◆時間の落とし物 1◆
 
ロストール王宮の前には、うっそりとした森がある。
ロストール軍総司令官ゼネテス殿お気に入りの、昼寝場所でもあった。
 
 
「ふわぁぁ」
ゼネテスは下草の上に寝そべったまま、大きなあくびをした。
真上から漏れる木漏れ日は、黄昏の日の色を写し、風情のある茜色に染まっていた。
こうやって見上げると、見慣れた森の風景も幽玄の趣で、別世界に迷い込んだようにも見える。
「こういう息抜きもたまにはいいもんだな」
なんて事をひとりごちる。
もっとも、1人で国外政策、国内政策とそれこそ目の回るような忙しさの叔母がこんな事を知ったら、
「そんな事を言うのは100年早い!」ぐらいの事を言うだろうと思うと、自然と苦笑が漏れる。
 
ゼネテスはのびをして立ち上がって頭をかくと、いかにも渋々といった態で歩き出した。
自分が外をふらついている間のロストールの守備について、夕食会を兼ねた会議に参加しなくてはならない。
別に自分が出なくても、先の第2次ディンガル戦にボイコットした有力貴族達は、名誉挽回とばかりに
張り切っているのだが。
「やっぱり、叔母貴の顔をたてにゃ、まずいだろうな…」
それでもやっぱり面倒くさそうに森の中をうろうろしていると、何かひらひらとした物が目の端をよぎった。
何気なくそれを目で追ったゼネテスが見つけたのは、古い色あせたリボン。
木の虚の中で鳥の巣材にでも使われていた物なのか、中途半端に垂れ下がり、風にそよいでいた。
 
あ…と思った。
手にしたリボンに見覚えがあったのだ。
 
 
◆◆
 
「ティアナ姫様がいらっしゃいません!」
王宮の書庫にいたゼネテスのところに、慌てふためいた女官が呼びに来た。
「またか」
ややうんざりした顔つきでゼネテスは女官の後について庭へと出る。
 
この当時、ゼネテスは10才をいくつか超えたくらいの少年だった。
生まれたときからの「婚約者」ティアナ姫のお守りを父からいいつかり、殆ど毎日のように
城に通ってきていたのだった。
もっとも心身共に成長期真っ盛りだった彼の興味は、幼い婚約者より、膨大な書物や城詰めの
傭兵や騎士から学ぶ武術の方に傾きぎみだった。
それが不満だったのか、それとも殆ど自分を構わない両親への八つ当たりだったのか、ティアナはゼネテスにたいし、実に極端な態度で振る舞っていた。
一日中べったりくっついているか、それとも意味もなくわがままを言って振り回すか――。
 
今日も朝からまとわりつかれ、昼過ぎの昼寝の時間になって、ようやく解放されたと思ったら、
それから1時間かそこらでこの騒ぎ。ゼネテスは少年にしては達観したため息を付いた。
幼女とはいえ、生まれたときからちやほやされ、また王女としての特別教育を受けたティアナは、
同年代の子供に比べかなり頭と口の回転が速く、大人にとっては実に扱いづらい子供だった。
女官達は拗ねたティアナを宥めることにとっくに匙を投げ、ゼネテスがいるときは全て彼に一任する、という態度をとっていたのである。
 
やれやれ、と思いつつも、ゼネテスにしてみればティアナはおむつをしていた頃から知っている、
妹のようなものである。
「どうしましょう、どうしましょう」と、いつもの台詞を繰り返す女官達に慌てないよう言い置き、
ゼネテスは見当をつけておいたティアナの隠れ場所へと、向かう。
早熟気味とはいえ、やはりまだ4,5才の幼女である。
隠れ場所は大抵決まっていた。
 
女官達が毎回示し合わせたように動転してみせるのは、多分ゼネテスに押しつけるためのポーズだろうと思う。
こちらも早熟気味の少年は、自分の立場を面倒くさい物ととらえながらも、ティアナを探し、庭園の奥へと歩いていった。
 
庭の一角、少し小高く盛られた場所に作られた東屋に、見慣れた金色の頭がぴょこぴょこしているのが見えた。
周囲を薔薇に囲まれたこの場所なら、誰にも見つからないと思っているらしいのが、なんとも可笑しい。
ゼネテスはくすりと笑うと、花をかき分けながら、幼女の元にたどり着いた。
 
「ご機嫌はいかがですか?お姫様?」
そうゼネテスがいうと、こちらを認めた美貌の幼女はぷんと唇をつきだしてそっぽを向いた。
だからといって、逃げ出す様子はない。
誰か迎えに来るのを――たいていの場合はゼネテスが――待っていたのが見え見えだった。
 
「ティアナ。まだお昼寝の時間だよ」
そう少年がいうと、ティアナは両手を大きく振り回した。
「もう、めがさめました。ねむくありません」
「子供はもっとたくさん寝ないと、大きくなれないんだよ」
自分もまだ「子供」と呼ばれるくらいの年齢なのに、そういう自分がゼネテスはなんとなく可笑しい。
体格の良いゼネテスは、実際の年齢差以上にティアナより年上に見える。
 
「大きくなれなくてもいいです」
頬を膨らませたまま、ティアナが言う。
一度拗ねると、ご機嫌取りがなかなか大変なのである。
ゼネテスは苦笑しながら、
「どうして大きくならなくてもいいなんて言うんだ?大きくなった方が、いろいろ出来て楽しいよ」
と言った。
ティアナは拗ねたまま答えない。
ゼネテスはやれやれと思いながら、ティアナを抱き上げた。
「お姫様は、今度は何でおかんむりですか?」
むっつりとしたままのティアナだが、ゼネテスがもう一度笑いながら聞くと、我慢できない、
と言ったようにしゃべり出した。
 
「めがさめちゃったので、おかあさまのところに行ったんです」
おや、とゼネテスは思った。日中はエリスは大抵執務に追われ、ティアナの相手をすることは殆ど無い。
案の定、ティアナはエリスの執務室から叱られて追い出されたらしい。
「おかあさまは、私よりも、他の人の方がだいじなんです」
そう言いながら、ティアナは涙をこぼしだした。
「ひ…こわいおかおで…ひく…出て行きなさい…って…ひく…」
しゃくり上げたと思ったら、ティアナはいきなり大きな声で泣き出してしまった。
耳元で上がるきんきんとした幼女の泣き声は、なれてるゼネテスにとっても、さすがにかなりきつい。
 
「よしよし、お母様はいつもお忙しいんだ。ティアナもそれは判るだろう?」
慌てて宥めるが、ティアナは余計に声を張り上げた。
「わかりません、おかあさまはティアナがきらいなの、だから、いつもじゃまにするの!」
「お仕事だったんだろう?」
「しりません!しらない人とおはなしするのは良くても、ティアナとおはなしするのは、よくないんです!」
「知らないお客様がいたの?」
きんきん声に閉口しながら、ゼネテスが聞くと、ティアナは「しらない、汚いおじさん」と答えた。
 
一瞬眉を顰めたゼネテスは、すぐに思い当たったことにはっとした。
エリスはこの利発で口の堅い甥っ子がお気に入りで、時折、世間話に紛らわせながらいろいろと話をしてくれることがある。
その中の1つに、「他国の情報が知りたければ、旅の商人か芸人に聞くのが一番確実だ。その地の隠しようもない裏話が聞ける」という話があった。
ゼネテスが「叔母上はそう言った者と直接話をすることがあるのですか?」と聞いたところ、
意味ありげな含み笑いだけで答えてはくれなかったが。
ティアナが見かけた「知らない汚いおじさん」は、おそらくそういった類の人間なのだろう、と思う。
そこに入り込んだら、確かに即刻追い出されるだろうな、とゼネテスは困り顔で考えた。
 
ゼネテスが考える間にも、ティアナはきんきんと泣き続けている。
叔母のやり方に興味を持つよりも、さしあたってはこのきんきん声の方がゼネテスには重大だった。
「そんな事はないから、とにかく泣きやんで」
「しりません、ゼネテスにいさままで、ティアナをじゃまにする」
さらに声を張り上げだした幼女に、さすがのゼネテスもどうしたらいいのか思案のしどころだったが、
幸い、昼寝中でまだ寝たりなかったらしい幼女は、泣くだけ泣くと唐突に眠りに落ちてくれた。
 
眠っているティアナの部屋へ連れて行くと、心得た侍女達が小さなティアナをベッドに運んでゆく。
寝かしつけられた幼女の頬に残る涙の痕を侍女が拭うのを見たとき、げっそり気味だったゼネテスも
さすがにティアナが哀れに感じられた。
 
(叔母上も、もう少しティアナを構ってやればいいのに…)
忙しいのは判るけど、やはりこの年頃の幼い子供に、大人の都合を納得させるのは無理があるような気がする。
だからといって、叔母が毎日どれほど忙しいのか、殆ど毎日挨拶に訪れているゼネテスにはよく分かる。
何かの拍子にみせる叔母の表情は、はっとするほど疲労の色が濃い。
それなら、自分がエリス等に代わってティアナを守ってやればいいのかというと、それも釈然とはしない。
 
ティアナは可愛いが、それだけで自分は終わってしまうのか?
訳の分からない危機感。
ゼネテスは、自分自身をも持てあましていた。
 
 
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