降臨◆
 
かたんと音がして、クローゼットが内側から開く。
ティアナは思わずにっこりとした。
「リュミエ様」
自分と同じ年頃の、青い髪をした少女がそこから現れ、ティアナに明るく笑いかける。
「ちょっと外へ出ない?湖に、白鳥がたくさん来ているの見つけたの」
「連れて行ってくださるの?」
ティアナは華やかに笑った。
「光の王女」の呼び名にふさわしい明るさで。
 
ざっと白い翼を翻した鳥たちが、日差しにきらめく水面に舞い降りる。
ティアナは、その幻想的なほどの美しい光景と、誰にも知られずにここへ来ているというわずかばかりの冒険心に、すっかり酔いしれているようだ。
「どう?綺麗?」
「ええ、美しいですわ…」
ティアナの声はうっとりとしている。
「まるで平和そのものの光景よね」
「ええ、本当に…」
ティアナは嬉しそうに、隣に立つ少女を見る。
リュミエも笑っている。とても楽しそうに。
 
「ねえ、ティアナ王女。覚えてる?あの時のこと」
「え?」
と王女が首を傾げる。可憐そのものの仕草。
「ほら、空中庭園で、タルテュバが化け物に変身して襲ってきたときのこと」
ティアナはそれを聞くと、ぞっとしたように身を震わせた。
「ええ、覚えてますわ。あの時、ゼネテス様が私をかばって怪我をしてしまわれて…」
「あの時、その怪物を倒したのは、私とレムオン兄さんだったの。それは覚えてないの?」
非難するような口調に、ティアナははっとしたようにリュミエの顔を見る。
彼女の表情は楽しそうなままだ。ティアナは考え過ぎかと思い直した。
 
「ええ、そうでしたわ。レムオン様はとても強くていらして…」
呟くティアナに、リュミエはいっそう楽しそうになった。
「ええ、そう。その強いレムオン兄さんが私に言ったの。あの時、レムオン兄さんはあなたからの偽手紙を受け取って、そこに行ったの。その時に私に言ったのよ?『1人では王女に会えない』って」
ティアナはまた驚いて顔を上げる。
「兄さんはよくあなたの所へ行ってたよね。その度に私を連れて。どう思ってたの?美しい光の王女様。
レムオン兄さんが本当にあなたとの会話を楽しんでたと思ってた?
とんでもない。兄さんは傷ついてた。私がいなくちゃ、その場に止まれないほどに深くね。
それでも通ってた。なぜだと思う?傷つけられても、やっぱりあなたが好きだったからよ」
ティアナの表情が凍り付く。
リュミエは笑ったままだ。まるで仮面のような顔で。
 
「知らなかったとは言わせないわ。愛されることを当然と考えていた王女様。
あなたは兄さんの気持ちを知りながら、弄んだ。意味ありげで気を持たせるような言葉でね」
ティアナは震えながら一歩後ずさる。
その向こうは湖。
 
「兄さんはあなたを助けて、そして破滅した。私も本当にお人好しだったわ。放っておけば良かったのよ。
あなたとゼネテスが化け物にやられるのを、黙ってみていれば良かったのに。
…あなたのお母さんは本当に凄いわ。自分の娘の命の恩人も、平気で陥れられるのね」
にっこりと笑顔の仮面を被ったままのリュミエが、目を見開いたまま震えているティアナに一歩近づく。
 
「愛されることが当然だと信じている王女様。どうして疑わなかったの?
私があなたのこと、だいっ嫌いだと思ってるって」
 
ざあっと湖面を埋めていた白鳥たちが一斉に飛び立った。
白い羽が大地に降ってくる。
清らかな美しい湖の畔。
そこに立っているのは、青い髪をした少女1人。
 
 
「ゼネテス!」
エンシャントからロストールへ続く街道で、ゼネテスは見知った顔を見つけ、手を挙げて合図した。
「よう、リュミエ。旅に出るのか?」
「そう。猫屋敷からね。別の大陸に行こうと思って」
リュミエは何やら期待にわくわくしているようだ。
「ゼネテスは、ロストールに帰るの?」
「そうなんだ、叔母貴から急な知らせが来てな…」
そう言ってゼネテスは息を吐くと、沈痛な顔つきでリュミエを見る
「ティアナが行方不明になっちまったんだそうだ。どこを探しても見つからないって、叔母貴が俺に捜索の手伝いを頼んできたんだ」
それから急に気が付いたような顔をする。
「お前さん、ずっとロストールにいたのか?何か知らないか?」
 
その言葉に、リュミエがくすっと笑った。
 
ゼネテスが眉をしかめる。
「おい、ちょっと不謹慎じゃねえの?ティアナとはまんざら知らない仲でもないだろ?」
「そうね、知らない仲じゃないわ?むしろ今一番、彼女のことを知っている人間かもよ?」
ゼネテスの顔が厳しくなった
「どういう意味だ」
「文字通り。私は探すのは手伝えないわ。忙しいのよ、これから力を蓄えなきゃないから」
ひんやりとした笑みでリュミエはそう答える。
ゼネテスは思わずその華奢な肩を掴んで揺さぶった。
「どういう事だ?お前さん、何を知ってる?力を蓄えるって何のために」
「その手を放してよ。ファーロス司令官?」
明るい少年の声がゼネテスの後ろから聞こえる。
その声にゼネテスは凍り付いた。
「シャリ?」
 
シャリ?
あの戦いの時に倒したはずの少年。
その少年が、なぜここに?
 
リュミエは当然のように笑っている。シャリはふわりと宙を移動し、彼女の横に並んだ。
「リュミエ、そいつ…」
口ごもるゼネテスに、リュミエは楽しそうだ。
 
「私が願ったの。私の願いを叶えたまえって。ウルグを宿し、竜王を滅ぼした、この現世最後の神の願いを、
聞き届けたまえってね?」
「さすがに強力な願いだよね。この時代にはもう出番がないと思ってたんだけど」
2人は並んだままくすくすと笑っている。
ゼネテスの背に冷たい物が流れ落ちる。
 
「安心してよ。ファーロス司令。あなたをどうこうするつもりはないんだ。今はね」
「ゼネテス?あなたは友人だった。だから、警告だけはしておこうと思って。だからここで待ってたのよ」
「警告…?」
リュミエは頷いた。
 
「あの時、シャリが言ってたでしょ?私は救いを求める願いから生まれたって。だからその使命を果たそうと思ったの。救いを求めていた近しい人。私はレムオンを復活させるのよ」
狂気でもなくそう言う彼女の声。
 
「馬鹿馬鹿しいと思う?そう考えるのは、あなたが人間だからよ。私は人間じゃないの。
そう、それで良いわ。私はうちに破壊神を宿し、無限の可能性を持ち、人の願いから生まれた女。
そしてシャリは願いを救うために生まれた存在。
私は決めたの。力を蓄えレムオンを再びこの世に蘇らせる。夢物語なんかじゃない。
私にはその力があるの。そう、人間であろうとする意識さえなくせばね。
私はこの大陸最後の神になるわ。
そして、その傍らにはレムオンがいるの。文字通り闇の王として、この世界に君臨するために」
 
ゼネテスは息を詰めて少女の顔を見つめる。
言っていることは狂気の内容。
だが、そう言ってる本人は正気だ。
正気で言っているのだ。自ら望んで破壊神の力を育てる、と。
 
「…そんな事して、どうなるっていうんだ」
「どうなる?全てよ。私の全てが叶うの」
嬉しそうに少女がそう言う。
「…ティアナをどうしたんだ?」
「どうもしないわ?あるべき状況に返しただけよ。私が戦わなけりゃ、世界は闇に飲まれてた。彼女も当然、あの世行き。違う?」
「違うね。戦ったのはお前さんだけじゃないんだ」
ゼネテスの声が冷ややかになる。
 
リュミエの笑みも、それに負けず劣らず冷ややかだ。
「みんなで戦ったから?だからどうしたの?少なくともティアナは何もしてないじゃないの。何もしないで美味しいところだけとろうなんて、図々しい話じゃない。少なくとも私は彼女をなんて、守りたいとは思わなかった」
「ガキの屁理屈だな」
ふんとリュミエが鼻で笑う。
「ガキでけっこう。大人は結局何もしてくれなかったじゃない。私はずっと怒ってたの。ずるい大人達に。
私は自分のやりたいことをするわ。そう、私はガキだから。自分のしたいことをするの」
そうあざ笑うリュミエの隣でシャリが笑う。
兄弟のように同質の笑み。
 
「…お前」
「ああ、そうだった。本題を忘れるところだった。私は警告しに来たって言ったのよね」
リュミエがくすくす笑う。
「私は別の大陸で力を蓄えるわ。そして十分に満ちたら、ここに戻ってくる。
ダルケニスにコーンスに、ダークエルフ。竜王と人間の御代では闇に追いやられた者達を率いて。
この大陸は変わるわ。その時が人間の世界の終わり。
そこに私とレムオンは君臨する。この世界の創世の女王と王として」
「望みは叶うよ?リュミエの願いには、それだけの力があるからね」
シャリがリュミエと並んでそう言う。
「だから警告よ、ゼネテス。道は二つ。大陸から逃げるか、私の力が満ちる前に私を殺すか。
時が来たら、私は容赦しない。選んでちょうだい」
リュミエがまっすぐゼネテスにそう突きつけた。
ゼネテスがつばを飲み込む。
 
急にリュミエは声を上げて笑い出した。
「なんて顔!決められないの?じゃ、もう一つ道を示してあげる。それを叶えてくれたら、そうね。
世界を変えることだけは考え直してあげても良いわ」
「もう一つの道とは…?」
ゼネテスが唸る。
「あなたがその手でエリスを殺すこと。エリスの首を私の前に持ってきてくれれば、それで人間全体への
恨みはちゃらにしてあげる!」
目を見開いたゼネテスの顔を見て、リュミエはまた甲高い声を上げて笑い出した。
 
「考え直せ!リュミエ」
ゼネテスが叫ぶ。
「直さない。さんざん考えて決めた事だから、もう考えないの。さよならゼネテス。そんなに時間はかからない。
早くどうするか、決めた方がいいわ」
笑うリュミエの周囲で黒い稲妻がきらめく。
少年の長い長い笑い声。
 
放電する空気がゼネテスの眼を眩ませる。
ようやく彼が顔を上げたとき、周辺には人影一つなかった。
リュミエは消えてしまった。
虚無の子と共に。
 
ゼネテスは底知れぬおびえを感じ、辺りを見回す。
そして、1つの事に気が付き、急にさっきのリュミエの言葉が現実だったと知る。
空も草も何もかもが色あせている。
それら全ての物が怯えているというように。
鳥も虫も、声を上げるのを止め、息を潜めている。
芽生えたばかりの草の芽も、花開く寸前だったつぼみも、そのままの形で枯れている。
 
ゼネテスは、今度こそ本当に破壊神が降臨したことを肌で感じていた。
 
 
 
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とんでもない言い訳――どう考えても、後味良くない話ですねぇ。レムオン変身イベント後、やりきれなさで考えた話。
う〜ん、私、どうやらティアナには何の愛情も感じてないらしい…。ゼネさんにも喧嘩売ってるし。