◆ 家族の団らん 番外2 ◆


 

顔の青痣は消えた。
悲しいハゲは、全体を短く切りそろえたおかげもあってか、渋い短髪に見える程度には伸びてきた。
それまで大人しく引きこもり生活を続けていた父は、ようやくいろんな事が考えられるようになるまで気分が復活してきた。
そして考えた。

「……息子達は何をあんなに怒っていたのだろうか」

寝台の形が気に入らなかったのだろうか。
色が気に入らなかったのだろうか。
それともやっぱり、屋外というのがいけなかったのだろうか。
慎み深い息子達よ。
やはり、ちゃんとした居館を整えて後、正式に杯を交わさせてやるべきだったのだろうか。
しかし、あの時は緊急だったのだ。
慌てて満足な支度が出来なかった父を責めているのかも知れぬが、けして適当にすませるつもりなど無かったという事を、どうすれば息子達に伝えられるのだろうか。

お父さんは、いけない方向に大らかだった。
どこの世界に息子同士で結婚式が必要だったのか?などと悩む父がいるものか。
そんな問いをしてみたところで、「ここにいるではないか!」と胸を張って答えられてしまいそうである。
お父さんは、息子達が仲睦まじければそれで良かった。
ただ、その一心だったのだ。


「オヤジ…こりねぇよな」
父の呼び出しを断り切れず館を訪れた犬夜叉は、つくづく自分の血筋を恨んだ。この、強く勧められたら否と言えない性格は、穏やかで優しく人の心を思いやる性格の母親譲りなのだろうか。断られてしょんぼりと項垂れる父を見ると、きっぱりと拒絶しきれないのだ。
「あの時、性急すぎたのは確かにわしの不明であった。その点は強く反省しておる。二度と同じ轍は踏まぬゆえ、そう警戒してくれるな」

通されたのは女の部屋を思わせる、淡く優しい彩りの調度品を揃えた室。
庭も季節の草花が品よく揺れ、焚かれた香も控えめで、父の趣味にしては珍しく、ほっとくつろげるような雰囲気が溢れている。
気を許したように表情を和らげる息子に、父は安堵の息をもらした。

「どうだ、犬夜叉。この棟は気に入ったか」
「ああ、なんか落ち着くっつーか…親父の館にしちゃ、静かでいいんじゃねーか?」
「そうか、気に入ったか」
父は嬉しそうに何度も頷いた。
「ここならば、そなた達の新居として相応しかろうて」
「……新居…そなた達って、誰と誰のことだ?」
「決まっておろうが。そなたと殺生丸のことだ」
次の瞬間、片膝立てると同時に犬夜叉の鉄拳が父の顎を直撃した。
もろにくらってひっくり返る父に、仁王立ちになった犬夜叉は怒鳴った。
「てめーーーー!やっぱり、また妙なこと考えてやがったな!」


「待て待て待て、犬夜叉!誤解じゃ!話を聞け!」
「聴けるわけねーだろ!どうせろくでもねー事だろ!第一、おれと殺生丸の新居ってなんだよ、ここで二人暮らししろってでも言うのかよ!」
「若夫婦二人きりにしてやろうという、父の思いやりが判らぬか!」
「判るわけねーだろ!」
大股で廊下を歩く足に縋り付く父を、犬夜叉は一蹴した。
この父の考えることは、とことん判らない。
いや、百歩ゆずって、前回の男同士でエロ話に興じようというのは、まあ判らぬでもない。
それが何をどうとち狂って、息子二人で夫婦で新居という発想になるのか。
確かに、前は父の揃えた怪しい絵の数々に危うく術数にはまりそうにはなったが。そのとばっちりで殺生丸が発情したり、それを見てこっちも発情したりと、いろいろと危ない事になりかけはしたが。

――なりかけはしたが、あれはあの時限りの話だ。
おれは普段の殺生丸見て発情なんて、そんな事は絶対にないぞ!ましてや、二人で暮らそうだのあり得ないし、万が一そんな事になったら血の雨が毎日降るだけだ。
……絶対にそうなるだけだ…。

不意に脳裏にあの日の殺生丸の姿が浮かんだ。
発情の気にあてられ、ほんのり桃色に目尻を染め、艶めいた唇は僅かに開き、まるで空気が足りないように浅い呼吸を繰り返し、吐き出される息は甘い香りを漂わせていた。

血の雨は血の雨でも――。

「犬夜叉、鼻血が出ておるぞ」
「は、鼻血ってなんだよ!鼻血の雨が降りそうだなんて、おれはこれっぽっちも考えちゃいねーぞ!」
「いや、普通に鼻血が出ておると言っておるのだ。そなた、相当たまっておるのではないか?」
真顔で布を差し出され、犬夜叉は慌てて鼻を拭った。
なんでもないのに鼻血を流すなど、信じられない。
鼻を押さえながら呆然とする息子に、父は頭を掻きながら言った。

「何やら、またわしは間違えておったようだな。そなたと殺生丸が互いを慕いあってくれれば、わしとしてはそれだけで満足だったのだが…。どうやら、その前に普通に嫁を探した方が良さそうだ…」
しょんぼりとそういう父に、何故か犬夜叉は慌てた気分になった。
「また、勝手に決めつける。おれは別に…嫁が欲しい訳じゃねーよ」
「そうなのか?おなごが欲しいところに、わしが妙なことを言ったので怒ったのかと思ったのだが」
「女が欲しい訳じゃねー。って言うか、おれは当分は女に関わりたくねぇ。なんか、いろいろと難しいし」

女に関しては、後悔ばかりだ。気持ちばかりが先走って、結局は誰も守ることも、幸せにしてやることも出来なかった。
自分の未熟さを思い知っただけだ。

そう苦々しく考えた犬夜叉は、すぐ傍らで自分を心配そうに見ている父に、不思議な愛情を覚えた。
自分同様、この父も、いつも肝心なところで間違えていて、それをどうにかしてまともな方向に戻そうと必死なだけなのだろう。
厄介な愛情ではあるが、突き詰めれば似たもの同士なのだろうと思った。

「なあ、親父。今日のことは殺生丸には言うなよ。多分、あいつはおれ達と違うだろうし、本格的に愛想尽かされるだけだろうからさ」
「やはり、あれは怒るか…そうであろうな…。本当は、今日もそなたと一緒に呼んでおったのだが、顔もちらりとも見せなんだ」
「これ以上怒らせたくないならさ、あんまり妙なこと考えるなよ、な」
「そうだのう……」
呟く父の肩を力付けるようにぽんと叩き、犬夜叉は館を出た。
間違えまくってる父だが、親の情を直に感じられた気がして、気持ちは温かくなっている。
そんな時だった。
僅かに離れた木立の中で、知っている匂いを感じ取った。
殺生丸が近くにいるのだ。
いきなり顔が熱くなりかけたが、両手で叩いてそれを押さえ、犬夜叉は匂いのする方向へと跳んだ。
案の定、館を見下ろせる高みに立ち、無表情に下を眺めている殺生丸がいる。自分が近付いてもとくに動く様子がないので、犬夜叉は仏頂面を作って声をかけた。

「ここまで来てんなら、顔見せてくりゃいいだろ」
冷たい視線が、そう言う犬夜叉を捉えた。殺生丸はいつにも増して冷ややかに、
「貴様が帰りかけということは、話はもう終わったのであろう。いまさら、訪れる必要はない」
と言い捨てた。
「話は終わったっても、顔くらい見せてやれよ。親父、寂しがってるみたいだし…」
父の肩を持つような犬夜叉の言葉に、殺生丸は怪訝そうになった。
「父上と気が合うようになったと見える。寂しがっていると思うのなら、きさまが顔を見せてやればいい」
「そうじゃねぇ。親父は、おれとお前が仲良くなりゃいいって、そんな事考えて……」
「妙なことを抜かす物だ。ならばきさまは、父上の気持ちを汲んで私と仲良くしたいとでも言うのか」
「……う…」
遠慮のない物言いに、犬夜叉は口ごもった。「仲良くなんてなりたいわけはない」と反論したいところだが、そう考えた瞬間にしょんぼりと項垂れていた父の姿が浮かんだ。

夫婦だの新居だのというのは論外だが、それなりに兄弟らしくすることは不可能なのだろうか。
兄弟らしく、一緒に書を学んだり、剣の練習をしたり――。

そこで犬夜叉は、兄弟らしく仲睦まじい自分と殺生丸の姿など、まったく想像できないことに驚いた。
頭に浮かんだのは、下手くそな字を馬鹿にされる自分だとか、剣の稽古でさんざんぶちのめされる自分だとか、およそ仲がよいとは絶対に言えない光景ばかりだったのだ。

(……だめだ…こいつとは、絶対に兄弟らしく仲良くなんてできっこねぇ…)

仲良くなるなんて、絶対に不可能だ……そう結論付けかけたところで、また不意に浮かんできた顔がある。
あの日、発情して自分で自分を持てあましていたせいもあるが、素直に弟の手に自分を任せようとしていた殺生丸の姿。

何かきっかけさえあれば、兄弟としてではなくても、何か変わるかも――そういろいろと思いめぐらせていた犬夜叉は、つっと鼻を伝わる物にぎょっとなった。
止まったと思っていた鼻血がまた流れ出したのだ。
慌てて袂で鼻を押さえると、目の端に殺生丸の顔が映る。
目を尖らせ、軽蔑しきった声で一言。

「きさま、また欲情しておるな」

「ななな、んなわけねーだろ!」
咄嗟に怒鳴るが、鼻血を押さえたままでは説得力がない。殺生丸は近寄るなと言わんばかりに距離を取ると、「見下げ果てたやつだ。何もないところでいきなり欲情するとは、何を考えておるのだ」と、呆れ果てた言葉を残して飛び去っていってしまった。

1人残され、犬夜叉は呆然となった。
「なんで、欲情してるんだ……ひょっとして……」
(あいつの顔を見たからか?)


自分で自分が信じられなくて立ちすくむ犬夜叉の背後では、離れた草むらに身を潜めていた父が妙な笑いを零していた。

「殺生丸の匂いを感じて来てみたが。よもや二人っきりで逢い引きをしておったとは。また犬夜叉も誤魔化してはいたが、やはりあれに恋心を抱いておったようだ。殺生丸もまた……照れて逃げ帰るとは、かわゆい所もある物よ。ここはやはり、父が一肌脱いでやらねば……」

父の間違いは、大きくなるばかりだった。



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