◆激突◆ 
 
リュミエが掲げた剣の切っ先は、まっすぐにゼネテスに向いている。
 
「リュミエ、知ってたか?」
「何を?」
「オズワルドが壊滅した。またソウルイーターが現れたんだ」
「あら、またあそこに行ったの。よほどあの町が嫌いだったのね、あの子」
「やっぱりお前さんの仕業か?」
「別に私がオズワルドに向かわせたわけじゃないわ」
リュミエは剣をおろすと、コツコツとその辺を歩き始めた。
 
「ここに拠点を作ったのはね、竜王が死んだときに砕けたソウルのかけらが使えないかと思ったの。
私1人でも出来ないことはないけど、ちょっと時間がかかりすぎるから。
でも、意外と大した量が集まらなくて…、やっぱり長生きしすぎて耄碌してたのね、あの竜王」
リュミエは渋い顔をした。
「その時、ソウルイーターの意識を感じたの。それで、じゃ、先にこっちをって事でソウルイーターを蘇らせて、
新しいソウルを集めてくるように放してやったの。
別に行き先は決めてなかったから、あの子がオズワルドにいったのなんて、知らなかったわ」
その何気ない口調に、ゼネテスは拳を振るわせる。
「ノエル…、彼女は最後まで戦って死んだぞ」
「あら、そうなんだ、ご愁傷様」
リュミエが両手を会わせ、拝む真似をする。
その態度にゼネテスは怒りを感じた。
 
「彼女はお前さんをしたってたじゃないか!」
「あら、ノエルだって仲間のために私を殺そうとしたじゃないの。お互い様でしょ?
それよりゼネテスってば、少しずるくない?」
不満そうなリュミエがゼネテスを睨んだ。
「何で私ばっかり責めるの?エリスだってノエルだって同じ事したときは、すごく寛大だったじゃないの。
みんなそうよね。私には、あれしてくれ、これしてくれっては言うけれど、
私の願いは知らんぷり。これってやっぱり愛の差かしら?」
わざとらしく芝居がかった仕草でリュミエが頭をふる。
ゼネテスはその様子に思わず笑いそうになる。
何を言っても、結局リュミエ相手に怒りきれないのだ。
 
「でも特別に愛されてなくたって、人を好きになることは自由でしょ?」
「何でそう思うんだ?」
自嘲気味のリュミエに、ゼネテスが不思議と優しい声で聞いた。
「?何?」
「何で自分が特別に愛されてなかったって思ったんだ?」
リュミエの顔が、歯痛をこらえているような表情になる。
「見れば分かるじゃないの。レムオンはティアナが好きだった。
ゼネテスはエリス叔母さん一筋だった。ノエルはパーティー一同から熱愛されて
私のパーティーは、私に何かさせたい人だらけだった」
「それは思い込みじゃねえの?」
「そうだったのかも知れないわ。でも私はなんだかいつも寂しかった」
俯くリュミエの瞳が、寂しそうに揺れる。
 
「いつだってまっすぐ前を向いて運命と闘えた訳じゃない。時には甘やかして欲しかったし、
愚痴の一つも聞いて欲しかった。
レムオンともっといろんな話がしたかった。でもレムオンは私を受け入れてはくれなかったわ」
「その男のために、人間を止めたのか?」
「そう、だって好きだったんだもの」
頼りなく呟く彼女の瞳は、どこか遠くを見つめている。
それが過去の記憶なのか、未来の願望なのか分からないが、その寂しげなようすに
ゼネテスは思わず一歩踏み出した。
 
ここにいるのは子供だ。
突然、大人の思惑の中に投げ出され、その中で精一杯頑張り抜いた。
頑張って頑張ってその果てに、肝心な物が何一つ残らなかったことに気が付いて泣いている。
黙って頑張って、その結果のやりきれなさを誰かに訴えたくて、分かって欲しくて地団駄を踏んでいる子供。
自分を含めた大人達が、たった1人の子供に頼り、甘えた果てが、このざまだ。
 
抱きしめて支えてやりたくて、そう思って踏み出したゼネテスの脚は、突きつけられた剣の切っ先の前に止まる。
リュミエは彼の足音に我にかえり、もとのどこか面白がっている表情で剣を構えている。
 
ゼネテスは頭をかいた。
「やれやれ、おっかねえの。お兄さんはちょっと慰めてやろうかと思っただけだぜ?」
「私って馬鹿みたいね。今頃、愚痴を言ったって仕方ないのに。それに同情して欲しかった訳じゃないわ」
リュミエは剣を肩に担いで、とんとんと叩く真似をする。
ゼネテスの戦闘の後の癖だ。
それを見て苦笑するゼネテスに、リュミエはからかうような笑顔を見せた。
 
「愚痴ってのは、その場でこぼさねぇとな。しつけもそうだ。その場でしないと、身に付かない」
「私をしつけなおすの?」
「躾ってのは、信頼関係が大事なんだ。お前さん、俺を信頼してるか?」
「あいにく、してないわ。私、ゼネテスのことは今も好きよ。でも信頼はしてない」
「だろうと思ったぜ。俺は肝心の時、お前さんの力になれなかったからな。それは、まあ仕方ない」
腕組みをしてうんうんと頷く。
リュミエはぷっと吹きだした。
「素直ね。可愛い」
「可愛いと言ってくれてサンキュ。ついでだから、お兄さんの愚痴にちょっとつき合ってくれるか?」
「あら、なぁに?」
「惚れた女にな、何も言えなくて、今それを後悔してる。懺悔代わりに聞いてくれや」
「寛大にも、聞いてあげる」
くすくすと笑っているリュミエに、ゼネテスは柔らかな視線を向けた。
「その女にあったのはな。ロストールとディンガルの最初の戦いの時だった。その女は俺の天幕にやってきた。
叔母貴の命令で、ある貴族に対する人質としてな」
リュミエの顔から、笑いが消えた。
 
「その女はまだ若い、小娘といってもいいくらいの歳だった。冒険者をやってて、戦闘にはまんざら無縁でもないが、戦場に出るには不似合いな雰囲気の、普通の娘に見えたよ。
自分の立場を知らされ、怯えても仕方がねぇと思ってた。一応俺の副官、って事だったが、事と次第によっちゃ、
叔母貴にゃ悪いが、王都に送り返そうかと思ってた。兵の士気の問題もあるしな。
ところがその女、怒りはしたが、ちっとも怯えたりしなかった。
最後まで、どんな兵にも負けないくらい勇敢だった。
まっすぐ前を向いて、強くていい女だと思ったな。
今はまだ小娘だが、こいつはまだまだいい女になる。
そう思った。
ところがさ、戦争に勝って、ロストールに凱旋して、叙勲を受けたときに気が付いた。
その女が誰のためにそんなに勇敢に戦えたかってさ。
惜しいとは思ったが、結局それっきり、俺は何も言えなかった。
その女がその男に向ける顔を見たら、割ってはいる事ほど馬鹿な話もないって分かったからな。
せめて何かの時には力になってやれたらって思ったがさ、肝心なときに俺は何も出来なかった。
結局、ますます俺は何も言えなくなった。
言えないまま、今になった」
 
ゼネテスはじっとリュミエを見つめる。
表情のないリュミエは、やっぱり感情のこもっていない声で訊いた。
「惚れた女って過去形?」
「いんや、今も惚れてる。むちゃくちゃにな」
「そう…」
リュミエは呟いたきり、何も言わない。
ゼネテスも別に返事が欲しかったわけではない。
ただ、どんな形であれ、これが彼女と話す最後の機会になるだろうと分かっていた。
だから話したかった。それだけだ。
何も言えずに、あとで後悔する。今のリュミエのように。
それだけは、絶対にごめんだったからだ。
 
リュミエが顔を巡らせ、広間中央のシリンダーに目をやる。
その隣に歩み寄り、そっと手を添え、ゼネテスの方を向いた。
「これが何か分かる?」
「気になっちゃいたんだがな。中に何かいるのか」
ゼネテスもそれを見ているのを確認して、リュミエはそのガラスの表面をそっと撫でるような仕草をした。
 
ゴボッと乳白色の液体が音を立て、シリンダーの中で大きくうねる。
左右に分かれるように動いた液体の中央に、一つの肉体が浮かんでいるのが見えた。
白い、しなやかでたくましい若い男の裸身。
長い銀髪を藻のように広げた端正な顔が一瞬だけ露わになった。
 
(レムオン)
それは闇の怪物に飲み込まれたはずの、ゼネテスの幼なじみの青年だった。
 
「…そうか、そろそろってことか?」
「そうなの」
乾いた唇をなめながら訊くゼネテスに、リュミエは無表情で頷く。
ゼネテスは時間が迫っているのだと悟った。
かつて彼女が言っていた「力が満ちる」その瞬間。
「レムオンが復活して、2人でめでたし、めでたし、…じゃぁ、駄目なのか?」
「駄目なの。今のままの世界じゃ、レムオンはやっぱり人の目から隠れて、自分の生まれを負い目に思って生きて行かなきゃならない。私、もう、そんな生き方をレムオンにして欲しくないの。
ダルケニスであるという事、自分の種族を誇りに思い、胸を張って生きて欲しいの」
 
 
覚悟を決めた者特有の静けさで、リュミエがそう言う。
ゼネテスの瞳が一瞬だけ切なそうになった。
「しゃあねぇな、…始めるか?」
ゼネテスは使い慣れた剣を持ち、リュミエに対し正面から構えた。
「そうね、始めましょう」
シリンダーから間をとったリュミエも、ゼネテスの前で剣を構えなおす。
最初に仕掛けたのは、彼女の方だった。
 
あっと思う間もなく、間合いを詰めた少女から繰り出される斬撃。
受け止めたときの衝撃の強さと、切り返しの早さにゼネテスは舌を巻く。
一瞬の体捌きで間合いから外れたゼネテスを、リュミエはターンをするようにして追いかける。
開けきれなかった距離は瞬く間に詰められ、ゼネテスは少女と厳しい鍔迫り合いをしていた。
 
(とんでもねぇな…、こいつ)
ぎりぎりと押されるのを感じ、ゼネテスは舌打ちしながらそう思った。
目の前の細い少女の膂力は、完全に自分を上回っている。
おそらく、素早さも体力も。
魔力に関しては、今更言うまでもない。
 
(あん時で、もうパルシェン殿とタメはってやがったもんなぁ、こいつ)
こんな時だというのに、妙にしみじみと感心してしまう。
だからといって、このままやられてしまうわけにはいかない。
ゼネテスはわざと込めていた力を緩めた。
瞬間的に軽くなった相手の剣に、リュミエの身体がわずかに浮く。
その隙にゼネテスは少女の細い手首を掴み、力任せに放り投げた。
軽い身体があっさり宙を飛ぶ。
 
「ちっ!」
その軽さに、ゼネテスは素早く少女の着地地点に向き直り、構えをとった。
少女が自分から飛んで、ゼネテスの投げの衝撃を殺してしまったのが分かったからだ。
案の定リュミエは空中を綺麗な弧を描いて、とんと軽く着地する。
まるでダンスのステップを踏んでるような、優雅さだ。
そしてすぐさま剣を肩と水平にあげ、再び構える。
 
その動きに、ゼネテスは残念ながら認めるしかなかった。
(こりゃ、勝てねぇな)
今までの旅の疲れがあったとしても、ゼネテスはこの鋭い一連の攻防で、すでに息が上がりつつある。
対して彼女は。
 
汗一つ浮かせず、息一つ切らしていない。
相変わらず口元に笑みさえ浮かべている。
 
(遊んでやがるな、こいつ)
ゼネテスは苦笑いした。
 
 
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