◆ 顔のない子供達 ◆


 
『さあ、おいで』

そう言って差し出された手を取った瞬間、りんはこれが夢だと判った。
だって、繋いだ手の主は顔がない。
くすくす笑っているけれど、おかっぱ頭のその顔はのっぺらぼう。
その後ろで笑いながらりんを誘う少女達の顔ものっぺらぼう。
でも怖くない。
少女に手を取られ、りんは少女達と一緒に空を飛んでいる。
夢でしかあり得ない。

『遊ぼうよ』

少女達はそう言ってりんの前をひらひらと飛んでいく。
りんも後を追いかける。少女達と同じように空を飛びながら。

(うわ、おもしろい)
りんは声を出して笑いながら、少女達を追いかけた。

『おいでよ、もっとこっち』
『もっともっと一緒に遊ぼう』
(うん、遊ぼう)
りんは何度も頷きながら少女達を追いかけた。
ひらひらと森の中を軽やかに飛び、池の上で踊る。
みんな仲良しで、誰も喧嘩したりしない。
楽しくて楽しくて、りんは夢中になって遊び続けた。

(こんな風に遊んだの、初めて。すごく楽しい。夢だけど、すごく楽しい)
きゃっきゃっとりんは声を出して笑った。
少女達も一緒に笑う。一番初めにりんを誘ったおかっぱの少女が、さらっと髪を揺らして小首を傾げた。

『ね、楽しいでしょ』
(うん、凄く凄く楽しい!あたし、こんなに遊んだの初めて)
『じゃあ、ずっと一緒に遊ぼうよ。あたし達と一緒に行こう?』
その言葉に、りんは初めて胸がきゅっと痛むのを感じた。
(一緒に行けないよ。だって、これは夢だもん)
夢が覚めたら、この楽しい時間も終わり。
それを考えて、少しだけりんは悲しくなった。
その顔に少女は鈴が転がるような笑い方をした。
夜のしんとした森の中に、少女の声だけが響き渡る。

『そんな事、ないよ。だって、あなたは本当はあたし達と一緒に来るはずだったんだもの。だからね、望めば一緒に来られるんだよ』
うんうんと頷きながら、別の少女がぐいっとりんの前に顔を近づけた。
『一緒に来るとね、もう寒い事もお腹がすく事もないの。痛いことも悲しいこともないの。一緒に行こうよ』
『ねえ、行こうよ』
少女達がぐるりとりんを取り囲み、口々に誘う。
『一緒に行こうよ。たくさん遊ぼう。そして、一緒に眠ろう。みんな一緒だから、ずっとずっと楽しいんだよ』
少女達はみんな親しげで優しい。りんに触れる手も優しくて、ずっとこうしていたくなる程。
りんはきゅっと唇をとがらせ、そして遠慮がちに言った。
(でも、りんは一緒に行けない。だって、殺生丸様や邪見様と一緒だから。りんは、殺生丸様と一緒にいたいから)

楽しそうだった少女達が、とたんに同情の口調になった。
『可哀想。本当だったら、もっとずっと前に楽になれたはずなのに、今もこうやって引き留められている』

可哀想と言われ、りんは訳が分からなくなった。
(どうしてあたしが可哀想?あたしは殺生丸様達と一緒にいて、とっても楽しいのに)
おかっぱの少女は胸の前で両手を組み合わせ、心の底からそう思っているように言う。

『本当に可哀想な子』

(どうして?どうしてあたしが可哀想なの?)
叫ぶりんに、少女はただ同じ言葉だけ繰り返す。

『可哀想。生きていると辛い。お腹も空く。寒くて眠れない夜もある。痛くて悲しくて辛い事ばっかり。可哀想』

(どうして?どうしてそんな事言うの?あたしは可哀想なんかじゃない!)

『可哀想。ねえ、一緒に行こうよ。あなたも行けるの。嫌な事なんてなんにもない場所へ。あなたはちょっと間違っちゃっただけなの。一緒に行こう。本当に行かなきゃない場所へ行こうよ』

少女達が口々に言いながら、一斉に手を差しだした。
りんはびくりとして自分の手を背中に隠す。そして首を何度も横に振った。
(りんは行かないよ。みんなと遊ぶのはすごく楽しかったよ。でもダメ。りんは殺生丸様と一緒にいるの)
『可哀想。そこはあなたの本当の居場所じゃないのに』
少女達は口々に言った。そう言いながらも頑固なりんに説得を諦めたのか、少女達は悲しげな息を付き、最後におかっぱの少女が言う。

『私達はもう行くの。でも、あなただっていつでも行ける。だってあなたは――だから。間違ってこの世にいるんだから。だから、あなたも行けるの。それだけは忘れないで』
(りんがなんだから?なんだから一緒に行けるって言うの?待って、教えて!りんがなんだって言うの?)
聞こえなかった言葉なのに、りんはそれが自分にとってとても大事な言葉なのだと判った。
判らないから知りたい。でも、それを知るのは怖い。
りんは背中が凍るような感じを覚え、ぶるっと体を震わせる。
少女達はひらひらと空高く飛び立ち、りんの身体は逆にどんどん地に向かって落ちていく。

(ねえ、教えて!)
りんは遠くなっていく少女達に向かい、叫ぶ。
その耳に、ホウ……という笛の音が聞こえた。

ホウ、ホウ……フクロウの声に似た笛の音がどんどん大きく聞こえてくる。

ホウ……。

ずっと空を見上げていたりんは、目を大きく見開いていた。
空を飛ぶ少女達の中央に、大きくて丸いものがぼんやりと現れる。
閉じた目に口にくわえた笛。ふわふわと飛ぶそれに少女達の影はまつわりつき、やがて楽しそうに弾む笑い声を残して消えた。
今、りんの目の前には、その丸い生き物だけがいる。

妖怪だ、とりんは思った。けれどもこれも怖くない。
優しい感じがする。
ホウ…という笛の音が鳴る度、りんは泣きたいような懐かしさを覚える。

(あなたもりんを迎えに来たの?)
りんはそう問う。丸い生き物は答えずに、笛を吹き続けている。
(りんは一緒に行かなきゃいけなかったの?)
笛の音が長く森に響く。そしてその生き物も消えてしまった。


◆◆


ホウ……という音にりんはぱっと目を覚ました。
まだ暗い夜の森。フクロウの鳴き声があちこちで聞こえる。
「なんじゃ、珍しい。一度寝ると朝まで目を覚まさぬくせに」
竜に寄りかかったまま目をきょろきょろさせるりんに気がつき、邪見が言った。
「……ホウ、ホウって音がする」
「そりゃフクロウの声じゃ。別に珍しくも何ともないわい」
寝ぼけたりんの声に、邪見は素っ気なく答える。
りんはもぞもぞと邪見の側に行くと、小妖をぎゅっと抱きしめた。
「こ、こりゃ!いきなり何をするんじゃ!」
「なんだか怖いんだもん、こうしていてよ、邪見様」
「何が怖いんじゃ、子供の様なことを、って子供だったか」
1人でそう納得してる邪見に、りんは抱きついたままぼそぼそと言う。
「子供だよ、だからこうしていてよ」
「まったく、こんな時だけ子供面しおってからに」
ぶつぶつ言っている邪見に、りんは呟く。

「ねえ、りんって可哀想なのかな」
「誰が可哀想じゃ!殺生丸様とご一緒できるなど、お前ほど幸運な小娘はおらぬわ!」
「そうだよね!りんは可哀想じゃないよね!」
急に大きな声で言うと、りんは邪見に抱きつく腕に力を込めた。
「きゅう」と小妖が苦しそうな声を出す。
「急に何を言いおるのじゃ、お前は」
「可哀想、可哀想って言われる夢を見たの。最初は一緒に遊んでくれた楽しかったのに。そう言われて、なんだか悲しくなったの」
「なんじゃ、夢の話か」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに素っ気なく邪見が言う。
「うん、それでね。笛を吹く妖怪も見たの。みんな、その妖怪と一緒に行っちゃったの」
「夢の話じゃろうが」
「うん、そうなんだけど……」
ぽそっと言ってりんは口を閉ざす。まだ胸がドキドキしていた。

「大きな目を閉じてて、笛を吹いてるの。みんな、その妖怪と一緒に行っちゃった。それで、りんも行こうと思えば一緒に行けるんだって誘うの。一緒に行けば楽しいって言うけど、……」
「そのみんなって誰の事じゃ」
「分かんない。りんと同じくらいの女の子がいっぱい」
「そりゃ…」
邪見は声を飲み込んだ。笛を吹いて子供達を連れて歩く妖怪といったら、タタリモッケしかいない。
早くに死んだ子供達と遊び、そして霊界へ導く優しい妖怪。
邪見は渋い顔になると、怒ったように言った。
「それは夢じゃ!忘れろ!」
その言葉の荒さに、りんはきょとんとした。

「夢だよ。怒らなくても良いじゃない」
「良いから忘れるんじゃ!そんな夢、もう見たりせんわい!」
タタリモッケがりんを呼びに来たという事に、邪見は自分でも不思議に思うほど腹が立っていた。
(りんは生きている。そりゃ、一度は死んだが、今は立派に生きておる。子供の魂を連れて行く妖怪なんぞに用はないわい!)
「変な事いっとらんで、早く眠らぬか。殺生丸様がお戻りになったとき、寝不足のむくんだ顔でお迎えするつもりか」
「え、そんなのやだ!」
りんは急に顔を両手で押さえると、急いでさっきまでの寝場所に戻り丸くなった。
ネコか犬の仔のような寝相だ。
邪見は「やれやれ」と呟き、杖を抱え直した。
「まったく、タタリモッケの夢など縁起でもない…」
そう独り言を言った瞬間だった。

フクロウの鳴き声めいた音がまるで耳のすぐ横で鳴らされたように大きく聞こえ、次いできゃっきゃっとはしゃぐ少女の声。
邪見は仰天して頭を巡らした。
木々の間から見える夜空に浮かぶ笛を吹く妖怪。そしてその後ろではしゃぐ子供達の魂。透き通った子供の輪郭だけが嬉しそうに空をはね回る。
それは一瞬だけ姿を見せ、すぐに消えた。邪見は慌てて傍らにいるはずの少女の姿を確かめた。
りんはさっき丸くなった場所で静かに寝息を立てている。
邪見は安堵の息を漏らし、この僅かな間に自分が冷や汗をかいたことを驚いた。
「やれやれ、わしは何を慌てているのじゃ…」
タタリモッケと子供達の魂はどこかへ去り、りんは今まで通りにここにいる。
別に何も焦ることはない、そう邪見は自分に言い聞かせる。
森は静かになり、笛の音もはしゃぐ子供の笑い声も聞こえない。

「りんは今は生きておる。魂を運ぶ妖など、用なしじゃ…」
眠る子供を見守りながら、邪見は夢見心地で呟いていた。



 
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