◆ 家族の団らん 5 ◆


 

お父さんはだれていた。
この半月というものの雨続き、お天道様が顔を覗かせたのはほんの数日。
別に雨だろうが雪だろうがたとえ雹が降ろうと体調不良に陥るようなお父さんではないが、濡れて毛並みがへたれるのは我慢できなかった。
それでお父さんは外出を控えていたのだが、今度は退屈で退屈で我慢が出来なくなった。
もともとお父さんは夜遊び昼遊び、とにかく外へ出るのが大好きだった。
その遺伝で息子二人に放浪癖があるのかどうかは知らないが、とにかくお父さんは一人で屋敷にいることに我慢できなくなった。
こらえ性のないお父さんが何かを考えると、割を食うのは当然の事ながら息子達だった。
そして今日も息子二人はお父さんの呼び出しを受けていた――。


「まーた何を考えてるんだか…」
「……」
「どうせろくな事じゃねぇに決まってるけどな」
「……」
「っていうか、人を呼びつけといていつまで待たせてるんだ」
「……」
「……っていうか、お前もなんか喋れよ」
「話すことなど無い」

父の広大な屋敷の一室で、不毛な会話にもならない会話を繰り広げていた息子二人のうち、こらえ性のなさでは勝る弟がムダに無口な兄に噛みついた。
「話す事なんてよー、おれだってあるわけねぇ!でも今は親父絡みだ!親父がまたなに企んでるんだか、てめえ、気にならねぇのか!」
「気にならぬ訳ではない」
殺生丸は喚き立てる弟に小さく眉を潜め、そして微妙に不機嫌な顔になる。
この父の匂いに覆い尽くされている屋敷の中で、半妖である弟には嗅ぎ分けられなかったらしい匂いが殺生丸には判る。
人間がいるのだ。それも弟の旅の仲間であり、自分の情人でもあり、そしてなぜか父の大のお気に入りでもあるあの人間――弥勒法師が。

父と弥勒。
この二人が揃ってまともな事を考えているわけがあるまい。
どうせ当人達にとってだけ楽しい企画を練っているに違いない。
想像するだけで、病気知らずの殺生丸でさえも頭痛がしてくるほどだ。
この上に弟の喚き声など聞きたくもない。殺生丸は無言で袖を閃かした。
御簾をふっとばして、犬夜叉の身体が中庭にめり込む。泥だらけになって起きあがった犬夜叉は怒鳴った。
「てめーーー!いきなり何しやがる!」
その大声に他人事のように顔を背ける殺生丸に、堪忍袋の緒が切れた犬夜叉が飛びかかろうとしたその刹那、脳天気に楽しそうな父の声がする。

「おお、二人とも、来ておったのか。ずるいぞ、わしを無視して二人だけでじゃれ合っているとは」

……何をどうしたらじゃれ合ってるように見えるのだ、というか、来ておったも何も呼びつけたのはそちらの方ではないのか……と今更突っ込むのも空しい中途半端に悟っている殺生丸。犬夜叉はと言えば、父の必殺変身全身舐め攻撃を警戒してか、じりじりと退きながら、それでも健気に抗議の台詞を言う。

「無視もなにも、てめーが待たせたんだろ…用事があるなら、早く言えよ。そんで早く終わらせて帰らせてくれ…」
いきなり疲労困憊の体で犬夜叉はため息を付く。一人だけ元気なお父さんは、元気よく両手を打ち合わせた。
「おお、すまなんだ。何しろ、なかなか準備が終わらなくてな。だが、ようやく全て終わった。ささ、こっちじゃ。はようせい」
調子のいい父の後を、息子二人はしぶしぶついていく。
長い渡り廊下をすぎて大広間へ。その際奥の一段高い座所には絹の座布団に南国真紅の花の首飾り。足のついた菓子皿がいくつも並び、その上には当然のように珍しい異国の菓子。ギヤマンの壷には異国の色鮮やかな酒。
めでたい酒席を思わせるしつらえではあるが、広々とした広間の中央に出来ているのは土を盛り上げ藁の土嚢で囲んだ特大サイズの土俵であった。
そして珍しい果物の盛りつけられた籠を奥から運んできた弥勒が、にっこりと愛想良く笑いかける。

「遅くなって申し訳ありませんでした。飾り付けに少々手間取ってしまいまして。ささ、殺殿は此方へ」
固まっている殺生丸の手を引き、弥勒は座所に導いて分厚い座布団の上に座らせる。犬夜叉の方はと言えば、いやな予感に顔を顰めて父を見る。
「……オヤジ…何をするって?」
「何をするだと?見て判らぬか、犬夜叉よ。この数日の悪天候のせいで外に出られず、すっかり身体がなまってしまった。これからお前と相撲で体を鍛えるのだ!」
すぱっと上半身着物をはだけ、ムキムキ筋肉を自慢げに見せびらかした父がそう吠える。相変わらず脈絡のない展開に、犬夜叉はその場にへたりこんだ。そうしているうちに、自分を振り回しまくってくれる父に対して怒りがふつふつとわき上がってくる。
「……誰が外に出られず身体がなまっただと?」
犬夜叉は勢いよく立ち上がると、座所に所狭しと並べられた珍しい花や食糧の山をびしっと指差した。

「あれはどーした!あんなの、この館のどこにあった、どこでどーやって調達したんだ、ええ?雨雲の上をちょいとひとっ飛びしてどっからかかっぱらってきたんだろうがよ、ちがうかよ!」
「かっぱらうとは人聞きの悪い。あれはわしが勝負の後の宴のためにと、東西奔走して手に入れた物なのだぞ。」
胸を張って父は答えるが、この時点ですでに「外に出られず身体がなまった」などという言い訳は通用しないことに気が付いていない。自ら、あちこちに出向いていったと白状しているのだから。犬夜叉は目を据わらせる。

「……じゃあ、なんであいつはあっちに座ってて、おれと相撲なんだ?鍛えるってのなら、あいつもじゃねーのか?」
今度は座り心地の良さそうな座布団の上におさまり、弥勒に渡された杯を所在なげに持っている殺生丸を指差しながらそう言う。父は困った顔で頭をかいた。
「うむ。お前の言うことは至極もっともじゃ…。だが、少し考えてみよ。相撲とは、四つに組み合ってとるものじゃ。……殺生丸は隻腕……組み合うというても、少々無理があるではないか…」
声を潜めるようにして答える父の言いように、犬夜叉ははっとなった。
確かに殺生丸は片腕。しかも切り落としたのは自分。普段やり合うときにはまったくその事の不利を感じさせない、というか常に自分の方が押され気味なのですっかり失念していた事に犬夜叉は気がつき、気まずげな気分になった。
ひそひそ話になった父と弟の様子に気が付いた殺生丸が、ちらりと目を向ける。
その視線から逃げるように犬夜叉は視線を落とすと、小さく言った。

「……そういや、そうだったな。おれが考えなしだった…」
「それにだ……考えてもみろ、犬夜叉」
珍しく父の気配りに尊敬の念を抱きかけてしまった犬夜叉は、続く父の言葉に真剣に耳を傾ける。父はその期待に応えるかのように、神妙な顔つきで言った。
「殺生丸はだな。母である愛しき妻と同じ顔をしているのだぞ?もしも間近で組み合ってもみよ。あの顔を前にとてもとても本気で力を込めることなど出来ようか、訓練などになるはずがない!それにだ、勝敗を決した後には勝者に対するご褒美という物がやはり必要である!このご褒美という物は、古今東西、絶世の美女より渡される物と相場が決まっておる!だが生憎わしには娘はおらぬ!となると、ここはやはり殺生丸の手から勝者への褒美である花飾りを渡してもらうのが、一番ふさわしいではないか!」
真面目な顔でそう主張する父に、犬夜叉の目から滂沱の涙がこぼれ落ちた。
「やっぱ親父の言葉なんか、まじめに聞いたおれがバカだった!」
怒り心頭の犬夜叉は、勢いのままに父の帯に手を掛けるやいなや、思いっきり力を込める。
「お?」
自分の巨体が息子に持ち上げられたことに、父は脳天気な声を上げた。
次の瞬間、「おやじの、ばーーかーーやーーろーーー!」という犬夜叉の魂の叫びと共に、父の身体は広間の奥、馬鹿馬鹿しいほどに飾り付けられた場所へと投げつけられていた。

勢いで投げつけた父の巨体が座所に向かって吹っ飛ぶ。呆然としているのか受け身をとる様子もない父の身体は、まっすぐに正面に座っていた殺生丸と弥勒へとつっこんだ。そこで犬夜叉ははっとなって、ついで全身から血の気が引くのを感じた。
殺生丸なら父の下敷きになったところで死ぬことはないだろう。
だが弥勒は――父の片棒担ぎで腹立たしくはあるが一応は仲間であるし、何より人間だ。父の下敷きになったらただでは済むまい。
「おやじーー!とっととよけろ!」
叫ぶ声も空しく、父の身体は思いっきり座所に激突していた。つぶれた菓子や壊れた皿、燭台、几帳などが派手な音と共に辺りに散乱する。その中心には大の字に伸びた父の身体。
犬夜叉はおそるおそるそこへと近付いた。
(弥勒はどうなっただろう……つぶされてしまったのだろうか?)などと心配しつつ父の身体を起こそうとした犬夜叉は、側面から押し寄せる冷たい気配に飛び退く。
そこにいたのは冷たく見据える殺生丸と、その手に無造作に下げられている弥勒。
弥勒は首根っこを猫の子のように掴まれ、あぜんとした顔つきでいるが無傷である。それを見てほっとしかけたのもつかの間。犬夜叉は殺生丸の冷たい殺気に満ちた声に顔を引きつらせた。

「……何のつもりだ、犬夜叉」
「……何のつもりも何も…」
「これは私に対する報復のつもりか?」
「…いや、そんなんじゃなくて…」
言い淀みつつ犬夜叉は警戒態勢をとる。自分を見る殺生丸の目つきに、穏やかならぬものを感じたからだ。一瞬空気が張りつめ――次の瞬間、その緊張が弾け飛んで消えた。

「殺殿!いやー、さすがにお父上の身体が目の前に迫ってきたときは、さすがのこの私も避けきれずこれで最後か、と覚悟を決めかけましたが、殺殿が救って下さるとは!日頃は慎ましやかでご自分の思いを明らかになさることを憚りがちな殺殿の熱い想い、この弥勒、確かに受け取りましたぞ!」
そう歓喜の声を上げつつ、ぶら下げられてへたり込んでいた弥勒が、がばっと殺生丸に両腕で抱きついたからだ。
「弥勒は幸せ者にございますーーー!」
そう声高に唱えながら、弥勒は殺生丸にぐりぐりと頬ずりをしている。
そしていきなり緊張感を削がれた殺生丸は、目を僅かに見開いて固まった顔のまま、されるがままの状態。
ほぼ同じ放心状態でその様子に見入っていた犬夜叉は、我に返ると指差して声を上げた。
「てめーーー弥勒!いきなりいちゃついてんじゃねーー!」
顔を紅くして言い放ち、二人を引き離そうとした犬夜叉は、自分も横からの強い力で抱きすくめられ、ぎょっとなる。
見ると、感動の涙で顔をぐちゃぐちゃにした父が抱きついているのだ。

「犬夜叉よ。わしは、……わしは感動で言葉が出ない!あの小さかったお前が、父を投げ飛ばすほどに成長していたとは!よくぞここまで育ってくれた、父は嬉しくて嬉しくて、なんとも……」
そう言うなり感極まった父は、犬の本能そのままに息子の顔を凄まじい勢いで舐め始めた。巨大な本性に戻らなかっただけ、まだましというものか。だが、巨体の親父にべろべろと顔を舐められまくるというのも、それはそれなりに恐ろしいものである。
今日二度めの放心状態から立ち直った犬夜叉は、じたばたと声を上げて藻掻きだした。
「やめろ、暑苦しい!むさ苦しい!っていうか、はなしてくれーー!!」
その必死の叫び声に、固まっていた殺生丸も我に返った。ぐりぐりと身体をすり付けてくる弥勒を押し返そうとするが、火事場の馬鹿力でも発しているのか弥勒の身体は離れない。

「止めぬか、貴様」
「照れなくてもよろしいのでございます。いえ、その様にお心を隠そうとする様もまたなんとも切なくも愛しい……弥勒は幸せ者にございます」
「勝手にその様な決めつけをするな!」
「またまたその様に。いえ、何も申されますな、この弥勒にはよく分かっております!咄嗟の時の無意識の行動こそが、その者の本心!殺殿がこの弥勒の事を心の底から大事に想い、命を惜しんで下っているという証明でございます!」
「…だから決めつけるなと言うに」
絶対に違うと否定したいが否定しきれず、面倒くさくなって黙り込んだ殺生丸に、調子に乗った弥勒は心の底から嬉しげにしがみつく。
その傍らでは、
「やめろー離れろー親父のバカヤろーーー!」
「おお、我が息子よ!お前の成長ぶりがこの父は嬉しゅうて嬉しゅうて、どうにもこうにも抑えが効かぬわい!」
と嫌がる犬夜叉を押さえ込んだ、父の傍迷惑な愛情表現がしつこく続く。

父に顔面を舐めまくられる犬夜叉と、弥勒に頬ずりされまくる殺生丸。
犬兄弟の苦悩の家族団らんは、まだまだ終わらない。



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