◆果てまでも 4◆
 
 
困ったような、泣き出す寸前のような、リュミエの微妙な無表情。
レムオンはなんとなく、こんな顔を見た覚えがあるような気がした。
昔、エストが幼い頃。
本にばかり夢中になる彼に、親戚があざけるような事を言ったとき、少年が見せた顔だ。
 
――何を言ったって、理解してくれるはずがない――
そんな、悔しくて悲しいような、言いたい事は沢山あるのに言いたくない、そんな時に見せた顔。
リュミエが驚くほど幼く見えた。
女の口が震えるように開いた。
 
 
「あんたってずるい…自分が女に好かれる綺麗な顔してるの知っていて、そういう事言うんでしょう…。
そんな目で見られたら、殴り倒しも出来やしない」
なんとなく観念した風に悪態をつく表情は、まるで泣き笑いのようだった。
 
「好きよ。あんたがどう思おうと、私はずっと好きだったわ。側にいて、何かしたかった――いつだって近しい所にいて、何かあったときは一番に力になりたかった。たとえ世界が壊れたって、あんたの役に立ちたかったわ」
リュミエは自嘲気味に笑うと、力が抜けたように首を傾げた。
「もっとも、それほど、当てにもされてなかったみたいだけどね」
 
「珍しいな。そんな仕草をすると、お前も女に見える」
「余計なお世話よ」
レムオンの戯れ言に、リュミエは表情を変えずに呟く。
と、レムオンの手が伸び、リュミエの肩を引き寄せた。
思いがけない行動に、リュミエはきょとんとしたまま、あっさりレムオンに抱き寄せられていた。
 
「側にいたいなら、いろ」
「え?」
聞き返す言葉を無視し、レムオンは続けた。
「誰よりも近しい場所にいろ。俺の側にいて、――俺にだけすがれ」
「何言ってるのよ、らしくない」
さっきまでの気弱な声はどこかに失せ、リュミエは思わず大きな声を出した。
「俺は本気で言っている。嫌とはいわせん。たった今、お前が自分で言ったんだ。俺の側にいたかったとな」
「そりゃ、言ったけど――」
リュミエは間の抜けた声で言った。なかなか信用する事が出来ないのだろう。
それでも、レムオンが抱き寄せた腕に力を込めると、そのまま慣れない動作でしがみついてきた。
 
「これでいまさら冗談だ、なんて言ったら、穴掘って埋めてやるからね」
半べそかきながらのリュミエの憎まれ口に、レムオンは笑った。
「お前相手に冗談でこんな事を言えるほど、俺は趣味が悪くない」
「あんたの言うこと…ほんと、いちいち憎ったらしい」
「お互い様だ」
言い返すかわりに、リュミエはしがみついた腕に力を込め、レムオンの肩の辺りに顔を伏せる。
リュミエが顔を伏せた肩が熱い何かで濡れていくのを、レムオンは感じていた。
 
 
◆◆
 
 
「あーあ、行っちゃった…」
アミラルの港からエルズ行きの船に乗った二人を見送ったチャカが、ぼんやりと言った。
「すぐに戻ってくるさ。お前の姉ちゃんはな。まだやることがある以上、義理堅いからなぁ」
「俺…信じられないよ。あの姉ちゃんが、あのエリエナイ公と…なんてさ。お貴族さまになんか、絶対に姉ちゃんの良さは分からないと思ってたのに…」
「あのなあ…一応、俺も貴族だと言ったはずだろうが…ふられた男に少しは同情する気はないのか?」
いつまでもぶつぶつと言っているチャカに、ゼネテスは可笑しそうに言う。
その顔をちらりと見て、チャカは深いため息をついた。
「俺、なんかすごーく力が抜けちまって、その手の冗談につき合う気はないよぉ」
「冗談じゃないんだがな…」
小声で言ってから、ゼネテスは船が行った先に目を遣った。
レムオンとリュミエ。
一応、体裁上は兄妹になっている二人がロストールに戻って思いを叶えることは、
現状のままでは無理だろう。
どうするのかは、自分が考えることではないが――。
 
「何とかなるだろうさ――あの二人なら」
船の行く先を見ながら呟くゼネテスに、気が付いたチャカが顔を上げた。
「何とかなるかなぁ」
「何とかなるさ」
断言するゼネテスの顔は、ほんの少しばかり残念そうな色を浮かべている。
それを笑いに紛らし、ゼネテスはチャカの肩を叩いた。
 
「さて、お前さんの姉離れの祝いだ。奢ってやるから、一杯飲みに行こうぜ」
 
 
 
◆◆
 
 
「エルズの風の巫女に話を付けておいたから、当分はあそこにいてね。あの町なら、ロストールのことに詳しい人もいないし、のんびりした町だから、社会勉強にはもってこいだわ」
船の甲板で、機嫌良さそうにリュミエが言う。
「風の巫女と知り合いとは。エルズの女王エアは予言者として有名だ」
少し感心した風のレムオンに、リュミエは得意顔をした。
「これでも一流冒険者ですからね。世間知らずの貴族よりか、よほどコネは多いのよ」
「まあ、そういう事にしておこう」
ふと気が付いたように、リュミエが言い加えた。
「あ、でも、エアは今、婿さん募集中だから、誘惑されないでよ。私より女っぽいのは確かだから」
「お前に比べたら、大抵の女は女らしく見えるだろうな」
しかめっ面で舌を出すリュミエに薄く笑い、レムオンは海をみた。
 
自分がこんな風に海を渡るとは考えても見なかった。
ここでは、誰も自分を特別扱いしない。
ただの1人の人間として、彼は船に乗っている。
むしろ、冒険者として顔の知れているリュミエの方が注目の的で、彼をさして「新しい仲間か?」と訊く船員さえもいる。
不思議な感覚だった。
「ノーブル伯」と自然に彼女を呼ぶものもいるが、その声に貴族に対する畏怖などが含まれている様子もなく、
その事を言うと、彼女は大きく吹きだした。
 
「あのね、下町に行くと、「自称なんとか伯」とか、「自称どこぞの貴族の落とし子」が山ほどいるの。ロストールのお膝元では、さすがにそんな事、名乗るやつはいないけどね。「女白竜騎士ノーブル伯」の噂はけっこう流れてるから、私のことも、せいぜいそれに因んだ通り名くらいに思ってる人の方が多いんじゃない?」
「…そんなに適当な物なのか」
貴族の名が、そんなに簡単に扱われている場所もあるのかと、レムオンは半ば呆れた。
呆れながら、目の前でけらけら笑っている女を改めて見る。
 
 
自分の意志で、自分の力で、冒険者として確たる名声を築き上げた女は、今は年相応の顔で笑っている。
その彼女は、それこそ自分の意志で、レムオンと共にいることを選んだ。
それが、自分にとって吉となるか凶となるか、今は判断が出来ないが、少なくとも、あとはレムオンの意思次第。
たとえレムオンが地位も財産も全て失っても、破滅の道を進んでも、彼の選んだ道ならば、間違いなくリュミエも共にくる。
彼女自身がそれを望んだのだから。
何もかもなくしたとしても、最後に必ず彼女は残る。自分の側に。
そう考えたとき、レムオン自身ですら不思議なほどの満たされた思いが、胸の中に大きく広がった。
 
リュミエは楽しそうに笑いながら、船の進む方向をじっと見つめている。
その先になにが待っているのか、いまさら、思い悩む風もなく。
「お前は――俺と来るのだな」
何気ない声にリュミエが顔を上げると、少し離れた場所でレムオンが見つめている。
少し目を細めたそのおだやかな表情に、つられたようにリュミエの顔もほころんだ。
潮風に乱された蒼い髪を抑える女の向こう側、カモメたちが飛びさってゆく。
 
「果てまでも――」
 
答えるリュミエの笑顔に、波間に弾けた光がまぶしく重なった。
 
 
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内緒の言い訳――キリリク創作、お題は、ちゃんと生きてるレム兄と幸せになるノーブル伯でした。愛さん、いかがでしたでしょうか?(^^;;)マジで言い訳しますと、最初はね〜もう少しロマンティックなシーンを入れたかったんですが、書いてたら……
この有様です。結局、なんつーか、まあ、所詮はノーブル伯に甘いラブシーンは無理かも…って事で、
お許しを〜〜!!!(逃走!)