◆終焉◆
 
間合いを開けた状態で、ゼネテスはリュミエと対峙していた。
リュミエは今度は動かない。
余裕を見せて、こちらの動きを誘っているのだろう。
長引けばより不利になるのがゼネテスにも分かっている。
次に動いたのはゼネテスだった。
 
冒険者として、戦士としてのこれまでの経験と鍛錬の全てを込め、ゼネテスはリュミエに打ちかかる。
正面から受け止めたリュミエとゼネテスの剣が、火花をあげながら激しくぶつかり合う。
 
頭上からぎりぎりと体重をかけて剣を押し込むゼネテスに、リュミエはわずかに眉の辺りに不快の色を浮かべ、
両手で握っていた柄から左手を放した。
向けられた小さな掌に魔力が集まるの感じ、ゼネテスは「げっ」というような声を上げ、
素早く後ろに下がりながらスペルブロックの呪文を唱える。
近い場所で魔力がぶつかり合い、その衝撃にゼネテスは腕を上げて顔をかばった。
その間にリュミエは距離を広くとり、剣を足下に突き立てている。
ゼネテスが顔を上げたのを見ると、リュミエは両手をあげた。
その両の手に、それぞれ違う色の魔力が集まってくる。
 
連続で放たれた呪文の一発目は何とかスペルブロックで相殺できたが、
後の一発がまともにゼネテスにぶつかる。
局地的な小さな竜巻。風の魔法、ゲイル。
呪文としては一番威力の弱いそれでも、目の前の少女が放つ魔法は威力が桁違いだった。
 
「それでも威力は押さえたのよ」
あっという間に衣服や肌を切り裂かれ、ズタボロになって膝をつく先輩冒険者に、
リュミエは薄く笑いながらそう言う。
「お心遣い感謝。どうせなら、一発ずつにしてくれりゃ、よかったのに」
あちこちから血をにじませながらも、ゼネテスの減らず口は変わらない。
変わらないゼネテスの一見余裕にも見える態度に、リュミエは露骨なに不快感を表した。
 
「勝てないのは分かったでしょ?どうして続けるの?生きてるのが好きなんでしょ?
さっさとこの大陸から出ていけばいいのよ。
追いかけてまで粛正、なんてそんな「人間」みたいなしつこい真似、私はしないわよ?」
「そうもいかないねぇ。自分の種族に誇りを持ちたいのは、レムオンだけじゃないんだ」
「人間なんて、自分勝手で、どうしようもない種族よ」
「でも俺は、そのしぶとさとか、したたかさが好きなんだよ。馬鹿で間抜けで間違いばっかりするが、そんでもめげない人間がな!」
ゼネテスはふらつきながら立ち上がった。
 
「覚えてるか?あの時、俺が言った言葉を?『手を伸ばせば届く幸せにも手を出さない』
そうレムオンに言っただろ!」
怒鳴るように言うゼネテスに、リュミエも怒鳴り返した。
「覚えてるわ!残酷な台詞ね!ティアナの気持ちが自分にあるのを知った上で、あなたは自分の婚約者に告白しろと、そう言ったようなものよ!ずいぶんな自信だったこと!」
「ああ、名前を出せなかったとはいえ、レムオンもそう思ったんだろうな。俺が言ったのは、今現在『自分の妹』って事になってる女のことだ」
「なんですって?」
リュミエが眉を潜める。
「あの時並んでたお前さん達は、まるっきり恋人同士みたいに見えたぜ?レムオンだってティアナといるときより、
よっぽどいい顔してた!あいつは『ティアナに惚れてる』と自分で思い込んでたようだがな!」
 
ショックで青ざめたリュミエを見ながら、ゼネテスはなおも続けた。
「ダルケニスだって叔母貴に追求された後、俺はつくづく思ったぜ!しらを切り通せないなら、
こいつはとっととロストールに見切りをつけるべきだ!一族全員引き連れてどこか他の国、
ディンガルあたりに亡命してもいい!国の内情に詳しいレムオン、考古学者エスト、
戦女神リュミエ、これだけメンツがそろってたら、向こうは喜んで迎え入れてくれただろうに。
なのに、あいつはそれもしなかった!かってに絶望して、闇に堕ちたんだ!」
 
「よくも、そんなことを…!誰がレムオンをそこまで追いつめたの?」
怒りのあまり血の気が失せた顔で、リュミエが叫ぶ。
追い打ちをかけるように、ゼネテスは怒鳴った。
「ああ!叔母貴のしたことは確かにえげつなかったさ!俺だって認めてやる気はないね。
だからといってレムオンに同情する気も更々ない!
あいつは!自分で!破滅の扉を開けたんだ!巻き添えを食ったティアナこそ哀れだ!」
一語一語区切るように言われた言葉に、リュミエの目に殺意が浮かぶ。
 
もう何も言わずにリュミエは乱暴に剣を掴むと、獲物を狙う野生動物を思わせる動作で身をかがめた。
ゼネテスは最後の力を振り絞るように、剣をまっすぐに構える。
残像が見えるほどの勢いで、リュミエは床を蹴った。
 
逆上したリュミエが、床を低く飛ぶ勢いでゼネテスにまっすぐ迫ってくる。
過度に張りつめた神経が、今までとは比べものにならないほどクリアに、その様子をゼネテスに追わせる。
 
(そうだ、まっすぐにこい。惚れた男をあしざまに言われ、それで黙って余裕をかましてるような女なら、
俺はこんな所まで追って来なかった。俺にはお前の動きをとらえことは出来ない。だが、最初の一撃だけは。
根性ででも止めてみせる)
リュミエがゼネテスの胸を目指し、飛び込んでくる。
心臓を一撃に差し貫くために。
ゼネテスは己の左腕を盾のように胸の前に下からかざした。
鈍い音がして骨に刃が食い込む。
男の鍛えられた太い骨と筋肉が、リュミエの剣をぎっちりとくわえ込んでいた。
 
リュミエは憎悪むき出しの顔をしている。
そのまま腕ごと男の身体をまっぷたつにしようというのか、さらに力を込めてきた。
ゼネテスは渾身の力を込め、刃が食い込んだままの腕を外側に向けて大きく払った。
ゴトン!と重い音がする。
自らの動きによって完璧に切り落とされたゼネテスの左腕と、リュミエのソルベンジュが絡まるように床に落ちた。
激しい出血に、あっという間に蒼白になったゼネテスは、よろめきながら左腕を残った右腕で押さえた。
左腕は肘から先が無くなっている。
そして剣を落としたリュミエも、よろめくように後ずさる。
 
何歩か後退し、彼女は膝をつくとその場に蹲るように前のめりになった。
リュミエは自分の腹を呆然と見ている。
彼女の細い胴から生えている無骨な柄。
リュミエの突進の勢いを利用してつきだしたゼネテスの剣が、
彼女の腹を貫通し、背中から剣先を覗かせていた。
 
 
「あ…く…」
リュミエのうめき声が広間に響く。
ゼネテスはふらつきながらも何とか立ち上がると、リュミエの元にふらふらと近づいていった。
彼の腕からの出血は凄まじいほどだ。歩く後に血の流れを作る。
それでもゼネテスは歩いていた。
最後くらい。
せめて最後くらい。
惚れた女の側にいたいと、そう願いながら。
 
だが、あと数歩という距離まで近づいた時、ゼネテスは足を止める。
蹲ってうめいていたはずのリュミエの声が変わっていた。
今聞こえているのは、苦痛を訴えるうめき声ではない、低く低く響く――笑い声。
リュミエは顔を上げた。
にやりと笑いながら。
「残念だったね。あと10秒早ければ――決まってたかもしれなかった」
 
ついに片膝を付いたゼネテスの前で、リュミエは立ち上がる。
そして自分の腹から生えている剣の柄を掴むと、ゆっくりと抜き始めた。
ゼネテスは蒼白のままそれを見つめている。
彼女の身体から出てくる剣は、遙かな時を経たように、刃の部分が細かく風化していく。
リュミエはにっこりしながら、完全に抜けきった七竜剣を片手で持ち上げた。
ごとっと細工物が外れるような音がして、剣がぼろぼろに崩れ、そして完璧に砂になって室内のわずかな空気の動きにのって、さらさらと流れていく。
 
「そうだよ」
リュミエの頭上から3人目の声がした。
何もない空間に、ゆっくりと水面を思わせる波紋が広がる。
そこから少年が脚から徐々に姿を現した。
「時が来たんだ」
シャリが笑う。
「神の誕生の瞬間だよ」
 
 
何もしていないのにシリンダーに、ひびが入った。
そこから流れ出た乳白色の液体は、たちまち据えた臭いのする蒸気となって広間に広がった。
左腕から血を流しながらもとっさに残った手で鼻と口を押さえたゼネテスのまわりが、白い煙に覆われる。
刺激臭と傷口から染みこんでくるびりびりした痛みに、ゼネテスは気が遠くなりかけた。
眩みかけた視界に、ゆらりと映った男の姿。
その身体に向かい、リュミエが両手をあげて飛びつくのが見えた。
 
(時が…、きちまったか…)
完璧な敗北感と、そして間もなく来るだろう自分の死。
ゼネテスは座り込んだまま動けない。
周囲の壁が、天井が壊れ始めた。
役目を終えた城が崩壊を始めたのだ。
 
目の前に輝くばかりの光の柱が、上空に向かって立ち上る。
その中をシャリが、そしてレムオンを抱きしめたリュミエが、空に向かって飛び去っていくのが見えた。
それがゼネテスの目に映った最後だった。
真っ暗になった視界に、ついに彼の身体が完全に床に倒れ込む。
今度こそ最後か――そうゼネテスが覚悟を決めたとき。
頭の中に声が響いた。
 
「猶予をあげるわ、ゼネテス!あなたは新たな神の誕生に立ち会ったから、その祝いに!
あなたの定命が尽きるまで、あと少しだけ大陸を人間の手に貸しておいてあげる!
あなたはその目で滅びの日を見ることはない!その代わり見届けなさい!
朽ちていく大陸で人間達がどう生きるか!最後まで見届けるの!」
その言葉の意味を考える前に、ゼネテスは完全に意識を失っていた。
 
 
…遠くできんきんした女の声が聞こえる。
 
「…様が…、突然…お知らせ…」
 
なんだかうるせぇな…。
 
「こちらです…、…様」
 
うるさいって。
 
「…テス、ゼネテス!」
 
あれ、この声は。
 
「ゼネテス!いったい、どうしたというのだ!」
ゼネテスは聞き覚えのある声にがばっと起きあがった。
目の前には、慌てているエリスの顔。そしておろおろしているロストール王宮の女官達。
呆然としたまま、彼は頭を巡らした。
そこは、嫌なくらいに見覚えがありすぎる、王宮の空中庭園だった。
 
「…ありゃ?何で俺がこんな所にいるんだ?」
茫洋としたゼネテスの問いに、エリスが眉を逆立てた。
「何をのんきなことを!そのようなことは私の方が知りたい!そなたが何もない所から突然現れたと、
女官達が知らせに来たのだぞ?いったいどういう事だ!」
「ありゃ?」
頭がはっきりしなくて、ゼネテスは無意識に首の後ろに手をやった。
それから急に、今自分が動かしたのが「左腕」だった事に気が付き、慌てて自分の腕を見る。
その乱暴で忙しない動きに、エリスはまた眉をしかめた。
 
「どうしたというのだ!」
腹ただしげなエリスの声にも、ゼネテスは反応しない。
彼が目にした自分の左腕。
さっき切り落とされた彼の腕は、元通りについて動いている。
だが、その肘の部分。ちょうど切られたはずの部分に、ぐるりと入れ墨のような模様が浮かんでいた。
「…ゼネテス、それはどうしたのだ…」
エリスもようやく異変に気が付いたらしい。声が潜められる。
ゼネテスは叔母の顔を見た。
ファーロスの雌狐と呼ばれ、権力をその一手に掌握していた女丈夫。
だが、娘が消え、夫には省みられず、度重なる天災の始末に追われ、
今ここにいるのは疲れた顔の中年女に過ぎない。
 
…この叔母になんと言えばいいのだろう。
「あなたの娘は死にました。この大陸は、破壊神の蹂躙を受け、あとは朽ちていく一方です。
それもこれも、あなたが政権争いに躍起になり、ある1人の貴族をはめたことが全ての引き金です」
そんなこと、言える筈がない。
 
ゼネテスは黙って空を見上げた。
鉛色の重苦しい空。最後に鮮やかな青空を目にしたのは、いったいいつだったのか。
もう思い出せない。
思い出せないなら、――懐かしむ必要もない。
 
「叔母貴、頼みがある」
いつになく真剣な甥の声に、エリスは黙ってその先を促した。
「まずは国内の貴族を全員集めてくれ。その後は、市民の有力者に、各村の村長。それから、他の国の指導者達。時間はあまりないんだ。俺達は、まとまらなきゃいけない」
「…そなた、何を言っておる?」
「言うとおりにしてくれ!」
いぶかしむ叔母に、ゼネテスはそう命令するように言った。
一瞬はなしらんだ顔をしたエリスだが、甥が何かしかの決意をしたことに気が付いたのか、
すぐに秘書官や伝令達に命令を伝えるために、自分の執務室へと足早に戻っていく。
 
1人になったゼネテスは立ち上がり、リュミエ達が消えた空を見上げた。
 
『見届けなさい、人間達がどう生きるのか。』
 
「ああ、見届けてやるとも」
誰にともなく、ゼネテスはそう告げる。
 
「俺はしぶとく生き抜いてやる。生きて、生きて、人としてやるべき事を全部やり尽くしてやる。
最後の瞬間まで、俺は見届けてやるさ。そう――人間として」
 
 
 
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