◆ 家族の団らん 3 ◆


 
ほんの僅かの期待を込めて、父に第2の生をもたらしたのは間違いなく自分自身である。

もともと、「後悔」だの「反省」という言葉には縁遠い性格の殺生丸だったが、この所はこのふたつの言葉がしきりと頭に浮かぶ。

――父を生き返らせたのは、間違いだったのだろうか――

犬夜叉に問いかけたら、確実に「あたりまえだろーが!」と怒鳴られそうである。



ある日。いつものように疲れ切った顔で父の呼び出しに応じた息子二人は、そこに思いがけない人物を見た。
「弥勒、てめえ、なにしてるんだ」
「おや、犬夜叉。それに殺殿も。遅うございますなぁ、待ちくたびれて先に始めておりました」
杯を持ち上げた弥勒が飄々として答える。その前で一緒に酒を飲みかわしていた父は上機嫌で、呆然としている息子達を差し招いた。
「お前達のご友人だと聞いてな。とっておきの名酒を蔵から運び出してきたのだぞ。さあ、お前達も突っ立っていないでここに座らぬか」
風情たっぷりの望月の夜。すすき野に緋毛氈を敷いた床机を連ね、漆塗りの丸盆の上には炒った木の実や干魚。香り豊かな杉の角樽には、父の言う名酒が湛えられている。此処までならまだ常識的な酒宴かとも思うのだが、だがその背後にある仕込み樽のようなでかい樽は何だろうか。ひょっとして酒樽だろうか、これを全部飲み干す気で持ち出したのだろうかと、息子二人が実に常識的なことを考えているのも気が付かず、父は「さあさあ、早く来い」とばかりに手招きを繰り返す。
不穏な物を感じつつゆっくりと進む息子二人の歩調はほぼ一緒。

一見仲良く並んでいるように見える息子達に、父は目頭が熱くなった。
「……まさか生あるうちに息子達がこのように仲睦まじゅうする姿を見ることが出きるとは…。父は嬉しくて嬉しくて…」
「お心はよーく判ります。可愛い息子二人が仲違いし合う姿を見るのは、父親として心痛の極みでございましたでしょう。ささ、祝杯でございます、ぐぐーっとおあけください」
「そうだな、ぐぐーっとな」
何だかむちゃくちゃ仲よさげな弥勒と父に、犬夜叉と殺生丸は目眩を感じる。一体二人で何を考えているのだろう。 おそるおそるといった風に傍らに来た二人を、弥勒は愛想良く迎えた。

「ささ、犬夜叉は父君のお隣へ。殺殿は、さあ、こちらへ」
そう言って弥勒が指し示すのは自分の隣。しかも、父が座っている床机と放し、向かい合う位置へと移動させている。
「さささささ、どうぞどうぞ」
有無を言わさぬ笑顔で勧められ、やや退き気味に座った殺生丸の袂を弥勒はしっかりと掴み、にっこりと満面の笑顔で父と肯きあう。
瞳をうるうるさせ始めた父が、感動を隠せない様子で独白した。
「……なんとまあ、嬉しいことだ。我が息子が…しかも、わしの配慮不足から人間への嫌悪と偏見に満ちてしまった息子が、こうやって人間の伴侶を見つけてくれるとは……。そしてこの何を考えているのか分からぬものの、わしにとってはかわゆい自慢の息子の良さを理解できる人間がいたとは…、わしはもう嬉しゅうて嬉しゅうて。長生きはするものだわい…」

――長生きじゃないだろ――と素直に突っ込みを入れようと考えた犬夜叉は、それよりももっと不穏な台詞が前に有ったことに気付いて血相を変えた。

「伴侶って何だよ、伴侶って!」
見るとにこにこと嬉しそうな弥勒に右手を撫でさすられている殺生丸は、やっぱりまだ意味が判っていないようで眉を潜めて困り顔で黙っている。
「おやおや、犬夜叉。お前は、私がお前の義理の兄になることを喜んではくれないのですか?」
そうまで言われてもまだ気が付いていない殺生丸は、相変わらず黙ったままだ。
犬夜叉は顔を真っ赤にすると、いきなり弥勒の手を払いのけた。
「何が兄だ!勝手に決めるな!」
それから無表情な兄を睨め付け、怒鳴る。
「てめえもてめえだ!何黙って撫でられてるんだ!それともてめえも弥勒の嫁になるって納得してんのか?」
「……嫁?」
殺生丸は低く言う。
「馬鹿なことを。私が何故に嫁になる」
「だーかーら!嫁でも旦那でも!てめえは弥勒の伴侶になるっての承知してるのか?」
視線を固くした殺生丸が何か答える前に、すささっとその肩に手を回した弥勒がにこやかに答えた。

「これこれ犬夜叉。お前と違って殺殿はその様なあからさまな物言いはなさいません。ですがこれこの通り…私と殺殿の心は繋がっているのです。それを改めて父上殿にお伝えし、実質的にも形式的にも正式に認めていだだこう…とそういう話だったのですよ」
ここまで言われても未だにピンときていないらしい殺生丸を、犬夜叉は乱暴に弥勒から引き剥がした。
「なーにが繋がってるでぇ!繋がってたら、なんでこいつはまだこんな間抜け面なんだよ、ちっともわけわかんねーって面してやがるじゃねえか!」
「これこれ犬夜叉よ。ようやく情が通じ合った兄に伴侶ができ、寂しいのは判る。だが、新婚さんの邪魔をしてはならぬぞ、それこそ無粋というものだ」
浮かれ気味にご機嫌な父に諭され、犬夜叉まますます逆上した。
「だから、だーれが新婚さんだってんだ!」
「無論、兄上と私!です。さあ、父上殿。義理の息子からの杯を受けて下さいませ」
「おお、なんと気の利く義理の息子よ。わしからの返杯も受けてくれ」
「ささ、犬夜叉も。義理の兄からの杯を受けてはくれぬのですか?」
顔を真っ赤にして怒っている犬夜叉と、自分の事だというのにどこか他人事のような顔つきの殺生丸に関わりなく盛り上がる弥勒と父に、犬夜叉はついに切れた。

「ふざけんな!勝手なことばっかりいいやがって、何が義理の兄だよ!いくら弥勒だろうが、そんな事認められっか!おれの兄は1人しかいねぇんだよ!」

その叫びに、勝手に盛り上がっていた弥勒と父の動きが止まった。隣にいた殺生丸も無言で視線を向ける。
一斉に注目を浴びて硬直する犬夜叉の手を取り、弥勒は思案げに告げた。
「確かに先走りしすぎました。近しい仲間である私が急に『義理の兄』を名乗ったところでお前が納得できるわけではないと、もっと熟慮すべきでした。申し訳ない、犬夜叉。…だが」
「だがってなんだよ」
弥勒の真摯な態度に、さっきまでの勢いはどこへやらの犬夜叉が逃げ腰で尋ねる。弥勒はころっと表情を変え、いかにも可笑しげになった。
「いやーしかしお前の口から『兄は1人だけ』なんて言葉が出るとは、考えても見ませんでした。何下にお前、殺殿を大事なたった1人の兄だと認めていたのですねー」
「……な、だ、大事って!」
指摘を受けた犬夜叉の顔がまた真っ赤になった。だが今度は怒りではなく、恥ずかしさのためである。図星だったようだが、犬夜叉がそれを素直に認めるはずがない。しどろもどろで言い訳をしようとする息子に、今度は感動の極みになった父が抱きついた。
「おお、なんという嬉しいことだ、息子よ!お前がそこまで兄を慕ってくれていたとは、この父も気づかなんだ!不明な父を許してくれ、息子よ!だが、だが父は嬉しい、嬉しいぞーーーーー!!!!」
変化しない分マシというのだろうか。感極まった父に抱きしめられ、犬夜叉は苦しげにもだえながら叫んだ。

「……は、はなせーーー!おれは別に殺生丸を認めてなんか…認めてなんかいねーーーぞーーーーー!!!!」


大騒ぎをしている父と弟を、殺生丸は我関せずといった無責任な表情で眺めていた。その殺生丸に、弥勒は横から杯を差しだした。
視線が自分に向けられたことに微笑んだ弥勒は、穏やかに話しかけた。
「まだ、状況がよく分かっておられぬご様子で」
「さっぱり判らぬ。誰が誰の伴侶だというのだ」
「……まあ、それは私が先走りすぎたという事で、忘れてくださってよろしゅうございます。父君と親しくなれた事だけで良しといたしましょう」
あっさりと前言を翻し、弥勒は殺生丸の杯に酒を注ぐ。それを無言で一口飲んでから、殺生丸は本気で困惑しているような顔になった。
「犬夜叉は何をムキになっていたのだ?」
「それは、…まあ」
弥勒は肩を竦めた。この方にあっては、自分達の思惑など全て空回りになってしまう。そこがまた、たまらなく可愛いのだが、と1人胸の内でやに下がってから、弥勒は真顔でいった。
「当分は、家族水入らずの団らんを楽しみたい、という事なのでしょうな」
「水入らずの団らんか…」
殺生丸は、感動して滝の涙を流す暑苦しい父と、その腕から逃れようと手足を振り回している騒々しい弟を涼しい目で見やった。

「これが家族の団らんというものなのか…」

…こうも騒々しく煩わしいものなのか…などと何か勘違いしている殺生丸ではあるが、なんとなくそう嫌な気分でもない。
父を生き返らせたことへの後悔をしばし忘れる殺生丸の前で、ぎっちりと父の太い腕に抱きすくめられ、息も絶え絶えといった様子の犬夜叉が掠れ声で怒鳴った。

「……こんな家族、いらねーーーー!」



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