◆長い一日2◆
 
 
陣の中は沸き立っている。とりあえず勝てたことに、生き残ったことに、兵達は素直に喜んでいる。
彼らのいる場所を音もなく走り抜け、リュミエは陣から少し離れた場所にある森に駆け込んだ。
『私が陣を飛び出したって、誰も気が付きもしない…』
勝ってしまえば、私はもうお払い箱?
酷く自虐的な気分に陥っていたリュミエは、、木々の間のわずかな草原に、自分で自分の身体を抱くようにして蹲った。厚い雲に覆われた夜空は、月の光の一片すらも地上には恵んでくれない。
松明の火に照らされた陣を離れた森の中は、全く別の生き物たちの支配する場所だ。
 
竜王が目覚めたといわれる夜の地震、それを感じたのも森の中。ならず者に襲われたのも。
父が死の淵に追いやられたのも。なにもかも変わったのもやっぱり森の中。
あの場所がロストールでなければ。父がロストールの密偵ではなく、本当にただの商人であったのならば。
私はロストールに特別な関わりをすることがあったのだろうか?
なぜディンガルではなく、ロストールの傭兵を引き受けたのだろう。
答えはただ一つ。あの時、私はゼネテスがロストールの将だなんて知らなかったのだから。
 
父の墓を…守りたかっただけだ。
 
リュミエは今まで自分が考えようとしなかったことの罪を、今償わされているような気がした。
とにかく、生きることに精一杯で、自分が置かれた立場を改めて考えることをしなかった。
最初からゼネテスが貴族だと知っていたら、あんなに素直に懐けなかっただろうに。
 
かさりと傍らに草を踏む音が聞こえる。
誰だと喧嘩腰の視線をあげると、心配そうなゼネテスが立っていた。
「おい…、急にどうしたんだ?」
隣に膝をついて、彼はリュミエの肩に手を添えた。
「…どこか、けがとか、具合が悪いとか…?」
今頃そんなことを聞くの?酷くリュミエは冷たく考えた。
ゼネテスに対して、こんなにひねた目で見るのは始めてた。
 
「やっぱりゼネテスも貴族なんだ…」
無意識にそんな言葉が口をついて出た。
リュミエは仮面のような顔でゼネテスを見ると、ゆっくりとその手を払う。
「下っ端の人間なんて、どうでもいいと思ってる。アイリーンを殺したのは、ロストールのそんな貴族達だ」
ゼネテスの表情がこわばる。かまわずにリュミエは吐き捨てた。
「貴族達が変な身分だの決まりだのに拘って、そうやってアイリーンを自分の国にいられなくしたんだ。
ディンガルの方がよっぽどましじゃない!ロストールなんて負けてしまえば良かったのに!
自分達の手だけ綺麗なままにして、それを当然と思ってるような貴族なんかのために、戦いたかったわけじゃないんだ!」
 
こわばったままのゼネテスが、酷く傷ついたように瞳を揺らがせる。
それでも彼は辛抱強く興奮しているリュミエに向かい、もう一度手を差し出した。
「とにかく戻ろうぜ。ここは危険だし、冷えるし…、お前さんにゃ、休息が必要だ」
リュミエはその手を払いのける。
「今更なにが危険?こんなに殺し方だけ巧くなったのに!」
むちゃくちゃだ。八つ当たりだ。分かっていてもリュミエには止められない。
ずっとずっと長い間押さえていたものが一気に噴出し、全てが信じられなくなっていた。
 
ゼネテスは黙って立ち上がった。何も言わないがたくましい顎が微かに震えていることに、奥歯を噛みしめているのだと分かった。酷く傷つけて、言い過ぎたとリュミエは分かっていても、素直にそう口に出来ない。
目を背けたリュミエをゼネテスは一瞥すると、そのまま黙って陣に向かって歩いていってしまった。
草を踏む音が遠くなり、完全に聞こえなくなると、リュミエは狂ったような笑い声をあげた。
それから唐突に涙がこぼれだした。
完璧なヒステリーの発作に襲われ、リュミエは自分の肩を自分で抱いたまま、自分の感情をもてあまして酷く苦しそうな嗚咽を漏らしている。
 
全部終わり。ぜーんぶ、終わり!
ゼネテスは私に呆れて、あの双子は王妃に報告して、それで全部終わり。
将軍も騎士も全部遠い過去のことで、もうどこを探してもアイリーンはいなくて、私はあの優しい母親から娘殺しと恨まれ、行き場所を全部無くして、それで全部終わり。
ネメア様、どうして私を助けたの?私なんて、助ける価値はなかったのに。
無限のソウルなんて、訳の分からない呼ばれ方に踊らされた馬鹿な娘。
 
「君と僕は相容れない存在」
エルファス、どうして、そう言いきれるの?私はあなたと敵対する事なんて、望んでいないのに。
 
「これ以上やりすぎると、竜王様のお怒りにふれる」
なにをやりすぎたというの?ノエルを助けて欲しいと、そう言いに来たのはナーシェス、あなたじゃないの?
 
私の存在が人を振り回し、私の存在が誰かの存在を脅かす。そんな存在になりたかったわけじゃない。
私はただの一介の冒険者で、目の前で傷つけられている人をほっておけなかっただけの、ただのお人好しで、
それ以上のことはなにも考えていなかったのに。
父さんの眠る場所を、ただ守りたかっただけなのに。
 
ゼネテス…、本当はただ一緒にいたかっただけなのに。
 
蹲ってしゃくあげるリュミエの近くで、かさりと草を踏む音がする。
顔を上げる気はなかった。獣にかみ殺されるのも、ディンガルの残党に殺されるのも、別にどっちでもかまわないと、そう投げやりに思った。
 
ふわりと何かが自分の身体にかけられた。温かくて柔らかい感触に、それが毛布だと気が付いたリュミエは、いきなりその毛布に芋虫みたいに包まれ、ひょいと抱き上げられた。
「…ゼネテス」
リュミエを抱き上げたのは、さっき行ってしまったはずのゼネテスだった。
彼は唖然としているリュミエを抱きかかえたまま適当な木の側に行くと、彼女を腕に抱いたまま、木にもたれて座り込んだ
リュミエは離れようともがくが、毛布にくるまれているので手足の自由が利かない。
もごもごと暴れるリュミエを、ゼネテスはきつく抱き寄せた。
真っ赤になった目を見張るリュミエの肩の所に頭を伏せたゼネテスが、唸るように何かを言う。
 
「すまなかった」
なにを謝るの?リュミエの動きが止まった。
「親しいやつと戦うやりきれなさを、俺は誰よりもよく知っている。…、一緒にいてやれなくて、すまん…」
言葉のないままのリュミエに、もう一度ゼネテスは繰り返す。
「1人にして、すまなかった…、悪かった…」
 
また新しい涙があふれ出し、リュミエは子供のようにたどたどしく言葉を発した。
「…アイリーン、友達だったの…」
「ああ」
「お互いに頑張ろうって、そう言って励まし合って…」
「ああ」
「ロストールには、アイリーンのお母さんも、先生も、彼女を知っている人がたくさんいたの。みんな彼女の帰りを待っていた。…、お母さんはとっても心配して、帰ってくるのを楽しみに待っていて、私が彼女のことを伝えたら、ありがとうって…そう言って」
「ああ」
「私が壊しちゃったの、あの人達の願い、私が壊しちゃった」
泣きじゃくりながらの言葉も後が続かなくなり、リュミエは黙ってゼネテスの胸に頭を押しつけるようにして泣き出してしまった。
 
ゼネテスもなにも言えない。いいとか、悪いとかでは割り切れないやりきれなさは、言葉では補えない。
ただ、黙って側にいるしかできない。半端な慰めでどうにかなるような思いではないのだ。
赤ん坊をあやすような仕草で、リュミエの背をゆっくりと叩く手は優しかった。
ぼろぼろに傷ついて、ささくれ立っていたリュミエの気持ちを、穏やかにしていく。
 
しゃくり上げる間隔がだんだんと長くなり、涙が治まりかけてきたリュミエが、ばつが悪そうに顔を上げた。
「どうした」
とゼネテスが声をかけると、リュミエが頼りない声で呟くように謝ってくる。
「ごめんなさい…、酷いこと言った…」
「いいって」
ゼネテスがゆっくり言いながら、またリュミエの背中を軽く叩く。
「良くない。八つ当たりだって分かってて、酷いこと言ったの。ごめんなさい。…ゼネテスが怒っても、当たり前だと思う」
「…そうだなぁ、あん時ゃ、ちょっと腹が立ったかなぁ」
何気ないように言うゼネテスに、リュミエの身体がびくっとする。
「腹が立ったのはお前さんにじゃない。…自分に腹が立った」
腕の中から上目遣いに自分を見るリュミエに、少し冗談めかした顔つきで笑い、ゼネテスは言葉を続ける。
 
「あん時のお前さんは、全くらしくなかった。それほど、らしくない事を言わせるほど、追いつめてたのに気が付かなかった自分に腹が立った」
顔を上げたリュミエが、また泣き出しそうに唇を歪めた。
「自分のことで手一杯で、悪かったなぁ。頼りなくて愛想が尽きたか?」
リュミエはべそをかいた顔のまま、頭をふる。
「私も自分のことで手一杯だったの…。いろんな人と会って、いろんな事があった。
短い間にいろいろあり過ぎて、たくさんの人の思いにふれすぎて、自分がどうしたいのか、
整理がつけられなくなってたの。ゼネテスが悪いんじゃないの」
そう言ってリュミエはぎゅっと顔をゼネテスの胸に押しつけてくる。
またあふれてきた涙を見せないように。
 
「そんなにいろいろあったのか?」
ゼネテスはリュミエの頭をなでながら、質問する風でもなくそういう。
「あった、一杯。うまく言えないけど」
「じゃあ、後でゆっくり話してくれ。今までお前さんがしてきた冒険の話や、出会って別れた人達の事を」
顔を伏せたままのリュミエが、こくんと頷いた。
 
小さく笑ったゼネテスが、急にこの場では似つかわしくないほどに明るく言った。
「とりあえず勝ったから、もうばらしてもいいか?1つ白状することがあるんだ」
「白状?」
リュミエが小さく問い返す。
「正直、今度の今度こそ、駄目だと思ったなぁ。いくら何でも戦力が違いすぎる。マジで、戦いにもならんだろうと。
まあ、俺が華々しく戦死したら、さすがにレムオン達も腰を上げるかと思ったな。王妃に恩を売る絶好の機会だ」
あの時、そんな事を考えていたのかと、リュミエは急いで顔を上げた。
ゼネテスは冗談ではなかったようで、真面目な顔で話している。
「でもお前さんが来てくれただろう?どう考えたった、やばくて、何の益もなさそうなのに、躊躇わずに俺と一緒に来てくれると言った。…嬉しかったぜ?なにが何でも、こいつだけは生きて帰さにゃ、って思ったら、怖いのも吹っ飛んでいっちまった」
「え?」
聞いた言葉が理解できない、というような顔をしたリュミエの前で、ゼネテスは照れ隠しのように声を上げて笑った。
「ちょっ、ちょっと、もう一回言いなさいよ!」
「2回も言えるかってーの」
ついいつもの口調で食ってかかりそうになったリュミエに、ゼネテスはやっぱり照れ隠しのように笑っている。
くるまれてた毛布をはだけて、じたばたし始めたリュミエに、ゼネテスはようやく安心したのか口元をほころばせると、ぎゅっと強く抱きしめた。
驚いてまたじたばたしているリュミエの耳元で、穏やかに話し始める。
 
「なあ、ちょっと、耳を澄ませて見ろよ。聞こえるか?」
「…え?」
「耳を澄ませて見ろよ。聞こえるだろう?向こうにいる、兵達の声が」
リュミエは言われるままに、じっと気配をたぐった。
森の向こう側、微かにちらちらと見える松明の明かり。その方向に、確かにたくさんの人間が、生きて、動いている気配がする。
その気配を追っているらしいリュミエに、ゼネテスは掠れた声で言い聞かせるように続けた。
 
「お前さんは知らなくても、あの兵士達の一人一人に家族がいて、友人がいて、帰りを祈りながら待っている。
お前さんは間違いなく、その人達の幸せを守ったんだ。…その事だけは忘れてくれるなよ?」
 
忘れるなよ?
その声音が、リュミエの心に響いてくる。
守れなかった幸せもあるけれど、間違いなく守られた幸せもあるのだからと。
それが、自分のした事への免罪符にはならないけれど。
それでも間違いだけをしたわけではないと、心の一番奥の部分に訴えかけてくる。
 
言葉にはならなかったけれども、リュミエが微かに頷いたのをゼネテスは感じた。
 
雲が流れていく。その隙間から覗いた月は大きく傾き、、夜明けが近いことをゼネテスに知らせてくれた。
自分の腕の中で傷ついた勝利の女神は、いつのまにか眠り込んでいた。
目尻を赤くしたままの寝顔は、眠っているのに泣いているようで、ゼネテスの心も痛くする。
 
ゼネテスは自分が同じように落ち込んでいたとき、彼女と交わした会話を思い出していた。
 
「戦場で敵としてであったら、真剣に戦え」と、そう言った。
今も自分は同じ事を言えるのだろうか。
たとえこの娘が敵だったとして、この身体に剣を突き立てることが自分に出来るのだろうか。
 
ゼネテスは自嘲するように笑った。
「やっぱ………だろうな…」
長い長い一日。
その終わりに呟いたゼネテスの声は、風にまぎれて消えていった。
 
 
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苦しい言い訳2――うん、こうしてゼネさんは消えた婚約者も1人で頑張る叔母さんもほっぽりなげて、リュミエが不安定にならないように支えるために一緒に行くことにしたのでした。まあ、ちゃんと筋が繋がってるわ〜〜なんて、自分で誤魔化すのもヤバイ〜〜!ヤバヤバですわ。でもまあ、女主人公の年齢から言っても、そんなにそんなに余裕があるわけでもなさそうだしって事で。無限のソウル、なんて言ってもノエル見る限り、別に普通の女の子と変わらないやんけ、って気もするし。
主人公だって頼られるばっかりじゃなくて、頼りたい時ってある筈よね〜なんて…。とりあえず、逃亡!(こればっかり)