◆疑問の宿題◆
 
ロストールの広場の中央に出来ている人垣に、興味を引かれたリュミエは立ち止まった。
そのまま人混みの中を覗きに行きかけるリュミエを、額に青筋立てたフェティが引き留める。
「ちょーっとあなた!どこに行く気なの?」
「え?なんであんなに人が集まってるのかな、と思って…気にならない?」
悪びれるどころか好奇心に目をキラキラさせている、一応自分達のパーティーリーダーに、フェティは口元をひくひくさせた。
 
「あなたねぇ…今どこに行く途中だったか承知でそんな事を言ってるのかしら?」
「どこに行く途中って、…この先のスラムの酒場にご飯食べに行くんだよね」
リュミエはきょとんとして答える。額に青筋、口元をひくひくさせているフェティは、なぜか表情だけは笑っているように見えて、リュミエは不思議そうに目を見開いた。
 
「その通りよ!あなた、ここに来る前に何て言ったのか、もう忘れてしまったのかしら?『久しぶりの町だし、ゆっくりと美味しい物を食べよう。スラムの酒場のマスターと友達になったから、私が奢るから行こう』って、そう言って此処まで私達を連れだしたのは、一体どこのどなた?そのあなたがなに寄り道しようって言ってるの?この私を引っ張り回しておきながら、一体どの口でそんな事を言うのかしら?」
まくし立てるフェティの剣幕に青くなりなりながら、引きつったリュミエの顔もなぜか笑顔である。
 
「あーあ…あの二人って、なんで怒ったり驚いたりするとき、顔が笑ってるみたいになるのかな」
二人の様子を見ていたナッジが、心底不思議顔で言う。どうやら引きつった顔の筋肉が笑う形をつくってしまうらしいのだが、その所為で二人が喧嘩していてもあまり険悪に見えない。
のどかに二人を見守っていたナッジのお腹がぐーっと鳴る。
空腹を訴えるその音に、我に返ったリュミエが早口で言った。
「先に行ってて〜酒場はその左の角の突き当たりだから!私のツケでいいからね」
そういうなり、タタタッと人垣の中に飛び込んで行ってしまう。
 
「ちょっとリュミエったら!ツケって最初っからあなたのおごりだったのでしょうってば!」
フェティはゼイゼイ息切れさせながら怒鳴ると、グウグウいっているお腹を押さえているナッジをきっと睨み付けた。
「もう良いわ、さっさと置いていきましょう!」
そういって女王然とした足取りでフェティは歩き出す。ナッジはとまどい気味にフェティとリュミエが飛び込んでいった人垣、そして、黙っているセラを見た。
視線を受けて、面倒くさそうにセラが言う。
「……先に行け…」
 
 
◆◆
 
 
好奇心一杯で人をかき分け前列に出たリュミエが見たのは、公園中央の噴水脇で倒れている少年と、泣いている母親らしき女。そしてその隣に立つズルズルと長い髪をした少年。
 
(あれ、あの人なんていったっけ…確か救世主エストラゴン…じゃなくてエルファスだ…)
そのまま黙ってみていると、どうやら救世主はケガした子供の母親に、何か問いかけをしているらしい。
「真の神を受け入れよ。さすれば神は奇跡を見せるであろう」
母親はその足下に縋り付かんばかりに頭をこすりつけている。
信じるから――子供に奇跡を――とぎれとぎれの泣き声がそう訴えている。
 
「何やってるんだろう、子供を助けるなら、早く助けてあげればいいのに」
思わずリュミエが呟くと、隣に立っていた若い女がしっと口に指を当てた。
「あなた何を言っているの?救世主様の奇跡は、救世主様の神様を信ずる者にだけお与えになるものなのよ?」
そういうものなのかな?とリュミエは首を傾げる。
(父様は傷ついた村人が居たらすぐに魔法で直してあげていたけど…あ、でもミイスはみんなノトゥーン神の信者だから…そう言うことなのかな)
そう思いながらも、なんだか釈然としない。
子供は青ざめて息が細い。母親を改宗させるなら、先に子供を直してからでもいいのに――そんな事をやきもきしながら考えていると、人垣の別の一画が崩れ、横柄で柄の悪い声が響く。
 
「救世主というのはお前か!」
(あ、あの人、貴族のタ…タ…タルづけ!じゃなくて、タリュ…タリュテバ…でもない、忘れちゃった。とにかくタルなんとか!)
そのタルなんとか貴族は、どうやら奇跡の力を持つと巷で有名なエルファスを召し抱えるために来たらしい。横柄な言葉でそれを告げたあげく、
「俺がリューガ家の当主になるのだ!」
などと言うことを声高に叫んでいる。
 
あの救世主の力を借りて自分よりも上の身分の人をどうにかして、自分がその後釜に座りたいらしいのだが、リュミエから見てもこんな馬鹿が上に立ったらすぐに身代潰しそうな気がする。
それとも大丈夫なのだろうか?当主がどんなのでも、貴族が潰れたりする事はないのだろうか。
「…貴族って、楽な商売だぁ…」
誰にも聞こえないようにこっそりと、リュミエは呆れた呟きを漏らした。
 
 
下品な貴族はなおも怒鳴り散らしているが、当然救世主が言うことを聞くはずがない。
焦れた貴族はついにとんでもないことをしでかした。
腰に下げてある拵えだけは妙に立派な剣を抜くと、いきなり傷ついている少年の上に振り下ろしたのだ。母親の魂切るような悲鳴が広場中に響く。
さすがの救世主も顔を厳しくし、鋭く何かを言おうとした。だが。
「ちょっと、なにするのよ!この馬鹿男!」
子供に暴力が振るわれるのを見て逆上したリュミエが突然タルテュバに食ってかかったのだ。
下品な貴族とその取り巻きは、突然現れて罵倒し始めた娘に呆気にとられた顔をした。
 
「貴族って聞いたけど、貴族の誇りはないの?無抵抗な者を傷つけて、それでよくもまあ、貴族だなんて大層な身分を名乗れるわね!恥を知りなさい!」
決めつけた娘にタルテュバの顔が真っ青になり、ついで真っ赤になり、最後にはどす黒くむくんだような赤紫の顔色になる。
「この小娘が!このタルテュバ・リューガ様をなんだと思ってる!」
「ただのバカだと思ってるわよ!古今東西いつの時代の歴史を紐解いても、ケガをして倒れている子供を切りつけた男を『英雄』と尊んだ例なんて、ひとっつもないんだから!」
普段のほほんと脳天気なリュミエでも、本気で腹を立てるとこれくらいは言うのである。
それでなくても最近は、すぐに口げんかをしかける「高貴なエルフ」のお陰で、リュミエの口もなかなか良く回るようになっている。
ついでに、口だけでなく戦闘の腕も冒険者としての旅の中で鍛えられている。
腰巾着と武器を持たないか弱い一般市民の前でだけ大口を叩いているタルテュバが相手になるわけがなかった。
剣を抜いたタルテュバは、リュミエが放った魔法の一撃を受け、あっさりと昏倒してしまった。
 
「さっさとその馬鹿貴族を連れて行きなさい!貴族の体面って、大事なものなんでしょう?これ以上恥の上塗りをさせるんじゃない!」
まだ気が収まらないリュミエが一喝すると、取り巻き連中は慌ててタルテュバを抱き起こして去っていった。
鼻息荒くその情けない逃げっぷりを見届けてから、リュミエは傷つけられた子供のことを思いだして慌ててそちらに駆け寄る。
すると、そこでは嘆き悲しむ母親に向かい、真の神だけに帰依する事を求める救世主の姿。
一刻を争う状況で何をしているのだろうと、リュミエは腹立たしくなった。
エルファスは涙を流して縋り付く母親を満足げに見下ろすと、ようやく子供へ手をかざし、何かを小声で呟く。数秒の後、すでに死人の顔色のように青ざめていた子供の頬に赤みが差し、そして子供は何事もなかったような顔で目を開けた。
人々の間から歓声が起きた。
 
「救世主様、万歳!」
多くの人々はまさしく奇跡、と言ったことを口々に叫び、エルファスを褒め称えた。
確かにリュミエもこれはすごいと思う。少年は自分の足で立ち上がり、泣いている母親の手を不思議そうに引いている。
リュミエの呪文では、これほどまでに完璧な効果は上がらない。ロストール周辺の神官よりもよほど上手く操りはするが――これほどではない。
 
(救世主って名乗るは、伊達じゃないんだ…)
素直に称賛しながら、それでもどこかに疑問が残る。
何が引っかかるんだろう?
エルファスに聞いてみたかった。
でもエルファスは感情むき出しでタルテュバと戦ったリュミエを非難するような言葉を残し、立ち去って行ってしまった。
人々も潮が退くようにさった後、リュミエはその場に1人立ち、何がこんなに疑問なのか、それも判らずに考えていた。
 
 
「…なんでこんなにもやもやするんだろう、なんだかヤダな」
駄々をこねるようにリュミエは独り言を言う。
何がいやなんだろう。貴族貴族と身分だけ喚いてちっともそれにふさわしい態度をとらない貴族の姿?もちろん、それは嫌だ。
でももっと嫌な感じがしたのは、エルファスだ。
神様のことを人である自分がどうこういうのは、神官の娘として育ったリュミエにとっては冒涜だと思う。
でも嫌だ。エルファスの態度は、信仰を強要していたように見えたのだ。
むろん、そうじゃないのだと思う。エルファスの奇跡に、人々は自分から望んで帰依したのだと思う。
 
でも――何かが違うと思う。
真の神って何?他の神を否定し、非難しなければならない神様って何?
神様って、奇跡を授ける代わりに自分に従属しなくちゃいや、ってそんな風に考える物なんだろうか。
布教活動という者には一切無縁だったリュミエには判らない。
ミイスでは、神殿が唯一無二であり、奇跡というのは望む者すべてに平等に与えられるものだった。神様がくださった力というのは、そういうものだと思っていた。
モンスター相手に与えるのは――ちょっと嫌だな、と思うのは棚上げにして、リュミエは首を捻る。
 
――私が、甘いのかな、おかしいのかな…。
 
その後頭部が、突然叩かれる。
「痛い!誰よ!」
声を尖らせてリュミエが振り向くと、そこに立っていたのは苦々しげな顔つきのセラ。
どうやら掌を突き出すような恰好で後頭部を叩いたらしく、実のところ痛いという程の衝撃でもない。
 
「1人で何をぶつぶつ言っている。フェティが『支払いをどうするんだ』とヒステリーを起こしている。さっさと来い」
「え?あ、ごめん」
いいながら、リュミエはなおもぐずぐずしている。その様子に、セラは苛立ったように言った。
「お前の頭は悩むのには向いていない。いいからさっさと動け」
その言い分に、リュミエは口をとがらす。
「何かひどい言い方」
「その通りだろうが。喉元過ぎれば熱さを忘れる脳天気頭が」
「…う、わーーーーー…当たってるけど、そこまで言う…」
あまりな言われように文句を言う気も起きないほど脱力していると、セラは焦れたようにリュミエを急かした。
「来ないのなら、先に行く」
「先に行くも何も、先に行ったのに戻ってきたんじゃないの」
ぶつぶつ言いながらついていくと、前を向いたままのセラがぼそっと言う。
 
「判らないのなら、無理して考えることはない。大事な事なら、その内に答えは見つかる」
答えが1つ見つかったような気がして、リュミエは小走りでセラの隣にならんだ。
「見つかると思う?」
「お前は馬鹿だが妙に運がいい。疑問そのものを忘れてなければ、その内に見つかるだろう」
「だから…そこまではっきり馬鹿って言うか〜〜」
続けて文句を言おうとして気が付いた。
「ひょっとして、先に行かないで待っててくれた?」
「お前を1人にしておくと、ろくな事をしないからな」
「口悪い……」
ぶっきらぼうなセラの返事に言い返しながら、不意にリュミエはにこっと笑う。
「ま、いいや。覚えておこうっと、何がこんなに嫌で、判らなくて、納得できないのか。もう少し世間を知って経験を積んだら、判ることもあるかも知れないしね」
 
神様のことも、人の心のことも、身分で人を差別したがる国のことも、今は判らないけれど、その内に判る日が来るかも知れない。
そうとりあえずの結論を出したところで、リュミエのお腹の虫が自己主張を始めた。
 
「早く行こう、お腹すいたーーー」
リュミエはさっきまでとは逆にセラの前を歩き出した。
そのあっけらかんとした切り替えぶりに、今度はセラの方が呆れて脱力してしまう。
「……馬鹿だ…この娘は」
セラはそう呟いて苦笑する。
すでに慣れた感覚だ。この娘相手にいちいちこだわっていても仕方がない。
何はともあれ――。
道のど真ん中で人々の注目を浴びながら手を振っているこの馬鹿娘をさっさとどこかへ連れて行こうかと考え、セラは娘に向かって歩き出した。
 
 
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