◆決別◆ 
 
新月の夜。
星の輝きも厚い雲の闇に遮られた闇夜に、地上に淡く輝くものがある。
アキュリース、水の都。
全ての生き物が眠りにつく時刻、昼は人の生気に満ちる広場に1人の少女が佇んでいた。
うっすらと発光し、誰もいない暗闇に向かい、何かを話しかけているように時折首を振っている。
 
「…そうか、やっぱりそうか。答えはみんな同じね。判で押したみたい」
少女は1人ごちてくすくすと笑う。
「でも、どんな答えを出すかは、私がどうこういう話じゃないわね」
青い髪の少女、リュミエは肩をすくめてちらりと闇の中に視線を泳がす。
それから振り向き、その闇の向こうにいる肉眼では見えないはずの人物を、ひたと見据えた。
 
(選ぶのは、あなた。でも多分…)
少女はある予感にくすりと笑った。
案の定、ポッと小さなカンテラの灯りがともり、それを持った男が近づいてくる。
それでも慎重に間合いを取って足を止め、男はカンテラを持ち上げて自分の顔を照らした。
 
「よう、妙なところで合うな」
ツェラシェルは相変わらず軽薄な態度でリュミエに声をかけた。
口先三寸の神官崩れの詐欺師。
そして、金のためなら何でもやる、凄腕の情報屋でもある。
 
リュミエは男に向かい淡く笑いかけた。
「白々しいわね。私を追っかけてきたんじゃないの?」
ツェラシェルは芝居がかった態度で肩をすくめる。
「さすがは竜殺し。全てお見通しかい?」
「戦争が落ち着いたいま、一番の金のなる木は私の行方でしょ?」
「へえ、自覚があったんだ。ティアナ王女誘拐の容疑がかかってるって」
男は目的を隠すつもりもなくそういう。
そういう男だ。
目端が利く。鼻も利く。ただ、たった1つ、理解できていないものがある。
リュミエは笑った。
彼女の可憐とも思える笑顔の裏の恐ろしさを、この男は感じることが出来ない。
 
「どうして、私がそこに関わってるって思ったの?ゼネテスの依頼?」
「いや、とんでもない。その逆さ」
ツェラシェルは得々としゃべり続けた。
「ティアナ王女捜索のために呼び戻されたはずのファーロス司令が、
王宮に戻らずにそのままどっかにいっちまった。そして、あんたの関係者の所を洗い始めた。
俺やヴァイ達にも、一言の命令も無しだ。それでピンときたのさ」
「お利口さんね。ゼネテスの先回りができたのはなぜ?」
「先回りした訳じゃない。ただ、そのうちにここにも来るだろうって網を張ってただけさ。どんぴしゃりだ」
男は自慢そうに手を広げた。
 
「それで、私をどうする気?」
リュミエは目を細めてそう言った。
「そりゃ、もちろん一緒に来てもらうさ。世間話だけじゃ、金にならないからな」
「どうやって連れて行く気?私が大人しく言うことを聞くと思ってる?」
「聞かなきゃ、聞かせるさ」
余裕たっぷりに言う男の背後から、ふたつの気配がする。
ご自慢の妹たちだ。
リュミエは可笑しくなった。
 
お前達ごときが私をとらえられると、本気で思っている?
愚かなことを。
お前達は知らない――そう、何も。
 
自信ありげだったツェラシェルが息を飲んだ。
さっきまで自分の前にいたはずの少女の姿が消えていたのだ。
一瞬のことに目を疑いながら、男は妹たちに命令しようとした。
そして口を開けたまま、動きが止まる。
男の首に背後から手がかかっている。
殺気も何もなく、ただ添えているだけの小さな両手。
そして、吐息のような声。
 
「羽虫が。お前は自分から火の中に飛び込んだ」
少女の声の響きが、さっきまでとは全く違っている。
冷ややかで体温を感じさせない、まるで遠い世界から聞こえているような声。
 
「放っておいてあげても良かったのよ?獅子の耳の後ろでぶんぶん飛び回るだけのうるさい羽虫。
我慢にも限界があるの。うるさくしすぎると叩き落とされるって事が、ちっとも分かってないのね」
男は持っていた剣を反射的に振るった。
なんの手応えもなく、背後の気配が移動する。
「兄さん」
双子達が駆け寄ってくる。
「気をつけろ、相手は化け物だ」
 
その言葉に、リュミエはまた薄く笑った。
 
化け物。化け物。
都合の良い言葉だ。
人間が何かを排除しようとするとき、自分達と違う何かを消し去ろうとするときに、相手に向かって言う言葉。
本当の化けものはお前達なのに。
目をふさがれた、哀れな竜王の家畜。
その呪縛から解き放たれたいまも、お前達は自分達と違う物を悪とする。
 
ポッと空に灯りがともる。
白く清らかな光は数を増し、その中央にいる少女の姿を浮き上がらせた。
リュミエは中空に浮かんでいた。
後ろに手を組み、あどけなく首を傾げ、3人の姿を見下ろしている。
 
「私は本当にお前達なんてどうでも良いのよ」
リュミエは武器を持ち、緊張した顔で見上げてくる3人に微笑みかけた。
「でも彼らはあなたが許せないんですって。あなたは彼らを化け物呼ばわりし、そして彼らの愛する巫女を
危険にさらしたから」
リュミエの回りに浮かぶ白い光。
それがぶうんとうなりをあげて光を増し、やがてたくさんの巨大な生き物の姿になる。
 
「ミズチ」
ツェラシェルは悲鳴に似た声を上げた。
少女を守るように鎌首をもたげた巨大な大蛇が、一気に男に向かい降下してきた。
「兄さん!」
兄をかばおうと前に出た女の身体をすり抜け、巨大なミズチの一頭がその口にツェラシェルをくわえ、
大地と垂直に宙に昇る。
その後を縺れるように他のミズチ達も追いかけ、男の姿はあっという間に建物の屋根よりも高い場所へと
連れ去られてしまった。
 
女の片割れがきっとリュミエを睨み付けた。
ミズチ達の輝きが消えた今も、リュミエの全身はわずかに発光している。
密やかで控えめな月が地上に降りてきたようだ。
 
女達はぶるっと震えた。
この月は危険だ。
密やかさの後ろに、恐怖を隠し持っている。
2人の女が同時に、隠し持っていた武器を手にした。鋭いかぎ爪のついた鎖。
1人が予備動作無しでリュミエにそれを投げつける。
ヒュンと風を切る音。生き物のようにまっすぐに少女の身体をとらえると思った鉄の爪が、軌道をかえ
それを投げつけた女の元へ戻ってきた。
 
「ひっ…!」
思いもかけない自分の武器の動きに、女が慌てて鎖を操作しようとする。
「ヴィア!」
もう1人の女は悲鳴を上げた。
たった今攻撃を仕掛けた自分の分身が――膝をつく。
その首が、消滅していた。
 
首を無くした女の身体は、自分でも戸惑っているような動きで、ゆっくり前のめりに倒れる。
残された女、ヴァイライラは呆然として命の消えた妹の身体を凝視した。
「…そんなバカな…」
「どうしてバカなこと?先に攻撃したのは、そっちでしょ」
彼女の後ろから、穏やかな少女の声がした
素早く後ろを向くが、そこには誰もいない。
「こっちよ、何やってんの?」
笑みさえ含んだからかうような声に、ヴァイライラは前を向く。
そこには、なんの邪気も感じさせない少女が、柔らかく微笑んで立っていた。
 
「武器を人に向ける。殺気を誰かにぶつける。その意味が分かってるの?」
リュミエは、青ざめ凍り付いたヴァイライラに向かい、諭すように言った。
「それはそっくりそのまま、自分に返されても文句は言えないって言うこと。
だから良いのよ?あなたが私を殺そうとしても。あなたの妹を手に掛けた私に報いをうけさせたいのなら、
来るが良いわ、私を殺しに。そうしたら、私も殺してあげる」
ひゅっとヴァイライラは息を飲んだ。
わずかに距離をとっていたはずの少女が、瞬間的に自分の鼻先に現れたからだ。
 
「ああ嫌だ、あなた達が私に向かって攻撃するから、思い出しちゃったじゃないの。あの時、あの女はレムオンに手を挙げたのよね。自分達がしたことを棚に上げて、まるで被害者のような図々しい顔で、レムオンを殴ったの。思い出したら、止まらなくなっちゃったじゃないの。
あの時の、バカな自分を。お前達をみすみす逃がしちゃって、レムオンを守れなかったバカな自分を」
その言葉通り、話しているうちに激高してきたらしいリュミエは、いらいらと眉をひそめ、目をつり上げた。
 
「ああ、本当に嫌だわ。どんどんどんどん、腹が立って来ちゃった。
あなた達って、どうしてそんなに図々しいの?当然のような顔でレムオンの館に押し入ってきて、
レムオンに乱暴を働いておいて。そして、したり顔でエリスに注進したんでしょ?
『エリエナイ公はダルケニスです』って。盗賊もどきが正義感ぶって世も末だわ」
リュミエの手は無意識にヴァイライラの首を締め付けていた。
ひゅーひゅーとヴァイライラの口から苦しそうな息が漏れ、その手が少女の小さな手を振り払おうと、
忙しなく動く。
リュミエはいらついてヴァイライラを乱暴に放り投げた。
「本当に落ち着きのない女ね。人の話くらい静かに聞けないの?」
ヴァイライラは理不尽な少女の言いぐさにも、答えることが出来ない。
ようやく戻った息にゼイゼイとあえぐだけだ。
 
リュミエはその苦しげな女の姿に冷静さを取り戻すと、傍らにしゃがみ込み、優しく声をかけた。
「あなた、私を捕まえるつもりだったんでしょ」
ヴァイライラは顔を上げた。
「どうやって捕まえる気だったの?いってごらん。私をどうやって、自分達に従わせるつもりだったの?
エリスの威光は私には通じない。ゼネテスの名前も効果ないわ。実力で捕まえる気だったの?
この私を?竜王にその存在を危険視され、ウルグにすら望まれた身体を持つ私を?」
パンと音がして、ヴァイライラの顔がはられた。
「うぬぼれてるんじゃない!お前達のその傲慢さが、レムオンを絶望に追いやったのね」
 
冷静沈着なはずの女は、もはや声も出せぬほどに怯えきっていた。
頬を押さえ、倒れたまま、じりじりと肘をつかって逃げようとしている。
リュミエは、自分を見つめる女の目にある言葉を見つけ、うっすらと笑った。
「言ってごらん。お得意の言葉を。『化け物』って」
優しく言って、片手を前に伸ばす。
「化け物で良いのよ、私は。お前が、お前達が当たり前の真っ当な人間だというのなら、
私は化け物で良いの」
少女の瞳が一瞬、悲しげに揺れた。
ヴァイライラが何かを言おうとした刹那、リュミエの手から放たれた衝撃波が彼女を直撃していた。
 
 
ツェラシェルは不自然な姿勢でミズチにくわえられたまま、高い位置で、もがき続けていた。
「放せよ、ヘビ共!お前らもう死んでるんだろ?生きてる人間様に妙な真似をするなよ!」
ふっと違う気配が男の前に浮かんだ。
青い髪の少女が後ろに手を組み、宙に浮いたまま彼の顔を覗いている。
 
「ミズチ達、あなたを扱いあぐねているのね。彼らはあなたとちがって生き血も死肉も必要としないから」
リュミエは物騒なことを言いながら、可愛らしく首を傾げて笑いかけた。
「…、妹たちをどうした…」
男が苦しそうに聞いた。
にっこりと微笑んだ少女が、後ろ手に持っていた物をツェラシェルの前に差し出す。
 
「ヴァイ…」
ツェラシェルは鼻先に突きつけられたものを見て、掠れ声で名前を呼んだきり声を出せなくなった。
リュミエは持っていたのは、哀れな妹の生首。
「もう1人の方は、うっかり首を全部吹っ飛ばしちゃったの。身体だけでいいなら、ご対面させてあげるけど?」
言うなりリュミエは手を離した。
「…」
ツェラシェルが声にならない悲鳴を上げる。
女の首は真っ逆様に地上に落ち、ぐしゃりと潰れてしまった。
 
「化け物が…」
男は悔しそうにそう言った。体が自由になれば、今すぐに飛びかかってきそうな形相だ。
「そっちが私を放っておけば良かったのよ」
リュミエは哀れむように言った。
「自分の流儀が誰にでも通用すると思ってた、お利口なお馬鹿さん。酒場で誰に向かって口を利いたの?
この私に向かって、レムオンを裏切ればエリスが取り立ててくれる。悪い話じゃないって?」
何気なく男の顎にかかった少女の手に力がこもる。
ゴキっと骨の外れる音がして、ツェラシェルの顎ががくんとたれた。
 
「本当に自分から恨みを思い出させに来るなんて、あんたってバカじゃないの?小さく隠れていれば、
見逃してやったのに。聞こえてる?返事は出来ないだろうけど」
ツェラシェルははずされた顎から涎を垂れ流し、無惨な姿で唸り続けていた。
リュミエは肩をすくめる。
「まあ、こうなった以上は仕方ないわね。私があなたの妹たちを殺し、あなたを殺したとしても、
悪く思わないでちょうだい?」
少女は苦痛に涙を流している男に向かい、仮面めいた悽愴な笑みをみせた。
「これが私のやり方なのよ」
 
これがかつて自分が少女に向かっていった言葉だと、思い出したかどうか。
男をくわえていたミズチが大きく首を振り、反動をつけてツェラシェルの身体を遠くへ放り投げた。
最後、見開かれた彼の目に後悔があったかどうか、彼女は見極める気もなかった。
すでに常人を遙かに越えた聴覚は、たたき付けられた肉が潰れる音と、心音が1つ消えたのをとらえている。
リュミエは横に手を一閃させた。
地中から、黒いヒルのような生き物がもぞもぞと這いだし、出来たての3人の死体を血の一滴も残さずに綺麗に食べ尽くして、また地中に戻っていく。
 
「立つ鳥跡を濁さず。これくらいは常識ね」
リュミエは感情を交えずに言った
一時的な肉体を得たミズチの魂達は、再びただの光となって少女の回りに集まっている。
耳を傾けるような仕草のあと、リュミエはにこっと笑った。
 
「ええ、…分かってるわ。お行きなさい。あなた達の巫女の元へ。最後の瞬間まで側にいてあげればいい」
彼女は生き残った巫女達に、精霊神を通じて警告を送っていた。
彼女たちの返事は全て同じだった。
『民達と共に、最後までこの大地にある』と。
 
ふわふわと辺りを漂っていたミズチ達が、1つ、また1つと神殿の方へ飛び去っていく。
リュミエはそれを見送りながら、呟いた。
「守れる物があるという事、執着できるのものが存在するということは幸せだわ。
私には今は何もない。それを取り戻すために、私は行かなくてはいけない」
 
あの旅の中で深く関わった人間達には、リュミエは様々な手段で警告を送っていた。
弟は、とうに大陸をさっているはずだ。姉の言うとおりに。
その他の連中はどうしているだろう。答えは知らない。
 
それは決別の証だった。人間であることを自ら止め、違う生き物として生きていくために。
そして、ただ1人、彼女が直接警告をしに行った相手は。
 
「…私を追ってくるのね、ゼネテス。私を止めるために…。それはエリスを守るため?
それとも、…あの時のあなたが言った言葉のため?私が闇に堕ちそうになったら、止めると…」
ぼんやりと言って、リュミエは見えない月の方向に目を向ける。
 
「いいわ、来なさい、ゼネテス!私はその先を行くわ。あの人を取り戻すために、あの人があの人らしく生きられる世界を手に入れるために!」
 
リュミエは毅然と顔を上げると、闇の向こうの月に飛び込むようにジャンプした。
少女の身体は、そのまま大気に溶けこみ消えてしまった。
 
 
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今更な言い訳――これって、読んだ人がいるのかしら?(苦笑)警告警告〜。18禁アダルトはないくせに〜〜暴力シーンはてんこ盛りなのね、趣味を疑われるぜ、私。(笑)いや、実際に忘れてたんすよね、この3人の存在。
でも、ちょっとしたことで思い出したら、「やっぱり、嫌いだ、この兄妹」てな事で決着をつけさせてしまいました。
まあ、一方的な虐殺といえないこともないですが(って、そのものじゃない)。レムオン変身イベントで、あの3人を逃がしちゃったのが、かえすがえすも私は残念です、はい。