最初の依頼 前
 
子供の頃、お祖父様が、寝物語に何度も話してくれた。
 
神官の一族のつとめ。
魔人に対抗するため。神器を守るため。
みんな戦う力を手に入れなくてはいけない。
 
怖い、と訴える幼い孫に、祖父は言う。
 
「それがつとめ。けして逃げることの出来ない、定め」 と。
怯えた幼い娘は夜中に震えて目を覚ます。眠ると恐ろしい魔人が攻めてくるような気がして。
 
そうするといつも兄が呼ぶ。
一緒のベッドで添い寝をしてくれながら、幼い妹の髪を撫でながら、安心させるように何度も。
 
「大丈夫。リュミエには私が付いているよ。私が強くなって戦うから、リュミエは私と一緒にいれば良いんだ」
 
その言葉を聞きながら、幼いリュミエは安心して眠りについた。
強い兄の腕に守られながら――。
 
◆◆
 
 
穏やかな日差しが、窓の隙間から部屋の中に差し込んできた。
「おい」
頭の上で呼ぶ声がする。
(兄さん、…、なんだか声が違う…)
 
「おい」
また頭上でぶっきらぼうな声。
(兄さん、機嫌が悪そう…、起きなきゃ駄目かなぁ…)
 
そう思いながら、リュミエは渋々目を開けた。
すると最初に飛び込んできたのは、男の物らしい胸。しかも裸。
 
?あれ?兄さん、いつもパジャマ着てなかったっけ?
子供の頃の夢を見ていたリュミエは、自分がどこで誰と寝ているのか、今一つ理解できなかった。
 
「おい」
今度ははっきりと、苛正しさを露わにした声が聞こえた。
あれ?声が違う?
寝ぼけたままのリュミエが、不思議そうに顔を上げる。
目に入ったのは長い黒髪をした、見覚えのない若い男の顔。
かなり怒っているようで、眉間に思いっきりしわを寄せている。
リュミエは、自分が見知らぬ男(しかも上半身はだか)と同じベッドで寝ていたことに、ようやく気が付いた。
次の瞬間。
 
「や、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫が宿中に響き渡る。
聞きつけた宿の主人が、慌ててドアの前に飛んできた。
「お客さん!どうしたんですか!」
どんどんとドアを叩きながら、主人が叫ぶ。自分の宿で犯罪なんて起こされたら、たまった物じゃない。
 
「何でもない。妹がゴキブリに驚いたんだ」
ドアが閉まったままの室内から、落ち着いた男の声で返事が来る。
「ゴキブリ?そんなものは、うちの宿には…」
「寝ぼけて見間違えたのかもしれん。妹は寝起きが悪いんだ、騒がせて悪かった」
間髪入れずの答えに、主人は納得したのか、やれやれと頭をかいた。
「朝っぱらから、驚かせないでくださいよ」
「悪かった」
相変わらず、開かないドアの向こうから声が返る。
主人は、息を1つ吐くと、階下に降りていった。
 
 
「ふがふが〜〜〜」
「騒ぐな。ロイの妹!」
手で口をふさがれたまま、じたばたしているリュミエに、セラはいらいらと言った。
「夕べのことを、覚えてないのか?お前が勝手に、潜り込んできたんだぞ」
ぴたりと、リュミエが大人しくなる。
また騒ぎ出さないかと、セラは眉間のしわをそのままにして、そっと手を放した。
 
「あ、そうだった…、私、子供の頃の夢を見ていて…」
ポヤンとした話し方をするリュミエに、セラはむっつりと息を吐く。
「まだ寝ぼけてるのか?」
リュミエは今一つ自分の状況を把握していないようで、ポヤンとした表情のまま、目の前の男の顔を眺めた。
唐突に。
本当に唐突に、昨日の情景が眼前に蘇った。
 
燃え上がる村。
逃げる人々。
父の身体が、人形のように放り出され、そのまま動かなくなる。
そして、自分に「行け」と叫んだ兄の顔。
 
兄の――。
 
再び悲鳴を上げそうになり、リュミエは、自分で自分の口を押さえた。
かちかちと震え始めたリュミエに、セラは少し戸惑ったような、無理して穏やかにしてるような、そんな声で話しかけた。
「思い出したようだな。それでは、俺の事は分かるか?」
リュミエは口を押さえたまま、こくんと頷く。
 
確か、兄の知り合いだ。
昨日、行くあてもない私に「ついてこい」と言った。
そして、夕べ遅くこの宿について、疲れてそのまますぐに眠り込んでしまった。
そして夢を見た。
燃え上がる村が、祖父がよく座っていた暖炉の前の光景と重なった。
恐ろしくなった彼女は、おそらく昔の癖で、隣のベッドに潜り込んだのだろう。
祖父がよく昔話をしてくれていた頃、自分と兄は同じ子供部屋で寝ていたから。
 
リュミエは、ちらっと夕べ、自分が布団代わりにしてしまった男の顔を見た。
兄とは全く違う、他人の男。
(やだぁ〜〜〜〜)
村の崩壊のショックとはまた別のショックに、リュミエは真っ赤になった顔を押さえた。
(知らない男の人と一緒に寝たなんて、お父様に知られたら、ものすごく怒られちゃう)
そうとっさに考えて、すぐに父がもういないのだと思い出す。
もう何をしても叱ってくれない。
何をしても、誉めてもくれない。
涙がこぼれてきて、リュミエはぎゅっと服の裾を握りしめる。
ぽろぽろと泣き出したリュミエを、セラはしばらくじっと見ていたが、立ち上がると、窓を大きく開け放った。
とたんに朝の日差しと、町の賑わいが室内に飛び込んでくる。
リュミエは顔を上げた。
 
 
窓の外から聞こえる雑踏は、静かな村では、考えられない程、様々な音。
朝市に行くのか、馬車の轍の音。男達を送り出す、元気のいい女達の声。
その賑わいに、ふらふらとリュミエは窓際に行く。
窓の外に広がっているのは、ディンガル帝国の首都エンシャントの、巨大な町並みだった。
 
「お前、冒険者として旅をしたことは?」
突然聞かれ、反射的にリュミエは首を振った。
「だろうな」
面倒くさそうなため息を付くと、セラはさっさと身支度を整える。
「ギルドに行く。こい」
素っ気なく言って、部屋から出ていこうとする。
突然のことに、リュミエは何がなんだか分からないが、とりあえず慌ててその後を追った。
(…兄さんの知り合いにしては、素っ気ないというか、ぶっきらぼうというか…、なんというか…)
今更のように、そんな事を考えた。
 
 
◆◆
 
 
パタパタと階下に降りると、さっき部屋の前に来た宿の主人が、声をかけてきた。
「よう、起きたのかい?嬢ちゃん」
「あ、おはようございます」
思わず足を止め、ぺこりと頭を下げるリュミエ。
彼女にしてみれば当たり前だが、一癖二癖ある冒険者ばかり相手にしている主人には、その当たり前の挨拶が、新鮮だったらしい。
にこっとすると、愛想良く話し始めた。
 
「ゆっくり休めたかい?夕べは、ずいぶんと疲れてたみたいだったねぇ」
「あ、ハイ!お陰様でぐっすり眠れました」
そう言って、また礼儀正しく頭を下げる。
主人の顔が、ますます笑み溶ける。
 
「一緒のお兄さんに、似て無くて良かったねぇ。こういっちゃなんだが…、顔は綺麗だが愛想のない人だねぇ。
あれじゃ、女の人にも、あんまりもてないんじゃない?」
「あ!やっぱり、そう思います?」
変なところで意気投合している2人。
 
十分後、先に宿の外に出ていたセラが、いらいらしながら入ってきた。
「何をしているんだ?」
妙に和気藹々としている主人とリュミエに、そう不審げに声をかける。
その不機嫌そうな顔に、思わず目が合ってしまった主人とリュミエが、同時に吹き出した。
 
 
「…さっきから何を笑っている」
妙に意味ありげに、視線を交わして笑ってた主人とリュミエに、セラの顔は、ますます不機嫌そうになっていた。
「なんでもないです」
機嫌の悪いセラとは逆に、リュミエの声は浮き立っている。
冒険者ギルドは、宿からそう遠くない場所だが、初めてみる大都会にきょろきょろしているリュミエはともすれば、ふらふらと別の方向に行きかける。
いちいち振り返りながら歩くなど、セラにしてみれば今までしたことがない。
リュミエは、『兄の知り合いにしてはぶっきらぼう』 なんて事を思っていたが、セラはセラで、『ロイの妹にしては、トロイ』 なんて事を考えていた。
 
「ここがギルドだ。これから冒険者登録をする」
相変わらず素っ気なく言って、先に建物の中にはいるセラの後を追い、リュミエもギルドの中にはいる。
その雑多な雰囲気に、リュミエはぎょっとした。
 
くたびれたアーマーを身につけた、年齢もバラバラな男女。
壁に何枚も貼り付けられた依頼の紙を見ながら、ぶつぶつと言っている。
数人で固まって相談しているのは、同じグループなのだろう。
いかにも新品なアーマーを着て頬を赤らめているのは、新人なのだろうか。
 
ひょっとして、兄も昔はセラとこうやって、ギルドで依頼とか受けてたんだろうかと思うと、なんだかリュミエはドキドキしてきた。
彼女もいずれは経験する筈だったことだ。
その旅立ちは、父の期待を受けて村を出た兄とは、だいぶ違ってしまったが。
 
「こっちだ。そのカウンターにいる親父に話しかけろ。登録してくれる」
セラがきょろきょろしているリュミエの腕をとり、カウンターの前に引っ張っていった。
あたふたと、言われるままにカウンターの前に来たリュミエの後ろで、セラはぎりっと背後に睨みを利かせる。
どうやら、いかにもお嬢さん然としたリュミエに、すれた冒険者が物言いたげな顔をしていたらしい。
『お嬢ちゃんの遊び場所じゃないんだ』
彼らの顔はそう言っていた。
 
 
 
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