◆ 日常の風景 4 ◆


 


ある日殺生丸は考えた――訳ではないが、なんとなくそんな気分になったので、それを実行に移してみた。
あるいは日ごとに暖かさを増す、この陽気のせいだったのかも知れないが。


「ねーえ、殺生丸様、どこに行くの?」
双頭竜にちょこんと乗ったりんが尋ねたのは、殺生丸本人ではなく手綱を持つ邪見である。
「わしは知らぬぞ」
「琥珀の匂いでもしたのかなぁ」
「お前、いったいいつの話をしておるのじゃ」
「え?もう琥珀は追っかけてないの?」
驚いたりんに、邪見は自信なさげに首を捻る。
「違うのではないか?」
「邪見様、頼りない〜」
「うるさいわい、じゃあ、お前はどう思っておるのじゃ!」
「うーん、……殺生丸様……」
りんはぱっと閃いた顔で笑った。
「お花見?」
「たわけ!まだ梅も桃も咲いていないわい!」
「だから、咲いてるところに行くんじゃないの?りん、場所が変われば咲いてる花が違うのもちゃんと知ってるもん!」
すっかり旅慣れてしまったというか、むしろ、普通の人間が旅をするのとは比べものにならない早さで南だ、北だ、西だ東だと移動しているのだ。
りんは行った場所によって気候が違っていてもおかしくないことを、ちゃんと学んでいた。
だから、暖かい方に行けば、この辺ではまだ咲いていない春の花が咲いてる場所もあるかも知れないと、そう考えたのだ。
そう言われればそうかも知れないと、邪見も唸る。
だが、そこでふっと考えた。

「殺生丸様が、その辺でお花見か?よほどの名花でなくば、わざわざ足を運ばれるわけがあるまいに」
「だから、今わざわざ行ってるんじゃないの?」
りんは食い下がる。すると、邪見はえっへんと胸を張り、勝ち誇ったように言う。
「わしが殺生丸さまのお供をして何年になると思っているのじゃ!殺生丸さまのお眼鏡に叶うほどの花があらば、わしが知らぬはずがあるまい!」
「ちぇー、違うのかぁ」
「はっはっは!昨日今日殺生丸さまのお供をするようになったお前とは、年期が違うわい!」
得意そうな邪見に、りんはぷっと口元を尖らせた。
「じゃ、殺生丸様はどこに行くの?」
「…え、えーと、それは…」
口ごもった邪見に、りんは言う。
「それはやっぱり判らないんだ」
「えーい!そもそも殺生丸様は、いちいちどこへ行くだの何をやるだの、従者に説明などなさるお方ではない!今回も殺生丸様がそうなされようと思われたのだから、きっと深い深い思惑があるに違いないのじゃ!」
「……だから、判らないんでしょ?」
ムキになって喚き散らす邪見に、りんは冷静にツッコミを入れる。
邪見は苦虫を噛んだような顔で、しぶしぶ「そうじゃ」と認めた。


「うーん、じゃあどこにお出かけなのかな」
「そんなに気になるのなら、直接聞いてみてはどうじゃ?」
「うるさい、って言われそうな気がするの」
「ならば、黙って付いていくしか在るまい」
「でもね、気になるなぁ」
今度は邪見の方がふと気が付いた顔になった。
「なんで、お前、そんなに行き先に拘るのじゃ?」
「え?」
「だから、お前、さっきからどこへ行くのー行くのーと首を捻っておるが、殺生丸様が行き先を言わぬのはよくあることではないか。普段は黙って後をついていくのに、なぜ、そんなに知りたがるのじゃ?」
「りん、そんなに知りたがってた?」
「朝から、なんべんもなんべんもわしに聞いとったじゃろ」
「そうだったっけ?」
「お前はいつもうるさいからのう。自分でも何を言っておったか、覚えておらんのじゃろ」
「そんなに聞いてたかなぁ…」
りんは思い更ける。そういえば、確かに朝、殺生丸が無言で歩き始めた頃から、妙に行き先が気になったものだ。
「なんでだろ?」
とりんは真面目に考える。
普段の殺生丸と、何が違うのだろう。
うーんうーんと何度も首を捻り、手綱を引く邪見が呆れて前を向いた頃、りんはぱっと顔を輝かせて手を叩いた。

「そうだ!殺生丸様、なんかいそいそしてる感じがするんだ!」
「はあ?いそいそ?」
耳にした言葉が殺生丸に似合わなすぎて、邪見は顔を顰めた。
「お前、それを言うなら、『急いで』じゃろうが」
「ううん、なんかね、いそいそっていうか、そわそわっていうか、そんな感じがしたの?」
「わしには普段とお変わり無いように感じるぞ。そもそも、いそいそだのそわそわだのとは、春の木の芽時に浮かれだすような年頃の、小娘や小童に使う言葉ではないか」
「だってそんな感じがするもん。だって、普段より歩くのが速いし、余所見もしないし、それに…」
「それになんじゃ?」
「……殺生丸様、あたし達置いて先に行っちゃった…」
りんはようやくそれに気が付いた。
りんと邪見がああだこうだとお喋りに夢中になって、前に進む早さが遅くなったりしていた間に、殺生丸は後ろの様子も確かめずに、さっさと先に進んでしまっていたのだ。

「な、なんじゃーーーーー!!!」
置いてけぼりをくったことに気がつき慌てた邪見は、いそいで竜に乗り込むと、手綱を操って空を駆った。
「これ、殺生丸さまの匂いを追うのじゃ!」
そう喚いて竜を飛ばす。後ろではりんが困った顔で言う。
「殺生丸様に置いてけぼりくらっちゃった〜〜〜」
「ばかもの!それどころではあるまい!途中でいない事に気付かれたら、何をもたもたしていたのかと、お怒りをかってしまうぞ!」
「怒られたら、やだ〜〜」
「ええい、お前が下らぬ事ばかり言っておるからじゃ!」
邪見が慌てふためくほどもなく、間もなく竜は殺生丸の匂いを感じ取ったようだ。
ゆっくりとその方向へと降りてゆく。
「はあ、やれやれ、そうも離れてはいなかったようじゃ」
安堵の息を付きかけた邪見は、次の瞬間、目にした地上の様子に仰天して目を剥いた。

「人の寺ではないか!」


そこは人里から少し離れた古い寺。あまり手入れが行き届いていない風の本堂の階に太った坊主が座り、昼から瓢箪を煽っている。
そして境内を竹箒で清めている若い坊主。ときどき太った法師に何やら小言を言っているらしいのは、坊主のくせに髪を伸ばし、耳に飾りまで付けている不良法師である。

「間違えておるぞ、竜!あれはあの生臭法師ではないか!こんな所に殺生丸様が参られるはずが――!」
「あ、殺生丸様だ」
混乱する邪見とは逆に、りんは嬉しそうに言った。
寺を囲む林の間から、きらめく髪を持った影が進み出たのだ。
空中に浮いたままの竜の背からもはっきりと見えた。
太った坊主が手から瓢箪を取り落として、呆然としている。
そして不良法師は手にしていた箒を放り出し、殺生丸へと走り寄っていった。

「殺生丸様!これはいったいなんという事じゃ!わざわざあの不良法師に会うために脚をお運びになられたというのか!こ、こんな事はありえなーい!」
「あり得ないって、…だってあったよ」
「これは夢じゃ、幻じゃ!せ、殺生丸さまぁぁぁ!」
現実逃避をする邪見に呆れつつ、りんは自分の考えが当たったことに満足そうに笑った。

「やっぱり、殺生丸様、いそいそとしてたんだね。弥勒様の所へお訪ねするのに」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


満面の笑みを浮かべた弥勒が、まっすぐに走ってくるのを殺生丸はその場に立ち止まって見ていた。
まだ少ない春の陽射しを、補うかのように陽気で暖かい笑い顔。
普段は勝手にやってきて、辺り中に振りまかれる弥勒の笑顔は、すでに自分の日常にも刷り込まれている。
しばらく見ないと物足りなく感じるほどに。

――そうか――と殺生丸は納得の面もちになった。



(私は――この顔が見たかったのだな)







 
和み置き場に戻る