◆遙かな一歩◆
 
 
しぶきの群島。
太古の姿をそのままに残し、人が訪れるには危険すぎる秘境中の秘境の一つ。
人からはモンスターと呼ばれる大きくて凶暴な生き物たちの楽園たるその島の一つで、一見呑気に
砂遊びと花摘みに興じている人影が二つ…。
 
「おい、そんなに花集めてどうするんだ?」
「花を繋いで、ビンの周りに巻いてあげようかと思って…って、そっちこそ何集めてるの?」
「いや、これは珍しい虫の抜け殻だから」
「…なんか、子供のお土産みたいだね…」
そう言ってくすっと笑ったのは青い髪を海風に揺らす少女、リュミエ。
笑われたゼネテスは逞しい肩を竦めると、大きな手に持った小さな虫の抜け殻を手元のビンの中に入れた。
幅広口のビンに他に入っているのは、群島の砂、貝殻、珍しい生き物たちの抜けた羽根や鱗などの、端から見ればゴミにしか見えない物。それから――手紙と白い髪。
ゼネテスにこの仕事を依頼した老貴族が残した手紙と遺髪である。
 
 
「そろそろ戻ろうか…」
しぶきの群島にしか咲かない珍しい花や蔓を籠に集めていたリュミエは、あたりの様子を見ながらゼネテスを
せっついた。
このあたりには冒険者も来ない。特別な宝もないし、人も来ないから救出依頼もない。
つまり、冒険者にとってはおいしくない場所。
その為、この群島に生きる生き物たちは人間の姿を見たことが無く、警戒するという事もしない。
その辺でのどかにエサをついばみながら、見たことのない生き物たちを観察するようにコカトリスが何匹か羽根をばたつかせながら二人に近付いてきた。
とくに殺気だった様子はないが、何やら興味津々でひょこひょこと歩いてくる様子に、ゼネテスも頭を掻く。
「……そろそろ戻るか」
立ち上がり、浜辺に向かって歩き出した二人をコカトリス達は追いかけてくる。
さらに。
「…なんか増えてない?」
「増えてるねえ」
二人の後をついてくる数羽のコカトリス、さらにその後を別のモンスターが。
ぞくぞくと増えつつある招かれざる連れの数に、リュミエは引きつった笑い方をした。
「なんか、私達、今夜の夕食にされちゃいそうな気配じゃない?」
「それっぽいな」
二人が足を速めると、それと一緒について来るモンスター達も早足になる。
引きつった笑顔のままのリュミエが、早口で呪文を唱えた。
「インビジブル!」
すっと姿が見えなくなった二人は、きょろきょろとあたりを探し始めるモンスター達をあとに、全速力で浜辺へと駆け戻ったのである。
 
 
◆◆
 
「それで泡くって逃げてきたのかい。迎えの船頭が砂浜に足跡だけがついてきたって、びびってたよ」
話を聞いたヒルダリアが声を上げた笑った。
ゼネテスとリュミエは顔を見合わせると、照れくさそうに苦笑いをする。
今二人が乗った海賊船は闇の門の島近くの海域。
ここも人が訪れることのない秘境である。
 
「あんた等ならモンスターなんて蹴散らせるだろ?」
くすくすと笑いながら甲板の手すりに背を持たれかせさせたヒルダリアがいう。
「別に退治依頼とかじゃないし」
「黙って見てるぶんには、けっこう可愛いもんだぜ?ずっと眺めてたらコカトリスがでかい鶏に見えてきたりするもんだ」
軽くそんな事を言う凄腕冒険者二人に、ヒルダリアは好意のこもった笑い方をした。
「余裕があるね。駆け出しなら相手構わずとりあえず喧嘩してみるってもんだけど」
「避けられる戦いなら、避けた方がいいよ」
「その方が楽だしな」
気負いなど全くない台詞を言うリュミエとゼネテスに、若い女海賊はふわりと笑った。
「他のやつが言ったなら負け惜しみかい?って言ってみるところだけどね。あんた達なら成る程、って思うよ。
それじゃ、しばらくこの辺で碇を降ろすから」
「ありがとう、終わったら報告に行くね」
リュミエの言葉に軽く手を挙げ、ヒルダリアは船長室へと戻っていった。
 
 
甲板に残ったゼネテスは、砂やら何やらをいろいろ詰め込んだビンを持ち上げた。
花を首飾りのように編んだリュミエが、それをビンの周りに巻き付ける。
「これでいいかな」
「花なんか愛でるようなじい様にゃ見えなかったが…ま、人は見かけによらないっていうしな…」
花で飾られたビンを眺めながら、ゼネテスは苦く笑う。
これは依頼、先日亡くなった老人の遺言。
『最後に冒険者の真似事を。人の行かぬ場所へ、この手紙と髪を葬って欲しい』と。
 
 
「この爺さん、俺のことさんざん恥さらしだの、大馬鹿者だのって怒ってたんだぜ?まあ、しゃあねえかとは思ってたんだがさ」
ゼネテスはどことなく寂しそうに笑う。
遺言を残した老人はファーロス一族の貴族の1人で隠居して家督は譲ったものの、口も身体も達者な老人だった。貴族の義務やら何やらとことの他うるさく、その有り余る責任感で一族のご意見番的存在だったのである。
その老人が実は若い頃冒険者に憧れ、家出した物の結局は挫折して出戻ってきた経緯があったなどと、
一体誰が知っていただろう。その家出は老人の両親がしっかり隠し通した秘密だったのだから。
 
老人はゼネテスの顔を見るごとに説教ばかりしていた。
それが内心ではゼネテスの生き方に憧れていたなどと、若いゼネテスはもちろん、同年代の老人達も誰も知らなかったことだろう。死の直前に渡された手紙には、老人のそんな過去が記されており、そして最後があの文章で締めくくられていたのである。
『最後に冒険者の真似事を』
屋敷の奥で「貴族」の誇りと責任をひたすら体現していたような老人は、ずっと憧れ続けていたのだ。
一族のはみだし者であったゼネテスのように、冒険者として自由に旅して歩くことを。
 
 
「判ってたらもうちょっと相手のしようがあった気がするぜ。何たってあの爺さん、俺の顔を見る度に
しかめっ面で恥を知れとかそんな事ばかり言ってたからなぁ。こっちもその辺の奴らと同じように、適当に
はぐらかしたり笑い飛ばしたりしちまってた。判ってたら内緒話だってできたのにな」
 
ゼネテスはこの爺さんがそんなに嫌いではなかった。
口うるさくはあったが、無責任で意味無く自分の地位自慢ばかりする輩とは違い、責任と義務をきっちり心得た老人だったからだ。密かに敬意も抱いていた
だからこそ、その辺の連中に対する時と同じような態度をとってしまったことが悔やまれる。
ロストールの貴族連中は一生目にすることがないだろう未開の地の物を詰めたビンを手の中で弄びながら、
ゼネテスは寂しげなため息を付く。
リュミエはそんな男を見上げながら、躊躇いがちに袖を引いた。
「?なんだ」
自分に目を向けたゼネテスをじっと見ながら、リュミエは考え考えしながら言葉を発した。
 
 
「あのね、ゼネテス。残念に思う気持ちはよく分かる、私も依頼が終わっちゃってから、ああやっとけばよかった、もうちょっと早く済ませればもっとよかった、って思うことがよくあるから。でもね、私達冒険者は受けた依頼を
少しでも完璧に果たそうって努力は出来るけど、人が依頼するかどうかなんて事は、私達は決めることは出来ないんだよね」
「そりゃ、そうだろ」
何を言い出すのかとゼネテスは問うような顔つきになる。
 
「えと、だからね。さっさと冒険者を頼んですぐに問題解決する人もいれば、延々悩んでいつまで経っても問題抱えたままの人もいるし、自分で悩みながら解決する人もいるよね。
で、どうやるかを決めるのはその人次第で、私達は依頼を受けない限り、その人が困ってるかどうかなんて判らないよね。私達に出来るのは、頼まれた仕事をこなすだけだから」
「だから、何を言いたいんだ?」
ゼネテスは頭を掻く。リュミエが言っているのは、冒険者という仕事の基本中の基本だ。
 
「だから、今のゼネテスは、なんだか依頼する気のない人が依頼してくれなかった、依頼してくれたら完璧にこなしてやったのに、って愚痴ってるように見える。私はそのおじいさんを知らないけど、気骨のあるきちんとした人
だったんでしょ?その若い頃の夢を誰にも知られないように、そのおじいさん自身が努めてたんでしょ?」
呆気にとられたゼネテスの顔に、リュミエは恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。
「偉そうにごめん。ゼネテスは私よりベテランなんだから、そんな事よく分かってるはずだよね。
親しい人相手に理屈をこねるのもおかしい話だってのも判ってる。でも、そのおじいさんは冒険者のゼネテスを
買ってて最後に依頼をしてくれたんでしょ?それなのに、依頼以外のことで後悔したりするのって、すごくそのおじいさんに失礼な気がする…」
言い終わってから後悔したのか、リュミエは真っ赤な顔のまま俯いてしまった。
その肩が急に強く引かれる。肩を抱く、というよりも肩を組む、と言った感じのがさつさでリュミエを引き寄せたゼネテスは、小さく苦笑いを零したあと、晴れ晴れとした笑い声をあげた。
 
「なんか爺さんに言われた気がしたぜ。そういや、爺さんも昔言ってたな。『若い頃は根拠もなく自信にあふれて、
1人でなんでもできると勘違いしてる』ってさ。そんときゃ俺も『それほど自惚れちゃいないぜ』なんてすかした事を答えた覚えがあるが、……確かに自惚れてたかも知れないな」
豪快に笑いながらそんな事を言うゼネテスを、リュミエは不思議そうに見上げた。
「俺が生まれるより前に爺さんが決めた信念だったんだろうさ、冒険者じゃなく、貴族として生きるって事は。
それを俺みたいなひよっこがどうこういう言うってのは、確かに爺さんに失礼だ。
爺さんは冒険者に憧れていたかも知れないが、貴族は貴族らしく生きるべきって事を貫いたんだからな」
 
ゼネテスはビンを目の高さに上げ、しみじみと言う。
「そして死んでから望んだんだ、冒険者として旅をしてみたいって。それが依頼なんだから、俺がすべき事は過去をぐたぐた言う事じゃなく、きっちり仕事を果たす事だ。…なあ、爺さん」
まだどこか切なそうに、それでも不敵な表情を取り戻したゼネテスに、リュミエもようやく安堵の笑みを浮かべた。
 
ゼネテスはビンに向かい、偉そうに言い聞かせる口調で言った。
「爺さん、いままでは偉いご隠居様だったかもしれんが、これからは新米冒険者だ。あんたは運がいい。
ここは駆け出しが来られるような場所じゃない、この辺は海も陸も、人が殆ど来ない文字通り冒険しほうだいの場所だ。最初の一歩をここから始められるなんざ、…本当に運がいい」
ゼネテスはビンを持った腕を大きく振りかぶると、水平線の向こうまで届けと言わんばかりの動作で海へと放った。
ビンは青い海に大きなしぶきを上げ、そして沈んでゆく。誰もまだ見たことのない、秘海の底へ。
リュミエの編んだ花が1つ2つほどけ、海面に浮かび上がった。
 
 
水面の波紋が完全に波に飲み込まれ跡形もなく消えたのを見届け、ゼネテスはリュミエの肩を何度かぽんぽんと叩いた。
「お前さんに説教されるとは、俺も年貢の収め時かな。そろそろ引退を考えた方がいいか」
うんうんと頷きながらそんな事を言うゼネテスに、リュミエは仰天すると目をまん丸くした。
「ちょ、ちょっと。いきなり何を言うのよ、それって冗談でしょ?」
「半分冗談で、半分本気だったりしてな」
完璧冗談な顔でにやりと笑うゼネテスに、リュミエは頬を膨らませた。
「…人が本気で焦ったのに」
「いやいや、ちっと感慨深い物があってな。あの駆け出しがここまで成長したかと思うと、…お兄さんは嬉しいぜ。その分、俺も年を食ったんだなぁと思ってな」
「ゼネテスなんて最初から老けたお兄さんだったくせに」
相変わらずふざけた口調のゼネテスに、リュミエは舌を出して笑った。
その少女の肩をまたぽんぽんと叩き、ゼネテスは海に向かって語りかけた。
 
「いろんな事が重なって総司令官だのと持ち上げられる立場にはなっちまったが、そうでなければ俺の事をずっと放蕩息子バカ息子と呼び続けた連中は山程いただろう。俺がその辺で野垂れ死んだりしたら、したり顔で
『相談してくれたら力になったのに』なんて抜かす奴もいたかもしれんが、確かに俺もそれは余計なお世話だ。
じいさんが夢を諦めたからって、それを哀れむような事はもう言わんさ。
じゃあな、じいさん。これからは自由に旅をしてくれ、どこまでもな……」
 
リュミエも海に向かい頭を垂れる。
そして逢ったこともない顔も知らない老人に、心の中で別れを告げる。
(さようなら、依頼人のおじいさん。私にとっては貴族も町の人も依頼人は同じ依頼人だけど、
冒険者なら仲間だと思う…だから仲間としてもう一回お別れを言うね。
さようなら…顔も見たことのない新米冒険者のおじいさん…)
 
 
老人の夢のこもった髪と、人から見たらゴミにしか見えないかも知れない冒険の宝物をつめたビンは、
揺れながら深い深い海の底まで落ちてゆく。人の手のまったく届かない深い場所まで。
 
老貴族から冒険者ゼネテスに当てられた依頼は、今正しく完了した。
 
 
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