男子進入禁止地帯2◆
 
ゼネテスがその事に気が付いたのは、ルルアンタの悲鳴が聞こえたのとほぼ同時だった。
自分のすぐ隣をすり抜けるようにして中に入っていった女性。
鮮やかな化粧をしていたにもかかわらず、脂粉の臭いがいっさいしなかった。
と、いうことは。あの外見は、幻術か何かということ。
 
自分のうっかりを悔やみながらゼネテスは脱衣所に飛び込んだ。
大股で室内を走り、風呂場へと下りたとたんにルルアンタが足にしがみついてくる。
リュミエは湯船の中で、奇妙な相手の行く手をふさぐように立っていた。
アーマーで覆われたような硬質な色の固い外皮に、変形してやたら巨大化した四肢。
アンティノの研究所で改造を受けたらしい化け物。
 
リュミエが振り向き、泣きそうな顔で口をぱくぱくさせている。
「不意打ちでサイレントがかかっちゃったの!リュミエ、魔法が使えない!」
泣きながら訴えるルルアンタの身体を、ゼネテスは建物の方に押しやった。
「俺が何とかする。お前は武器を取ってこい!」
「うん!」
べそをかきながら、ルルアンタが走っていく。自分のショートソードも、リュミエの弓も、
風呂にはいるときに宿の者に預けてきている。
どんな時でも武器を放さないゼネテスやセラとは違い、リュミエの最大の武器は、その声「魔法」だったから。
それが封じられては、リュミエは戦いようがない。
 
化け物の手が鞭のように伸び、リュミエの胴を横殴りにするように払う。
それを避けようとした彼女は、足を滑らせて湯の中に倒れ込んだ。
起きあがろうとしたリュミエに向かい、化け物がまたかぎ爪をのばして襲いかかる。
悲鳴を上げる形に開かれた少女の口からは、なんの音もでない。
まるで悪夢だ。
ゼネテスはそのまま湯の中に飛び込み、己の剣で化け物の爪をがっちり受け止めた。
 
「リュミエ!逃げろ!」
ぎりぎりと化け物の爪と剣をあわせながら、わずかに頭を巡らし肩越しにそうゼネテスは怒鳴った。
ゼネテスの目と合ったリュミエの瞳が、一瞬大きくなったあと、急に伏せられる。
リュミエは身体を隠すようにして、なんと湯の中にしゃがみ込んでしまった。
倒れた弾みで身体に巻き付けてた布がほどけ、大きくうねる湯の動きに化け物の後ろの方にまで流されてしまっていたのだ。
 
「恥ずかしがってる場合じゃねえだろ!」
ゼネテスは相手の爪を大きくはじき、リュミエから距離をとるようにじりじりと場所を移動し始めた。
化け物は油断なくわずかに後ろに下がる。
「リュミエ、行け!」
そういってゼネテスは横目で彼女を見るが、リュミエはやっぱり嫌々するように湯の中を移動するだけだ。
ゼネテスはここでまた自分の「うっかり」を悔やんだ。
リュミエは敵よりも、自分に裸を見られる方を嫌がってしまった。
だからといって放っておいたら、リュミエは化け物の爪にかかっていた。
八方塞がりの心境でゼネテスは奥歯を噛みしめる。
(とにかく、こいつをなんとかしねぇとな)
 
ゼネテスは化け物を牽制するように睨み、リュミエから離れた方向に誘導しようと移動を続ける。
濡れた服がまとわりつき、動きづらい。
化け物はちらちらと両方を意識しているようで、どっち側に動こうとしているのか今一つ予測が付かない。
急にゼネテスの足首に何かが巻き付き、引っ張られる。
「おわ!」
たまらず湯の中にひっくり返って沈んだゼネテスは、自分の足首に巻き付いているのが、
化け物の「足」らしいと分かった。
湯の中の下半身はタコかイカのように、足が何本にも分かれている。
 
ゼネテスはその敵の「足」をつかむと、沈んだまま縄をふるように大きく引っ張った。
ばしゃっと水音がして、その化け物も湯の中に沈む。
ゼネテスが起きあがると、またもやタイミングの悪いことに、湯から上がりかけてたリュミエが彼に気づき、
慌ててその場に蹲った。
「早く行けってーの!」
リュミエは風呂の上がり口のあたりにしゃがみ込んで、首を振っている。
顔は真っ赤で湯当たり寸前だ。
「ったく!」
 
ゼネテスは起きあがりかけた化け物の頭に斬りつけた。
瞬間的に外皮の色が濃くなり、キンと音を立てて剣がはじかれる。
ちっと舌打ちし、彼は大剣の腹で頭を殴りつけた。
今度は鐘を突いたような音が風呂場に響き、さすがに化け物が脳しんとうでも起こしたようにふらふらとする。
すっと外皮の色が薄くなった瞬間を逃さず、ゼネテスはその肩に剣を振り下ろした。
左肩から胸にかけてざっくりと切り裂かれ、そこから青黒い体液をまき散らしながら化け物が湯に沈む。
湯があっという間に、嫌な色に染まっていく。
 
ゼネテスはリュミエの所にいくと、その身体を荷物のようにひょいと抱え上げた。
『〜〜〜〜!!』
声が出れば、多分リュミエは絶叫していたのだろう。
片手で身体を隠しながら、もう片手で離れようとゼネテスの身体を押しながら暴れる。
「見てねぇから!さっさと行け!」
呆れたようなゼネテスの声。
だが不意にリュミエが目を見開き、ゼネテスの背後を指差した。
 
ぱっと振り向いたゼネテスの目に、化け物の頭部に、貧弱な人間の身体を持つ、アンバランスな姿が映った。
そののばされた手から放たれた暗い闇の色の魔力。
スペルブロックを唱える暇はなかった。
とっさにゼネテスは裸のリュミエに覆い被さるように、彼女の身体をかばった。
その背に闇の炎、フレイムが直撃する。
 
魔力が爆発する音と、肉の焼ける臭いがして、リュミエは声のでない口を開き、
必死でゼネテスの名を呼ぼうとした。
ゼネテスの顔が苦しそうに歪む。彼はしっかりと彼女の盾になったまま、動けなくなっていた。
覆い被さる大きな体の肩越しにリュミエは、再び全身を硬質な外皮に覆われかけた化け物が
かぎ爪をかざして迫ってきたのを見た。
 
(呪文が…、声が出ない)
リュミエは自分ではどうにも出来ず、それでもせめてゼネテスだけはと、身体の位置を入れ替えようと動く。
その時、目の前まで来た化け物の身体が急にのけぞり、後ろに吹っ飛ぶようにして風呂に落ちた。
派手な水しぶきが上がる。
 
「リュミエ!大丈夫?」
服やら弓やらを抱えたルルアンタが駆け込んできた。
リュミエはとっさに何が起きたのかが分からなくて、ぐったりしたゼネテスの身体を抱えながら辺りを見回した。
その横を、何事もなかったような顔のセラが通り過ぎ、化け物の生死を確かめにいく。
一度湯の底に沈んだ化け物の身体が、浮かび上がってきた。
セラが入り口から投げつけた「月光」を胸に突き立てた、青白くやせた人間の男の姿がそこにあった。
 
 
数時間後。
リュミエとゼネテスは冒険者ギルドで、事の顛末を責任者から聞かされていた。
リュミエは心配そうに大けがをしたばかりのゼネテスを見るが、声が戻った彼女からイクスキュアをかけて貰った大男はけろりとしている。
もっとも湯に浸かった上に魔法をぶつけられたおかげで、彼の愛用の鎧も服も台無しになっており、
今は宿で提供されたごく普通のシャツとズボンを身につけていた。
 
「つー事は、あいつは間違いなく、この町の魔道士だったんだな」
「はい」
と、現在のウルカーンの魔道士達の束ねの老人が、ばつが悪そうに頷く。
死ぬと同時に普通の人間の姿に戻った男。
彼は元々、ここで研究にいそしむ魔道士の1人だった。
しかし、机上の理論こそ完璧だったが、彼は自分の理論に溺れ、精霊力を鍛えることをしなかった。
当然、魔道士としてのレベルは低く、その為に実践で鍛えた冒険者達にいつしか
負い目を感じるようになっていったという。
そこで修行に励めば良かったのだが――彼はアンティノの研究所で改造を受け、
手っ取り早く力を得る事を選んだ。
 
力を持ち、その事に優越感を持ち、その反面では本来の自分は魔力を殆ど持たないと強い劣等感。
精神のバランスを崩した彼は、いつしかその肉体の変身能力を使い、密かに冒険者を襲い、
彼らを殺すことで自分の歪んだ優越感を満足させるようになっていったのである。
 
「バカな奴だ。基礎を持ってたんなら、努力すりゃよかったんだ。
いくら比べた相手を消したところで、肝心の自分がなきゃお終いだ」
ゼネテスは、吐き捨てるようにそう言った。
長老は全く返す言葉がないというように頭を下げる。
「何はともあれ、これでまた冒険者達もここに来るようになるだろう。ありがとうよ」
冒険者ギルドの主人が、魔道士ギルドからの詫びの意味もこもった報奨金をさしだした。
「あのバカはな、あの長老の息子だったんだ」
痛ましそうに主人が小声でそうリュミエに告げた。
 
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