◆花の降る谷を越え3◆
 
朝日が木々の間から射し込んできた。
ふっと目の覚めたリュミエは、自分がゼネテスを椅子代わりに寝ていたことを思い出した。
少し顔を後ろに向けたリュミエの目の前に、木にもたれ据わったまま眠っているゼネテスの目の閉じた顔がある。
そういえば前にもこんな事があったな、と、リュミエは無精ひげが生えかけた男の顔を見て思い出していた。
あの戦いの後、ヒステリーを起こした自分を宥め、一晩中抱いていてくれた。
自分だって疲れていた筈なのに、リュミエがぐっする眠れるようにと、布団代わりになって。
「そういえば、背中で寝ちゃったこともあるんだよね。人間布団が、癖になってるのかも」
ゼネテスを起こさないように小声でささやき、リュミエはざらっとした男の顎を撫でる。
 
いい顔だな…、とつくづく思う。
普段は「遊び人」と言われてるように、飄々としたにやけ顔でいる事が多いけれど、こうして目を閉じていると、むしろ鍛え抜かれ、厳しく引き締まった顔つきがはっきりする。
町に良くいる軽薄でしゃれた連中とは全然違う。
困難を困難と思わず淡々とやり遂げる、そんな強さを持った顔だ。
 
「そんなに見とれるほどいい男か?」
いきなりそんな事を言いながらゼネテスが目を開けた。
「あ、起こした?」
「起こした?もないだろうが。あれだけしつこく撫でられたら、目も覚めるってもんだ。それとも俺の顎をこすって出た火花で、火を熾そうっていう算段だったか?」
冗談めかした言葉に、リュミエはくすっと笑った。
「いい男だったから、本気で見とれてたの」
真顔で答えられたゼネテスが、いかにも胡散くさげな目つきをする。が。
「あ、別に顔の造作のことを言った訳じゃないからね」
すぐに続いた言葉に、ゼネテスは胸を刺された真似をした。
 
「ぐさ!どういう意味だい」
「冗談よ、ハンサムはハンサム。それは私が保証するから」
「…なんか、嘘臭いな…」
リュミエは笑いながらゼネテスに抱きついた。
「ホントだってば。ゼネテスの顔って私の好きな顔。踏まれても潰されても、必ず起きあがってくる顔だよね」
「…なんか、ひどい言われようだな。ま、真理ではあるが。そういうお前さんも」
ゼネテスは少し体を離して、目の前で笑ってる少女の顔を眺める。
 
「顔つきが少し変わったか?」
「自分じゃ分からないけど、変わったかも知れない」
そう言ってリュミは立ち上がった。
「つっかえてたのが、綺麗さっぱり、全部流れていった気分。ここまですっきりしたのって、本当に久しぶり」
スキップするような足取りで湧き水の岩場に向かうリュミエに、ゼネテスが首を傾げた。
 
冷たい湧き水で洗顔をすませ、代わりばえのしない保存食の朝食をとりながら、リュミエは
「夕べ、母さんの夢を見たの。あの日、船の中で最後に別れたときの夢」と言った。
気遣うような顔をしたゼネテスに、リュミエはニコニコしながら、「違う」と否定するように手を振る。
 
「ゼネテスが言ったとうり、私、自分が母さんのこと、お墓のこと、全く忘れてたことに、やましさを感じてた。自分が薄情だって事に後ろめたさと罪悪感みたいの、すごく感じてたんだけど。
でも考えてみれば、大嵐で今にも船が沈没しそうで、幼い娘が不安で泣いてるのに、1人で置いて甲板に行っちゃうような母親だもの。そんな細かいことに目くじらたてるはずが、なかったんだよね」
リュミエはどこか懐かしそうに、自分の手を見つめる。
 
「母さんは何か別れ際に笑いながら言ってたの。なんて言ったのかはよく分からないけど、とにかくいつも通りに笑ってて、私も笑っていつも通りに『いってらっしゃい』って言った筈。
だからきっと、自分を可哀想がって泣いたりしなかったんだと思う。だって覚えてるのは笑顔だけだもの」
柔らかく言ってそう微笑むと、リュミエは目を細めた。
「だから、今、母さんのお墓が見つからなくたって、めげない。これから探せばいいだけの事だもの」
ゼネテスは笑いながら、リュミエの頭を軽く撫でる。
「探索にでるときゃ、必ず声をかけるんだぜ、相棒」
こくんと頷く少女に満足そうに、ゼネテスは地図を広げた。
 
「この印はこの湧き水の場所だと思う。そうすると、遺跡もこの辺にある筈なんだが」
リュミエは身を乗り出すようにして地図を眺めると、印の辺りを指差した。
「ここ、薄いけど、矢印と注意書きがある。…ほら、なんか…」
ゼネテスは近視の人間並みに地図を目に近づけた。
「…、おい、お前さんが昨日言ってた『似たような石』があったのはどの辺だ?」
きょとんとしたリュミエはあたふたと「あっち」と、指差す。
ゼネテスはリュミエが指差した方に走り出した。
慌ててリュミエも後を追う。
ゼネテスは急な斜面になっている草原を滑り、海面近くの岩場まで下りると、辺りを見回す。
「おい、あれだ!」
海水で濡れて滑りやすくなっている岩の上で、ふらふらとバランスをとっているリュミエを支えてやりながら、ゼネテスは岩場の反対側の岸壁を指差した。
草地のこちら側とは対照的に、そちらは切り立った断崖になっており、その海面すれすれのあたりに洞窟が見える。
 
「岩を伝えばあそこまで行けるな。遺跡はあの洞窟を抜けた先だ」
ゼネテスは滑って海に落っこちそうなリュミエを抱えると、ひょいひょいと岩を伝って反対側にたどり着いた。
覗き込んだ洞窟は外から見れば完全に自然のもののように見えたが、中は明らかに人の手が加わっていた。
壁には均等に松明が置いてあり、通路には歩きやすいように、マーブル模様の平らな石が敷いてある。リュミエはその松明の一本に火をつけると、足下を照らした。
 
「…こんな所通ったのに、全然覚えてないなんて、私、別の意味でも自分の記憶が情けない〜〜」
悔しそうに愚痴るリュミエに、ゼネテスは可笑しそうに笑った。
「ホント、お前さんを1人にしといたら、危なくて仕方がないやね。行ったが最後、帰ってこれなくなったりしてな」
からかわれても反論できないリュミエが、ぷっと頬を膨らませたまま、ずんずん洞窟の中を歩いていく。
やがて前方から光が漏れてきた。
我慢できなくなったリュミエは、松明をゼネテスに押しつけると走り出した。
 
「おい、待てよ」
突然置いてけぼりを食らったゼネテスは急いで松明の火を消し、律儀に壁際に片づけてから後を追う。
ゼネテスは光の漏れる先に足を踏み込み――声も出せぬままに目を見張った。
リュミエが語ったとうり、そこはまさに花であふれかえった場所。
 
古い遺跡後だという。
では、この植物達も何らかの魔道処理でもされているのだろう。
見事な石畳を掘り起こし、通常の数倍ほどの太さの蔓薔薇が、アーチをびっしりと覆うように咲き誇っている。
「空も見えねえでやんの…、しかも、まだまだ伸びてるな、これは」
ゼネテスは、アーチの両側を繋ごうとしているように伸びてる蔓に閉口しながら、その薔薇の門をくぐった。
足下はまるで花びらの絨毯だ。
 
抜けた先は先で、まるで屋根のように大きく枝をはり、
そこにびっしりと花を付けた巨大な木が何本も並んでいた。
そしてその幹にはまた別の蔓がはい、違う色の花を咲かせながら、また違う木の幹から伸びる蔓と絡まり合っている。
 
「花で編んだ城か…、言い得て妙だな…、って感心している場合じゃねえか」
むせ返るような花の香りと、幻惑されそうなとりどりの花びら。
白、淡いピンク、濃いピンク、真紅、黄色、淡い青、紫。
とにかく信じられないほどの色の波が、風に揺れて見事なグラデーションとなっていた。
 
「おーい、リュミエ!」
びっしりと花の付いた重そうな房をよけながら、ゼネテスは声を上げた。
そのとたん、花に擬態していた白い蝶が一斉に飛び立ち、ゼネテスはぎょっとする。
「…なんだか、とんでもねぇ場所だな…」
風情の欠片もない感想を漏らしながら、ゼネテスはその花の城の中を歩き回った。
「おーい」
 
声を上げながら、花の隙間を縫うように少女を捜し回る。
そんなに距離があいたとも思えないのに、返事は全くない。
「そんなに遠くにいっちまった訳はねえな。おーい、リュミエ、返事しろ」
豪快に花の波をかき分けた。
ざわっと意外とあっけない音を立て、視界をふさぐ花の壁がとぎれた。
透明な光を放つ石畳がしかれた、ほそい遊歩道が花の城の奥へと続いている。
その両脇は、小さな花を付けた芝のような丈の低い草で、びっしりと覆われていた。
空も見えないほどに木々の茂った場所で、石畳の上だけが差し込む日差しに輝いている。
 
石畳に沿ってゼネテスはまっすぐ歩いた。
やがて、すっきりとした広場のような場所に出る。
ようやくゆっくりと息を吸い込み、ゼネテスは改めて辺りを見回した。
今までの場所と比べると、花や木の密度がかなり低く、ゼネテスは自分達がいる場所がどの辺なのか、見当をつけることができた。
ぐるりと周囲を囲む岸壁。
海沿いの崖に縦に亀裂が入り、岩に這う蔓がそこから外に向かって花を咲かせていた。
外から隔離された谷。
 
「…こりゃ、見つからないはずだぜ」
ゼネテスは呆れたように言って頭をかいた。
多分リュミエが船から見たのがこの場所だ。
狭い亀裂に張り合うようにして蔓を伸ばし、はみ出して花を咲かせている様子は、多分外からは突き出された花束のように見えているだろう。
 
もう一度辺りを見回す。
ゼネテスが今いる場所からちょうど一番遠い場所。
広場の向こう側に、花の海に飲み込まれそうなほど華奢な少女の後ろ姿が見える。
ゼネテスはまっすぐに広場を横切り、少女の後ろに近づいた。
足下は、びっしりと桜色の花を咲かせた、芝の絨毯。
草を踏む微かな音に反応したのか、リュミエがゆっくりと後ろを向く。
どこか放心したような表情は、今までとは比べものにならないほど「女」を感じさせた。
 
思わず言葉を飲み込んだゼネテスに、少女は微かに笑いかけた。やはり放心したような、不思議な笑み。
リュミエはそっと横に動くと、たった今まで自分が見ていた物がゼネテスに見えるようにする。
そこだけ小さく盛り上がった地面。頭頂部に3角の透明な石が置かれ、それ以外はやはり桜色の花にびっしりと覆われている。
「ここ…」
リュミエが笑みを浮かべたままゆっくりと言う。
「ここが母さんのお墓」
 
ゼネテスはリュミエの横に来ると、その小さな墓の前に片膝をついた。
そして立ったままのリュミエを見上げ、手をさしのべる。
少女は手を男の大きな手に預けると、促されるままに母親の小さな墓の前に膝をついた。
ゼネテスはリュミエの髪をくしゃりと撫でると、穏やかに言った。
「やったな」
薄く涙を滲ませたリュミエが、微笑みながらこくんと頷いた。
 
2人で花で覆われた墓を掘り起こし、リュミエは母の形見と共に父の遺品も一緒に埋め直した。
元通りに石を乗せ、改めて摘んできた花を墓前に添え、リュミエはにっこりと語りかける。
「良かったね。母さん。これで、父さんと一緒…、今度こそ、ずっと離れることがないよ」
隣ではゼネテスが神妙な面もちで両手を併せている。
リュミエがそっと袖を引いて立ち上がると、ゼネテスも一緒に立ち上がった。
柔らかく笑ったままのリュミエが懐かしそうに言った。
「私、思い出したの。母さんの最後の言葉」
「へえ?なんて言ってたんだ?」
『父さんは母さんが惚れた最高の男だから、1人にしといたら誰にかっさらわれるか知れたもんじゃない。母さんが背中を守ってやんなきゃね』
 
言われた内容に、ゼネテスは思わず吹き出しかけた。
「なんだ、そりゃ、のろけじゃないか」
言ってから不謹慎だったかと思ったが、言った本人は遠慮なく吹き出してる。
「でしょ?あんな状況で娘にのろけてるなんて、なんて母親だろう!しかも大勘違いしてるし」
リュミエは涙を滲ませて笑いながら、墓に目を向けた。
「父さんにとっても母さんは最高の女だったんだ。1人になったって、他の誰にも目を向けなかったし、当然、簡単にかっさらわれもしなかった。ずっと寂しがってはいたけど…、幸せだったんだと思う。母さんと出会えて」
 
そう言ってからリュミエはゼネテスを見上げる。
「ありがとう、ゼネテス。一緒に来てくれて。私1人じゃ、きっと見つけられなかったと思う。本当にありがとう」
正面からそう言われ、ゼネテスは照れくさそうに頭をかいた。
「改めて面と向かって言われると、変な感じだな。礼を言われるようなことは、何もしてないぜ?」
「ううん、…、本当にありがとう。感謝してる。それにどうしても、改めて言いたいことがあったの」
「へえ…、なんだい?」
ゼネテスがいつものように何気ない口調で訊く。
少女は小首を傾げてまぶしそうに目を細めると、微笑んだ。
 
「私、ゼネテスの事が好き。…たとえ明日別れたっていい。
どんなに寂しくたって悲しくたって、きっと10年たっても20年たっても、懐かしく思い出すわ。
ゼネテスに出会えて、好きになって、幸せだったって」
 
軽く息を飲んだゼネテスが、驚いた顔でリュミエをじっと見つめる。
そんなゼネテスの表情に怯えることなく、リュミエは柔らかく笑みを浮かべたままだ。
答えが無くたって構わない、拒絶されても――目の前の男に恋をしたというその事実だけで、自分は幸せだから。それが分かったから、今更何にも動じない。
急に大人びたような少女を見つめながら、ゼネテスはぎこちなく両手を伸ばすと抵抗しない身体をそっと腕の中に抱きしめた。
 
「俺は後悔すると思うぜ。明日別れちまったら」
微かに震えている声に、リュミエは不思議そうに少し顔を上げる。
真上から見下ろしているゼネテスの顔。
そこにはいつものどこかおどけた表情は微塵もない。
 
「10年だろうが、20年だろうが、30年、40年経とうが、俺に意志ってものがある限り、お前さんと別れるつもりなんて、まったくないからな」
ゼネテスは抱きしめた腕に力を込める。
笑えばいいのか泣けばいいのか分からず、リュミエは曖昧な顔で笑った。
それからゼネテスの腕の中で思いっきり背伸びをすると、自分の両腕を男の首に絡めた。
 
「ありがとう、相棒」
嬉しそうに笑いながら泣いている少女が、そう男に向かって言う。
男の返事は、やっぱり嬉しそうな笑顔と、深い深い口づけ。
 
 
花の谷に午後の風が吹き始める。
「さて、そろそろ行くか」
ゼネテスはリュミエに声をかけた。
「うん、そうだね」
軽やかに答えたリュミエは、差し出されたゼネテスの手を当たり前のように取る。
新しくなった父と母の墓は、降り注ぐ花の雨に埋もれそうになっている。
「いつでもまた来れるものね」
リュミエは、自分に言い聞かせるようにそう言うと、ためらいのない動作で墓に背を向けた。
 
向いた先は谷を抜ける出口に繋がる、細い道。
追い立てられるように1人で駆け抜けた道を、今度は2人で歩いていく。
降り注ぐ雨のような花びらが時折視界を狭くするが、それでも進む足取りは変わることがない。
一緒に同じ道を歩いてくれる人の確かな存在感を隣に感じながら、リュミエは祈るように考えていた。
 
 
いつかは、自分の意志だけではどうにもならない別れの瞬間が、必ず来る。
でも出来ることなら。
この交わったばかりのふたつの道が再び分かたれるのは、
少しでも遠い先であって欲しいと、そんな風に。
 
 
 
 
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放心している言い訳――とりあえず、揺れる乙女心に決着をつけてみました。なんか疲れた〜〜…、今回に限らずお話一本あげると、なんだか頭の中が空っぽになります。(-_-;)
言い訳もなんて言えば良いんだか、よく分からないのですが。「もの足りねぇ〜〜(怒)」と思われた方もいると当然思いますが、私はとりあえずHは大事なスキンシップの1つと考えてますが、いきなりそこから始まるのも、なんだかな〜な気がします。
今後、2人の間に肉体関係が出来ても全くおかしくないし、それをほのめかすような描写もひょっとしたら出るかも知れませんが、それがメインのお話は私は書けませんね〜。何たって、がさつだし。(これが一番の理由)