◆ 家族の団らん 番外編 ◆


 
ある日お父さんは考えた。

「父と息子の良い関係とは…古今東西変わるまい。それは、男の性を教える事じゃ!息子達はすっかり大きくなった。ここは一つ男のたくましい性というものを、父から息子へと伝授してやらねばなるまい!」

お父さんの考えははっきり言って時代遅れの上に時機を逸していた。
息子二人は、春画を前に胸ときめかすような幼い時期をとっくの昔に過ぎていた。
もっとはっきり言ってしまえば実践で覚える時期、つまりそろそろ盛りが付く年頃だった。
お父さんにとって、息子達は身体が大きくなった大人になったといってもまだまだ幼い、いわば木馬に木剣で戦ごっこをしている少年の頃の印象とさほど変わっていないように見えた。
お父さんは、大のニブチンだったのである。


「と、いうわけでだ。わしはお前達と胸襟を開いて男同士の話をしたいと思ったのじゃ」
今日もきょうとて目眩を堪えながら渋々やってきた息子二人は、部屋中に散らばった物体を目にして、今度こそ親子の縁の切り時かと考えた。
部屋の中に広がっているのは、それこそありとあらゆる春画春本、大陸輸入のマニアックなものからから武将御用達の豪華絢爛リアルもの、はては足軽利用のお手軽ものまで揃っていたのだ。

……何を考えてるんだ、このクソオヤジ…。

目を爛々と輝かせて見入ってしまう無邪気で好奇心いっぱいの時代を通り越し、怪しい絵の数々に体の変調を覚える犬夜叉は、こんな状態を引き起こしてくれた親父の脳天気っぷりに怒りを覚える。
隣の殺生丸が涼しい顔をしているだけ、自分だけ自制心と理性に欠けた野蛮人な気がしてくるのが余計に悔しい。

「親父!てめー、自分の息子にこんなエロ絵見せびらかすのが、男同士の話か!」
「おお、もちろんじゃ!息子の性教育は父の仕事。なんなら、いますぐ遊里に連れてってやるぞ!犬夜叉、そなたの好みはどのようなおなごじゃ!」
興味を示してくれたかと、父はむしろ嬉しげに聞いてくる。だからといって犬夜叉は、「じゃあ、こういう感じの女が好みだ」などと喜々として答えられるような性格ではない。むしろムキになって興味のないフリをしてみる。

「そんな心配してもらう謂われはねえよ。だいたににして、何が父親の仕事だ…今まで親父らしいこと何もしてなかったくせに」
「……そ、それを言われると辛いが、何も、したくなくてしなかったわけではないぞ!わしはつい先頃まで死んでいたのだから、何も出来ずともいたしかたないではないか!」
痛いところをつかれたのか、同情を買うようなわざとらしいうるうる目をする父を無視し、犬夜叉は仏頂面で兄の方を見た。
「てめぇもなんか言えよ。すました面しやがって」
そう言い放ったところで気が付いた。
殺生丸の様子が少し変なのだ。無口で(これはいつもの事だが)無表情。無表情もいつもの事ではあるが、父の相手をするときはいつも目をそらし気味の投げやりな面倒くさそうな、そして少し困った顔つきになる。
が、そのいつもの表情もない、どこを見ているのかすら定かではない全くの無表情なのだ。
そのくせ、目元から尖った耳にかけて僅かに血の色が登り、目にもいつもの清冽な光がない。それどころか、うっすらと潤んでいるようにすら見える。
これが人間なら「風邪でも引いて熱があるのか、それとも酒酔いでもしてるのか」となるところだが、あいにく殺生丸は風邪を引かないし、酒を飲んでも酔うこともない。
それなら、父の持ち出した春画の数々にその気になったのか、はたまた逆に完全に呆れて意識をどこかに飛ばしてしまったのか。


「……おまえさ、なんか身体具合でも悪いのか?」
「…何?」
思わず心配の言葉を書けてしまう犬夜叉に、返す声も覇気がない。少し掠れ気味で吐息混じりなのが妙に色っぽい。
本気で気になりだした犬夜叉が、とまどい気味に殺生丸の額に手を伸ばす。いわゆる、手で熱を計るという行為だが、本来熱など出さない殺生丸にしてみれば馴染みのない動作だし、簡単に人が触れることを許さない殺生丸であれば当然避けてもおかしくない所である。
それなのに、それにすら気が付かないのか、犬夜叉はなんの問題もなく殺生丸の額に手を当てることが出来た。普段の体温がどの程度なのか判らないため、熱があるのかどうかなど判断は出来ないが、犬夜叉の感覚では少し熱いような気がする。

「お前、やっぱり熱があるんじゃ…」
そう言いかけた時だった。犬夜叉に文句を言われて凹みまくっていた父が、ぱっと顔を上げるなり言い放った。

「殺生丸よ!そなた、もしや、『盛り』の時期が来たのではないのか!」
「……盛り?」
聞き慣れない言葉だったのか、それとも自分自身には関係ない言葉だと思っていたのか、殺生丸はぼんやりと繰り返す。
父はようやく自分の本領発揮とばかりに胸を張った。
「そうじゃ、それは間違いなく盛りの症状、つまり、そなたは発情しておるのじゃ!」

耳が痛くなるような沈黙が下りる。自信満々な父の言葉に、殺生丸は物憂げに一言だけ反論した。

「……父上…わが一族に『盛り』などというものはございません」

「……そうであったか?」
「万年発情期であられた父上にはご存じのないことでありましたか…」
「万年発情期とは、またひどい言われようじゃ…。確かにわしはよく気もそぞろ、心ここにあらず、といった状態が良くあったが、それはすべてそなたや犬夜叉の母に恋心を抱いていた時期であった」

そこで父は首を捻り、ポンと手を叩いた。
「おお、そうか!では、そなたもついに誰ぞ、契りを結びたいと思う相手が現れたという事ではないのか?」
「なぜ、そう極論に走るのですか…。あいにくとこの殺生丸、盛りも発情も契りを結びたいと思う相手にも、とんと心当たりがございませぬ」

「心当たりがないか、そうか…」
父は自分の考えが外れたことに残念そうにまた首を捻る。
「親父の毒気に当てられたんじゃねーの?」
二人の遣り取りにすっかり呆れた風に犬夜叉は首をはさんだ。
その瞬間だった。犬夜叉の言葉に、またもや何か閃いたのか、父はぱっと顔を輝かせる。

「判ったぞ!犬夜叉!発情しておったのは、そなたじゃな!」
いきなりの指摘に、犬夜叉は顔を真っ赤にしてとびす去った。

「な、な、いきなり何をいいだすんでぇ!大体、おれの発情と殺生丸となんの関係があるんだ!」
「いや、ないとは言い切れぬぞ。そなたは半分人間の血を引いておるゆえ、いつでもその気になることが出来ようが、もともと我らは年を重ねた犬の変化。犬の性質を強く受け継いでおる。我ら一族の雄は、本来は子を成す年頃となった雌の発情に応じて盛りがつくものだ。だが、殺生丸はいまだにその経験がなかったゆえ、弟であるそなたの発情の気にあてられてしまったのじゃ」
「人のせいにすんなよな、親父!じゃ、親父は自前で発情したことがなかったっていうのかよ!殺生丸の母親も、おれのお袋も、親父の前で発情しまくってたとでもいうのかよ!」
「何を言うのだ、息子よ!殺生丸の母も、お前の母も、それはもう慎ましやかで清楚であった。わしが側に行くとこう……小鳥のように身を震わせ、わしはもう全身全霊をかけて優しく優しくふれたものだ…」
「やっぱおまえの方から発情してたんじゃねーか。発情の気にあてられるのなんのと、いい加減なこといってんじゃねーよ!」
「何を言う犬夜叉よ。殺生丸は母にそっくりじゃ、自分から発情することなどあり得ぬ。だが、お前はこの父によう似ておる。……やっぱり、お前の方が発情し安いではないか…」
「つまり、親父は犬一族にしちゃーその気になりやすい年がら年中人間並みに色ボケだったって事かよ」
「お前、自分でそれを言っていて空しくはないか……おや、殺生丸はどこへ行ったのだ?」
てんでに責任の押し付け合いをしているうちに、殺生丸の姿がその場から消えていた。

「おれの気にあてられたのなんのって、あんまり親父が言うから、離れたんだろ」
父との空しい色ボケ論争にも飽きたのか、犬夜叉は投げやりに言った。が、父は珍しくあたふたと慌てまくっている。
「な、なんという事じゃ!一度盛りが付いたからには、欲情を解消せぬ事には治まらぬ!万が一、近くに我が一族がいてみよ!発情した殺生丸の気にあてられたりしたら、……殺生丸の貞操の危機じゃ!」
「……貞操って……また大げさな」
「いや、大げさではない!殺生丸ーーーー!どこじゃー!」
あまりの父の慌てっぷりに、さすがにただごとではない気付いた犬夜叉は外へと飛び出した。


さほど探すこともなかった。父が言ったとおり殺生丸は発情していたのか、その匂いはいつもよりも濃く、そして甘く艶めいていたからだ。
若葉の匂いで少しでもそれを消したかったのか、殺生丸は庭の中でもひときわ緑の濃い一画に座っていた。頭痛でもするのか、目を閉じて額を抑えている。その姿もほんのり色づいた肌とあいまって、見るものを誘っているようだった
「親父が大げさに言ってたわけじゃないんだな。……こりゃ、ちょっとヤバイかも」
「何が、ヤバイというのだ」
「いや、なんでも……」
物憂げな兄の声音に、犬夜叉は口ごもった。確かにこれはヤバイかも知れない。事情を知らない者が見たら、それこそ貞操の危機か、もしくは血の雨が降る。どこかに話の分かる女妖怪はいないだろうか。いや、殺生丸があてがわれた女相手に何をするというのか。意地を張って無視するか、侮辱するのかと怒り出すのが関の山だ。さて、どうしようか。

焦っている上に犬夜叉自身も色事の達人ではない。ただ、年頃の少年らしい興味や知識は、幸いなことにそこそこある。おそらくは、まったくその手の話と無縁で来たらしい殺生丸に比べたら、たぶん唯一勝る所だろう。
犬夜叉は真剣な顔になると、ずいっと殺生丸に詰め寄った。
「……何のまねだ、離れろ」
「親父が言うには、一度発情しちまったら、解消しないとずっとそのまんまなんだそうだ」
「だからといって、私にどうしろというのだ」
「おめーがそんなになったのは、おれのせいだし……いや、元を正せば親父のせいだけど」
「それで、貴様はどうしようというのだ?」
「……だから、……おれが何とかしてやる」
「何が出来るというのだ」
犬夜叉から強く雄の体臭を感じ、殺生丸は眉を潜める。
「貴様……発情しているのか」
「てめー、そのツラでそういうことを言うなよ。なんか、生々しいから…」
「私がどういう顔をしていると…」
「いいから、少し黙ってろよ。たぶん、おめーよりおれの方がこういう事には詳しい…と思う」

殺生丸はひくんと小さく喉を鳴らした。ひどく緊張した顔の犬夜叉に触れられた肩から、ぞわりとした感覚が背筋に走る。快感なのかどうなのか判らないが、殺生丸が今まで感じたことのない感覚だった。
「いいだろう……貴様に任せる」
その声に、犬夜叉の心臓が跳ね上がる。逆上せてしまいそうな熱さを感じながら、犬夜叉は殺生丸に顔を寄せた。
「ちょっと、目ぇつぶってろよ」
言われるままに殺生丸は目を伏せる。閉じた瞼は淡い紅色。犬夜叉は思わず生唾を飲む。そうっと顔を近づけ、あと僅かで唇が触れるという、まさにその瞬間。
全てをぶち壊す男がやってきた。


「待て、待つのだ、息子達よ!」
あたりの枝をぶち折りへし折りしながら、父が突進してくる。そして、怪しげな雰囲気を醸し出す息子を二人を目にすると、誇らしげに胸を張った。
「それは、そなた達がいよいよ大人の男へと成長する大事な行為ではないか!このような屋外で手軽にすませるというのは、断じていかん!ゆえにこのわしがふさわしき場所を用意してやったぞ!みよ!」
父が指差した先。そこは――普段であれば、庭でゆっくりくつろぐための東屋。それが、事も有ろうに緋の天蓋つき巨大寝台へと変貌していたのだ。

「天幕は、唐渡りの紗と天鵞絨。寝台には最高級の絹じゃ!さあ、あの場で思う存分契るがよ……!」

父の嬉しそうな口上は最後まで言い切ることが出来なかった。無表情のまま完璧に切れた殺生丸の怒りの鉄拳が、その顔面を捉えたのだ。
その場に取り残された犬夜叉は、兄の一発で吹っ飛んだ父の身体が天幕を引きちぎり、寝台に頭から突っ込むのを呆然と見た。
完全に伸びてしまったのか動かない父を前に、殺生丸は今まで見たこともないほど清々しい顔で笑っている。
「父上!『盛り』という厄介な代物をを解消する、良い手だてが見つかりました。父上を叩きのめせばいいのです」
そう言い放つと、殺生丸はさっぱりとした顔でさっさとその場から飛び去って行ってしまった。
成り行きに付いていけず、のろのろと伸びている父の側に来た犬夜叉は、憮然となって呟く。

「……親父のバカヤロー…。その気になっちまったおれは、どうすりゃいいんだ」

良いところを邪魔され、落胆と怒りに満ちた犬夜叉が去ったのち、ようやく目が覚めた父は、自慢の銀髪が綺麗にそり落とされていた事に愕然とした。

息子二人の怒りの報復――顔面の青あざと頭上のハゲ。
その二つが落ち着くまで、さしもの父も大人しくなりを潜めていたそうな。



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