◆果てまでも 3◆
 
月明かり頼りに森の木立を抜け、音のする方にレムオンは歩いていった。
みると、泉の傍らに膝をついたリュミエが、何かしている。
近付く足音が聞こえたはずなのに、リュミエは振り向く気配も見せずに作業を続けていた。
レムオンはリュミエの後ろに立つと、言葉を探しながら声をかけた。
 
 
「何をしている…」
「見て判らない?食べたあとの食器をすすいでるの」
「食器を…?」
「そうよ!汚れ物はほっておけばいつのまにか勝手に綺麗になるなんて、ひょっとして思ってた?」
「いちいち怒ることはないだろう、食事の支度は、いつもお前がしていたのか?」
「交代よ、昼はチャカで、朝はゼネテスが作っていたわ」
「ゼネテスが食事を?」
「肉や野菜に塩をふって焼くだけだけど、当たり前みたいな顔で皿も洗うわよ。どっかの誰かさんと違って、
冒険者は自分の事は自分でするのが、ルールなの」
「そうなのか…」
「やだわ、きゅうに神妙な顔しないでよ。苛めてるみたいな気がしてくる」
リュミエは手を止めると、レムオンを振り返った。
 
「…俺とて、自分の面倒は自分で見られる。貴様が変な気を回す必要など無かったんだ」
「そうでしょうよね、どうせ、下賤な生まれの私は、あんた達の間で通じる暗黙の了解とか、全然知らないから。
変に気を回して、かえって事態を混乱させちゃったのよね!いっそ私を突き出したら?
王妃と組んで、リューガ家の身代を狙った性悪な妹として!お詫びの印に、大人しく死刑になってあげるから、
そうしたら、一石二鳥でしょ?」
立ち上がり、声を尖らせたリュミエに、レムオンは不審な表情をする。
 
「お前らしくない言い方だな」
「私らしくなんて、どうして、あんたが知ってるのよ!」
噛みつくような言い方をしたあと、きゅうに自己嫌悪を感じたのか、リュミエはその場にしゃがみ込んでしまった。
「嫌だ、本当に私らしくないわ。ヒステリーで相手の言い分を封じ込めようなんて、嫌らしすぎて、
絶対やりたくなかったのに」
憑き物が落ちたように静かになった少女の隣に、レムオンも腰を下ろした。
 
「お前は、俺のためにこの計画を立てたのか?いざとなったら、自分が泥を被る覚悟で」
「そう言われると、とっても健気で自己犠牲精神が旺盛な人間みたいね。あいにく、自己満足のためよ。
引きこもったあげくに、状況をわきまえないクーデター計画なんて、あんたみたいなすかしたプライドの固まりの
気取りやに、やって欲しくなかったの」
「…ひどい言われようだ…」
「そうよ、いつも偉そうに私に命令を下していた男が、こんなに簡単に足下踏み外すような弱い人間で
いて欲しくなかったの。私の勝手な思い込みを、押しつけたことは悪かったわ」
小さくしゃくり上げる声が聞こえた気がして、レムオンは無意識に少女の目元に手をやった。
「何よ、泣いてないわよ」
その手を避けるように、リュミエが体を反らす。
 
「お前はそれで平気なのか?」
「何がよ」
「自分が悪名を被ることだ」
「そんなの、全然平気よ。一番怖いのは、自分がやりたいこと、見届けたいことを、全部途中で放り出しちゃうことだから。自分がやりたいって決めたことを全うするためなら、悪魔でも性悪でも、なんて呼ばれたって、いちいち傷つくほど、華奢なプライドじゃないもの」
「…そうか…それならば、俺の望みは、真実ではなかったのかも知れないな」
「何よ…あんたと私は同じじゃないでしょ?」
レムオンの言葉にリュミエは何か不安になったのか、きつかった声が小さくなった。
 
「…いや、俺は自分の正体を知られたと思っただけで、世界が全て壊れた気になった。真実やり遂げねばならぬ理想を背負っていたと思うなら、どんな恥知らずの手段を使ってでも、場を切り抜けることが出来たのだろう…」
「それ自体、なんでそんなに拘るのか判らないわ。私は、ダークエルフを知ってる。忌まれる存在だろうけど、
私が知っているのは、妹思いで気の強い、普通の女だわ。ゴブリンだって、仲間を思いやれるし、
元魔人と酒盛りしたこともある。昨日まで普通に暮らしていたダルケニスが、今日から凶暴になるなんて考えられない」
「全ては無知ゆえ…かも知れないな。知りさえすれば、恐れる必要のないことも、
知らぬが故に恐怖の対象となる」
レムオンは呟くようにに言った。
 
「世界を見る必要があったのは、何よりも俺自身だったのかも知れないな」
「どうしたの?やたら物わかりの良いこと言って」
「相変わらず、口の悪い女だ」
あからさまに戸惑っているリュミエに苦笑しながらレムオンは、傍らの女を見た。
口の悪さと裏腹に、自分を見る目にはなんの曇りもない。
あくまで透明で、鮮烈だ。
 
記憶の中で、この女はいつも1人で立っている印象がある。
誰といても、どこにいても、いつも一人きり。
誰に縋ることもせず、しっかりと自分の足だけで立っている。
彼女が縋ったのはただ一度――自分がダルケニスだと知られ、動揺したあの夜だけ。
『側にいさせて』と、泣きながらしがみついてきた。
あの日は、自分のことだけで精一杯で、それがどんな意味を持つのか、考えもしなかった。
 
 
「お前は俺が好きなのか?」
「きゅうに何よ」
突然のレムオンの問いに、リュミエは呆れたように言った。
「答えろ、お前は俺が好きなのか」
「いやあよ、答えが判ってる相手に、なんで愛の告白なんてしなきゃないのよ」
リュミエは思いっきり眉を顰めて身体を引いた。本気で嫌がっているらしい。
「答えろ、お前はどうでもいい相手のために、これだけの骨折りをしたのか」
「私がどこで何をしようと、私の勝手よ」
 
頑として質問の答えを拒み、リュミエはそっぽを向く。
それでも立ち去ろうとはしない。
それ自体が、彼女の答えだ。
自分からは口にすることがない、リュミエの想い。
違い場所を見つめるレムオンから、目を逸らさずに抱き続けた深くて強い思い。
その思いの深さ故に傷ついたこともあったろうに、リュミエはそれをおくびに出すこともしない。
強すぎるが故に傷ついた心。
それでも、誰にも救いを求めたりはしないのだ、この女は――。
 
 
「答えろ」
「嫌だってば、しつこいなぁ」
「答えろ、俺の答えは、――多分お前は知らない筈だ」
リュミエの顔が、奇妙な感じにゆがんだ。
 
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