相棒がいるという事
 
ゼネテスは大きく息を付いて空を仰いだ。
流れ落ちた汗が湯気になって、肩の辺りに立ちこめている。
湿った上着を脱ぎすて、たくましい上半身を曝し、さらに愛用の大剣を大きく振るう。
鋭く勢いのある剣圧で、空気が引きさかれるような音を立てる。
 
どれだけ剣を振るっても、胸の奥の澱のような重苦しさは消えてくれない。
諦めたようにゼネテスは剣を振るう動きを止め、もう一度大きく空を降り仰いだ。
ごみごみとしたスラムの一角にぽっかりと空いた聖域のような場所。
うっそりとした雰囲気の、気の弱い者なら寄りつかないような古い屋敷のあと。
その屋根に開いた大穴の向こうから、今の自分の気分からは、場違いなほどに美しい青空が広がっていた。
 
 
1つ息を付いて、ゼネテスは壁際に置いてあるぼろぼろの長椅子に、どしっと腰を下ろした。
大柄な彼の体重に、椅子の脚はきしむ音を立てて、ぐらぐらと傾いでいる。
気にせずに力無く頭を下げて座り込むと、膝の上にある自分の大きな手が見えた。
肉厚で固い大きな手。節のはった太い指で、手の甲には古い傷跡が薄く縦横に走っている。
大剣を自在に操るその掌の皮は、まるでなめし革のようだ。
 
 
ゼネテスは自分の手をしげしげと見る趣味はなかった。貴族であれば、男であろうと爪の手入れをし、綺麗にオイルを塗り込めたりすることを、当たり前にしているのだが。
昔、少年の頃、父親が自分の手の手入れをメイドに横柄にさせているのを見るのが、大嫌いだった。
丁寧に丁寧に父の爪にヤスリをかけ、何の仕事もせずにつやつやしている手をマッサージしていた彼女の手は、
毎日の労働に荒れてかさかさになっていた。
 
自分の手をじっと見つめていると、それが自分以外の誰かの手のイメージと重なる。
やはり大きくて、指が太くて、さわった掌は剣ダコでごつごつと固かった。
でもその手は優しかった。つやつやと柔らかい手より、よほど美しいと思った。
その大きな手の持ち主は、やはり大きく屈強な身体を持っていた。
幼かった自分を軽々と肩車し、豪快に笑っていたその男との出会いこそが、ある意味、
今の自分を作ったと言えるのかも知れない。
今はもういない「赤い巨星」アンギルダン。
戦場でまみえ、この手で戦った男。彼を討ち取ったのは自分だ。
 
ゼネテスはその事を後悔はしていない。老いたりとはいえ、相手はその辺の若造などお呼びもつかない
筋金入りの戦士だ。手加減をするなんて事は、はっきり言って相手への侮辱だし、最初からそんなことを望むような相手だったら、ゼネテスだっていつまでもこだわったりはしない。
 
それでもこの重い澱は消えない。理屈で理解していても、心が痛むのはどうしようもない。
どうしようもない重苦しい想いに、ゼネテスは深く深く息を付く。
不思議なものだ。実の父親も同じ戦で命を落としているというのに、そちらに関してはあまり感慨もない。
もともとゼネテスはそんな物だった。
軽い言動に遊び人のように想われることも多いが、現実、彼は冒険者として何度も危険な目にあっている。
死と隣り合わせに生きて、恐怖にすくむ前に打ち壊すことを覚えた彼にとって、
血の繋がりよりも、むしろ背中を任せられるほどの信頼をもてる相手の方が、より近しいと思える。
アンギルダンは師であり、また会ったときはいつでも相棒でもあった。
またゼネテスは深く息を付いた。
空っぽの背中への喪失感。
 
 
不意に彼はこちらに近づく気配に気が付いた。瞬時に剣を持ち直して顔を上げ…、苦笑を浮かべた。
「よう、よくここが分かったな」
さっきまでの苦悩の表情を押し殺し、ゼネテスはいつもの少しおどけた口調でそう言った。
「ハンナが教えてくれたの。人気者は辛いね」
返事をして壁の向こう側から現れたのは、まだ大人になりきっていない年頃の青い髪の少女。
竜字将軍リュミエは、普段着姿で弓を持っただけの軽装で、のんびりとゼネテスの元へ近づいてきた。
 
ついさっきスラムの酒場で会い、柄にもなくゼネテスはこの少女に昔話をしていた。
その途中で彼は感情を抑えきれなくなり、この場所へとやってきたのだ。
「心配してきたのか?」
そう言うと、リュミエは子供っぽい表情でにこりと笑った。
「違うよ。剣を振るうって言ってたから、私も稽古つけて貰おうかと想ってきたの」
その返事に、ゼネテスは思わず声を上げて笑ってしまった。
「よくゆうぜ。今更、剣を習う必要なんてあるのか?」
リュミエはぷうっと頬を膨らませて見せた。
「ひっど〜い、強くなりたいと想っていけないの?」
ことさらに子供じみた口調だ。普段のリュミエは、滅多にこういう言い方はしない。
父親を亡くし、まだ幼いルルアンタと共に冒険者となり、パーティーリーダーとなってからの彼女は、
自分の幼さを表さないように気をつけている。
今、ゼネテスの気持ちを和らげようと、子供のフリをしているのが見え見えだ。
 
「いやいや、それ以上強くなってどうすんのかと想っただけさ。お前さんの亭主になる奴は命がけだ。浮気1つでライトニングが飛んでくんだろ?」
ふざけたように言うと、リュミエはむっとした顔で魔法を放つ仕草をした。
ゼネテスは、半ば本気で慌てて前言を撤回したのだった。
 
「いやいや、真面目な話、お前さんに特別武器は必要ないだろ?それにそっちの腕前だって大したモンだし」
ゼネテスは弓を引く真似をした。
ぼろ長椅子に座ったゼネテスの足下に、リュミエは膝を抱くようにして座っている。
「弓は矢が無くなったら終わりだもん。それに魔法だって無限に放てる訳じゃないし」
「剣だって無限にふれる訳じゃないぜ?」
「それはそうだけど」
リュミエはそわそわといった。剣を習いたいといったのは、単にここにいるための口実なのだと、ばれている事に
気が付いたのだろう。かなりの実力を身につけた彼女でも、経験ではゼネテスに遠く及ばない。
「それに自前の剣は持ってきてるのか?俺の剣はお前さんにゃ、無理だと思うぜ」
あっとリュミエは口元を押さえた。
そこまでは全く考えてなかったのだ。
ゼネテスは頭の上でにやにやしている。リュミエはまたぷぅっと頬を膨らませた。
「いじめっ子」
床に座ったまま拳で殴る真似をすると、ゼネテスは豪快に声を立てて笑いながら、大げさによける振りをする。
 
それから、彼は不意に真顔になって、リュミエの顔をじっと見つめた。
「俺が泣いてるとでも想ったのか?」
「泣いてたら見物だと想って、見物に来たの」
ぶすっと言ってリュミエが上目遣いで男の顔を見ると、ゼネテスは妙に穏やかな顔をしている。
「気ぃ、使わせて悪かったな」
「使ってないもの」
またリュミエはぶすっとした感じで言った。同情してここにいるなんて、彼には思われたくない。
ゼネテスは父が亡くなったとき其処に居合わせたせいか、リュミエ達のことを気遣い、冒険者に成り立ての頃
しばらく一緒に行動してくれた。
最初のうちはただ存在に甘えて、頼りにするばっかりだったが、独り立ちしてから心の支えになったのは最初にギルドに行ったときに彼が言った「新しい相棒」という言葉だった。
一人前に認められたい!そう思い始めた頃から彼女の中から他人への甘えが消えた。
「同情」されることは気恥ずかしい、と感じるようになった。
 
だからリュミエは、自分がゼネテスに同情しているなんて思われたくない。
同じ冒険者として、すばらしい先輩を亡くした痛みを、一緒に感じたいだけだ。
「私もアンギルダンさんの事は好きだったもの。そんなにたくさん話した訳じゃないけど、とっても大きい人だって事はすぐに分かった。もっと色々教えて欲しかったって、思ってるもの」
ゼネテスの顔を見ないようにして早口でそう言う。
 
「そうだな、大きい人だった」
ゼネテスの口調が変わったことに気が付き、リュミエはぱっとそっちの方に目をやる。
ゼネテスは膝の上で組んだ手をじっと見ながら、確かめるように言った。
「とっつあんは本当に大きかった」
一瞬、リュミエはゼネテスが泣いているように感じた。
おそるおそるといった感じで身体をおこし、下から彼の顔を覗くように膝立ちで近づく。
不意にゼネテスが太い腕を伸ばし、リュミエの腕をつかむと自分の膝の上に引っ張り上げた。
「ひゃっ!」
急にゼネテスの膝に抱っこされた形になったリュミエは驚いて声を上げる。
と、2人分に増えた体重に、ついにぼろ長椅子は音を立てて壊れてしまった。
当然のように2人の身体も、後ろに放り出されるようにひっくり返る。
 
埃がもうもうと辺りに立ちこめ、ゼネテスの身体をクッション代わりにしたリュミエは、せき込みながら下敷きになった男に向かって大声で文句を言った。
「びっくりしたでしょう!もう、何やってんのよ〜!」
ゲホゲホしながら、手で埃を払う真似をする。
ゼネテスは仰向けになったまま、いきなり大声で笑い出した。
「何よ、もう!」
男の引き締まった腹の上にしっかりと正座して、リュミエが怒る。
「お前さんなぁ、その前に下りろよ」
「やあよ、下は埃だらけだもん」
「人を椅子代わりにすんなって」
「ゼネテスが勝手に椅子代わりになったんだもん」
きっぱりというと、ゼネテスはまた笑い出した。
「お前、たくましくなったなぁ」
そう言って、よっこいしょとリュミエを上に乗せたまま、彼は半身を起こした。
 
ゼネテスの膝の上に乗ったまま、正面から向き合う形になり、リュミエはちょっとドキドキする。
ゼネテスは上着を脱いだままだ。別に男の身体を見たことがない、とは言わないが、こんなに近付いた事もない。
意識している事を知られたくなくて、リュミエはわざと乱暴に言った。
「たくましくなったって何よ。女の子に言う言葉じゃないって」
「誉めたつもりだがなぁ」
ゼネテスはにやにやしている。
「どうしてそれが誉め言葉よ」
ぷんぷんしながら言うと、ゼネテスはにやにや笑いを引っ込めた。
何よ、とリュミエが身構えると、一瞬おかしそうに口元を歪めたゼネテスが、聞いた事がないような深い声で言う。
 
「なあ、リュミエ。お前も冒険者だ。またどこかの国と戦が起きたら、どこかの国の傭兵に雇われるかもしれん。
もしも戦場で俺と敵としてあったら、真剣に戦え。俺もそうする、いいな」
リュミエは一瞬ぽかんとすると、酷く痛い思いをしたように顔を歪めた。
「…嫌よ、何でそんなことを言うの?」
「お前さんが一人前になったからだ。戦場から一番最初に逃げ出すような程度の奴なら、俺は見逃してやる。
戦っても自慢にはならん」
リュミエは答えない。不満そうに唇をとがらせてるが、瞳が泣き出しそうだ。
その目に、ゼネテスは初めてあった頃のことを思い出した。父親の死に打ちひしがれて、ずっと俯いていた少女。
 
黙り込んだリュミエの背をぽんぽんとたたき、ゼネテスは宥めるように話す。
「たとえ話だから、そんなにムキになるなって」
返事はない。
「お前さんの腕なら負けても納得できる。お前さんとなら、俺も戦ってみたいと思う。…たとえばこの首、誰にでもやりたいとは思わない。だからだ、もしもお前さんがその場にいるなら、この首が他の奴に取られる前に、お前さんが取れ。お前さんの首も誰にもやらん。認めた相手だからそう思うんだ」
なあ、とゼネテスはリュミエの顔を覗き込むようにする。
リュミエは半ベソかいたような顔でゼネテスの顔を見やると、「私を認めてる?」と呟くように聞いた。
ゼネテスは力強く頷く。
 
するとリュミエはきっと目をあげると、ゼネテスをまっすぐに見つめて挑むように言った。
「分かった。絶対にゼネテスの首は誰にも渡さない!でも、私がとるんじゃないの!私が守ってみせる、ゼネテスが戦場に出るときは、絶対に敵にならない!私がゼネテスの後ろで、絶対にその首守ってみせるから!」
驚いた顔のゼネテスに、リュミエは断言した。
「私、決めたからね!ゼネテスにも文句は言わせないから!」
 
ゼネテスは、真っ正面から自分を睨む少女の力強い瞳に見入った。
あの時、子犬のように自分に縋っていた瞳は、今は力強い光に満たされ、自分の隣で輝いている。
一度決めたら、逃げない、誤魔化さない。運命に選ばれた強いソウルの輝き。
ゼネテスはゆっくりと息を吸うとにやりと笑い、リュミエの肩をぽんと叩いて頷きながら言った。
「分かった、頼りにしてるぜ、相棒」
――相棒――、その言葉が自然と口をついて出た。
「頼りにされたげる、任せて!」
リュミエはにっこりと笑いながら答える。
 
――なあ、とっつあん、あの世での酒盛りは、もうちょっと先になりそうだ。
アンギルダンは常世の国できっと頷いているだろうと思った。
自分の信念のままに見事に生きて、そして見事に死んだ偉大な先輩冒険者殿。
俺はまだ当分この世で踏ん張る。新しい相棒も出来たことだしな。
 
リュミエは立ち上がると、壊れた屋根から覗く空を見上げながら言った。青かった空は微かに夕暮れの色に染まりつつある。
「そろそろ行かない?なんかお腹空いたなぁ。ご飯食べに行こうよ」
「おう」
ゼネテスは立ち上がり、脱いで放っておいた上着を着ると、剣を持ち直した。
「おごるよ?報奨金を貰ったおかげで、今、懐がとっても豊かなの」
リュミエがちょっと首を傾げ、妙に可愛らしい仕草でゼネテスの表情を伺う。
「剛毅だな?そんじゃ、ま、1つ、ゴチになるか」
「任せて!」
そう言って笑うと、リュミエはとっとっと小走りに前を走っていく。
 
「元気だねぁ、若い奴はいいねぇ」
いつもの砕けた口調で言うと、ゼネテスは首の後ろに手をやった。
 
――あばよ、とっつあん。
そう心の中で別れを言う。
歩き出したゼネテスの中から、暗い澱は綺麗に消えていた。
 
 
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ちょっと言い訳――ゼネさんがリュミエを膝に乗っけたのは、別にいけない事をしようと思ったのではなく、
なんとなくシリアスになっちゃった雰囲気を誤魔化そうと思ったからです。(どつかれるのを期待しての行動)
この人って、おちゃらけてる自分を演出してる所があるような感じがしたので。その辺、くどくど書きたくなかったんですが、自分の文章力の甘さに思わず言い訳…。へろへろ。