◆ 日常の風景 3 ◆


 
ある日邪見はふと思った。

市に買い物に出かけた娘が、村外れで待っていた彼の前に帰ってきた。
不本意ながらすっかり見慣れた人間の法師と一緒に。
まるで兄妹のように、親しげに笑いあって並んで歩く二人を見たとき、邪見はどうしても考えずにはいられなかった。

(やはり、りんは人の元へ戻した方がいいのではないか?)

弥勒はりんが買い物した品物とおぼしき包みを抱えたまま邪見の前に来ると、さっきまでのにこやかな笑顔をふてぶてしい顔に変えて小妖に詰め寄った。
「てめえ、一体何考えてやがる」
唐突な文句に、邪見は当然憤然となった。
「いきなり何を言っておるのじゃ」
「バカたれが、子供1人にこんなにお宝持たせやがって。盗人に目を付けられたらどうする気だったんだ。え?」
「お宝?」
きょとんと言い返す邪見に、弥勒は錦の小袋を突き出した。買い物賃にと、りんに持たせてやった物だ。
「これがどうした」
「どうしたって、何が悪いのかもわかんねえのか、バカヤロ」
言うが早いが邪見を蹴倒し、弥勒は早口で言い立てた。
「この中身は何だ、こら。玉やら翡翠やら水晶やらの人間が見たら涎たらして欲しがるようなお宝をぎっしりと詰めた物を子供1人に持たせるってのが、どれだけ危ねぇのか見当もつけられねぇのか。盗賊に取り上げられるくらいならまだしも、ヘタしたら命もアブねぇ所だ。俺がたまたまいたからいいようなものの、もうちょっと気ぃきかせやがれ」
「欲ボケの人間のことなど知るかぁ!大体にして、その袋は殺生丸様がよこされた物じゃ!」
たんこぶを押さえて涙目で喚く邪見を、もう一度弥勒は蹴倒す。
「バカたれが。殺殿がいちいち銭勘定して、これ以上持たせたら危ないだの、この程度なら間に合うだのちまちまやる訳ねーだろうが。そういう細かいところに気働きするのが、従僕の仕事だろうが」
あっという間にぼこぼこになった邪見に、りんは急いで止めに入った。

「ごめんなさい、弥勒様。りん、お代にどれくらいかかるんだか判らなくて、貰った袋そのまんま持ち歩いてたの」
「りんはいいですよ。もともと、子供は大金持ち歩く物じゃありませんからね」
ころりと表情を変えて弥勒は優しく言った。
「おい、邪見。てめえも覚えておけよ。いいですか、りん。今度市に来るときは、指先ひとつまみ分だけの砂金を貰いなさい。そして、最初に両替屋に行って銭に変えて貰いなさい。多少、相場を誤魔化されるかも知れませんが、りんに必要な日常品を買うには十分でしょう。お宝をたくさん持って歩くよりはよほど安全です」
りんは神妙な顔でこくこくと頷いた。
それを見て、ようやく弥勒は安心そうになる。
「それでは、気をつけてお帰りなさい」
「弥勒様は、一緒にこないの?殺生丸様はあっちで待ってるよ」
そう無邪気に聞き返すりんに、弥勒は残念そうに笑った。
「あいにくと、今日は仲間達も一緒なので、あまり長時間ふらふらしてられないのですよ。また、今度訪ねていきますからね」
「うん!」
人なつっこい笑顔で手を振って戻っていく弥勒に、りんも大きく手をふった。
こぶを撫でながらその遣り取りを見ていた邪見は、ずんと落ち込む気分を自覚しながら思う。

(やっぱり、りんは人と一緒にいた方が楽しいのじゃろうか…)


市で買い込んだ物を抱え、りんは楽しそうに鼻歌を歌いながら前を歩いている。
それが妙に癇に障り、イライラとした邪見は八つ当たり気味に文句を言った。
「何を買い込んできたのかはしらんが、ひどい匂いじゃ。そんな物を抱えてよく平気でいられるものじゃのう」
「ひどい匂いって、味噌と干物だよ。そんなに匂う?」
くんと鼻を鳴らしたりんに、邪見はいっそうつんけんと言った。
「匂うわい、鼻が曲がりそうじゃ。そんな物を殺生丸様のお近くに持ち込もうとは、人間の図太さには呆れるだけじゃわい」
言い終わった瞬間、邪見は言いすぎたかと思ったが、なぜかりんは嬉しそうにニヤニヤしている。
「な、何をニヤニヤしてるのじゃ!」
口から泡を飛ばすようにしてそう言うと、りんはいっそう嬉しそうになった。
「えへへ、何て言われても怖くないもん」
ニコニコというりんに毒気を抜かれ、邪見はきょとんとした。
「あのね、あたし、にいちゃんがいたんだけどね」
「はあ?」
「にいちゃん達ね、よくりんのこと邪魔にしたんだよね。小さくておなごだから、野良仕事の手伝いもろくにできない、狩りも下手くそだ。水くみにも時間がかかるって」
唐突に昔語りを始めたりんに、邪見はさらにきょとんとなる。
「お前、何を言いたいのじゃ?」
「でもね、あたしが苛められれば助けに来てくれたし、いっぱい助けてくれたからね、いくら邪魔にされても、怒られても怖くなかったんだ」
「だから、何を言いたいのかと聞いてるんじゃ」
イライラという邪見に、りんはえへへっと笑う。
「邪見様に怒られるとね、にいちゃん達に怒られてたときのこと思い出すんだ。だからね、りんは邪見様に怒られても嫌じゃないんだ」
りんはそう言い終わると照れくさくなったのか、小走りに走り出し、少し離れたところで振り向いた。

「あのね、りんは殺生丸様と邪見様と一緒にいるのが好きだからね、ずーっとずっと一緒に居られたらいいね」
りんはまた走り出す。今度は振り返らずに、殺生丸が待っているところまでまっしぐらに走っていく。
「おい、りん」
少しの間、りんが言った言葉の意味を考えていた邪見は、だいぶ遅れてから走り出した。
(ずーっと一緒になどと、またなんという脳天気なことを言う小娘じゃ…お前など、すぐに歳をとってしまう人間のくせに。弱くて脆くて、すぐに死んでしまう人間のくせに)
森の間の小道を抜け、河原に続く土手の上に立ったところで、水際にいた殺生丸の姿が目に入った。
そのすぐ側ではりんが包みを持ち上げて何かを喋っている。
法師に言われたこととか、市のこととか、また下らないことを喋っているのだろうと思う。殺生丸は聞いているのかいないのか、とりあえずりんを見てはいるようだが、答えたり相づちを打っている風にも見えない。
(当たり前じゃ、小娘の言葉なんぞにいちいちなんで答えるものか…)
そう思いながら、邪見はその光景に見入る。
りんを連れ歩くようになった頃。殺生丸が人を側に置くこと、声を掛けたりすること自体をよく奇異に感じた物だった。
だが今は別段おかしくも感じない。
1人で喋るりんに、黙って喋らせておく殺生丸。
今では日常的とも言えるほど目に馴染んだ光景だ。

(……そうか、いつの間にやら、わしもあの娘がいることが当たり前じゃと思うておった。あの娘が嬉しそうに喋る相手がわしや殺生丸様だけじゃと、そう思い込んでおった。だからか、何やら嫌な気分になったのは…あの娘が他の人間といる方が良いのだろうかなどと考えるから、嫌な気分になったのじゃ)
邪見はゆっくりと斜面を下り、涼やかに立つ主とその足下をはね回る娘のいる方へと進んだ。

(それにしても馬鹿な娘じゃ。妖怪である我らとずっと一緒に居たいとは、本当に馬鹿な娘じゃ)
そんな事を考えながら、邪見は別の言葉を口の中で呟いた。
まるで自分自身の中から生まれた考えのように、妙にしっくりとする言葉。
「ずっと一緒にか…居られたらいいのう…」
主と、小娘と、そしてわしの三人で、ずっといられたらいい。今のまま、変わらずにずっと一緒に居られたらいい。
そんな事は無理だと判りながらも、その言葉を呟くたびになぜか幸せで暖かい気分になる。

「ずっと一緒にか…居られたらいいのう…」

その日、邪見は生まれて初めて神仏に祈った。
どうか、この日常がずっとずっと続いていきますように、と。




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