再会◆
 
乾いた風が、いがらっぽい砂を辺り中に巻き散らかしている。
ゼネテスは、1つため息を付いて洞窟の奥を見つめた。
「灯台元暗しってぇのは、こういうことを言うんだろうね」
自嘲気味にマントを足下に落とす。
 
――もう必要ねぇだろうから、出来るだけ身軽にしとかねぇとな…。
そう1人ごちて、水筒に最後に残った水を飲み干した。
この数年間というもの、ただ1人の少女のことだけを考え、そして追ってきた。
他の大陸までも足を延ばし、延々探し続けた。
「それがねぇ、こんな所に本拠地を置いてたとはねぇ…」
主を亡くした竜王の島。
そここそが、破壊神リュミエが力を蓄えていた場所。
そして、おそらくは、彼女の目的を果たすための場所。
エリエナイ公、レムオンの復活の場所。
 
時折、ゼネテスの前に暇つぶしのように刺客が現れた。
決まって青い髪の少女。
かつて相棒であった少女に似通った容貌を持つ娘達が次々と彼の前に現れ、そして、
少女が持っていたのと同じ弓で彼を襲う。
その度に彼は己の身を守るため、刺客を撃退してきた。
彼の前にその度に横たえられる青い髪の弓を持った少女達。
まるで、彼女の分身。
忘れるなと、この憎しみを忘れるなと、そう言われているように。
 
「これが最後だ。終わらせてやる。リュミエ…」
ゼネテスはそう呟く。
かつて竜王が住んでいた断崖の向こうに、蜃気楼を思わせる城が浮いている。
その開け放たれた扉からは、ゼネテスの足下まで招くように輝く橋が架かっている。
「俺が来たことを知ってるんだな。今すぐに行ってやるぜ」
傲然と胸を張り、ゼネテスは臆することなく城の内部に入っていった。
 
「はいって来ちゃったよ?」
「良いの、招いたんだから」
くすくすと楽しそうな少年と少女の声がする。
「あの刺客は、道しるべのつもり?」
「そう、でなければ、ここは分からなかったでしょ?」
「まどろっこしい標だよね。もっとストレートに教えてやれば良かったのに」
シャリが楽しそうに言う。
「良いの、苦労してきた方が、感激も大きいでしょ?」
リュミエは広間の中央にそびえるガラスのシリンダーにそっと頬を寄せながら、うっとりとそう呟く。
その内部は何か乳白色の液体に満たされ、時折内部に浮かんでいる「物」が意識ある物のようにゆらりと動く。
「誰が感激するの?来た方?迎えた方?」
「両方」
そう言ってまた彼女は楽しそうに笑う。そのシリンダーを愛おしげに撫でながら。
 
ゼネテスは人気のない城の廊下を歩いていた。
何か妨害でもあるかと思ったが、何もいない。
それこそゴブリン一匹出てこない。
しんと静まりかえったそこは、不思議と聖地を連想させる。
誰にも犯されることのない、祝福された場所。
 
「まっすぐこっちに来るね」
「うん、ここと繋いでたから」
シリンダーに寄り添ったままのリュミエがこともなげに答える。
「ほんっとに招いたんだ」
「ホントにそうなの」
「じゃ、お持て成しは自分でするの?」
リュミエの頭の上くらいの高さにふわふわと浮いているシャリが、うっとりと目を閉じているリュミエに向かい、
楽しそうに訊く。
「うん、自分でする。だからシャリは…」
「分かってる。僕は時間を計ってるよ」
「お願いね」
ようやく顔を上げたリュミエがにっこりとシャリに笑いかける。
今となっては遙か昔のようにも思える、「ただの娘」であった頃と同じ、邪気のない笑顔で。
 
 
唐突に狭い廊下に巨大な観音開きの扉が現れた。
精緻な文様の刻まれた、荘厳な黒曜石とおぼしき石で作られた扉だ。
辺りの素っ気ない石造りの壁と比べても似あわなすぎて、こんな時だというのにゼネテスは笑いそうになった。
その笑いを感じたのか、突然これも只の石の廊下に緋の絨毯が一気にひかれる。
いきなり変わった足下の感触に、ゼネテスは少し感心したように汚れたブーツの脚を持ち上げ、
その毛足の長い絨毯に見入った。
「お招き…、してくれてると思って良いのかな?」
緊張感のかけらもない独り言に呼応するように、巨大な扉が自ら開いた。
ゼネテスはまっすぐに室内に足を踏み入れた。
 
 
「いらっしゃい、久しぶりね?」
がらんとした広間は、中央に据えられた天井までも続くシリンダー以外に何もない。
そのシリンダーに、寄り添うように立つ青い髪の少女が笑いかける。
「何年ぶりになるんだっけ?ちょっと老けた?」
「誰かさんが心配ばかりかけてくれるからな」
そう言いながら、ゼネテスはまっすぐに少女の前に歩み寄る。
リュミエはニコニコしながらシリンダーから離れると、ゼネテスの数メートル前で足を止めた。
ゼネテスも足を止め、真っ正面から向き合う。
リュミエは変わらない。最後に出会ったあの時のまま。
 
「…お前さん、ちっともかわらんな」
「変わってた方が良かった?」
リュミエはくすくすと笑っている。
「変わっててくれた方が良かったな。見た目に違いが分かれば、割り切りやすい」
「見た目の違いって?いかにも闇に堕ちました、誰かに心を乗っ取られました。そんな感じ?」
「そうだな。その方が遠慮なくぶん殴れた。『さっさと目を覚ましやがれ』ってな具合でさ」
その答えにリュミエは声を上げて笑う。
「私、目は覚めてるよ?」
「らしいな。困ったもんだ」
「困らなくていいよ。ぶん殴りに来たんでしょ?」
「そのつもりだったんだがな」
ゼネテスが苦笑気味に言う。今目の前にいるのが少女の姿をした破壊神だと、全く意識していないように。
 
 
「とりあえず話をしたいな。聞く気はあるか?」
「あるよ。私も久しぶりにゼネテスと話をしたい」
少女が小首を傾げて言う。
「最後の説得だ。考えなおせって言ったら聞くか?」
「聞かない」
あっさりとした返事が返る。
「お前さんが破壊神になって、その力で蘇ったからって、レムオンが喜ぶとはおもわん」
ゼネテスの顔は真剣だ。いつものようにおちゃらけた話をする気はない。
リュミエは子供っぽい表情で唇をとがらせる。
「それは考えた。復活したとたん、怒られたらヤダなって。でもとりあえず後のことは後のこと。怒られるかどうかはレムオンが復活してから考える。それよりゼネテス?その台詞、私より先に言う人がいたんじゃない?」
今度はリュミエが真剣な眼差しを向ける。
「どうして先に言わなかったの?『そんな事をしても、あなたの夫と子供はちっとも喜びません。謀略なんて止めなさい』って、あなたの敬愛する伯母様に」
ゼネテスは返事に詰まった。
 
リュミエはなおも続ける。
「あなたがエリスを止めてくれてたら、レムオンはこんな事にならなかった。
どうして先にエリスを止めなかったの?ううん、分かってる。止められなかったんでしょ?
止めたところで、ゼネテスは何もしてやれなかった。だから手も口も出さなかった」
「…叔母貴が最初に始めたとき、俺はまだガキだった。あと10年早く生まれてればって、何度も思ったさ。
そうすりゃ、俺が代わりに泥を被ってやれた」
唸るような言葉に、リュミエは同情の響きを声ににじませる。
「エリスは代わって欲しいなんて思ってなかったでしょ?あの人は泥なんてかぶるの怖くなかった。
怖かったのは、自分の家族に害が及ぶこと。
私もそうなの。レムオンさえ帰ってきてくれれば、特別な力なんて何もいらなかった」
独り言のようにいながら、リュミエは服のポケットから何かを取り出した。
しげしげと眺めながら長い鎖をチャラチャラと鳴らしている。
その音にゼネテスが関心を示したのを見計らって、リュミエは手の中の物をゼネテスに放り投げた。
 
ちゃりっと軽い音がして、手の中に堕ちた物をゼネテスは見つめる。
「銀竜の首飾り。ずっと借りっぱなしだったね。返そう返そうと思って忘れてたの。
もう使い道もないから返す」
ゼネテスはそれを握りしめながら、何か苦い物を飲み下したような顔つきになった。
「…まさか、これを使ってティアナを?」
リュミエがこくんと頷く。
ゼネテスは行方知らずのまま、おそらくはもう生きていないだろう従姉妹の少女を思いだした。
 
「あいつは喜んでついてきただろう。お前さんのこと、親友だと思ってたんだ」
「うん、ニコニコして、疑い1つ持たないでついてきた」
その光景が目に浮かぶ。ゼネテスは目を閉じた。
「そんなティアナを見て、何も思わなかったのか?」
歯がきしむような声がする。
リュミエはにこっとした。
「思ったよ。相変わらず綺麗だった。ぴかぴかに磨き込まれたみたいに、贅沢なドレスを着て」
笑顔があざ笑う形に変わる。
「私やレムオンやアトレイアが血にまみれてもがいていた間、この女は安全なところで綺麗な格好をして、
相変わらず母親がどうの、王女の義務が何のって甘えたことを言ってたかと思ったら、むっちゃ腹が立った。
その場で引き裂いてやりたくなったわ」
その言葉に含まれた憎悪に、ゼネテスは一歩後ずさった。
 
青ざめて知らない人間を見るような目をするゼネテスに、リュミエは哀れみの目を向ける。
そして両腕を大きく広げた。
右手の前に、ふっと鈍い輝きの剣が現れる。
そして左手の前には、鮮やかな輝きをまとった弓。
右の剣は闇の属性を持つ「ソルベンジュ」、左手の弓は聖の属性を持つ「閃光の弓」。
リュミエはエンシャントでの決戦の時、この弓を持って戦いに望んだ。
 
「ねえ、ゼネテス?あの時私はこの弓を持ってたよね。なぜだと思う?」
「…なぜとは?」
「別に何かの拘りがあったわけじゃない。あの時の私は単に弓の方が扱いやすかったから。
闇の化け物だらけで、聖の属性の方が都合良かったから。ただ、それだけ」
そう言うと、左手の前に浮いていた弓がすっと消える。
リュミエは右手にソルベンジュをとった。
 
「今の私は、この剣も扱えるよ?」
そして手に持った剣を肩と水平に刺しだした。
その形は、いみじくもダブルブレードを得意としたレムオンの構えとよく似ている。
 
「ねえ、ゼネテス?ゼネテスは私が破壊神の力を選んだことを、何か特別のことと思ってるのかも知れない。
でも違うの。私が武器を変えたのと同じ。
私が今現在使いかってが良いのは、こっちの力だから――ただそれだけなの」
ゼネテスの表情が沈痛になる。
「自分は何も変わっていない。誰かに操られているわけでもない。そう言うことか?」
「そう言う事よ」
リュミエははっきりと頷いた。
 
 
TOP