◆果てまでも 2◆
 
 
「なんという事を…」
低い怒りに満ちた声に、チャカは完全にゼネテスの後ろに隠れてしまった。
「なんて事をしてくれたんだ!なんて浅はかなことを!」
拳を振るわせて立ち上がったレムオンに、リュミエも憮然とした顔つきで立ち上がった。
 
「何が浅はか?セバスチャンが決断しなかったら、どうなっていたか、考えたことがあるの?
ロストールがディンガルを追い返せたのは、当然の結果じゃない!確率としては、私達が追い散らされる方がよほど高かったのよ?そんな時に本国で内乱、クーデター?確かに成功したかも知れないわ。
でもその後は、どうなるの?ファーロス家という共通の敵が存在してこその、貴族の協力関係だって、
判らないわけないでしょ?
それとも、あの甘い砂糖漬けの夢しか見れない連中が、政権を握ったとたんに聡明な政治家になれるなんて、
まさか夢でも思ってた?だとしたらレムオン、あなたも相当脳みそが砂糖漬けだわ!」
「黙れ!」
怒りに任せたレムオンの平手が、リュミエの頬を直撃する。
一瞬の間のあと、リュミエの鋭い平手で、レムオンはしたたかな反撃を食らっていた。
 
 
「気取らないでよ!あんただって信用どころか、連中をバカにしきってたじゃないの。連中があんたを本気で信頼してるなんて思ってたの?あんたは確かに頭が良くて腕が立つかも知れない。
でもとんでもない世間知らずだわ。潰されるだけの虫だって、機会があれば反撃してやろうって思ってるのに!」
リュミエは仁王立ちで叫んだ。
「帰りたければ帰ればいいわ!ここはアミラルの手前だもの、ノーブルまですぐの距離だわ。
行方不明になった説明なんて、いくらでもしてやる。
その為に私は戦争に行ったんだもの、軍功を上げて、発言力を増すために!
でも、それでレムオンはどうするの?今まで通りにやれるの?うまくバランスを取れるの?
何もなかったふりで、すっとぼけて平常心で王妃や他の貴族達に接することができるの?」
 
「穿ったことを言う。口の達者な女だな」
レムオンの低く感情を抑えた声は、かえってリュミエの口を閉ざさせた。
「お前に俺の何が判る?貴族の歴史も理想も、何も学ぼうとせずに、ただ闇雲に嫌っていたお前に。
はっきり言ってやろう。お前ごときにどうこう言えるほど、貴族同士の関係は浅いものではない。
この俺も、お前などに忖度できるほど弱くも単純でもない。うぬ…」
言い切る前に、目から火花が飛び散るほどの衝撃が来た。
 
ぐるりと視界が回り、ちかちかと点滅したかと思うと、レムオンの真正面に星空が広がった。
「理想がなんだって言うのよ!そんなもん、今はくその役にも立たないじゃないの!歴史があんたの立場をどうにかしてくれると思ってるなら、カビの生えた歴史書を、一生後生大事に抱いていればいいじゃないの!
貴族同志がキスしようが、どつきあいしようが、興味なんて無いわよ!
あんたの事だから、こっちだってお節介がわかってて手を出したんじゃないの!」
怒鳴り声がしたかと思うと、荒々しい足音が遠ざかっていく。
 
仰向けに倒れたままのレムオンを、ゼネテスがひょいと覗き込んだ。
「色男が台無しだな。顎に綺麗に入った」
可笑しそうな声に、レムオンは身体を起こすと、むっつりと殴られた顎をさすった。
「なんて凶暴な女だ。男を拳で殴る女など、聞いたことがない」
「そうかい?可愛い乙女心が判らない無粋な男には、当然のむくいだと思うぜ」
ニヤニヤしているゼネテスが、やけに癇に障った。
「あれが可愛いか。曲がっているのは性根だけじゃなかったようだな」
「女を見る目も曲がってるか?少なくとも、目を閉じてるヤツよりかは、ましだと思うがね」
嫌みが堪えた様子もなく、ゼネテスは笑う。
「まあ、俺としては、お前さんが朴念仁でいてくれた方が嬉しいがね。そうすりゃ、こっちにも口説くチャンスはある」
「お前のようないい加減なやつが、あれに近付くな!」
間髪入れないレムオンの言葉に、ゼネテスは吹きだした。
 
「お前さん、むちゃくちゃだぜ。あいつのことを凶暴だのなんだのさんざんなこと言っておいて、俺が口説くのは駄目なのか?俺がお前さんの立場なら、いっそ喜んで押しつけてやるところだがね」
無言のままのレムオンが、ぎりっとした目で睨み付ける。
ゼネテスはこほんと咳払いをした。
 
「安心しな。強引にせまるのは趣味じゃないんだ」
「ふん、あれが意に染まぬ相手にせまられて、大人しく言いなりになる女か」
「まったくだ。俺が今せまったら、問答無用で黒こげにされるだろうさ。それが判ってるから、手が出せない。
出せないから、お前さんをからかって少しばかり気を晴らそうかと思ってるのさ」
「貴様の気晴らしになる気はない。まったく…もう少し分別があるかと思っていたが、俺の買いかぶりだったな。
こんな事をして、お前だって知れたらただではすまぬだろうに」
「すまんだろうな。ま、そん時はそん時だ」
「いい加減なやつだ」
あきれて吐き捨てるレムオンに、ゼネテスは声を抑えて笑った。
 
「まあ、俺のことはどうでもいい。それより、あいつをどうする気だ?」
「どうするだと?あれの方こそ、俺をどうする気だったのか、それを聞きたいところだがな」
「俺に聞いても、判らないぜ。俺はかってに首を突っ込んだだけだ。聞きたければ、直接聞くんだな。
もっとも――また下手な言いかたすれば、鉄拳がとんでくるかもしれんが」
「…当てにならんもヤツだな…」
完全に脱力したようにレムオンは下を向いたまま、考え込んでしまった。
 
リュミエの言うとおり、今となっては何をするにも遅すぎる。
そういう事態を招いたのは、一体誰だと責めたくなる反面、確かに彼女のいう事にも一理あるのだと気づく。
自分達の立場が微妙になれば、強い方にすり寄っていくなど、いまの貴族のあり方を見ればすぐに判ることだ。
義務も責任も最初から頭になく、特権を享受することだけを当然と考える連中が、あえて厳しい道を選ぶはずがない。
自分が見ていたのは、最初から叶わぬ理想に過ぎなかったのかも知れない…。
 
 
「ま、あいつの言うとおり、帰りたいならそれで良いさ。俺とあいつで口裏会わせれば、何とかなるだろう。
あとはお前さん次第だ」
こともなげにゼネテスが言った。
「お前の言い方は、気楽すぎる」
「重苦しく言ったって同じ事さ。俺達とお前さんは、今や一蓮托生だ。お前さんは俺を誘拐犯として告訴することができる。事実、そうだからな。お前さんの決定は、俺達全員の命を握ってるんだ」
「お前の言っていることが本当なら、お前は馬鹿な選択をしてここにいる、という事だな」
吐き捨てるレムオンに、またゼネテスは笑った。
そうしてから真顔になり、憮然としている幼なじみの顔をじっと見つめた。
 
「俺は、叔母貴がお前さんにしたことを認める気はない。だからといって、詫びる気もない。やり方は確かにえげつなかったが、俺に言わせれば、いわゆる「お互い様」てなもんだ。
俺の知っている若い頃の叔母貴は、それこそお菓子作りが趣味の、どっちかといえばおっとりとした女だった。
その叔母貴を今のようにしたのは、反乱を企てた貴族連合だ。その中にはお前さんの親父殿も混じっているし、一族丸ごと同じ穴の狢扱いがお前さん方の論理なら、角つき合わせるのも当然だろうな」
「お前に詫びてもらう気もなければ、同情される言われもない」
レムオンは素っ気なく言った。
 
「むろん、お前に罪をかぶせて、我が身の安泰を計るつもりはない」
「そういうと思ったぜ。だとしたら、お前さんのとる道も決まってくるな」
「あれの思惑に乗るしかないか――」
いささか不満げに言うと、レムオンはリュミエが消えた方に目を遣った。
「さて、どうするかは、当人同士の話し合いで決めてくれ」
挑発するようなゼネテスの物言いにレムオンは眉を寄せたが、黙って立ち上がると、
リュミエのいる方に歩いていった。
 
 
完全にレムオンが見えなくなってから、チャカがオロオロしながらゼネテスの元にくる。
「二人っきりにしていいのかい?ひょっとして、本気で喧嘩したりして…」
自分で言ってから、チャカは二人の本気の決闘を想像して青くなった。
「そうさな…しかし、いくらなんでも…」
ゼネテスは腕組みをして、しかつめらしい顔をした。
 
「一発で相打ちって事はないだろうから、上手くいけば無傷のうちに止めに入れるぜ?」
「ゼネさん、俺、時々、あんたを当てにしていいのかどうか、判らなくなるよ…」
脳天気なゼネテスの台詞に、チャカは思わず泣けてきそうになったのだった。
 
 
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