◆長い一日◆
 
 
彼女がその噂を聞いたのは、その都市からだいぶ離れた町だった。
ディンガルの青竜将軍がロストールへ進行を開始したのだと。
その時、リュミエは得体の知れない不安を感じた。
大事な人との約束を果たすために急ぎロストールへと向かいながら、もう1人の人物のことを考えていた。
青竜将軍の副官となっているはずの友人のこと。
 
ロストールに付くと、リュミエはまっすぐに王宮に向かった。戦争の噂が真実なのか、とにかく顔見知りにあって
確かめたかったのだ。
城に付くと、城門前の衛兵が「総司令が貴族を招集中です」と、まっすぐ謁見室に通してくれた。
その態度に、噂は本当だったのかと苦く思った。
「お願いだから、彼女とだけは戦場で会いませんように」
リュミエは謁見室に向かうまでの間、呪文のようにそう呟いていた。
そうすれば、なにも恐ろしいことは起こらずに全てがうまくいく、というように。
 
謁見室に入ったリュミエは、だが、そこで立ちすくんでしまった。
誰もいないのだ。
招集されているはずの貴族の姿は誰1人として見えず、ただ総司令官たるファーロス家の当主ゼネテスと、
エリス王妃の2人が其処にいるだけだった。
 
「レムオンが貴族を率いてボイコットしちまった。俺は、ファーロス家の兵だけを率いて出る」
ゼネテスは、苦笑混じりにそんなことを言っている。
「死ぬ気なの?」
思わずリュミエは叫んだ。ただでも動員できる兵の総数で、今ロストールはディンガルに劣っていると、
そう言ったのはゼネテス本人ではなかったか?
さらに兵が減った状態で、どうやってあの青い死に神と戦えるというのだろう。
 
ゼネテスは酷く落ち着いた顔で
「死にに行く訳じゃない。俺なりに勝算はある」
と告げる。確かに勝算はあるかも知れない。だがその確率は砂漠の砂一粒程度の大きさでしかないだろうと、簡単にリュミエにも想像が付いた。
たった今、自分で「状況はもっと悪くなるかも知れない」と言っていたのだから。
 
「俺と一緒に戦ってくれるか?」
このいつも飄々として感情を見せない男にしては、どこか不安げな言い方だった。
リュミエは躊躇うことなく頷いた。
自分は間違いなく、そのためにここに来たのだ。この男と共に戦うため、この男の首を、敵兵の手柄にさせないために。
言葉少ないながら、まっすぐに自分を見据えて頷くリュミエに、ゼネテスもまた同じように頷き返した。
そして、共に戦場に行くために歩き出す。
 
と、ゼネテスは振り返り、今はただ1人このがらんとした部屋に残る王妃に向かい、最後の別れとも言える言葉を投げかけた。
 
「1人なら生き延びる算段があるのだろ?」
「私には守るべき夫と子供がいる。そなたこそ、1人であれば生き延びられるのだろう?」
ゼネテスは予想通りの答えだったのか、にやりと笑った。
「俺にも守るべきものがある。天国で会おう」
答えを聞いて笑ったのは、今度は王妃の方だった。
「我々には地獄こそがふさわしかろう」
「愛する者のために一生懸命な人間は、みんな天国に行くんだよ、叔母貴」
その言葉に、エリス王妃は一瞬、妻であり、母でもある顔で微笑んだようだった。
 
その短いが万感のこもった言葉を聞き、リュミエの胸に小さな痛みが走っていた。
(ゼネテスが守るべきものって…、なんだろう)
頭に浮かんだのは、スラムの顔見知りの人々。そして、ここにいる王妃と、自分の婚約者。
きっとゼネテスが守るべきものの中に、自分は入ってはいないのだろう。
自分が望んだのだ。守られているだけではなく、一緒に戦いたいと。
でも戦いを前にしてのこの不安の中。
急に自分一人だけが、この繋がっている愛情の輪から取り残されていたような気がした。
 
 
ゼネテスは強かった。
単に剣の腕がどう、というのではない。「生き延びるためのガッツは売るほどある」と言いきれる男は、叔母である
エリス王妃顔負けの策略家でもあった。
どんな手段をつかってでも生き残る気なのだろう。「ネメア死す」の噂は、単純ではあるが効果は大きかった。
しかしその噂に浮き足立っている敵軍を前に、リュミエは誰にも言えない疼きを押さえかねていた。
 
ネメアはいない。これはただの風聞ではない。ゼネテスが流したデマでもない。
リュミエはそれを目撃した。というより、彼女のためにネメアはいなくなってしまった。
敵であるはずの彼女をかばい、次元の狭間に落とされてしまったのだ。
ディンガルの英雄は、皇帝は、もう彼らの戦場に戻ることはない。
これは敵軍の将としては、喜ぶべき事なのだろうと思う。現にゼネテスは暗躍する不気味な気配を懸念しつつも
目の前の戦には光明を見いだしたようだ。
リュミエは副官としてその意向に従いつつも、釈然としないものを感じている。
『自分を助けたために命を失った人を前に、…その死を喜べない…』
でも口にすることは出来ない。
それは、将軍としてしてはいけない事だと、一介の冒険者である少女にも分かるから。
 
ゼネテスが全軍を指揮する中、リュミエは将軍として仲間と共に前線を駆け抜けた。
彼女の前に立ちふさがる兵は、まるで草のように刈り取られ、道を造る。
この戦いでカルラを討ち取らねば、次が来る。
次に大軍を送られたら、もうロストールは戦えない。
敵兵に恨みがあるわけではない。ただ立ちふさがる邪魔者としてだけ認識している。
彼らが逃げてくれたら、彼女たちを避けてくれたなら。リュミエは絶対に後を追ったりはしなかっただろう。
彼女が求めるのは、ただ一つ。守ると決めた男の首と引き替えの敵将の首。
リュミエはカルラを知らない。個人的にはなにも感じない。
でもゼネテスの敵である。その事だけで、リュミエはその見知らぬ女の命を奪うために、たくさんの死体を
戦場に置き去りにしていく。
 
戦争なのだから。力が足りなければ、其処に転がっている死体は自分なのだ。
それは知っている。
でも。
味方の鬨の声が遠くから聞こえてきた。
 
「ロストール総司令万歳!」
「勝った!ディンガルに勝ったんだ!」
そう涙混じりの喜びの声が響き渡る中、リュミエの手の中でまた1つ命が消えていく。
 
「あなたの手…、あいつに似ている…」
 
年の頃はそう自分と変わらない、カルラの副官、アイリーン。
彼女は自分の守るべき主を逃がすため、しんがりをつとめ、そしてリュミエと対峙した。
戦いたくないと叫ぶリュミエを前に、彼女は「私は戦いたい」と叫んだ。
同じ副官として、騎士としての意地。
主を守るために。
 
「守りたかったのに…、あいつ…」
アイリーンの意識が混濁していく。自分の手が、大切だった幼なじみに似ていると言って、
自分を手に掛けた女の手を握り、最後の瞬間を迎えようとしている。
 
「かあさん…、先生…」
リュミエはとっさにその手を握りしめた。自分が泣くのは、今、悲しいと感じるのは欺瞞かも知れない。
でも彼女は友人だった。一緒に頑張ろうと、そう励まし合っていた。
騎士になるのが夢だったと、そう言っていた。カルラの部下になり、やっと夢が叶ったと、そう言っていた。
彼女が攻め込もうとしていた国には、彼女の帰りを待つ母が、師がいる。
彼女は敵軍の騎士として、攻め込む先にいる母親を呼びながら息を引き取った。
 
…どうして?と叫びたかった。力一杯泣きわめいて、こんなのおかしいと、誰彼かまわず言いたかった。
嗚咽をこらえるリュミエの耳に、彼女が守った男の声が聞こえる。
涙がにじむ目を上げると、ちゃんと自分の足で立ち、自分の口でものを話す男がいた。
 
「カルラは?」
…、そう聞くのは、司令官として当たり前なのだろう。
でも悲しみに取り付かれているリュミエには、酷く残酷に聞こえた。
言葉が出せず首を振るリュミエに、ゼネテスは逃がしたことを責めるようなことは何も言わなかった。
ゼネテスにはすべき事がある。
それは納得している。
 
「戦争だから人が死ぬのは当たり前だ。でも当たり前だと分かっていても、悲しいのは仕方ない」
リュミエが敵将のために泣いているのを、容認してくれているのだろうか?
「落ち着いたら来てくれ。俺は兵をまとめてくる」
そう言ってゼネテスは行ってしまった。
彼は当然のことを言っている。
当然のことをしている。
自分のことだって、ちゃんと思いやってくれた。
1人取り残されたリュミエは、理屈ではそう納得していた。
 
それでも。
 
「…1人でなんとかしろっていうこと?」
 
この思いを。辛さを。やりきれなさを。1人で消化しろという事?
 
認められるというのは、こういう事だったのだろうか。
なにがあろうと、自分のことは自分で何とかしろと、そう突き放された気がした。
リュミエは自分の涙が急にひいていくのを感じた。
 
リュミエはそっとアイリーンの手を胸の上に組み合わせ、血で汚れてしまった顔を綺麗にふき取った。
もう元気に笑っていたときの顔は思い出せない。
自分にとっての友人アイリーンの記憶は、この冷たく目を閉ざした顔だけなのだろうと思うと、リュミエは急にうすら寒いものを感じた。
 
「私がしてきた事って、何だったんだろう…」
ぼんやりとリュミエは呟いた。
答えてくれるものは誰もいない。
 
今私が1人なのは、仲間達の思いやりなのだろうか?
それとも――。
 
リュミエはふらりと立ち上がった。
「…私だって、傷つくんだよ…」
誰も答えない。誰も彼女の嘆きは聞かない。
リュミエはふらふらと本陣に向かって歩き出した。
自分の責任は果たさないと――そうむなしく自分に言い聞かせて。
 
「カルラを逃がしちゃった…」
ロストール本陣が勝利に沸き立つ中、総司令の天幕の中では、そんなに楽観も出来ない話がされていた。
自分を責めるように言ったリュミエに、ゼネテスはぽんと男にするように肩の辺りを叩く。
「もう気にするな。助っ人ご苦労さん、おかげで勝てたんだから」
軽い言い方は、リュミエの気を楽にしようとしてのことだと、そう理屈では分かった。
でもリュミエは「助っ人」という言い方に、「やっぱり」と別の意味で妙に納得してしまった。
 
…助っ人なんだ、私は。助っ人…、つまりは…、外からの他人って事だ…。
殆ど感情を写さない笑みを口元に浮かべたリュミエに、一瞬ゼネテスは酷く危ういものを感じる。
それでも、その事だけにかかわずらっていられなかったのは、ゼネテス自身もそう余裕がなかったからだ。
今回はたまたま向こうが奇策に引っかかってくれたからの、拾いもののような勝利だということは、
彼は誰よりもよく知っている。
とにかく、徹底的に人手が足りない。
ネメアの死で敵の動きが止まる事は予想されるが、だからといって甘い予測に頼るわけには行かない。
「レムオンが協力してくれればなぁ」
そうゼネテスがぼやいたときだった。
王妃直属の密偵が、そのレムオンが行方不明になったと伝えに来たのは。
 
人払いされた天幕の中で、人形のような双子の姉妹は、レムオンとティアナが忽然と消えてしまったと伝えた。
ゼネテスは意表をつかれたようで、驚いた顔を隠そうとはしなかった。
「へえ、…、レムオンが攫ったわけでもないだろうしな」
婚約者が消えたという報に、ゼネテスはあまり実感がわかなかったようで、そんなことを言っている。
彼女たちはかつてアトレイアの側近くにいた「シャリ」の存在を問題視しているようだった。
 
リュミエもシャリの危険さは知っている。彼はなにを考え、なにを目的にしているのか、その行動の理由が分からない。分からないから危険なのだと、そう感じる。
ゼネテスに淡々と報告をしていた密偵が、不意にリュミエに聞いた。
「この人達とは、あなたも少なからず関わりがあったはずよね。なにも知らないの?」
私がなにを知っているというのだろう。その言い方に、疲れていたリュミエはカチンときたのを隠せなかった。
 
「私は、ここで、戦っていたのよ?どうして王宮の中のことまで知っているの!」
その時の女の態度は、リュミエが何かシャリと一緒に企んでいたのでは?と言いたげなようにリュミエに見えた。ただの考え過ぎだったのかも知れない。被害妄想だったのかも知れない。
でもその時のリュミエに火をつけるのには十分な仕草だった。
 
「シャリってのは破壊神復活をもくろんでるらしいってやつだ。」
ゼネテスはそう冷静に分析し、さらに調査を彼女たちに言いつけようとしていたところだった。
「ロストールのお偉い人たちがなにをしようと、私には関係ないわよ!」
不意に拳を振るわせて叫んだリュミエに、ゼネテスは驚いた。
「私が関わりたくて関わった訳じゃない!なのにどうして責められなきゃいけないの!」
俯いたまま叫ぶリュミエを、ゼネテスは呆れたように宥めにかかった。
「落ち着けよ。誰も責めちゃいない。聞いただけだろうって」
その口調すら、リュミエを怒らせた。
 
リュミエは持ち込んでいた盾をつかむと、密偵の女に向かって投げるように押しつけた。
「こんなの返す!こんなのが欲しくて戦った訳じゃない!
ロストールの騎士なんて、私は一度も望んではいなかった!」
叫ぶうちに混乱してきた。
騎士に望んでいたのはアイリーン。なのに、なぜ、彼女は騎士になれなかったの?
なぜ私が騎士なの?
戦って、戦って、でも私には何にも残らない。こんなたいして欲しくもなかった形だけ。
自分で決めたことなのは間違いない。でも、自分の知らないところで、自分は評価され、存在を位置づけられ、
知らないうちに運命の流れの中に放り出されている。
 
なぜ私は『ロストールのために』戦う必要があったのだろう。
そう思った瞬間、リュミエはその場にいることが耐えられなくなった。
「リュミエ!」
ゼネテスの呼ぶ声も聞こえない。
リュミエは天幕を飛び出していた。
 
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苦しい言い訳――暗いですねぇ。(^^;;)ううむ…パーティーメンバーも無視されてるし。この間アイリーン戦をプレイしたとき寝不足で頭が疲れてたのか、台詞がいちいち堪えまして、なんだかひたすらリュミエが情緒不安定になっちゃいました。その後アイリーンの家に行ったら、違う人が住んでたりして、自分のしたことの結果を見せられたのも、なんだかすごくショックでしたね…。その勢い。暗いまま続きます。