◆ 家庭の団らん ◆


 

荒涼とした異空間。
そこに父の躯はある。
殺生丸は巨大な父の頭頂部にふわりと下り立つと、その全景を見下ろした。
父の身体は座った状態のまま、骨格を完全に残している。
それを見届けてから殺生丸は天生牙を抜いた。
そして、全ての気を集中させ、一気に振り下ろした。


ある日の森の中。犬夜叉はただならぬ気配に気がつき、さっと警戒態勢をとる。
(……何だこの匂いは。……殺生丸か?いや違う…でも似ている。誰の匂いだ?)
轟音がした。森の木が何か大きな物になぎ倒されているような音だ。それは凄まじい勢いで犬夜叉のいる場所へと近付いてくる。殺生丸、そして自分にもよく似た匂い。
(誰だ!)
鉄砕牙に手を掛け、抜きかけた瞬間、何本かの木がまとめて薙ぎ祓われ、森の中から大きな体格の男が飛び出してきた。

「犬夜叉よ!父上だよ!よくぞここまで育ったものだ!父は非常に感激している!うおおおおお!」
いうが早いがその大男は感動の涙をまき散らしながら、犬夜叉の身体をひしっと抱きしめた。いや、抱きしめた、などという代物ではない。むしろ背骨も折れよ、と言わんばかりの怪力だ。
「ぐ、ぐるじぃ」
「おお、すまぬ。久しぶりの再会で力が入りすぎた。……いや、それにしてもよくぞここまで……立派に成長してくれて父は嬉しいぞ!うおおおおおお!」
そう叫ぶなりまたもや涙をまき散らし、ついでに鼻水まで流しながら、『父』と名乗った大男は犬夜叉にぐりぐりと頬ずりをする。これもまた、犬夜叉の首を振り回そうかという勢いだ。涙と鼻水にまみれ、息も絶え絶えになりながら犬夜叉はなんとか男の首を両手で掴んで動きを止めさせた。
「ちょっと待て、てめえ誰だ?確かに、何か懐かしい匂いはするが…俺のオヤジはとっくに死んじまったんだぜ?」
そのぶっきらぼうな言葉に男は激しい衝撃を受けたようだ。犬夜叉の身体を取り落とすと膝をつき、突然頭に両手を当てて大げさな声で泣きだしたのだ。

「……な、なんという事だ!数十年ぶりにあったというのに、この息子は父を懐かしがるどころか、もう死んでいるなどと……息子にこんなに邪険にされて、わしはもう生きていく気力を失ってしまったぞ、うわーーーーん」
「う、うわーんって…ちょっとおっさん…」
地に突っ伏して泣きわめきだした大男に、呆れた犬夜叉が声を掛けようと試みる。が、背後から伸びてきた手に口をふさがれ、次の瞬間、草むらに犬夜叉の身体は引っ張り込まれていた。


「……誰だ!って殺生丸!なんで、てめえがここに!」
「……しっ!」
普段表情を表さない殺生丸が珍しく困った顔で黙るようにと促す。犬夜叉は苦々しげに泣きわめく大男をじっと見ている兄に低く問いかけた。
「……あいつ、何だ?オヤジだっていってたが…」
「父上だ、間違いない」
「間違いないって、……なに?」
「大きな声を出すな、気づかれる」
殺生丸が止めたときにはすでに時遅く、息子2人の声に気が付いた『父』はぱっと顔を上げ、嬉しそうに声を上げた。
「おお、そこにいるのは殺生丸!父は嬉しいぞ!よくぞここまで成長してくれた!いや、昔からお前は何をするにも覚えが早く、父は常日頃自慢に思っておったのだ。そして犬夜叉、お前は昔から何をやるにも乱暴で覚えが悪く、父は常日頃将来を案じておった。その2人が今ここで共に力を合わせている姿を目にできるとは…父は、父は、非常に感激しておる!ぐおおおおおお!」
「……ち、力を合わせてるって…どこをどうすればそう見えるんだ…?」
呆気にとられて呟く犬夜叉の目の前で、感動の涙を滝のように流し始めた父はふるふると震えながらその姿を徐々に変えていく。
「……え?おい、どうなって…」
思わず隣にいたはずの兄に確認をとる。いない。そして前方からは殺気に似た気配。
犬夜叉は巨大な桃色の壁が飛んできたのを目にしたような気がした。それは濡れていて、微妙に柔らかくしなる。足下から上に向け、跳ね上げるように迫ってきたその桃色の物体に、犬夜叉の身体は綺麗に吹っ飛ばされていた。


宙を飛んだ弟の身体が随分と離れた場所の地面にめり込んだ。
1人だけちゃっかりと災厄を避けていた殺生丸は、ヘロヘロとした弟が地面からはい上がってくるのを暗い顔つきで眺めている。それに気がつき、犬夜叉は怒鳴った。
「何だよ、てめえ!見てないで手をかせよ!あの変なのはなんだよ!って…なんかくせー」
怒鳴りながら犬夜叉は濡れた衣の匂いを嗅いだ。
――唾液の匂い?

「それは、父上の唾液だ」
「はあ?」
「父上は感極まると本性に戻り、舌で舐める癖があるのだ」
「……はあああ…?」
「……父上は、迷惑なほどに家族への愛情が深い上に感動屋だ…それこそ、息子が歩いたと言っては泣き、母が新しい着物を着たと言っては美しいと感動し、その度に興奮して舐めまくるのだ…」
そう告げる殺生丸は本気で疲れ果てた顔をしており、反目していた犬夜叉も思わず同情してしまいたくなるほどだ。
「……じゃ、あれが本当に本気で俺のオヤジ…?何か、あの恥ずかしい涙まき散らすおっさんが俺のオヤジ…?」
改めて考えると、犬夜叉は今まで噂にだけ聞いていた「偉大な妖怪」の想像図が、がらがらと音を立ててを崩れ落ちるのを感じる。涙と鼻水、身悶えして「感動だー」と叫んでいたのがオヤジ…、俺と、このすかした兄貴の親……。
「……はっきり覚えてなかった分だけ、俺の方がマシか…お前も苦労していたんだな…」
思わず同情の言葉がこぼれる。
「……ちなみに、母上は、百枚目の新しい打ち掛けを台無しにされたところで切れて離縁してしまわれた…」
「……てめえの母親も苦労してたんだな…俺のお袋だけじゃなかったんだ…」
変なところで意気投合し、思わずしみじみとしてしまう憎みあう兄弟同士。
だが、そこで犬夜叉ははたと気が付いた。

「……オヤジは死んだはずだろ?それがまた何であそこで変態みたいな真似かましてるんだ?」
「……それは」
殺生丸が狼狽える。だが、その会話も長くは続かなかった。再び轟音が辺りに響き渡り、今度は山のような大きさの化け犬が嬉しそうに森から飛び出してきたのである。
「逃げろ、犬夜叉!」
「うわあああ!」
嬉しそうに尻尾をちぎれんばかりにふる父の姿に、兄弟は揃って走り出した。
あの勢いで舐められたら、うっかり喰われてしまいそうだ。
「せ、せ、殺生丸!」
「なんだ」
並んで走りながら、犬夜叉は兄に問う。
「オヤジが生き返ったことに心当たりがありそうだったな!話せよ!」
「それは…」
殺生丸が言い淀んだ瞬間、頭上から降ってくる巨大な影に、2人は左右に大きく飛び退いた。嬉しそうな化け犬がじゃれるように飛び付いてきたのだ。
「あんなのに飛び付かれたら潰れるっての!いい加減に元に戻れ!」
「無駄だ、一度ああなってしまわれたからには、一刻は興奮が収まらぬ!」
再び伴走しながら殺生丸が弟に言う。
「い、一刻〜〜〜〜?何だよ、何でこんな羽目になるんだ?てめえ、知ってるなら答えろって!」
「実は父上は…」
「オヤジは?」
「私が生き返らせた」
思わず犬夜叉はつんのめった。高速で走っている最中に身体のコントロールを失い、べたっと地面に突っ伏したところで再び頭上にじゃれつこうとする父の影が映る。
(つ、潰される…)
本気でお花畑に行くことを覚悟しかけた犬夜叉を殺生丸が抱え、ギリギリのタイミングで脇に飛び退く。犬夜叉がさっきまで突っ伏していた場所でズン、という重い化け犬の着地音が響く。衝撃で地割れが走る。それを見た犬夜叉は、すんでの所で助けてくれた兄を感謝の目で見上げる。兄弟の情が通い合った――ように見えた瞬間だった。

「……せ、殺生丸」
「礼には及ばぬ。これで貸しが一つだ。返す当てがなくば、父上のことをこれ以上聞かぬ事で返してもらう」
思わず感動して礼を言いかけた犬夜叉を、険しい顔の殺生丸が遮った。
「……つー事は、聞かれたら不味いことがあるな」
憮然として黙る殺生丸に確信を持ち、犬夜叉も憮然となる。
「てめー何かくしてるんだ、つーか、何で生き返らせたんだ?こういう傍迷惑な性格をしってて、何でまた!」
「……バカは死ななければ治らぬ、というではないか」
「はあ?」
「一度死んだゆえ、少しは改善されておらぬかと、僅かに期待していたのだ」
「あほかーーーーてめえ!」
頭に血が上り、立ち止まった瞬間、興奮した父の巨大な舌が襲ってきた。
間一髪それを避け、抱きしめようというのか潰そうというのか振り下ろされた前足もなんとか避ける。
犬夜叉は息を切らせながら横を走る兄に怒鳴った。
「てめえ、天然だろ!てめえも大きくなってオヤジに舐められてろ!」
「犬夜叉、貴様、この兄を人身御供に差し出そうというのか?」
「人身御供も何も、自業自得だろうが!兄なら兄らしく、弟に迷惑かけるなーーー!」
喧嘩しつつも並んで走る殺生丸、犬夜叉兄弟。
その後ろを山を踏みつぶし、谷を崩して追いかける父。
犬一家の傍迷惑な家族団らんは、もうしばらく続くのだった。

 
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