◇予感◇ 

薄汚れた、獣じみた臭いが遠ざかる。

――気付かれなかったみたい。

リュミエは埃だらけのベッドの影で、ほっと息を付いた。
怪物達の気をひかないように、音を潜めてコソコソと矢筒の矢を数える。
何度数えても、残りは片手の指にも足りない。使った分と、上の階から落ちたときに折れた分と――いまさら悔やんでも仕方ないとリュミエは頭をかいた。
せめて、気力を回復する薬を持ってくれば良かった。
塔から脱出するための呪文を唱えるのも、今は難しい。

走って迷って戦って呪文をつかって、さっき敵をやり過ごすために唱えた呪文で気力はつきた。
目眩がするほど疲れ切り、頭の芯がしびれている。

「……誰か気が付いて、迎えに来てくれるかなぁ…」
膝を抱えて呟いた。懐の奥には落とさないように、しっかりと抱えた小さな守り袋。
町で出会った小さな兄妹からの依頼品。

『魔導の塔に、大事な大事な守り袋を落としてしまったんだ。お願いだから、探してきて!』
ギルドに依頼を出すほどの金も当然持っていないと思われる年頃の少年少女が、必死にギルドのドアの前で冒険者達に頼んでいた。
リュミエはこの時まで魔導の塔に来たことがなかった。
だから、高をくくっていたのだ。

町の中、しかも、子供が勝手に入り込めるくらいの場所だ。
モンスターがいるといっても、そんなにたいした事はないだろうと。
たいした事はあった。
その中は一種の結界になっていたらしく、外には出てこないもののモンスター達は驚くほどたくさんいた。入り口付近に落としてきたはずの守り袋は、モンスターが持ち去ってしまったのか、どこにも見あたらない。
奥に探しに入ると、勝手に転移させられるは、落とし穴はあるはですっかり自分の居場所を見失い、なんとか守り袋を見つけたときには、戻るにも難しい状況になり果てていた。

「……あー、またセラに怒られる。勝手なことするなとか、ギルドを通せとか……、でもなぁ…」
怒られるとは思っていても、自分が悪いことをしたとは思っていないリュミエは悪びれない顔で呟いた。
「助けに来てくれないかなぁ…」
明かり取りの窓から差し込む陽射しは傾き、そろそろ夕暮れが近いことを示している。夜になれば、もっとたくさんのモンスターが動き出すかも知れない。
リュミエは顔を顰めると、隅に小さくなって目を閉じた。

(とりあえず、眠ろう。少しでもいいから眠れれば気力が回復する。そうしたら、すぐさまここを脱出しよう)
眠れ、眠れと自分に暗示をかけていると、すぐに意識が遠くなる。

(熟睡しちゃだめ。ちょっとだけ。少しだけ眠ったら起きること!)
そう繰り返しながら、リュミエはあっという間に眠りに落ちていた。
そして、そう自分に言い聞かせたかいがあったのか、本格的に眠り込む前に目が覚めた。覚めたときには、目の前に生臭い臭いを放つアンデッド数体が立っていたのだ。

「ひゃ……やだーーーー!ブレイズ!」
咄嗟にはなった呪文で目の前にいたアンデッドは全て焼き尽くされる。ぶすぶすと煙を上げてもがくアンデッドの横を通り過ぎ、リュミエは自分の考え無しに悪態を付いた。
「あーもう、私のばかばか!魔法を使えるならなんでエスケープ使わないのよ、そうしたら、ここから逃げられたのにーーーー!」
もう一度呪文を使おうと思っても、頭の中に靄がかかったようで思い浮かばない。
目の前に飛び出してきたオークを射倒したところで、矢もつきた。
リュミエはとにかく逃げた。
足を縺れさせながら逃げ回り、何度か転移床を踏み、そして、また自分がどこにいるか判らなくなった頃、不意に静まりかえったフロアにでた。

「ここ…どこだろう……」
おっかなびっくりで歩き回り、奥まったホールのような場所にでた。中央には何かが刻み込まれた石版。馴染み深い神殿を思い起こさせる、どこか威圧感と威厳を感じさせる空間。
近づいてみると、中央の石版には男の上半身だけが浮き彫りになっている。
なんの由来のある石版なのかと、リュミエは首を捻りながらさらに近付いた。
男の像は、ドキッとするほど生々しくリアルだ。閉じた目に、端正な顔を縁取る髪。
文字を読んでみようかと、かがんで手を伸ばしかけたリュミエは、すっと気配が変わったことに気が付いた。耳の奥が痛くなるような、緊張した空気。
そして、びくりとした。
頭上から声がかかったのだ。
ごくりと唾を飲み込み、リュミエは声のする方向に目を向ける。
そこには、あの上半身だけの男の像。
だが、それはもう像ではなかった。――石版に捕らわれた、「男」だった。

「……生きてる…?人なの?」
囚われの男は、自嘲するように笑った。
そうして、静かに語り始めたのだ。
自分が何者であるのか。

人の革新を信じ、そしてそれを達成した、かつての古代王国の王であると。


長かったのか短かったのか、リュミエは男の話を夢見心地で聞いていた。
何だかよく理解できなかったのだ。
革新なんたらと言われたところで、リュミエは理解できない。当初の衝撃から覚めると、石版から上半身をはやした男が夢を語っているようにも思える。

(……身体、この石版の中でどうなってるんだろう。下半身はちゃんとあるのかな)
そんな事を考えながら聞いていたので、古代の王と名乗る男の言葉もあまり頭には入ってこない。
そんなリュミエの不真面目な態度をどう思ったのか、男はおかしげに言った。
「竜王は、人が今以上の力を手に入れることが無いよう見張っている、神々の番人だ。そなたも気を付けるがいい」
「……私が何を気を付けるの?」
きょとんとして聞き返すと、古代の王は、僅かに哀れみを感じさせる声音で「また来るがいい」と言う。
「うん、……くるのはいいんだけど」
「何か問題があるのか?」
「帰り道が判らないの。エスケープ唱えたいんだけど、集中できなそうだし…」
急に深刻ぶるリュミエに、古代の王は本気で可笑しそうになった。
「余との話の間に、それくらいの気力は回復しておろう。何より、今のそなたは逃げ場を失って追いつめられているようには見えぬ。行くがいい、それはすぐに証明される」
「本当に大丈夫だと思う?保証してくれる?」
「古代王国の全ての魔導士の長たる余が保証してくれよう」
「本当ね、信じるからね!」
リュミエはにこっと笑って気合いを入れると、集中を始めた。確かに、エスケープを唱えるくらいは大丈夫なようだ。
呪文を唱える直前に、リュミエは囚われの王に向かって笑いかけた。
「また来るね!」
次の瞬間、少女の姿は消えた。
1人残された古代の王、シャロームは薄く笑いながら呟く。

「竜王よ。そなたの時代は過ぎようとしている。見るがいい、あの娘を。……信仰と、古い権威をまったく別物と捉えておる。あの娘は、神と語らい、そして祈るだろう。だが、竜王よ。そなたが牙を剥いたとき、あの娘もまた剣を向けるだろう。そして人は、新たな世紀に踏み出していくのだ」

シャロームは笑いながら、再びの沈黙に入った。
またあの娘は来るだろう。
彼の沈黙の時は、もう間もなく終わりを告げるのだ。


◆◆◆◆◆◆◆


扉を押して外に出ると、夕焼けに赤く染まる景色が目に入った。
そして、塔に向かってくる、子供二人と、大人一人の姿。
リュミエに捜し物を頼んだ兄妹が、セラと一緒にやってきたのだ。

「あ、お姉ちゃん!」
子供二人が泣きべそ顔で飛び付いてくる。
「お姉ちゃんが入ったっきりでてこないんで、心配になったんだ。で、ギルドで誰か男の人が助けてくれないかって、探したんだ。そうしたら、この人が、『女一人でそんな所に入ろうというバカは、たぶん自分の連れだろう』って言ってくれて…」
「……バカって言わなくたっていいじゃない…」
むっつりと近付いてくるセラに向かい、リュミエは恨めしげに訴えた。
「思った通りだな。お前以外に、そんなバカはおるまい」
「バカバカ言わないでよぉ」
悔しくはあるが、確かにバカをしたと自分でも思うので、リュミエはそれ以上いう事は止めた。代わりに懐から守り袋を取り出し、少年に差し出す。
「はい、これでしょ?こんな大事な物持って、こんな危ない場所来ちゃだめよ」
と、言うと、少年は嬉しさに涙ぐみながら答えた。
「うん、気を付ける。ここ、なんか凄いお宝がいろいろあるって聞いて、何か一つでも見つかったら、暮らしの足しになるかと思って。ようやく小さい宝石一個見つけたんだけど、逃げてくる途中で落としちまって。戻るのも怖くて、もうどうしようかと思って…」
そう言いながら袋を開け、少年は躊躇いがちに中から小さな宝石をとりだした。
「俺には身に過ぎたお宝だったから。これ、依頼金!」
自分に向かって差し出された赤い石に、リュミエはくすりと笑った。少年の必死な顔が、少し面白かったのだ。
「ううん、いいよ。今日の依頼金はね、出世払いって事でツケにしとくから。それに本当のこというとね、ギルドを通してない仕事をしたのがばれると、ちょっとおっかない人がいるから」
そう言って、「今日のことは内緒」というように、口元に指をあててみせる。少年はぽかんとしながら、満面の笑みになって宝石をしまい込み、妹の手を引いて帰っていった。

「あー、なんかいいことした気分」
清々しい気持ちでそう言ったリュミエは、傍らで仏頂面をしているセラに気が付き、急に及び腰になった。
「……やっぱり、依頼金もらった方が良かった?」
「あの兄妹の家族の、しばらくの飯代だろう、あれは」
「そうだよねーー、貰わなくて正解だよね」
あはは、と誤魔化すように笑うリュミエに呆れたのか、セラはさっさと背を向けた。
「日が暮れる。宿に戻るぞ」
「あ、はいはい」
その後を慌てて追いかけながら、リュミエはちらりと塔を見上げた。

(――あの場所――どこだったんだろう…)
そんな事を考えながらセラと並び、そして聞いてみる。
「あのね、あそこで、変な人にあったんだ。石版の中にめり込んでて、古代王国の王だったって名乗る人」
「なんだ、それは。夢でも見たのか?」
セラの返事は素っ気ない。リュミエは首をぶんぶんと横に振った。
「ううん、夢じゃないと思う。あの塔の中に確かにいたの。そしてね、――竜王に気を付けろって言ってた」
「竜王?」
セラは足を止め、リュミエの顔を見下ろした。
「竜王の何に気を付けろと?」
「……目立つと目を付けられるから。過ぎた力を持ったものは、竜王に狙われるからって、確かそんな事」
自信無さそうに告げながら、リュミエは目を泳がせる。
「……私、何か目立つ事してるのかなぁ」
それを聞いて、セラは考え込むように目を細めた。

竜王の覚醒。魔人の復活。闇の神器。
確かに世界は何か不穏な空気に包まれている。
そこにこの脳天気な女は関わってくるのだろうか。

「貴様が目立つとしたら、あまりにも考え無しの阿呆な言動くらいだろう」
セラはそう決めつけると、足早に歩き出した。
「……あ、当たってないとは言わないけど……その言い方、ひどい〜〜〜」
文句を言いながら追いすがってくるリュミエを、セラはちらりと横目で見た。

変わりつつある世界で、この娘は何か果たすべき役割があるのだろうか。
例えあったとしても、あまり心配はいらないような気がした。
たとえ何があっても、この調子で乗り越えていくような、そんな予感がしたのだ。+



 
 
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