◆安眠の心得◆
 
「わあああああああ!!」
魂消るような少年の悲鳴が、深夜の宿の一室に響き渡る。
当然同室の者達――セラとフェティは何事かと飛び起きた。
 
「ナッジ!こんな夜中になんの騒ぎなの?この高貴なるエルフの安眠を妨害するなど、ちょっとやそっとの理由では許さなくてよ!…よ?」
猛然と文句を言い始めたフェティは、ベッドの隅に長身を縮めているナッジと、そのベッドの上で堂々とまだ眠っている娘に目を丸くした。
「リュミエ!あんた、一体ナッジのベッドで何をしてるのよーーーーー!!!!」
フェティはすーすーねむっているリュミエを揺さぶり起こす。
「あ、あの、気が付いたらリュミエがいて、別に変なことは何も…ああああああ!」
生真面目なナッジは大混乱で頭を抱え、おろおろと否定の言葉を繰り返すだけだ。
1人冷静にセラは額を抑えた。
 
「…判っている。寝ぼけたんだろう…」
4人部屋だった今回、たまたまナッジのベッドはリュミエとちょうど逆の壁側、つまり、隣。
寝ぼけたリュミエが隣のベッドに潜り込んだだけの話だ。
深夜の大騒ぎの原因となったリュミエは、フェティにさんざん揺さぶられてようやく目を擦っている。
「……あれーーー…夜中にみんなしてどうしたの?敵襲…?」
ぼーっとした言葉に、フェティとナッジは呆れかえった表情のままで固まってしまった。
 
「敵などおらん。強いていえば、お前が襲う側だ」
「へ?」
これまた呆れかえったセラの声に、リュミエはようやく辺りを見回し、そして状況を理解したらしい。
「あ、寝ぼけたみたい…ごめんねー、ナッジ、フェティ。騒がせちゃって…」
リュミエは照れ隠しに笑うと、そそくさと自分のベッドに潜り込み、またすーすーと眠りだしてしまった。
しばらく呆然としていたフェティは、我に返って頭から湯気を吹き出すと今度はセラに向かった喚きだす。
 
「ちょっと、何あれ?リュミエって寝ぼけ癖があったの?知っている事があるなら、さっさと説明をしなさい!」
セラはそのキンキン声に、五月蠅げにこめかみに指を当てる。そしてナッジに向かい、
「ベッドの場所を変える。お前は俺のところで寝ろ」
「…え?あの…」
「あのバカが潜り込むのは隣のベッド限定だ」
「あ…そうなんだ」
ナッジはほっとしたようだ。ささっとベッドの場所を交換し、替わった場所で横になる。
フェティ1人が納得してないようで、キンキン喚き続けていた。
「どう言うことなの?何を知っているの?この高貴なエルフに説明もせずにそっちだけで納得しているなんて、許せなくてよ?」
「許せなくてもなんでもいい、寝ろ」
素っ気なく言ってセラも横になる。
「なんなの、その態度!このわたくしを無視する気なのーーー?」
シーンとなった室内でフェティはしばらく頬を膨らませていたが、皆寝入ってしまってなお怒っているのも馬鹿らしくなったのか、まだ怒りが収まっていないようではあるが横になる。そして、あっという間に眠りについた。
 
 
皆が再度眠りについて少したった頃。
セラのベッドにまたもそもそと潜り込んできた娘。
そのまま自分にへばりつくようにして眠っているのは、旅を始めた頃はよくある事だった。
この娘は不安な事や恐ろしいことがあると、起きている間は態度に出ないが、夜になると「寝ぼける」という形で心中を表す。
幼い頃、隣のベッドで眠っていた兄の懐に抱かれて眠っていたことを思い出すからだろう。
最初はうっとおしいと思ったものの、何度も繰り返されるといい加減になれる。
猫か何かに乗っかられたようなものだろうと思う。
 
最近は冒険者家業にもなれ、旅の道連れも増えて賑やかになったせいか寝ぼけることもなくなったのだが、――今夜の理由は判る。
戦争だ。
 
今、彼等はアキュリースの傭兵として水の都におり、そして日中、攻めてきたディンガル兵と対峙したのだ。
町中にあふれた怪我人の姿を見て、リュミエはおそらく自分の村が襲われたときのことを思い出したのだろう。
ぼーっとしているんだか、繊細なんだかよく分からない娘だ。
時には気遣ってやろうか、という気にもなるが、起きると前日のことはすっかり忘れている様子を見ると、
心配するのも馬鹿馬鹿しくなる。
実際、はじめの頃は寝ぼけたことを恥ずかしがってもいたようだが、2度3度となると慣れたもので
朝自分が誰のベッドにいても気にならなくなってしまったらしい――それは自分も同様だが。
セラは暑苦しくくっついて眠るリュミエから微妙に距離を取り、諦めたように目を閉じた。
 
傍らで寝息が聞こえる。
人間不信のきらいがあるセラは、本来人の存在を感じると寝苦しく思う方だったのだが、
あまりの娘の無防備ぶりにまったく気にならなくなった。
 
――まあ、いいか。
そう思いながらセラも眠りに落ちる。
夜中に他人の喚く声で目が覚めるよりはよほどマシってものだ。
 
これ以降、リュミエの隣のベッドはセラの定位置になった。
 
 
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