
ゼネテスがそう声をかけると、リュミエは小さく首を振り、そしてぼんやりしたような声で訊いた。
「…ねえ、ゼネテス?何で今朝はあんなに怒ってたの?」
「怒ってた?か?」
俺が?ととぼけた様子でゼネテスは自分の顔を指差す。
「誤魔化さないでよ。あんなに怖かったの始めて。どんなドジ踏んだときだって怒らなかったのに、何で今日に限って怒ったの?私が行き先を言わなかったくらいで」
リュミエが本当に不思議そうに言った。ゼネテスは頭をかく。
 
「んじゃさ、お前さんは何で黙ってた?お袋さんの墓参りに行くって」
逆に聞かれて、リュミエは言葉に詰まる。
ゼネテスはリュミエの隣に据わると、彼女の方に顔を向けた。
「お前さんがギルドでいかにも怪しい!って態度をとったからな。俺はギルドの主人に聞いたんだよ。そしたら、お前さんがこの辺りの地理、しかも今の地図には載ってないような古い場所を知りたがったって言われて、なに考えてんだ、と思ったぜ?
案の定お前さんはそんな得体の知れない場所に1人で行くって言い張って、しかも行き先自体を誤魔化そうとしただろ?一応仲間としては、心配するのが当然じゃねえの?」
「……」
真っ当と言えば真っ当すぎるゼネテスの言い分に、リュミエは恨めしそうな顔で口をつぐんでしまった。
 
「俺は答えたぜ?今度はそっちの番だ。やましい事がないならちゃんと言え」
ゼネテスは腕組みをして、すくい上げるような目でリュミエを見る。
「…だって…」
ぼそぼそと答えるリュミエに、ゼネテスはわざとらしく「聞こえない」と耳に手を当てる。
「だって、ちゃんとした場所が分からないんだもの。多分あそこだと思うけど、道順も全然覚えてないの。お墓参りに行くっていっても、たどり着けるかどうかも分からないんだもの。だから内緒にしてたの。見つけられなくて、手ぶらで帰ってきたら、恥ずかしいじゃない!」
「恥ずかしいって…」
思いがけない台詞にゼネテスが脱力した声で繰り返した。
 
 
「…どこからどこへ行く途中の船だったか、それも覚えてないの。ルルアンタが一緒に旅を始める前、多分私が4つか5つくらいだったと思う」
リュミエは火を見つめながら、記憶を確かめるように話し始めた。
小さな手がおちつかなげに、しきりと枯れ枝を弄んでいる。
 
「嵐が来て、船がものすごくゆれて、あちこちで女の人たちが泣いてた。男の人たちが怖い顔で怒鳴りあって、甲板で動いてた。父さんも、その中で一緒に働いてて。母さんは女だったから、船室にいても良かったはずなの。でも、母さん、今でも覚えてるけど、体がわりと大きくて、男の人に負けないくらい体力がある人だったの。それをいつも自慢してた。あの時も、私を置いて、父さんの手伝いをしに、嵐の甲板に出ていって、…、風が収まって父さんが戻ってきたときは1人だった。高波に攫われて、もうどうにも見つけられなかったって」
ぽんと手にしていた枝を火の中に入れる。
 
「信じられなかったと言うより、理解できなかった。だって、母さん、ものすごく強かったんだよ。荒くれの船乗りだって、平気で怒鳴り飛ばして、父さんが大好きで、「一生一緒にいるんだ」って言うのが口癖だった。父さんを置いて、どっかに行っちゃうなんて、考えられなかったの」
本を読んでいるような、どこか現実味の無い言い方をリュミエはしている。
 
「父さんに手を引かれて、どこをどう行ったのかは覚えてない。
でもそこは、まるで花で編み上げたお城みたいだった。天井も壁も何もかも花で出来てるようなそれくらい、花が咲いている場所だった。
花の廊下を抜けた先に開けた場所があって、そこに父さんは母さんの形見の短剣を埋めた。
『母さんはこの場所が大好きだったから』って、そう言って。
その時、墓代わりに置いた石の色とか、盛り上がった土の上に降ってきた花びらの色も、
その時の父さんがどんな顔をしていたのかも、ものすごくはっきりと覚えてる。
でも、行き方だけは全然覚えてないの。まるっきり、どこからどう行って、どうやってそこに行って、そして帰ってきたのか、全然分からない。
父さんも、2度とそこに行こうとはしなかった。ずっとずっと、知らないままだったの」
 
急に感情がこみ上げてきたのか、リュミエの目から涙があふれてきた。
「私ってば、なんて薄情な娘なんだろ。全然忘れてたなんて、信じられない」
膝に顔を埋めて泣き出してしまったリュミエの肩を、ゼネテスはぽんぽんと叩く。
「お前さん、まだガキだったんだろ?覚えてなくて当然だって」
「だって、他のことは覚えてるんだよ?」
「人間の記憶ってのは、そんなに優秀じゃないんだ。ショックを受けてるときなんか、以外と肝心な部分がぽっかりと抜けてたりする。お前さんが薄情な所為じゃない」
「…そうかなぁ…、ゼネテスもそんな覚えがあるの?」
何気ない質問に、ゼネテスは妙な手つきをした。ちょうど人の体の線をなぞるような。
 
「…そうだなぁ…、たとえば、しっかり見たはずの誰かさんの裸が、全く思い出せないとか」
しおらしく流れていたリュミエの涙が、いきなり止まった。
「そのくせ、さわった感触だけは覚えてるときたもんだ。いや、俺も相当慌ててたんだなぁと…」
「ゼネテスのぶぁかぁぁぁぁ!変態!スケベ親父!」
最後まで言わせずに、リュミエは藁の詰まった麻袋で、ゼネテスの顔を思いっきり殴りつけた…。
 
 
 
 
 
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