◆ 家族の団らん 4 ◆


 
お父さんはふと考えた。

「そういえば、家族共に暮らしていなかったとはいえ、我が家ではいわゆる年中行事というものに縁がなかった。やはり、こういった節目節目の行事を共にこなしてこそ、家族というもの」

お父さんは基本的に本能の人だった。
常識的なことを考えてみても、やっぱりよく分かってなかった。


「というわけなのじゃ!」
いつのもようにいつものごとくかってに呼び出しては一人でニコニコしている父に、息子二人はげんなりとした顔を見せた。

「……なにが、『と、いうわけ』なんだよ」
犬夜叉は、喜色満面の父に手渡された紙包みを開き、中に入っていた物の意味が心底わからないという顔で尋ねた。
紙の中には、小さな餅の欠片が入っていたのだ。
当然、隣にいる殺生丸も同じ餅の欠片入りの包みを持ち、こっちはもはや問う気も起きないのか無言で父の顔を見ている。

「見て判らぬか?これは、正月、神に供えた餅の欠片じゃ。わざわざ、人間の神社から取り寄せたのじゃぞ!神の魂の宿る鏡と同じ形の鏡餅を頂くことで神から新しいその年の魂をわけていただき、一年の無病息災と豊穣と幸福を願う。これぞ、『年魂(としだま)』、お年玉じゃ。ありがたーく、おしいただくがよい!」
自慢げに胸を張る父に、犬夜叉は疲れた風に下を向き、ぼそりと呟く。
「オヤジ…妖怪が神様の捧げ物貰ってどーすんだよ…」
「妖怪であろうと無かろうと、これは子供が貰って喜ぶ物だと聞いておるぞ」
真面目にそう答える父。犬夜叉はさらに疲れた風になる。
「……そりゃー人間の子供の話だろーがよ…おれたちが縁起かついでどーすんだよ!つーか、殺生丸なんか完全な妖怪だぜ?無病息災だの願われたって意味ねーじゃんよ!」
「これこれ、犬夜叉。父上どのの息子を思う心を無下にしてはいけませんよ」
父の大きな体の後ろから、弥勒がひょこっと顔を出す。
「やっぱりてめえが入れ知恵していたのかよ」
「入れ知恵とは人聞きの悪い。何かめでたい祝いでもして、家族の絆を深めたいという、父上殿の深いお心に共感して協力いたしたまでのこと」
しれっとして答えた弥勒は、かちかちに固まった餅の欠片を扱いかねているように見ている殺生丸に微笑みかけた。
「殺殿が召し上がらないのなら、りんに上げたらどうですか?火で炙るか、湯につければまだ柔らかくなります。なんなら私が甘いクルミダレなど作って差し上げますが」
「……これは人の食い物なのか」
「このままでは歯が立たないでしょうな。なんといっても、数日の間神に捧げられていた鏡餅の欠片ですから。私がちゃんと調理して差し上げますから、ご安心を。けっして、りんが腹をこわすような物は持ち込みませんから」
弥勒の話の中にたびたび登場する『りん』という名前に、父は反応した。
「りんとは誰の事じゃ」
「おや、父上殿にはまだお話しておりませんでしたね。殺殿の養い子ですゆえ、父上殿には孫に当たる養女のことでございます」
「なに?孫だと!」
父は大声でそう叫ぶと一瞬絶句し、ついで歓喜に顔を輝かせた。

「でかしたぞ、殺生丸!わしに、そうか、わしに孫か!」
「はい、それはもう可愛らしい、人間の童女でございます」
「そうかそうか、童女か。それは愛らしいのう…なんといっても、殺生丸は顔は良いが愛想が足らぬ……連れ合いが出来ることすらも諦めていたのだからなおのこと…子が出来たとはありがたいありがたい…」
なぜか空を仰いで拝み始めた父に、犬夜叉は情けなさに涙をこぼしそうになりながら、「オヤジ…養女だっていってんだろうが。殺生丸のガキじゃねぇよ…」と一応は言ってみるのだが、当然父はそんな事聞いてはいなかった。

「そうか、孫娘が出来たか…孫娘…よい響きじゃ…」
「じじ様がそれほど迄に喜んでくれていると知ったら、りんも喜びましょう。なんといっても肉親の縁が薄い娘でございますから…」
「肉親の縁が薄いとはなんという不憫な…もうそのような思いはさせぬぞ…わしの孫娘は誰よりも大事に慈しまれなくてはならぬのじゃ…それにしても、『じじ様』という響きのなんと心地よい事…早く孫の口から聞きたいものじゃわい…」
「……おい、オヤジ…すんげー矛盾したこと言ってねぇか…?肉親に縁が薄いっていってんだから…てめえの孫娘な訳ないだろーがよ…。弥勒も変な風に焚きつけんなよ」
一人で感動を深めていく父は、当然のごとく犬夜叉の言葉など聞いてはいない。弥勒の方も悪びれることなく、ニコニコしている。
「別によいではありませんか。りんが殺殿の養い子であることは事実なのです。父上殿がこれほどまでに喜んでいるのですから、もっと早くにお引き合わせしてやれば良かったかも知れませぬなぁ、殺殿?」
弥勒は殺生丸にとろけるような笑顔を向けた。殺生丸の方は相変わらず無関心な顔である。相変わらずではあるが、自分の事だというのにまるで他人事のような殺生丸に、犬夜叉はたまらず噛みついた。
「てめえもなんか言えよ!オヤジ、なんかしらんが孫が出来たって一人で盛り上がってるじゃねぇか!」
「孫などどこにいる。誰のことだ」
兄のしらっとした口調に、犬夜叉はタイプこそ違え、やっぱりあの父と親子なのだとしみじみ思う。
(……人の話なんて、まともに聞いちゃいねぇ…)

「りんとかいう、おめぇが連れてるガキのことだよ…。オヤジ、孫が出来たって喜んでるぞ」
「りんは私の子ではない。とうぜん、父上の孫でなどありえん」
「だから…その当然あり得ないことで盛り上がってるって、さっきから言ってるだろーがよ…」
話をすることにすら犬夜叉は疲れてきた。ひょっとして、この家族で一番常識があったのは自分だったんだろうが、なんて事を思っているうち、ようやく眉を潜めて反応しめした殺生丸に、弥勒が横からしゃしゃり出る。
「養い子ですから、父上殿にとっても孫の立場も当然でございます。父上殿は息子しかお持ちでないから、娘御を迎えられるという事が嬉しくて仕方のないご様子…。何しろ、今年の雛の節句には庭を桃の花山にし、京の細工師に12段雛飾りを造らせるのだと、それはもう積極的で…」
「積極的にも程があるだろうがよ!もう春の話してんのか!」
驚いて声を荒らげる犬夜叉に、父は不意に気が付いたように振り向いた。
「おお、そうだ、犬夜叉!そなたの端午の節句の飾りもまだ用意してなかったな!この際じゃ!緋威の大鎧飾りと天にそよぐ大鯉のぼりも注文せねば!」
「誰がそんなもん、欲しいといったぁ!」
まったく見当違いの事を言っては嬉しげなワクワク顔の父に、犬夜叉は怒鳴った。
「今更、飾りなんていらねーよ!そんなもん、殺生丸にでもつくってやりゃいいだろが!」

そう吐き捨てた犬夜叉の言葉に、父は何か悲しいことでも思い出したのか、ふっと顔を歪め、背を向けて蹲る。そうしてぶつぶつと何かを呟いている。地にあてた右手の人差し指がのの字を書いているのがいじましい。
「な、なんだよ!言いたいことがあるなら、はっきり言えよ!」
「犬夜叉…息子になにもしてやれなかったと日頃ご自分を責めておられる父君のお心を踏みにじるような事を言って、謝りなさい」
焦る犬夜叉に、弥勒が責めるように言う。殺生丸は相変わらずしらっとした顔つきだが、横目で犬夜叉と父の姿を交互に眺めていた。弥勒と殺生丸両方の視線に棘を感じ、ぐっと言葉に詰まった犬夜叉は、渋々といった風にしょんぼりとしている父に近付き言った。
「悪い、言いすぎた…でもよ、おれは本当にもう飾りなど…」
「……あれもそう言ったのだ…飾りなどいらぬと…」
「はあ?」
突然父が何を言いだしたのかと思った。話を聞こうと身を乗り出した犬夜叉の前で父はいきなり立ち上がり、天を仰いで派手に泣きだしたのだ。
「あれは…妻は…わしが長男である殺生丸のために初節句の飾りをあつらえるといったら、妻はしみじみとため息を付きながらこういったのだ!『あなたが選んだ趣味の悪いきらきらしい派手な飾りなどいりませぬ』と…そうだ、あの一言がショックで、わしは犬夜叉が生まれたときは飾りを造らせることが出来なんだ…!」
目が点になった犬夜叉と、驚きで目を丸くした弥勒と、そしてやっぱり無表情な殺生丸の前で、父はオイオイと泣き始める。
「結局わしは何をやってもダメなのじゃ…父と呼ばれる資格も、じじ様と呼ばれる資格もない」

すでについていけなくなった息子二人が呆然としている中、人あしらいに長けた弥勒だけが平常心で父に近付き、その肩に親しげに手を掛け、慰める。
「ご安心下さいませ、父上殿。確かにかつては奥方様に拒絶されたかも知れませぬが、今はこのわたくしがついております。誰にも後ろ指差されることのないお道具を立派に造らせてご覧に入れます」
「おお、婿殿!頼りにしておるぞ!」
「はい、頼りにしてくださいませ。父上殿!」
がっしりと手を握りあい、婿殿父上殿と呼び合って固い絆を結んでしまった二人に、犬夜叉は疲れ切った声を出した。
「……なあ、てめえさ…本当にあれでいいのか…?」
「私に言っているのか?」
相変わらず無表情な声だが、答える殺生丸も疲れているのか、なんとなく投げやりな物言いだ。
「このまんまじゃさ、なし崩しに弥勒はてめぇの婿で、りんはてめぇの娘って話になっちまいそうだけどさ。それでいいのかよ」
「私は婿は取らぬし、りんは私の娘ではない。それは確かではあるのだ…」
不自然に言葉を切った兄の顔を、犬夜叉はちらりと横目で見た。殺生丸は完全に力抜けした顔で、親しげに語らっている父と弥勒を見ている。
「……あの二人、一緒にしておいた方が、私達への被害は減るかも知れぬ…」
確かに――弥勒の前では父は我を忘れて本性に戻り、息子を二人を追い回す、という事はない。ひょっとして、話しかけてずっと喋らせておけば本性に戻る暇もないのかも知れない。父にずっと喋らせておくという事は無口な殺生丸には到底無理な話で、それならばいっそ制止役に弥勒をあてがっておこうという事なのだろうか。
それはそれで良い考えな気もするが、犬夜叉はちらっと思った。

(それが弥勒の狙いなんだろうか…親父に気に入られて既成事実を造ってなし崩しに自分のペースに持ち込む…。なんか、ここでそれを通しちまったら、一生、弥勒に良いようにされちまいそうだ…)

ここで自分が踏ん張らなければ!

(そうしないと…なんか、この兄…ほっといたらいけないような気がする…)
面倒くさげに投げやりな顔つきをしている兄に、犬夜叉は妙な保護者意識を覚えていた。





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