覚醒
 
許せなかった。
その男の姿を持ちながら、その男の精神を持たない、その動く物体が。
存在そのものが許せなかった。
完膚無きまで破壊し尽くされ、そして闇の巨人に飲み込まれたその物体。
なにもかもが消えた後、私は決意した。
取り戻す。
その男の身体を。その男の意志を。その男の存在そのものを。
なにが何でも取り戻すと。
 
***
 
…豊かな黄金の波。
そこに浮かぶ青い青い輝き。
それは、手を伸ばしても届かない光り輝くような少女を思い出す。
だから俺は目を閉じる。
それ以上目にすることがないように。
 
 
「今日からお前はリューガ家の一員となったのだ」
「だから?恩を売る気?間違えないでよね。元を正せば、あのたわけナメクジのボルボラなんかを
代官にした、あんたの見る目がなかったという事でしょ。私が、ありがたがって、涙流して忠誠を誓うなんて、
まさか考えてないわよね」
「口の減らない女だ」
「おあいにく。私は真っ当な生身の人間だから。生まれてから死ぬまで口は一つ。
増えも減りもするわけないでしょ」
 
 
「この世間知らずが。世の中とは、そんなに甘いものではない」
「世間知らずはどっちよ。私は着の身着のままで放り出されたって、生きていける。
山の中で木の実も探せるし、罠も仕掛けられる。魚も釣れる。
あんたは?
あんたは一週間でのたれ死ぬでしょ?世間知らずってのは、そういうことなの」
 
下品な女だ。
卑しい生まれにふさわしい、品もなにもない言葉使いだ。
あの王女とは違う。同じ女であって、なぜ、こうも違うのだ。
黄金の輝きを持つ王女。
目の前に広がる黄金の夢は、俺に痛みしかもたらさない。
 
 
「少しはティアナを見習って女らしくしたらどうだ?」
「女らしくって?女らしくしてるじゃない。
そういう事いう自体、あんた、女の事ちっとも分かってないね」
「下賤の女の事など、知る必要はない」
「へえ、じゃ、お上品な女の事は知ってるんだ。お上品な女ってあれ?
人の噂話と嫌みしか言わない女の事?
あんな話するくらいなら、裏の婆ちゃんと話してた方がよっぽどタメになる。
3年前の古い粉でも美味しいパンを焼く方法。教えてあげようか?」
「必要ない」
「そりゃそうでしょうね。あんたたち貴族は、私達から取り上げた、
いつだって新品で最上級の粉しか使ったことないんだから」
 
このエリエナイ公に向かって、よくもそんな口が利けるものだ。
あの王女とは全く違う。
泥臭い女。
 
『レムオン?』
小さな手が窓越しのように俺の前に着かれている。
 
『帰ってきて』
どうした?お前らしくもない。
 
『帰ってきて…』
泣いているのか?なぜ?
 
 
「全くお前のように無礼な女は見たことがない」
「怒ってるなら、一言言えばいいのよ。『出ていけ、二度とここへ来るな!』そしてその足で宮殿に使いを出すの。
『妹は旅先にて急死いたしました』それで万事終わりよ」
「甘いな。俺が本当にお前を急死させないとでも思っているのか?」
「するわけないでしょ、オニイサマ。『エリエナイ公、兄妹喧嘩の果てに、館を半壊』
なんて噂になりたくないでしょ?」
 
怖い物知らずの女だ。
だがなぜこんなにも楽になるのだろう。
この女は裏がない。
駆け引き無しだから。
なぜそんなにも開けっぴろげな顔で笑う?
 
 
「俺がお前の気持ちを尊重するとでも思ったのか?」
「心の底から、思ってる」
「…そ、そうか…」
「あれ?嫌がらせのつもりだったのに。意外と可愛いところがあるんだ」
 
どういうつもりで、この女は俺をからかうのだ?
どういうつもりで、可笑しそうに俺の言葉に笑うのだ?
どういうつもりで?
 
「さ、行こうか、オニイサマ。どこへでもお供いたしますよ?」
 
なれなれしい上に白々しい台詞だ。
誰が「オニイサマ」だ。兄だなどと思っていないくせに。
それはこちらも同様――妹などと思っているわけではない。
強いていうなら、共犯者。
それもどうせ選ぶのなら、もう少しましな口の利き方を心得ているものにするべきだったと、後悔をしている程の。
 
それなのに、お前が俺と共に来る。
それがなぜこんなにも力強く感じるのだろう。
お前のような小娘が、なぜ、俺の力になれると、俺は思ったのだろう。
だが、黄金の輝きの前に足がすくみそうになるとき、この女はいつも俺を支える。
 
 
『レムオン…、あなたに愛して欲しいなんて思ってない。私はただ、あなたが生きる場所を守りたかったの
あなたがあなたらしく生きられる場所。それを得るためなら、なんだってできる』
 
泣くな。
そこでお前が泣いても、俺には何も出来ない。
ガラス越しのお前の泣き顔。
俺の脳裏に焼き付いて離れない、あの時と同じ顔。
 
「出ていけなんて言わないで。私はここにいる。お願い、追い出さないで。
私は怯えてない。恐ろしいなんて、思ってない」
 
必死に懇願する女を追い出した。
女の言葉に嘘はないと分かっていても、女の言葉が信じられなかった。
いや、怯えていたのは俺の方だ。
おぞましい邪悪な化け物と言われ続けてきた、俺の本性。
それを知られたことに、俺は怯えた。
ほんのわずかでも、あの女が俺に怯えたら――。
考えたくなくて、女を追い出した。
 
「お願い、レムオン。私を側に置いて!」
 
声すら聞くことが出来ずに、無理矢理に追い出した。
 
 
あの黄金の王女は、俺を愛していない。
俺に笑いかけようとも、それは兄に対するものと変わらない。
「レムオン様が、私の夫になってくださればいいのに」
意味のない戯れ言。
黄金に輝く、美しく残酷な王女。
その言葉が、どれほどの俺の心を傷つけたのか、考えたこともないのだろう。
 
いっそのこと、なにもかも壊れてしまったら。
俺は、もうなにも、あの王女に対して関心など持っていないと、そう態度で示したら。
あの王女はどう思うのだろう。
なにも感じまい。
残るのは、自分自身への嫌悪とむなしさだけ。
 
「レムオン、…私行くから」
書斎の扉越しのお前の声。
お前も俺を裏切るのか。
俺をおいて、行ってしまうのか。
 
「レムオン。私、戦いに行くわ。でも間違わないで。私はロストールのためにでも、ましてや王家のために
戦いに行くのではないの。レムオン。
あなたがここで、貴族としてしか生きられないと言うのなら。
私は、あなたの生きる場所を守るために戦うの」
 
「憎まれたって構わない。許さないと言われても構わない。私は自分のためにするの。
たとえこの戦いで命を落としても、本望。私は、自分に出来ることを精一杯するだけだから」
 
扉の向こうに遠ざかる足音。
お前は笑っていたのだろうか。
なぜ、そんなにも鮮やかに生きることが出来るのだろう。
俺は自分の足下を支えることすら、出来やしない。
 
闇と光。
黄金の波。
眩んだ眼を俺は閉じることしかできない。
 
 
『レムオン、お願い、目を開けて…』
 
俺を呼ぶな。
 
『レムオン、お願い…』
 
なぜ、泣く。
俺を呼ぶな。
お前は一人でも生きられると、そう言っていただろう。
 
『レムオン…』
 
なぜ、泣く。
笑って見せろ。
いつものように、俺の前で笑っていろ。
 
『レムオン、お願い!目を開けて!』
 
痛みを覚える黄金の波。
手の届かない王女の髪の色。
そこに浮かぶ青い真珠。
王女の瞳の色だ、けして、俺のためには輝かない。
 
『レムオン!』
 
広がる黄金の海。
ここはどこだ?
どこのイメージだ?
俺は1人、黄金の波の中に立っている。
目に映る、果てしない黄金の輝き。
ここは、あの場所。
そして――。
 
青い真珠。風に揺れて、その向こうに白い横顔。
お前は。
 
こちらを向く。
俺が怯えていた黄金と青のイメージ。
それを俺にもたらしていたのは。
お前か?
青い髪の―――。
 
 
耳に響くガラスの割れる音。
乳白色の霧が辺りに立ちこめる。
ここは、どこだ?
俺は――どこにいるんだ?
 
霧の中を誰かが近づいてくる。
青い髪。
両手を広げて、自分に向かって飛び込んでくる。
泣きながら笑っている女の顔。
 
「レムオン!」
 
足が傾ぐ。前に進もうとする意志に反し、俺の身体はその場に膝をつく。
女が駆け寄り、俺を胸に抱き寄せる。
 
「レムオン…」
 
夢かうつつか、その狭間の覚醒。
俺は女の名を呼んだ。
 
誰よりも懐かしい……その名を。
 
声は聞こえたのか?
女は泣きながら笑っている。
理解不可能だ、お前はいつだって、俺にとって未知の存在だった。
それでもお前は笑っているのだな。
俺の前で。
俺のために。
 
 
 
俺は目覚めの時を知る。
 
 
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怖い言い訳――分かりづらい書き方で申し訳ありません。これはレム兄が復活直前に見ていた「夢」です。
一連のお話の中で、非情に重要な人物だったにもかかわらず、レム兄、殆ど出番無しのなに考えてるのかも、全然
分からなかったので、…(^^;;。まあ、蛇足かも知れませんが。