だから、どうした 1

 
「はじめて思った…ありがとう、アニメスタッフ!」
 
「とらわれた桔梗と奈落」のラストの桔梗さん!はっきり言って惚れました!原作では今一つ言葉通りにしか思ってなかった「愛することも憎むことも自由」のセリフの意味が自分なりに納得できました。
 
不自然なのは蘇ったあとよりも生前の方じゃなかったのか?
 
人間は本来正と負と両方の感情を持っています。本音と建て前、裏表。
思ってたことを口に出せず腹に貯めとくだけでもかなりストレスは溜まります。
気持ちよく生活するためにいかにして上手にストレス発散するか!これは思案のしどころなれど。
おそらく生前の桔梗は「ストレス発散どころか自分がストレス感じていることを表に出すことも出来ない」
状況だったんじゃないでしょうか。
美しくてたぐいまれな霊力、弓の腕に聡い脳みそ。完璧ですよ、当時の人間だったら、それこそ女神様か仙人様。実際、死後も村の人に取っちゃ桔梗様は永遠に忘れられない女神様。
これが村人の前だけなら夜、心の中で「人にばっかり頼ってんじゃねーよ!」と悪態ついて発散させることも可能でしょうが、四魂の玉とそれを狙う妖怪、という心の負の部分に敏感な嘘発見器みたいな連中につきまとわれたりした日にゃ、どれだけむかつく事があってもその悪い感情を感じたこと自体否定しなきゃならない日々。
それこそ、影を作らないよう、24時間常に太陽と垂直に立ってるようなもの。
ふつーだったら、まいります、切れます。犬夜叉を封印し、四魂の玉と共に消滅するってのは、桔梗さんにとって最後の救いであり、解放だったのじゃないかと思います。
 
そーれーが、むりやり起こされてみりゃ、一緒に死んだと思ってた男が元気に歩き回り、自分と同じ顔したおなごを連れ、しかも自分を縛り付けてた四魂の玉を身につけていながら好き勝手に怒ったり笑ったり人を好きになってたり…「私の人生なんだったのよ!他人を幸せにするためにだけ、生きてたのかい!」
爆発して当然じゃい!よーするに村の人たちは桔梗をしたってあがめたててそれで桔梗に守ってもらって幸せだったかも知れないが、桔梗は全然幸せじゃなかった。
自分が不幸か可哀想かそんな疑問を持つことすらいけない事だと自分を戒めてきたってのに、はっと気がつきゃ、自分一人どん底で、使命を全うしたという自己満足にでも縋らなきゃどうにもこうにも惨めな状況だ。それこそ来世に期待して現世で苦労して苦労して、やっぱり来世でも報われなかったってオチ以外なにものでもない。
悲しいことに、当時の仏教ならこういう教え(来世のために現世で功徳を積む)が一般的だったと思われる。
あのまま、かごめの中で眠り続けていたなら、それもよかった。思い通りの来世に生まれ変われ、好きな男の側で一緒に笑っていられて幸せだったのかも知れない。でも桔梗は蘇ってしまった。
 
桔梗は偽物の身体で蘇って、本来は自分だけど、今はもう自分じゃないかごめは今まで通り自分らしく幸せだけど、自分自身は作り物の身体で女の人生どころかまともな人生さえも出来ない状態にされて、ようやく自分が可哀想だったって事を認められたんじゃないだろうか。
自分にだって桔梗のままでヤキモチ妬いたり、好きな人に優しくしてもらって甘えたいって感情があったんだって、ようやく認められたんじゃないだろうか。
 
犬夜叉やかごめに向かって、悪役そのもののセリフを吐いていた桔梗。
「私にだってこんな感情はある。それを否定するな!」っていうアピールなんじゃないだろうか。
彼女はもう自分で自分の心を鎖で縛って生きていたような、昔の「清らかな桔梗」に戻るのはイヤなんだろう…。
愛することも憎むことも自由。
 
誰かのために力を尽くすことも、邪悪な敵を倒すことも、好きな相手を守りたいと思うことも、義務でもなんでもなく全て自分の意志で選びたいのだろう。
そして滅びるときも自分の意志で……。
 
 

 
 
「犬兄弟」
 
殺生丸の本性って、狛犬に似ている…とふと思ったので、二人の名前について(なんの関係が?)。
「犬夜叉」と「殺生丸」。現代的に考えたら、「ネーミングセンス悪すぎ!何考えてんじゃ!」な名前ですが、こじつけしたらいい意味にならんかな?と頭を絞ってみました。
 
〜犬夜叉〜
 
普通「犬!」って言われたらあんまり良い意味には取りませんが、昔は犬の遠吠えには魔を払う力があると言われていたそうです。あと、神社の狛犬や、犬神って名前がある通り、元々は神格化されてた生き物何じゃないでしょうか。
犬は人間と一緒の歴史がもっとも長い動物らしいですが、昔だったらおそらく犬は人間にとって大事な友達であると同時に、今よりももっと頼りになる家族だったと思われます。
家畜を狐やイタチといった他の肉食の獣から守ったり、侵入者や危険を吠えて知らせたり。
妊娠すると「戌の日に腹帯を巻く」と言われますが、これは犬のように安産であるように、という願い。
犬はもっとも身近であり、また、敬意を示された動物だったのだと思います。
何より犬夜叉の父は、犬の妖怪。犬の字を悪い意味でつけるはずがありませんね。
そして「夜叉」。鬼の名前ではありますが、夜叉王は仏法の守護神でもあります。
荒ぶる鬼神でありながら、大切な者を守るためにその力を振るう神様って事ですね。
 
犬夜叉は半妖として、人と妖怪、両方から迫害され、傷つけられます。そして、妖怪の血によって戦うだけの化け物と化す危険も秘めています。犬父はその事をよく分かっていたはず。
だからこそ、「犬夜叉」という名前を付けたんじゃないでしょうか。
どんな事があっても、人に対する親しみ(自分の中に人間の血があること)を忘れないように。
そして、凶暴な力に飲み込まれることなく、大切な存在(犬母とか、惚れた女とか)を守り抜いて欲しいと、父としてのそんな願いを込めて。
 
〜殺生丸〜
 
殺生とは…名前につけるにはなんという不吉な…。でも、これを「殺生」ではなく「殺」と「生」と分けて考えたら?
殺生丸は命に頓着せず奪い去る残忍さを持っています。
そして同時に、命を蘇らせる刀「天生牙」を持っています。
つまり「生」と「死」、殺すことと生かすこと。殺生丸は命そのものを司ってるようなものですね。
それでその「生」の部分の天生牙ですが。
鉄砕牙は強大な力を秘めていますが、それを引き出すには使い手の資質が必要です。人間を守るという意志とは別に。という事は、天生牙を使うにも、人間への慈しみの他に資質が必要なのでは。
最初に登場したとき、犬夜叉をだまくらかすために「黄泉の国から母の魂を連れてきて身体を与えた」なんて事を語っておりましたが、案外ふかしだけじゃなかったのかもしません。
そこまでの力はなくても、何らかの形で黄泉の力に干渉できる資質を持っている、という可能性もあるんじゃないでしょうか。(桔梗は人間だけど餓鬼を追い払えるし、妖怪ならもっと何か出来るかも)
 
「殺」「生」丸の名前には殺生丸が本来持っている、「生」と「死」を自在に操る力への暗喩が秘めれているのかも…と兄贔屓の私は考えずにはいられません(笑)
未だに登場していない母の血筋とかも関係していて欲しいと、密かに妄想中。
詳細な情報モトム、な気分です。
 
以上、こじつけでした。
 
 
 

 
「由来」
 
日暮神社の数ある由来。それをさんざん爺ちゃんに聞かされながらかごめは覚えてなかった。
これは、どういうことだろ?とちと考えてみました。
 
ご神木、骨食いの井戸、そして四魂の玉のキーホルダー。
井戸はわざわざ祠をつくって保管して、四魂の玉は現在は存在してないようなのに、「四魂の玉」の由来だけは残ってる。
これはやっぱり、かなり詳しく「その筋の由来」が残ってるって事でしょう。
で、私の推測ですが。
 
「その由来には、かごめ本人のことがかなり詳しく含まれている。奈落と四魂の玉の行方についても、しっかりと伝承に残ってる」
 
かごめが戦国時代に行き、四魂の玉を巡って奈落と戦ったという事は、すでに「歴史上の事実」として確立しているため(現在のかごめも、その過去の結果として存在する)、ひょっとして由来を知ることによってかごめが違う行動をとり、歴史が変わってしまうのを防ぐための時間の修復力みたいな物で忘れちゃうとか。
 
たとえば、過去の戦いにおいて、奈落を倒すための手段が由来に残っていたりする。
それを知ったかごめが、戦国時代に置いて実行し、さっくり奈落を倒してしまう。
でも本来は試行錯誤の切磋琢磨の、たくさんの人たちとの出会いや挫折の繰り返しによって得たやり方だった物だとしたら、その経緯というものがさっくりと省かれ、その結果、実際に人生変わってしまう人も出てくるかも知れない。犬夜叉ご一行達も本来すべきだった経験が無くなったことになり、成長できたところができなくなるのかも知れない。
そう言うのを防ぐために、かごめは全然興味もなければ記憶にも残らなかったのじゃないか、とか思ったり。
タイムパラドックスの原理が判らないので、それこそ「だから、どーした」な話ですが。(笑)
 
 
「セーラー服は女の子の戦闘服」
 
なんでセーラー服?(笑)かごめの場合、私服でいった方が断然動きやすいと思うのだが。(笑)
思うに、かごめはあくまで自分は「現代の女子中学生」であることを忘れたくないんじゃないかと。
学校も高校受験を控えてひーひーしながらやってるようだが、いっそのこと一年間病気療養とかって事にしてもいいと思うのだが、がんばって通ってる。
かごめにとって、最終的に自分が帰る場所は「友達のいる中学校生活」だと思ってるんじゃないですかね…。
 
これは最終回で犬夜叉とハッピーエンドになるか否かの重大な選択になると思うけど、犬夜叉が現代に来て生活するのは無理でしょう。
現代人は「知識」として戦国時代を知ってるけど、本来なら戦国時代の価値観では現代は生きられないと思う…。妖怪達が現代では姿を殆ど見せないのは(タタリモッケや肉付きの面とかあったが)すでに共存は無理として住みわけしちゃったか、もしくは完全に闇に追いやられて力をなくしてしまったか。
現代というのは、つくづく「人間以外」には生きづらい時代なんだと思います…。
 
ではかごめは戦国時代で生きるかといえば、…かごめは現代に戻ってくるんじゃないかな〜〜。(^^;;)
あの子はどれだけ戦国時代にいても、現代っ子。
今は好きに行き来が出来るから落ち着いているけど、実際にもう帰れないとなったらあの時代のお客様ではいられなくなりますからね。
洗濯機もない、冷蔵庫もない、コンビニもスーパーもない、農作物の収穫は天候に完全に支配され、着る物は糸を紡いで自分で織るところからはじめるなど、甘やかされた現代日本人にはかなり過酷な状況。
本来かごめがあるべき場所とは、やはり現代なのだと思います。
 
(そういや何下に思うんだけど、かごめがシャンプーとか持ち込んで髪を川で洗ったりしてるけど、あれは環境汚染にならないのか?キャンプで川で食器を洗うとき、合成洗剤使っちゃいけないのは常識ですよね。持ち込んだ大量の食料品とかのゴミは持ち帰ってるのか?ちっちゃいテープ一つでも、自然には返らないでしょうに…)
 
 
「なぜにかごめと犬夜叉だけ行き来できるのか」
 
これはね〜〜犬かごめ派の方は怒るかも知れない予想。
かごめは「四魂の玉の力で生き返った桔梗と犬夜叉の、遠い子孫」ではないか…なんて事をちらっと。(笑)
そのうち原作で明らかになると思うので、あくまで勝手な予想です。(^^;;)
 
血が繋がっているからこそ桔梗の魂を持って生まれたし、犬夜叉とかごめの二人だけが呼び合うように現代と戦国時代を行き来できるのではないかと。
(桔梗が行き来できないのは、この時点ではまだ死人だから)
 
実際の所、かごめが生まれたのは戦国時代から500年もたったあとの時代。
本来の戦国時代では、桔梗の魂はまだ生まれ変わってないわけですからね。
かごめが完全に戦国時代との行き来が出来なくなった場合、あの世界に桔梗の魂を持った者が二人いることがないわけだから、可能かな…とかちらっと。
かごめが鉄砕牙を抜けたのも犬夜叉の遠い子孫なら、犬夜叉の母、つまり、「犬父の守りたいと思った女性の血を引いた人間だから」、という理由が付けられると思うのですが…だめですかね、やっぱり。(^^;;)