◆ティアナ◆
 
光の王女とずっと言われておりました。
 
現ロストール国王と、その王妃との間のただ一人の嫡子。
第一王位継承者。
光り輝くように美しい、光の王女と、ずっとそう呼ばれておりました。
その言葉に特別の感慨もなく、わたくしは当たり前のようにそう呼ばれ、
当たり前のように負わされた王女としての義務に、わたくしは訳もなく不安を感じておりました。
 
ロストールの雌狐――母はそう呼ばれておりました。
名家ファーロス家の出身であり、その謀略の才と毒薬の知識を持って
このロストールに王をしのぐ権力を持つ母。
わたくしは、この母に反発を抱いておりました。
何故に、王たる父をないがしろにするような事をするのでしょう?
何故に、謀略などと言う卑怯な手を使ってまで、
他の貴族達の反感を買わねばならないのでしょう?
何のために権力に固執するのでしょう。
 
わたくしは母の甥である、次期ファーロス家の当主となるべき人と
婚約を義務づけられました。
なぜ、わたくしの意志を無視して、母はそんなことを決めるのでしょう。
 
ファーロス家の繁栄のため?
母の権力を盤石とするため?
わたくしは母の道具に過ぎないのでしょうか?
父はなぜ、母に好き勝手をさせておくのでしょう。
わたくしは道具ではありません。
 
そう思いつつも、為すすべもなく、ただ王女としての籠の鳥のような
生活に甘んじていたわたくし。
 
いえ、あの頃までは、わたくしは自分が籠の中の鳥、何も知らない
愛玩鳥のように無力な存在とは、自分でも気づかずにいることが出来ました。
自分の中の、醜い闇の部分に何一つ気ずかず、
ただ光だけを見て生きていくことが出来ました。
 
そう、あの人が、あそこからわたくしの部屋へと入ってくるまで。
 
突然にクローゼットが開き、中から自分と同年ほどの少女が入ってきたのを見たならば、
普通はどう反応をするのでしょう?
おそらくは、驚き、警備の兵か侍女に助けを求めるのでしょう。
今思い返せば、わたくしもそうするべきだったのかも知れません。
 
でも、できなかったのです。
その時のその少女は、わたくしにとって「自由」そのものに見えました。
青みを帯びた短めの髪、動きやすい服装、恐れもなく、傲慢でも、卑屈でもなく
わたくしをまっすぐに見つめた大きな瞳。
 
わたくしは一目でその存在にあこがれを抱いたのです。
そして、それは、わたくしの間違いではありませんでした。
彼女は冒険者と呼ばれる職業をしておりました。
 
わたくしとほぼ変わらぬほどの年頃でありながら、一人のスラムにすむ少女の
依頼を受け、彼女の貴族に奪われた大切な人形を取り戻すために、
この王宮に忍び込んできたのだと、その人形を送られたという王女に会わせて欲しいと、
彼女は率直にわたくしに頼みました。
わたくし本人がその王女とも知らずに。
 
わたくしが名乗り、人形を彼女に渡すと、彼女は不思議そうでした。
なぜ、こんな不審人物に、そんなに丁寧に応じるのかと。
媚びているのではありません。本当に不思議だったのでしょう。
 
彼女の態度は、清々しいほどにわたくしの目に映りました。
 
誰に頼るでもなく、自分の意志で、自分の力で行動する少女。
わたくしは、もう一度この少女に会いたい。
そして、その不思議なまでの生命力と、瞳の輝きにもう一度出会いたいと、
そう願っていたのです。
 
次に出会ったとき、その少女はわたくしの許婚と一緒でした。
 
名家ファーロス家の御曹司でありながら、貴族の世界を嫌い出奔した男。
スラムの酒場に出入りし、冒険者として生活をし、
貴族の世界を毛嫌いしている男。
ですが先の戦乱におき、彼はその非凡なほどの戦略の才で、
すでに負け戦であったはずの戦況を一気に覆してしまいました。
 
それまでは城の門番にすら「ファーロスのどら息子」と呼ばれていた程の
問題ある男が、今はロストールの守護神にして、戦死した父親の跡を継いで
ファーロス家の当主に。
 
わたくしは戸惑っておりました。
人に言うほど、嫌っていたわけではないのです。
確かにだらしなく着崩れした服装は市井の人間にしか見えず、
無精ひげを生やし、酒の臭いをさせ、豪放な物言いをする
とても貴族とは思えぬ男であっても。
彼は人を引き付ける魅力にあふれた人だったのですから。
 
それまで宮殿により着きもしなかった人が急にわたくしの元を訪れたのは。
いくら世間知らずのわたくしにでも見当が付きました。
彼は彼なりに、自分のいとこでもあるわたくしを案じてくれたのでしょう。
 
いまだにロストールとディンガルの間は一種即発の状況です。
いくら逆転勝利劇であったとしても、先の戦いで軍は疲弊しております。
次に全面的に攻め込まれたら。
勝利する確率は100パーセントとは、いくらこの男でも思えなかったのでしょう。
だから、おそらくはその不安に怯えているだろうわたくしを
力付けようという心遣いだったに違いありません。
 
そう思っても、わたくしは素直に迎えることが出来ませんでした。
彼が部屋を訊ねるたびに苛立ち、きつい言葉で追い返すように応じました。
 
なんと言われても、彼は堪えた様子もなく、磊落に笑いながら
「また、くる」と、そう言って帰って行くのです。彼女と共に。
 
――そう彼女と共に。
 
彼は、けして一人ではわたくしの元を訪れようとはしませんでした。
そして彼女も。
わたくしは、彼女と2人で話をしたかったのです。
今では彼とともに最後まで戦場に踏みとどまり、竜字将軍と呼ばれ、
このロストールに置いて、女性でありながら唯一例外的に騎士の称号を持つに至った少女。
青い髪のリュミエ。
わたくしは彼女といろんな話をしたかったのです。
 
わたくしが知らない世界のこと。
彼女のこと。
そして、彼のこと――。
 
話したかったのです。
 
そのためにわたくしは彼を追い返すたびに、こう付け加えました。
「リュミエ様なら、いつでも歓迎しますわ」
彼女は来てはくれませんでした。
 
いいえ、正確にはわたくしの元には、来てくれませんでした。
彼女は宮殿には足繁く通ってきていたのです。
わたくしの元にではなく、もう一人の王女の元へ。
王女アトレイア。彼女は先の王の忘れ形見にして、政権争いに巻き込まれ、
幼くして光を失い、ずっと闇の中で暮らしてきた人でした。
光の王女であるわたくしと比較され、さしずめ闇の王女と、
誰もがそう思っていたのでしょう。
 
ですが、リュミエ様はそのアトレイア王女といつのまにか親交を深めていたのです。
城の奥深く、人の目に隠れるようにして生きてきた彼女と、どうやって知り合ったのか、
わたくしには知るすべもありません。
ですが、彼女はまるでアトレイア王女の騎士でもあるかように、
気遣い、守り、またアトレイア王女を侮辱した貴族を相手に、戦いすら辞しませんでした。
 
目の前でそれを見せつけられたときの気持ちは――なんと言えばいいのでしょう。
わたくしは、自分一人が見捨てられたような気がいたしました。
たとえ人々からなんと呼ばれていようとも、わたくしが望んだ人々は、
わたくしの前からすり抜けてゆく――そんな気持ちでした。
 
そして決定的なことが。
先の戦で一人兵を見捨てて逃げた愚かなる男。その男は、わたくしの許婚にして
今や兵の尊敬を一身に集める身となった人への嫉妬から、
その身を闇に落とし、おぞましい化け物となり、わたくしと許嫁とリュミエ様、そして
アトレイア王女に襲いかかってきました。
 
そしてアトレイア王女が危険にさらされたとき、許嫁はその身をもって彼女をかばい、
負傷しながらもリュミエ様と共に化け物を退治してしまわれたのです。
 
強い人、強い強い人。わたくしの許婚―。
本来は誇っても良いのでしょう。
でもわたくしは、悲しかった――悲しくて、痛かった。
彼が危険を前にかばったのは、もう一人の王女。
そして、彼がその存在を頼りとしたのはリュミエ様。
そこにわたくしの存在は微塵もありませんでした。
 
全てが終わったあと、わたくしは逃げるようにその場から立ち去るしかありませんでした。
 
光の王女と呼ばれていても、わたくしの存在とは、いったい何なのでしょう。
わたくしは――。
 
わたくしは、自分の醜さを思い知ったのでした。
 
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