◆ 始まりの刻 ◆ 

酒場の扉を開けた瞬間である。
まるで狙ったかのように、ゼネテスの頭上から白い粉が降ってきた。

「ぶは!」
「ヤダ!こっちに払わないで!」
「粉粉〜〜〜〜」
食事に連れだって訪れたゼネテス、リュミエ、ルルアンタの三人は頭から足先まで小麦粉で真っ白になって派手にむせこんだ。

見るとこっちは小麦粉が入ってたらしい麻の小袋を肩に引っかけ、やっぱり真っ白な粉まみれのフェルムが膝をついている。
「ああ、ごめんなさい!焦ってつまづいちゃったの!」
「げほ…どうしたの…?」
顔の前で手をパタパタしながらリュミエが店内を見回すと、日頃の常連一同集まり、 テーブルを店の真ん中に集めて何かを作っているらしい。
「あ、新年祭で揚げ菓子を作って売ろうか、って事になったんです。それでみんなで今準備をしてたの」
「……みんなでって、お前さんらはともかく、なんで客まで真っ白けなんだ?」
ゼネテスの言葉通り、店の親父はもちろん、客連中も腕まくりに前掛け姿でせっせと粉をふるったり混ぜたりとしている。
「えーと、……お菓子を売って、その売り上げを孤児院に寄付しようかって話になって…それでみんなして協力してくれたの」
「寄付?」
聞き返すリュミエに、フェルムは何か逡巡している。それに気がついた酒場の親父が困り顔で説明を始めた。

「……最初に言っておくが、絶対にあんた等を責めてるわけじゃないんだ。気を悪くせんでくれ」
ゼネテスとリュミエがちらりと視線を合わせる。
「ゼネテスさんとリュミエさんはロストールの英雄だ。あんた等は国を守ってくれた。でもさ、やっぱり無傷って訳じゃない。アンギルダンが攻めてきた時なんかも、たくさんの兵が死んだ。襲われた村もある。親を亡くした子供らや、年老いて独りぼっちになった親たちもたくさん出来ちまった。新年だからってちっともめでたくないって思ってる人たちに、少しでも笑って欲しいんだよ」
親父は小さくため息を付くと、切なげな顔で笑う。

「俺等は幸せだよ。敵に襲われもしないで、元気に商売してられる。たいした事は出来ないが、少しばかり出来ることをしたいんだ。この連中も、そう思って手伝ってくれてるんだよ」
「うん、すごくよく分かる、親父さんの言うこと」
少し面映ゆげに笑ったリュミエは、腕まくりの仕草でガッツポーズを作った。
「そういうことなら、私も手伝う!何すればいい?」
「おう、俺も手伝うぜ」
「あ、ルルアンタも〜〜〜」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら言うリルビーの少女に、場が一気になごむ。
親父が安堵の顔をした。
「ありがとよ。それじゃ、リュミエさんとルルアンタちゃんはフェルムと一緒に生地作り。で、ゼネテスさんはちょっくら粉屋に言って、大袋二袋ばかり持ってきてくんな」
「おうよ、…って、俺は力仕事か」
笑いながら言うゼネテスに、リュミエとルルアンタは揃って手を振った。
「頼りにしてるからね、よっ、ゼネさん!」
「こういうときだけ調子がいいな、お前さん等。じゃ、ま、ちょっくら行ってくるが、台車は貸してもらえんのか?」
「粉屋が用意してるよ。それから帰りに卵屋と紙屋に寄ってきてくれ。物は準備してるはずだ」
「こき使いやがるな。まあ、いいか。んじゃ」
戸口で一つ手を振ったゼネテスが出ていくと、店内はまた慌ただしい作業に戻る。
リュミエはフェルムと一緒に大きな木の桶に粉を入れると、次の手順を興味津々で訊ねた。

「えっとね。まずは少しの水とミルクを入れて練ります」
「水とミルクね」
ルルアンタが大きなビンから計量カップに水、それからミルクを計って桶に注ぐ。
「それから卵をいれます。黄身も白身も全部入れちゃって良いから」
パカパカと割られた卵が豪快に入る。
「それから味付けに蜂蜜と、香ばしさと歯ごたえを出すためにクルミを炒って砕いた物を入れます」
「うわ、すんごいクルミ!これ全部これから割るの?」
大袋からゴロゴロと転がり出す固い殻に包まれたままのクルミに驚くリュミエに、フェルムは悪戯っぽく笑った。

「クルミ割り器が足りないから、ゼネテスさんが戻ったらトンカチで割って貰いましょ」
「うんうん、適役!ゼネテス、すごい力持ちなんだよ!こう指でつまんで栗なんかも割っちゃうんだから」
身振り付きでルルアンタが言うと、店の人々が一斉に頷く。
「確かに、あのぶっとい腕と指なら、かけ声一つで割れそうだ」
「きゃ、頼もしい」
けらけら笑うフェルムに、やっぱり笑いながらリュミエが言う。
「で、生地が練れたら、次はどうするの?」
「クルミくらいの大きさに丸めたのをね、油で揚げるの」
「ベタベタで丸まらない〜〜〜〜」
「周りに粉をはたくの〜〜〜」
大騒ぎで作っていると、そこに噂の主のゼネテスが戻ってくる。

「おう、荷物受け取ってきたぜ」
「お、待ってました!」
「よう!頼りにしてるぜ!」
自分の顔を見るなり、そうかけ声をかけた男連中は、せっせとクルミを割っては中身を取り出す係りである。
「おう、そんなに頼りにしてくれてたとは嬉しいぜ」
男共の下心も知らずに調子よくそう言うゼネテスに、リュミエとルルアンタ、フェルムの 三人はゼネテスに聞こえないように後ろを向いたあと、ぷっと吹きだしていた。


大騒ぎの夕暮れ、様々な道化や出店の屋台が軒を並べる中、フェルムが用意してくれた派手目の服と前掛けを身につけたリュミエは、べったりと座って何度もしつこく両手を降っているゼネテスにくすくすと笑った。
「お前さんなあ、笑いごっちゃないんだぜ。いいように煽てられて、気がつきゃなんで俺1人でクルミを割る羽目になるんだ?」
愚痴るゼネテスにもリュミエは笑い顔を崩さない。本気で文句を言っているわけではないのが、口調で判るからだ。

「煽てられて気持ちいいくらい調子に乗るんだもの。頼まれてもいない曲芸割り!なんてのも披露してくれたものね。ま、良いじゃないの!それより売り子さんもしてくれるんだよね」
「まだ働かせようってか?」
「親父さん達は店で追加分を作ってるし、フェルムちゃん1人じゃ大変でしょ?ほら、人も大勢来てるしさ」
ほこほこと湯気の上がった大量の揚げ菓子は、大きなバスケット3つに山と盛られている。これを紙の袋に入れて5個3ギアで売るのだという。
材料には贅沢しているのでこれでは赤字なのだが、そこは常連と店主の心意気。
粉屋や卵屋も賛同してくれて代価を負けてくれているのだそうだ。

「みんな、自分の出来ること頑張ってるんだもの。余るほど体力あるゼネテスがまさかこのくらいで疲れた〜なんて言わないよね?」
「料理と戦いっつーのは、根本的に疲れるところが違う気がするんだがなぁ」
「そんな事言ったら、世の中の女将さん連中は戦い専門の騎士よりよほどタフって事になっちゃうよ」
「女ってのはタフだろ…だから見ろよ。大抵の家じゃ、亭主は女房の尻に敷かれてる」
「ごちゃごちゃ言ってると、ゼネテスにもこのレースのフリル付き前掛けつけさせるからね」
少しおっかない顔を作ってリュミエが言うと、ゼネテスは「ほらな」という顔で1人頷く。
「やっぱり女の方が強いな」
本気目でリュミエがふくれっ面をするのを見て、ゼネテスは頭を掻きながら立ち上がっる。
「本気で怒り出す前に真面目にやるとするか」
「本気でやって」
思いっきり背中を叩かれたゼネテスが大げさなうめき声を上げ、リュミエはもう一発その背中をひっぱたいた。
「さ、気合いを入れて売るわよ!」


気合いを入れたのは大正解で、店が始まると大勢の客が押し寄せてきた。
大道芸を見ながら摘んで頬張るのにちょうど良いらしく、笑いながらもせっかちに買う客ばかりで、フェルムも入れて三人、笑顔が張り付くくらいに愛想を振りまくる。
「リュミエちゃん、計算早いね」
「そりゃ、これでも旅商人の娘だもん」
大盛況ぶりに気をよくした娘二人は笑顔も大売り出し。傍らに身体の大きいゼネテスがいるので、酔っぱらった男連中が絡みに来ることもない。
ややあって追加分を持った親父がやってくる。

「おう、ゼネさん!手伝いありがとうよ。休んでておくれ」
「いや、この忙しさだから手は多い方がいいだろうよ、…って、ほい、次のお客さんだ」
陽気に言ってゼネテスは握りしめた小銭を差し出す少年に菓子を渡そうとして、その顔が見知ったものであることに気がついた。
その後ろからは喪中であることを示す白と黒の服を着た若い女が、静かに頭を下げている。
「……お前さん」
「ゼネテス様、お菓子下さい」
惚けたように女を見るゼネテスを少年がせっついた。
ゼネテスは子供と女の顔を交互に見る。女は以前見たときよりもやつれた顔に、柔らかい笑みを浮かべた。

「私の子です。どうしてもこのお菓子が欲しいというものですから」
「お、おう。ほら、待たせたな、坊主。代は良いから――」
ぎこちなく菓子の袋を少年に渡し、差し出された金を拒もうとしたゼネテスを、女は柔らかいがきっぱりとした調子で断った。
「お代はお支払いいたします。それくらいの蓄えはございます」
ゼネテスは何か言いあぐねているような顔つきで頭を掻く。
「……このお菓子の売り上げは寄付金に充てられるとお聞きしました。ただで渡してはいけないのでしょう?」
「気を悪くしたなら謝るよ。俺は別に…」
同情した訳じゃない――そう言いかけたゼネテスに女は笑みを崩さないままに言う。

「ゼネテス様は、残された私達のために精一杯の事をして下さいました。夫はあなた様の部下として戦場に赴いたことを誇りに思っていたことでしょう。そんな夫を私は誇りに思っています。どうか、あなたの部下の妻であったことを後悔させないでくださいませ」
少年が自分の母とゼネテスの遣り取りをポカンとした顔で聞いている。
女は我が子の肩に両手を当てると、にっこりとして言った。
「さあ、そのお金を渡しなさい。そして、お菓子を頂きなさい」
少年は素早くゼネテスの手に小銭を押し込むと、まだ温かい菓子の袋をまちきれないといった仕草で両手で抱えた。
「わあ、母様、美味しそう!いい匂い」
はしゃぐ少年の手を取り、女はゼネテスに静かに頭を下げ雑踏の向こうに消えていく。
その後ろ姿を、ゼネテスは声を掛けることも出来ずに黙って見送るしかない。

様々な想いがゼネテスの中をよぎる。
どれだけ精一杯やったところで、けして埋めることが出来ない部分というのは砂漠の砂よりも多い。自分ではどうにも出来ない無力さを噛みしめることしかできない。
そのゼネテスの背がどんと叩かれた。
「おい」
そんな事をする相手は1人しかいないので、ゼネテスは咄嗟にいつもの顔で振り向いてみせる。案の定、リュミエがゼネテスの背に手を当てたまま、にっこりとして自分を見上げていた

さっきの親子連れとゼネテスの遣り取りを見たリュミエははっとした。
親子連れ自体は見覚えがないが、交わす言葉で見当が付いたからだ。
戦争のあと、ゼネテスは亡くなった部下の遺族達に自分の報奨金はもちろん、ファーロス家の私財も差しだして、独自の年金や見舞金を払っていた。
あの親子もそうだったのだろう。
夫を亡くし、見舞金を受け取ってはいてもそれでも親子二人の未来を支えるには足りない蓄えの中から、さらに貧しい遺族達のために代価を受け取ってくれ、そう言ったのだ。
「女が強くて良かったでしょ」
リュミエは明るくそう言った。
ありがちな慰めなんかで救われる虚しさではないという事は、リュミエも身にしみて判っている。だからあえて明るく力強く言う。

あの親子は生きる力を持っているから、自分をむやみに責めることはないのだと、そんな思いを込めて笑顔をみせる。
その気持ちは正しくゼネテスに伝わったらしい。
まだ少し切なげに眉を顰めながらも、ゼネテスは頷いた。
「ああ、良かったよ」
「出来ることがあるのって、幸せだね」
「ああ、全くだ」
ゼネテスはポンとリュミエの肩を叩く。その仕草に、何故かリュミエは涙がにじんできたのを感じた。ゼネテスは強い。でも1人で全部を背負えるほど強くない。
そして、自分を背負える強さを持っている人は、他人が心配するほど少なくない。
何もかも1人で背負う事なんてないんだと、そんな風に思う。

「とりあえず今はこのお菓子を全部売り切らなきゃ」
滲んできた涙を誤魔化すように明るく言うと、ゼネテスはいつもの不敵な顔つきで笑った。
「もちろん、全部売りきっちまおうぜ。その後の打ち上げは全部俺の奢りだ。良いだろ、親父さん」
景気良く言うゼネテスに、酒場の親父は親指を立てて片目を閉じる。
「剛毅だね!ゼネさん!それじゃ、もう一がんばりだ」
「おう!」

めげない人々の新しい一年が、今から始まっていく。
戦いの後の新しい年の初め、広場は人々の賑やかな笑い声に包まれていた。


 
 
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